第一章『強いだけが正義じゃない』

とある新聞記者

 時折差し込んでくる日差しが実にうっとうしく、早すぎる夏の到来を信じたくないような放課後のこと。

 若宮は一ノ瀬から依頼を受けた、というか半ば強引に事件解決を引き受けた翌日、ほぼ一番乗りで学校を出ると、そのまま最寄りの駅へと向かった。そして、未だ慣れない電車に乗って新宿へと向かう。昼間は比較的すいているが、三時を過ぎると、車両の中は観光客や学生であふれる。席になんて座れるはずもない。しかし、それでも通勤ラッシュや帰宅ラッシュに比べると何百倍もましだ。

「毎度やけど、えらい都会やな」

 若宮は新宿に到着すると、呆れるようにそう言った。どこを見ても人、人、人。思わずため息が出そうになる。

「相変わらず、東京ここの雰囲気には慣れへんわ」

 ぼそりと呟くと、彼女は目的地に向かって歩みを進める。人の隙間を縫って移動すれば、数分もしないうちに目的のビルに到着した。ビルはパッと見だとキレイだが、ひとたび中に入ると小汚く、隅の方には蜘蛛の巣が張られている。ビルの所有者が掃除業者を雇っていないのか、なんなのか――しかし、小汚いくらいが自分の性には合う。魔術師なんて、そんなものだ。

 若宮は埃っぽいエレベーターに乗ると、最上階のボタンを押した。扉が閉まり、ゆっくりと上昇していく。チンという音と共にドアが開くと、直接オフィスにつながった。オフィスは一階の共用部とは対照的に隅々まで掃除が行き届いており、清潔な印象が与えられる。大きなテーブルの上にはパソコンが置かれており、奥の方では電子煙草をくわえた欧米人の男が椅子に座っていた。

 男は立ち上がると、こちらに向かって歩いてきた。

「やぁ、牡丹ちゃんじゃないか。久しぶりだね」

 気さくに挨拶をする男の名前は、マルコ・ショルツ。横を刈り上げた金髪のドイツ人で、海外向けに日本の情勢を伝える新聞記者であると同時に、魔術師としての若宮に情報提供という形で協力している。いわゆるビジネスパートナーである。

「久しぶりって、ついこの間会ったばっかりやないか。そんなことより、聞きたいことが……」

「その前に依頼料の話をしよう。いいかい、君はいつも僕に『後払いで』と言って一度も金を払ったことがない。当然だけど、大人の世界では、契約には金銭が発生する。そろそろ社会的常識のひとつでも身につけたらどうだい?」

