第37話 エスメラルダの提案
エスメラルダの思いがけない一面を見たことで、ミュウも不思議と素直な気持ちになれた。
「エスメラルダ様、シャザークの件ではありがとうございました。口止めまでしていただいたと、エドワード様から聞きました」
ミュウは深々と頭を下げる。
「礼には及びません。悪魔憑きの噂が事実となれば、市民の間にいらぬ混乱が起こる可能性があります。そういったことを防ぐのも、貴族の役目ですから」
(なに、この人……まともだ! ロリコンの弟に加担しようとした人とは思えない!)
今の言葉が、口だけではないことはミュウにもわかる。高い身分の者には、それに伴う義務が生じることを、彼女はその身をもって証明しているかのような佇まいだった。
だが、それだけにミュウの心には疑問が沸いてくる。
「……エスメラルダ様、一つお聞きしてよろしいでしょうか?」
「ええ、構いません」
「なぜイザベラを
抑えきれない怒気を孕んだミュウの言葉を、エスメラルダは平然と受け止める。
失礼と捉えてもおかしくはないが、そんな気配は微塵も見受けられない。
「イザベラ嬢は才女と聞き及んでいます。私には子供がおりませんので、弟からイザベラ嬢に好意を持っていると聞いた時から、彼女を当家の次期当主にと考えていました。そのためには、少しでも早いうちから私が将来の当主としての教育をするべきと考え、今から婚約をと考えたのです。もちろん、彼女の身体がしっかりと出来上がるまでは、弟と男女の営みをさせるつもりはありませんでしたよ。その時期がくるまでは、私がしっかりと監視しておくつもりでした」
(男女の営みって……)
エスメラルダは淡々と語ったが、一方でミュウの顔は、いらぬ想像で赤くなる。
(……でも、思ったより色々考えてるじゃない! というか、イザベラをボルホード家の次期当主にしようと考えてたったこと!? 弟をじゃなくてイザベラをって、そこまで考えてたの!? あー、でも、そうなると、その目論見を潰した私って……絶対恨まれてるよね?)
ミュウは上目遣いでエスメラルダの表情を窺うが、今のエスメラルダの表情からは何も読み取れない。
「……なんか、すみません。エスメラルダ様のお考えを台無しにしてしまって……。でも、イザベラには、好きな人と歩む未来について考える時間を、ちゃんとあげたかったんです。私達貴族が個人の好き嫌いだけで結ばれないのはわかっていますが……それでも、そのために足掻く時間もなく相手を決められるのだけは、我慢できなかったんです」
「わかっています。決闘に負けたからには、イザベラ嬢にこちらから手を出すことはいたしません。……ほかにもよい娘がいるようですから」
エスメラルダの思惑を含んだ深い瞳に見つめられ、ミュウの背中がゾクリと震える。
「弟の婚約者は、あなたでもよくってよ? どうかしら、私の跡を継いでみる気はありませんか?」
(ええええっ!? それって、私にあのおっさんと婚約しろってこと!? あんなロリコンの妻とか絶対イヤ! それに、それってこの人が
ミュウは慌てて両手を振って、言葉より先に体で拒否を示す。
だが、そんなミュウを見ても、エスメラルダに気を悪くしたような様子は見られない。
「もったいないお言葉ですが、私は聖女を目指すことを決めています! 今、結婚とかそういうことを考えるつもりは全くなくて……」
ミュウがしどろもどろになりながらエスメラルダに目を向けると、彼女はハトが豆鉄砲を食らったような顔を浮かべていた。おそらく、彼女のそんな顔を見たのは、ミュウが初めてだろう。
「……どうかされましたか? エスメラルダ様?」
急なエスメラルダの表情の変化に戸惑うミュウは、慌てて声をかける。
声をかけられたエスメラルダは、すぐにいつもの気然とした表情に戻った。
「いえ……弟の婚約者の件は、半分は冗談のつもりでしたが……そうですか、聖女ですか」
(うっ、つい婚約回避のため、正直に言ってしまったけど、私が聖女とか、何考えてるんだって言いたいんですよね! わかってますよ! 自分でもそう思ってますから!)
さっきのエスメラルダの顔は、きっと呆れられたからだろうと思い、ミュウは今一度エスメラルダの顔を窺う。しかし、彼女の顔に、そういった気配はまるでなかった。むしろ、これまで以上に真剣な表情を浮かべている。
「ミュウさん、実は今日あなたをお呼びしたのは、あなたに聖女を目指すよう説得するつもりだったからなのです」
「……はぁ?」
予想外の言葉に、今度はミュウが間の抜けた顔で間抜けな声を上げる。
「これでも私は、あなたとあなたの剣闘士のことを高く評価していますの。私がバックアップをするから聖女を目指すように言うつもりでしたが……そうですか、自らその道を決意していましたか」
エスメラルダはテーブルの上、ミュウの目の前に、一通の封筒を差し出した。
「これは?」
「聖女見習いへの推薦状です。我がボルホード家からの推薦状があれば、あなたが聖女見習いになることに異を唱える者はいないでしょう」
「――――!!」
(どうしてももう一通必要だった推薦状が目の前に! ……でも、都合が良すぎる! 怪しい、怪しいよ、こんなの!)
