第20話 惑わされた奥方
「ただいま!」
帰還の言葉と共に口からは唾やら何やらが噴射される。
腹部にめり込む拳、くの字に折れ曲がる体。まるで弾丸の如く発射され、臀部からドアに向かって勢いよく弾け飛んでいった。
老舗の使い古されたドアの耐久など、たかが知れている。轟音と共にドアは破壊され、床に体がゴロンと無惨に転がった。
その時間は瞼を開閉した間に起こり、セルたちにも衝撃を与えた。慌てて容態を確認しに行ったが、シャルはため息と共に壁に続いてドアも修繕費がかかるのかと途方に暮れている。
「洗いざらい説明してもらいましょうか。それか、そのふざけた口が二度と聞けないようにして差し上げますよ」
まるで敵対組織の人間にこれから拷問でも始めようかとジリジリと詰め寄るナーシャ。お気を確かにと間に入ってセルとラテスは落ち着くことを懇願していた。
ただいまと気軽に言った人物、それは昨晩に誘拐されたはずのキースであった。
ナーシャにとっては色んな意味で心配もあったのだろうとは思うが、それ以上に奇想天外なことばかりをする彼に苛立っているのだろう。彼女を宥めるのはそれは時間がかかり、ラテスが慌てて開店前の近くの甘味処から倍の価格で仕入れてきたクッキーを手渡したことでようやく手打ちとなった。
ラテスの機転にセルは関心した。
途中いなくなった時はいずこにと驚いたものだが、宿の近くにどんな店があるかを見ておいたのだろう、彼女の怒りを他のものにすり替える、昼間のパフェで彼女が甘味好きということを察していたのだろう。
キースが再び目を覚ますまでの間、シャルはたち店主に謝罪を重ね、一緒に町長の元に行ってもらう約束をつけ、食事を済ませ、外に出る準備を済ませたのであった。
「で、なにかわかったか?」
「殿下、心配の言葉はないのですか? 師匠は悲しいですぞ」
「で、有益な情報は?」
「…では簡潔に話しましょう」
キースはシャルの奥で重なって見えるナーシャの殺意の目に、思わず目を逸らして答えた。さすがにさっきの一撃は効いたらしい、まだお腹をさすっている。
「私たちを付け狙った夜襲のチームと、私を誘拐したチームは別の組織です」
「…お互いが根元で繋がっているということはないのか?」
「殿下、彼らは組織として人間関係が出来ていました。対してこいつらはローブの男に金で雇われたごろつきたちです。そこには明らかな違いがあります」
「昨日の襲撃は本来二度、行われるはずだった。ということですね」
「その通りだラテス君」
「たまたま決行のタイミングがずれたことで、様子見をしていたところにキースさんがいらっしゃったと」
「ええ。私はあの後、彼らのアジトらしきところに連れて行かれましたが、拷問はされませんでしたな。ただし、一つ質問はされましたが」
「質問?」
「エルフなら、薬物の治療ができるのだろうと」
キースを狙った原因、それは意外な理由だった。
彼らは街のギャング組織の一つだったようだ。カジノ経営や露店の仕切りをしたりなどをしていたようだ。
彼らにとって薬物は金づるを横取りされる邪魔なものなのかも知れない。キースから薬を生成できないか考えたのだろうということだった。
キースはというと、警備が手薄になったタイミングで抜け出してきたようだ。お陰でアジトも分かっているが、彼らは手荒なことはしなそうな様子である以上、後回しでローブの男のグループを追ったほうが良いとのことだった。
「しかし、ローブの男は薬で記憶を消されてしまってな。さて、どうしたものか…」
「もう一度、町役場に行きましょう。色々と報告もあるようですし。セル殿とラテス君は…再び街に出て情報を収集してきてほしい」
「わかりました」
こうして、再び別れて行動することになった。
シャル達を見送ると、セルとラテスは街へと向かっていった。
案の定、道に迷いつつ街の方までなんとか降りてきた二人だったが、街角で見かけた人物は偶然の出会いだった。
「あの、これ落としましたよ」
「あ、ありがとうございます」
それはセルたちと同じくらいの歳の女の子だった。
荷物が多く、カゴから落とした花に気付かず行ってしまうところを見かけたセルは声を掛けたのだった。
