魔術師狩りの牡丹
若宮
序章『夕焼け』
渚に牡丹咲く
魔術師とは、現代社会において、非日常と隣り合わせに生きる存在だ。
たとえばそれは、魔術と呼ばれる異能であったり、神秘と呼ばれる超常現象であったりする。そして、それらの多くは、日常に紛れ込んだ『異常』として潜んでいるのだ。
「……びっくりするほど人がおらんな」
通りすがりの女子高生は独り言を呟きながら、ほとんど誰もいない校舎の中を歩いた。水気を含んだ廊下に足をつける度、キュッキュッ、とうっとうしい音が響く。
「みんな、楽しそ」
窓から見えるグラウンドの部活生を見て、若宮は独りごちる。当然、学校なんて魔術とは無縁の土地だ。魔術は先祖から代々受け継がれるものであるから、一般人の持つ魔力なんてたかが知れているのである。だから大多数の魔術師にとって、一般人なんて眼中にない。もっとも、一般人に魔力が発言するケースがごくまれにあるのだが……それはまた別の話だ。
「まぁいいや、帰ろ」
若宮は気だるげにつぶやくと、そのまま踵を返した。彼女は学校になんて、用はない。魔術の世界で生きていくにしても最終学歴が中学校なのはさすがに恥ずかしいので、とりあえず進学して、教室で授業を受けているだけなのである。同年代の青春を謳歌するキラキラ高校生など、見れば見るほど頭がおかしくなるだけだ。眩しくて、直視することなんかできない。放課後のグラウンド、体育館は楽しそうな人間であふれている。早く抜け出したいところだ。
「―――!」
しかし、イレギュラー。若宮はそれを見つけたとき、思わず息を呑んだ。
放課後の教室で、ひとりの女の子が泣いていたのだ。そっと教室内を覗いたが、いるのはその女子生徒だけだった。グラウンドの喧騒とは対照的に、夕陽に染まる空をバックにした彼女の姿は孤独だった。
若宮は息を押し殺して、女の子の様子を扉の窓から伺っていた。よほど悲しいことでもなければ、放課後に一人で泣くなんてのはそうあることでは無い。高校生は多感な時期ではあるが、だとしても相当なことだろう。
ええと……どしよ。
彼女は女の子に声をかけるべきか依然悩んでいた。いったい何を言えばいいのか分からなかったし、そもそも自分が首を突っ込むことでもないのかもしれなかったからだ。
それでも、このまま女の子を見なかったことにはできないと思った。自分は人助けをモットーにしている。いわばヒーロー。たとえ魔術に関係はなくとも、困っている人を見過ごす訳には行かない。強いだけが、正義ではないはずだからだ。
「あの……」
迷った末に、彼女は扉を静かに開けると、そのまま女子生徒へと近づいていく。足を踏み出したはいいものの、中々声をかけることはできなかった。やはり魔術と関係のないことでは、なかなか勇気というのは湧いて出るものではないのだな。自分もまだまだ未熟である。
「……大丈夫?」
若宮はぎこちなく、震える声で話しかけた。すると、そこで初めて気づいたというように、女の子が顔を上げた。涙で濡れた瞳に見つめられて、心臓が大きく跳ね上がる。けれど、すぐに冷静さを取り戻した。
そうだ。今さら動揺する理由はない。そもそも、自分は魔術師なのだ。血を出してもいない人間に、いちいち驚いてなんかいられない。
「えっと……」
女の子は戸惑いがちに目を瞬かせたあと、おずおずとこちらを見上げてきた。
その視線を受けて、ああやっぱり綺麗な子だと、あらためて思う。長い黒髪も、ぱっちりと大きな目も、小さくて形の良い唇も、すべてが整っていた。まるで人形みたいだと思う。最近流行りの恋愛ドラマに出てくる学生の役者よりも素朴な可愛さがある。自分はこちらの方が好きだ。
だけど、どうしてだろうか。今の彼女からは可愛さよりも、どこか寂しげな雰囲気が大きいように感じられた。次にかけるべき言葉が見当たらない。女の子も困っているようだった。
「……若宮さん、ですよね? 隣のクラスの」
唐突に名前を呼ばれて、彼女はハッとする。
「あ、うん……せやけど」
困惑しながらも、若宮はそっと女の子にハンカチを手渡した。彼女は驚いたような表情をしたが、クスッと微笑むと、「ありがとうございます」と言って、目元を拭った。
「若宮さんのことは、よく聞いてますよ」
ありがとうございました、と言って女の子はハンカチを返す。
「……へぇ~、誰に聞いとるん?」
若宮は机に座る少女の前にしゃがみ込むと、笑って訊いた。
「みんな言ってました。あんまり喋らないんだけど、実はすごく優しい人なんだって」
「そっかぁ。うちとしては、そんな風に思われてるんは意外やな」
「そうなんですか?」