「……どうして私にこんなことをしてくれるんですか? エスメラルダ様になんの得があるんでしょうか?」
「得ならば私にもあります。私も善意だけでこんなことをするほど、甘い女ではありませんもの。あなたが聖女になれば、その後ろ盾である私は、ほかの貴族たち相手に優位な立場をとれます。それに、王族でさえ、私の意見を無下にできなくなるでしょう」
(た、確かに、私が聖女になれば、彼女にもメリットは大きいのか。たとえ聖女候補になれず、見習いのままで終わっても、彼女ほどの名門の家ならばそれほど影響はないのかもしれない。それよりも、万が一でも私が聖女になれれば、比較にならないほどのリターンが返ってくる……)
「それと、あなたを推薦するからには、私も出来る限りのサポートはいたします。……ただし、そのサポートの見返りとして、あなたとあなたの剣闘士には、私のお願いを聞いていただきたいのですけどね」
(あっ、そういうことか。彼女が期待しているのは、私よりも、シャザークなんだ。シャザークのことを口止めしたのも、その力を自分だけが独占するため。……それなら合点がいくわ。……私だけを利用したいというのなら、それでも構わなかった。でも、シャザークのことを利用したいって考えてるなら、それには乗れない!)
ミュウは目の前に置かれた推薦状を、テーブルの上を滑らせ、エスメラルダの前へと突き返す。
「エスメラルダ様、ありがたいお話ですが……シャザークの力を利用しようとお考えなら、このお話を受けるわけにはいきません。私は自分の力で聖女を目指します」
「――――」
「――――」
エスメラルダとミュウは無言で見つめ合う。
沈黙を破ったのはエスメラルダの方だった。
「ミュウさん、あなたがシャザークさんとの二人の未来を本当に願うのなら、使えるものはなんでも使うべきではなくて?」
エスメラルダは、剣闘士呼びではなく、シャザークの名をしっかりと口にし、ミュウに迫る。
「――――!?」
(なに、この人!? 私の心をどこまで見透かしてるの!? 私が聖女を目指す理由にも勘づいているの!?)
「大切な人を守るためにすべてを投げ出す覚悟があるのなら、使えるものを全部利用し、その上で、あなたがその大切な人を守りなさい。それができないようなら、何も守れはしないわよ」
強い口調ではなかった。だが、エスメラルダの言葉からは、言い知れぬ重みのようなものが感じられた。
(上っ面の言葉じゃない……なんなのこの迫力と説得力!? 一体どんな経験をしてきたら、こんな重みを言葉に乗せらせるの!?)
ミュウは、改めてエスメラルダの言葉を自分の中で噛みしめる。
(シャザークが利用されると思ったら私の手で守れって言いたいの? そんなこと、ただの小娘でしかない私にできるわけないじゃない。相手は目の前のこの女傑エスメラルダ、いえ、これから先、もっと手強い相手が現われるかもしれない……)
聖女への道、それが容易いものでないことは、ミュウも理解しているつもりだ。だが、恐らく現実はその想像以上に困難なものになるだろう。そのこともまたミュウはわかっていた。
(でも、彼女の言うことはある意味正しい。単に逃げているだけじゃ、きっとシャザークを守ることなんてできない。きっとこれからも、私はシャザークに守られるだけになっちゃう……。それはダメ! もしシャザークが誰かに利用されそうになったら――その時はこの身にかえてでも、私が守ればいい!)
ミュウはいつの間にか下に向いていた視線を再び上げた。ミュウとエスメラルダの瞳とが交錯する。
「どうしても心配というなら、いいわ。もし私がシャザークさんを不当に利用しようとしているとあなたが思った時は、私に従わなくてもいい、そう約束します。このエスメラルダの約束です、
エスメラルダの瞳は曇りなくまっすぐだった。
(そこまで言われたら……私もやるしかない!)
ミュウは、一旦は突き返したテーブルの上の推薦状を手に取った。
「わかりました。エスメラルダ様の推薦、ありがたく頂戴します! 聖女になるために、せいぜい利用させていただきますので、よろしくお願いしますね!」
ミュウは推薦状を左手に持ち替え、空いた右手を前に差し出す。
「ええ、こちらこそ、未来の聖女様のお力、ぜひ私にもお貸しくださいね」
エスメラルダもまた不敵な笑みで、ミュウの手に自身の右手を伸ばす。
火花散るような笑顔を浮かべあいながら、二人は熱い握手を交わした。
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