序章 尖閣諸島危機

 地球上に占める海洋の面積は、全体の7割である。残る3割は陸地であり、21世紀初頭にはその限られた3割に70億人以上が文明を築き上げ、暮らしている。


 だが、その7割のうち数パーセントが陸地と入れ替わり、それも世界史に大きな影響を及ぼす程の立地に近代国家が成立しうる事となったとすれば。


 果たしてその変化は、世界に如何なる影響をもたらす事となるのだろうか。


・・・


西暦2015(平成27)年10月4日 日本国沖縄県尖閣諸島沖合


「全く以て、厄介な事になったものだ」


 海上自衛隊ミサイル護衛艦「きりしま」の戦闘指揮所CICにおいて、艦長の高野曜一たかの よういち一等海佐は呟きながら、目前の広角ディスプレイを見つめる。


 自艦の文字通りの『目玉』たるAN/SPY-1Dフェーズドアレイレーダーと、付近を飛行する〈SH-60K〉対潜哨戒ヘリコプター、そして上空1万メートルに陣取るE-767〈JAWACSジェイワックス〉早期警戒管制機より得られる観測情報は、CICの壁一面を占める口角ディスプレイにて映像として可視化され、海上及び海中、そして上空の状況を常に把握する事が出来た。


 事の発端は数時間前。中国人の政治活動家が数名、南小島に勝手に上陸し、中国国旗を立てたのである。即座に海上保安庁が動き、特別警備隊を乗せた大型ヘリコプターを派遣。これの取り締まりに動いたのだが、問題はここからであった。


 当時、東シナ海上において訓練航海を行っていた空母「遼寧」率いる空母機動部隊が、尖閣諸島より北に350キロメートル沖合に展開。グレーゾーンもいいところで演習を開始したのである。双方は強い警戒心を以て対峙し、東シナ海にピリついた空気が流れる事2時間。調査航海の目的で僚艦「はるさめ」とともに、母港たる佐世保から赴いた「きりしま」の艦内は、緊張感が満ち満ちていた。


「艦長、緊急事態です。海保第十一管区の巡視船「りゅうきゅう」が中国海警の哨戒船と接触!これを受けて、「遼寧」機動部隊は艦載機を展開したとの事です!」


 その20分後、上空を3機の戦闘機が舞う。ロシアのSu-33〈フランカー〉艦上戦闘機のコピーである〈J-15〉である事は艦橋に詰める者達からの目視情報でも明らかであった。少数のジェット戦闘機など、イージス艦の能力を以てすれば撃墜は容易い。だが今の状況でその手段を取れば、それはただの騙し打ちとなろう。


「くそっ、挑発してきやがって…」


「ここはお前達の空じゃないんだぞ…!」


 あからさまな挑発に、乗組員達のストレスは目に見えて溜まって来る。その最中、高野は尋ねる。


「相手はレーダー照射をしてきたか?」


「いえ、まだして来ておりま―」


 と、CIC管制員が報告を述べたその時。1機が突如としてミサイルを発射。艦橋両翼のウィングより目視で周囲を警戒していた乗組員は血相を変える。


『か、艦橋より報告!相手機、ミサイル発射!』


「な―」


 信じがたい報告に、唖然となる一同。高野は即座にレーダー担当員に目を向ける。


「レーダー照射、行われたか!?」


「いえ、行われておりません…!」


 その報告に、高野は相手が無謀な攻撃を仕掛けてきたのではなく、威嚇として『空振り』を仕掛けてきたのだと理解する。はたせるかな、機首の火器管制レーダーで照準を定めていないミサイルは無誘導ロケット弾とそう変わりはなく、「きりしま」目前の海面に着弾。巨大な水柱が聳え立つ。


「み、ミサイル、外れました…」


「…いいや、『外してきた』んだ。次は間違いなく当ててくる…覚悟を確かめてきたな…」


 高野はそう言いながら、即座に東京へ連絡を行うよう指示を出す。


 その深夜、南小島に上陸した政治活動家の身柄は中国海警局へと引き渡され、『第一次尖閣諸島危機』は幕を閉じた。この事件の影響は大きく、中国に対して弱腰を見せたとされた時の政権の受けた損害は大きく、首相は翌年に退陣する事となる。


 そして一連の出来事は、日本の防衛戦略に対して大きな影響をもたらす事となるのだった。


・・・


東京都


 首相官邸の一室より、二人の官僚が静かに窓の外を見つめる。


「川田さん、吉田さんは随分と苦しい決断を下したと思いますよ。あのまま防衛出動にまでエスカレートしていたら、キューバ危機以上の大問題となったでしょう」


 菅生すごう官房長官の言葉に、川田かわだ外務大臣は静かに頷く。尖閣諸島での騒動から1か月が経ち、吉田晋一郎よしだ しんいちろう総理は退陣を前提とした後始末の合間、様々な根回しを行っていた。


「ともあれ、吉田さんは私に…いえ私達に、『計画』を渡してきました。私はこれから、首相として複数の巨大プロジェクトを背負い、実現へと導いていかなければなりません。川田さんもどうか、これの手伝いを願います」


「分かっていますよ、菅生さん。二度とあの様な醜態は晒したくありませんから」


 二人はそう話しながら、窓の外に広がる都心の夜景を見つめるのだった。


・・・


日本列島より南に3000キロメートル ムレア帝国グアム本島 帝都ハガニア市


 この世界において、太平洋上で最も影響力を持つ国を挙げるとするならば、二つの国が上がるだろう。


 一つは、第二次世界大戦後に強大な経済力を元手に強力無比な艦隊を築き上げたアメリカ合衆国。そしてもう一つは、南太平洋においてアメリカ資本によって急成長し、21世紀になって帝政を敷いた世界最新の帝国、ムレア帝国。


 数十の有人島の地下と、1000メートル海底に眠る莫大な地下資源、そして台風や津波に備えて築き上げられた『ジグラット』の総称を持つ、堅牢な建造物を拠点とした金融機関。これらの資産はムレアを急激に成長させ、21世紀初頭には西欧諸国より巻き上げた資本によって強大化。南太平洋上最大の国として名を馳せていた。


「そうか…中国はセンカクで大々的に動いたか…派手よのう…」


 帝都ハガニアにある巨大な宮殿の一室で、初代皇帝リチャード2世は帝国首相ダネルからの報告を聞いてそう呟く。


「陛下、此度の危機は日本に大きな影響を及ぼしました。恐らく彼の国は、海軍戦力を急速に増強する事となるでしょう。在日米軍は此度の危機を『東アジアの小競り合い』だと捉え、介入に消極的な立場を示しました。この動きは間違いなく、日本を軍拡の道へといざなう契機となりましょう」


「そうだな…さて…我が国もそれに合わせて立ち振る舞わねばなるまい。そうして我らはアメリカより独立し、今の立場を得たのだからな」


 皇帝はそう言いながら、壁面の太平洋を中心とした世界地図を見つめるのだった。

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