「うちが解決した事件、記事にして儲けられるんやから別にええやろ。ショルツさんは仕事貰えて、うちは人助けができる。それで対価としては十分や」

 若宮がそう言うと、ショルツは苦笑いを浮かべた。

「君は本当にブレないなぁ」

「当たり前やん。人助けが転じて『魔術師狩り」とか呼ばれるようになったけど。うちはうちのやりたいことをやるだけなんやから」

「……まあ、君らしいと言えばそうだね。それじゃ、早速始めようか」

 言いくるめられた気がしないでもないが、ショルツは説得をあきらめるとテーブルの前に椅子を置いた。若宮は軽く会釈をしてそれに座る。「まずは、これを見て」

 若宮は鞄の中からスマートフォンを取り出すと、それをショルツに手渡した。すると、彼は画面をじっと見つめながら首を傾げる。

「これは?」

「今朝、例の女の子からうちに届いたメール。写真が添付されてたんよ」

「ふぅん。どれどれ……」

 しばらく画像とキャプションを眺めていたショルツだったが、やがて目を丸くして言った。

「なるほど。この写真の子が泣いていた子の親友で、よくないことに手を染めている――クスリをやっている疑惑が出ていると」

「さすがショルツさん、話が早いな。んで、多分この子はSNSで薬物を買ってるんやと思う。問題は、良くない魔術師の息がかかってるかもしれんところなんやけど」

「ふむ。それも君の憶測かい?」

「そう。勘や」

「ちなみに、彼女の名前は?」

「吉田真凜っていう子。知ってる?」

「吉田……ああ、思い出した。あの子か」

「何か心当たりがあるみたいやな」

「……少し待ってくれ。確か資料があったはずだ」

 ショルツはそう言うと、自分のデスクに戻った。引き出しを開けると、中から数枚の紙を取り出してくる。

「あったぞ」

「おお、さすが。仕事が早いわ」

「まあね。それで、これがその子の資料だ」

 若宮は差し出された書類を手に取ると、その内容を黙読し始めた。そこには、吉田真凛についての経歴が書かれている。

「なるほど。アイドルの子か」

「ああ。去年デビューしたばかりの新人だけど、人気はうなぎ登りだ。グループの中では最年少で、女子高生ならではの可愛さが人気に拍車を掛けているんだと」

「ほう。なかなか凄い子やな」

 道理で聞き覚えがあったわけや、と若宮は頷く。

「うん。それに、彼女は学業との両立を見事に成し遂げている。アイドル業に加えて勉強もこなし──余計なお世話だが、君よりもかなり頭がいいように見える」

「本当に余計なお世話や」

 若宮はショルツの肩を小突いた。

「……それより、吉田真凜が使ってるクスリってなんなんや。そもそも、本当にクスリなんか?」

「いや、違う。実はね、僕も気になって調べてみたんだよ。その結果、その子が買っていたのはビタミン剤だった」

「……はぁ?」

 若宮は拍子抜けした。ビタミン剤で感情の起伏が激しくなるなど聞いたことがない。

 じゃあ、吉田真凜には特に異常はなく、一ノ瀬の気のせいだったということか……? しかしそんなこともなく、ショルツは続ける。

「ここからが話の本筋だ。最近、魔術の界隈であることが話題になったのは知ってるね?」

「知らん。なんや?」

「薬物だよ。科学者と結託した魔術師が、ビタミン剤に扮した麻薬をSNS上で販売しているという話だ」

 その言葉を聞いて、若宮の顔つきが変わった。……魔術と科学。互いに相容れない存在でかつ、決して交わることのない二つの領域。魔術師と科学者が結託しているなんてにわかには信じがたい。イスラエルとパレスチナが肩を組んでフォークダンスをするくらい、ありえない話である。

「僕にはどうも動機が金だけのようには思えないんだけどね。ま、とりあえずそういう動きがあるということだけは伝えて──」

「ちょっと待て、どういうことや! 魔術師に科学なんてわからへんし、科学者に魔術のことなんて理解できひんはずやろ! 言ってることがめちゃくちゃや!」

 若宮はショルツの胸ぐらを掴む。しかし、ショルツは冷静に答えた。

「それはわからない。けど、この男からそのヒントは出せると思うよ」

 彼はひとつの資料を提示した。若宮はそれをすぐにぶんどると、覗き込むように見た。

「ルック……?」

「アーリング・ルックロビン。彼は科学者と結託してビタミン剤──実際には麻薬だが──を販売している悪質な魔術師だ。僕は、吉田真凜の件はルックロビンが率いる組織が直接関係していると思うよ。最初は、金稼ぎが目的だと踏んでいたんだけど……」

「だけど?」

「ルックロビンの魔術属性がおそらくもっとも魔力を消費するであろう『虚』属性であるという部分が引っかかるね。僕は魔術にはあまり詳しくないから分からないんだけど」

 若宮は一通りその紙に目を通す。

 アーリング・ルックロビン。三十二歳。イギリス国籍だが北欧にルーツのある男。魔術師として特に目立った実績はなく、十四歳の時にクラスメイトを暴行し少年院に入っている。十七歳で出所し、その後知人の力を借りて来日。幻獣を使った魔術を用いるが、詳細は不明。

「うちは探偵でもなんでもないけど、こいつの目的がわかった気がするわ」

「本当かい?」

 ショルツは問うた。若宮は資料を鞄に入れると、頷いて言った。

「こいつ、『魔力狙い』なんちゃうか」

「魔力……狙い? しかし、吉田真凜が魔術師という情報は入ってきていないが」

「ちゃう。ルックロビンの組織が販売しているビタミン剤に、一般人にも魔力を発現させられるような効果があったとしたら……そして、奴らにその魔力を回収できる手段があったとしたら……うちの推理もあながち間違いではないんやない?」

「……なるほど。可能性としてはありえるね」

 ショルツは顎に手を当てて考え込む。

「顧客にビタミン剤に扮した麻薬を使わせ、依存症になった客を治療と称して誘い込み、その流れで魔力を抜きとるとか……」

「それや!」

 若宮は目を大きく開いて、八重歯を覗かせた。

「間違いない、奴らは魔術師のくせに一般人に手出すクズや! そしてそのビタミン剤のカラクリには、きっと科学者が深く関係してるんやろ」

「かもね。そこまで裏は取れなかったけど」

 解決の糸口を見つけてテンションが上がる若宮を見て、ショルツは微笑んでいた。

「──これもあんたが協力してくれんかったら絶対にわからんかった。ありがと、ショルツさん」

「ああ。だけど……本当に大丈夫なのかい? 君がこれから無茶をするということだけはわかるんだけど」

「心配せんでええ。うちはもう大人に片足突っ込んだ学生や。自分の尻くらい自分で拭ける」

「わかった。君を信じておくことにするよ」

 ショルツは苦笑いを浮かべた。

「とりあえず、ショルツさんは引き続きルックロビンの組織とやらの調査頼むわ。あと、また何かあったら連絡する」

「ああ。わかったよ」

 握手を交わすと、若宮はショルツのオフィスを後にした。

 ──震えて待ってろ、無実の女の子を巻き込んだ外道共。

 関西弁の女子高生は、口元を引き締めた。

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