「すみません、助かりました。旦那様の奥様が好きな花なのです。なくしたら悲しむかもしれません」
「良かったです。これで奥様も笑ってくれますね」
「そう、だとよいのですが…」
彼女の返答は歯切れが悪かった。ラテスはそれを違和感に感じたのだろう。お具合が芳しくないのですかと尋ねると、少し逡巡した様子をしながらも話してくれた。
「私は孤児院の出身でして、家政婦業をしています。旦那様は仕事をしながら奥様の看病をずっとなさっているのです。…奥様は寝たきりなのです」
「体調が悪いんですね。ご病気ですか?」
「いえ、それが…どうも巷の噂になってる惑わし薬の影響なようなのです」
「惑わし薬?」
「なんでも吸うと楽しい気持ちになるんだとか…ですが危ない薬だから手を出すなとご主人様に申しつけられています。奥様のようになるからと」
「奥様は…?」
「奥様は、寝たきりなのです。口元に重湯を運んであげれば嚥下はしてくれるのですが、視線や言葉、表情、動きを失ってしまいました。私たちを認識すらしていなのかも知れません」
彼女の支えている奥方は、重度の副作用になっていたようだ。二人は慄いた。この薬は想像以上に危険な副作用を含んでいるようだった。早くなんとかしなくては。シャルへの報告が必要だった。
「あの、こんなこと出会ったばかりのおふたりに言うのもおかしいですが…私、違うと思うんです」
「違う、というのは?」
「旦那様はとても奥様思いの素敵な方なんです。奥様も、孤児院出身の私を偏見なく受け入れてくれた優しい方です。誰からも愛されるような奥様が、遊びで薬物に手を伸ばすなんて考えられないんです。なにか犯罪に巻き込まれたのかもしれませんけど…ですが、明るいうちに外に出ることは済ませていた奥様が何かあるなんて…」
「手助け、できるかも知れません」
そう言ったのは、ラテスだった。
「私たちの知り合いに、薬草に詳しい人物がいます。その人に聞けば症状を弱めることもできるかも知れません。確証はできませんが…」
「本当ですか?」
少女は目を見開いて、二人を見た。その目には涙が浮かんでいる。奥方の好きな花を買うような子だ、奥方を思っての頬を伝っていったのだろう。
「見ず知らずの方を家に入れれば、私は職を失うかも知れません。ですが、一つでも希望があるのなら…」
彼女は自分の危機すら顧みず、二人を家へと案内した。まずは現状の把握と、地図をしたためてもらうためだった。
着いた家の窓や周りには小さな花に飾られていて、ドアを開くと綺麗に清掃が行き届いた部屋だった。
「こちらが、アルマさんです」
その奥の部屋にあるベットに、女性は眠っていた。
窓の方をじっと見ているような彼女は、二人の気配にも気づくことなく外を見ている。まるで、呼吸を得た木偶人形のようだった。
「奥様、勝手にすみません。こちらはセルさんとラテスさんと言います。私の新しい友達になりました。どうしても、知って欲しくて…」
そう言いながら彼女はウスベニアオイの花を水差しへと移し、窓辺へとそっと置いた。しかし、彼女からの返答はない。
「本当に良い方なのです。そんな方がこの様な仕打ち、あまりに酷いではないですか…」
言葉を詰まらせながら、彼女はアルマの手を取った。彼女にとって、家族のように大切な人で、信頼と人徳にあふれた人だったことが痛いくらいに伝わってきた。
セルは思わず、彼女の横に来て床に膝をつく。そして少女からその手を受け取った。
生きてはいる、しかし生気を感じないやや冷たい手。かつてはこの暖かい手に包まれて救われた人がどれだけいたのだろう。横で涙を流し続ける彼女もその一人だろう。
彼女を助けたい。なんとしてもキースと引き合わせて、少しでも何かのきっかけを作りたい。
願わくば、意識の覚めた彼女と話をしてみたい。きっと、その暖かさにみんなが幸せになるだろう。
そんな思いがセルの脳裏をよぎった時だった。
「セル様っ、手が!!」
ラテスの声にハッと我に帰った時、セルの手から小さな光が放たれていた。
それはシャルと地下室で起こった光と同じだった。
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