「うち、よく初対面の人に怖がられるから。急に話しかけられて、しかも大変なはずやのに、明るく接してくれるのはあんただけや」
「……」
女の子は言葉を失っていた。
いけない、つい弱音を吐いてしまった。
「そ、そんなことはええ。それより、あんたの名前はなんて言うん?」
慌てて話を逸らすと、若宮はお人形さんみたいな女の子の顔を覗き込んだ。すると、彼女は少し恥ずかしそうに答えた。
「
「一ノ瀬さんね。あんた、なんで泣いてたん」
妙な正義感から他人のことに首を突っ込むのは少々気が引けながらも、若宮は訊いた。
この質問にはさすがに一ノ瀬もたじろいだ。
「それは……その、ごめんなさい。言いたくないっていうか、言えないことがあって」
一ノ瀬は丁重に断った。しかし、若宮は退かない。
ここで聞き出さなければ、意味がない。
「……ふーん。まあ、別に言わんでもええけど。でも、心配になったから訊いてん。もし困っとることがあるなら、力になれるかもしれへんから」
若宮はぶっきらぼうに、そう言った。しかし、それでも反応はない。
これ以上はやめておくか、と若宮は思った。彼女が事情を言わないと言えばそこまで。それ以上、自分ができることは無い。
「じゃあ、そろそろ行くわ。急に話しかけて悪かった」
暗くなる前に帰るんよ、と言い残して若宮は教室の扉に向かった。
「…………あの!」
しかし、背中を向けたところで、背後から呼び止められた。振り返ると、そこには何か覚悟を決めたような、そんな表情の一ノ瀬がいた。彼女はしばらく黙り込んでいたが、やがて意を決したように告げてくる。
「……実は最近、友だちの様子がおかしくて。頑張り屋で大人しい子だったんですけど、高校が別々になってから、しばらく見ないうちにおかしくなっちゃって……」
「おかしく?」
「そうです。……感情の起伏が激しくなったって言うか。元々無理しすぎるところがあって、私も心配だったんですけど、絶対変だと思うんです。物に当たるようになったり、余裕がなくなったっていうか……しまいには、連絡すら無視されちゃって。さっきも電話をかけたんですけど、切られちゃいました……」
言葉の途中から、目に見えて力を失っていく一ノ瀬。もちろん彼女の心の内は彼女にしかわからないが、その心中は察するに余りある。
「……なるほどな」
若宮はうなずくと、改めて一ノ瀬の顔を見た。
「ちなみに、その親友の名前は?」
「
「……どうかしましたか?」
「いや、なんでもあらへん。続けて」
「はい。それで、私はどうしたらいいのか分からなくて……」
一ノ瀬はそう言って俯いた。なるほど、自分のことで悩んでいるというよりは、親友に何か異変があって、しかも自分の力ではどうすることもできない。どうにか助けたいのに、事態は深刻さを増すばかりだと。
しばらく考えた後、若宮は顔を上げて言った。
「わかった。とりあえず、情報を集めてみる」
「……?」
「多分やけど、その親友さんは良くないことに手を染めちゃってると思うわ。いや、誰かにハメられたのかも知らん」
「……信じたくないけど、やっぱりそうなのかな……」
「もしかして、薄々勘づいてた?」
「はい。だって、あまりに様子がおかしいし、最近はずっと家にこもりっきりで……」
彼女の丸まった背中を、若宮はそっと押した。
「そっか。なら、うちに任せとき。必ずなんとかしてみせるわ」
若宮の言葉に、一ノ瀬は目を見開いて言った。
「まさか、若宮さん。裏の世界に詳しいお方なんですか……?」
「ちゃうわ!」
違くない。正しい。
「そういう界隈に詳しい人が知り合いにいるのよ。だから、その人に相談してみようと思って」
「あ、ああ。そういうことですか……でも、大丈夫なんですか? 若宮さんも巻き込まれたりしたら……」
「安心して。悪いようにはせんから。行くとこまで行ったらあとは警察に任せるし、とにかく……うちを信じて待ってて」
そう言って、魔術師は笑った。
「は、はい」
一ノ瀬も釣られて微笑む。若宮はこれが愛想笑いでもいいと思った。あと数日もしないうちに、正真正銘の笑顔を彼女に浮かべさせてみせる。そのためには、何としてでも事件の真相を暴かないと。善良な市民が困っているのだ。見過ごすわけにはいかない。
夕焼けが一ノ瀬の涙を乾かしていく。二人が勇気を出して行ったこのやり取りが、魔術界を、否、世界全体を揺るがす出来事の長い長い入り口であったということは、まだ誰も知らない。しかし、すべてはここから始まった。最後までこの物語をたどれば、いずれわかる。
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