第4話 弱肉強食

 「バシャッ」という音で目が覚める。


 今は深夜の時間帯だが真っ暗という訳ではなく、満月により比較的に周辺を見えやすい。


 水が跳ねる音がしたのでデカイ魚でも跳ねたのか、そう思い川の方へと視線を送ると、何か生き物が数匹たむろしていた。


 鹿だろうか。


 未だ完全に目が覚めていない状態なのだが、身を乗り出して確認しようとする。


 しかし寝起きだったという事もあり、テントの端っこに体をぶつけてしまいテントを崩してしまった。


 静寂の森にガサガサと音が響く。


 折角の寝床がぐしゃぐしゃになり「やっちまったー」と思っていたが、その前に音のした方が気になったのでそちらを向くと、同じ岸の方に赤い光の玉の様なものが数個浮いていた。


 今日は満月の日だが、月明かりは雲が架かってしまって視界は大分暗い。


 (なんだあれ・・・?)


 この森に住んで数日だが、あんなのは一度も見たことが無い。


 (まさか、おばけ・・・!?)


 俺は心霊系は苦手なので、ブルッと体が震え鳥肌が立つ。しかし、目を離す事が出来ない。こういう時ってなんですぐ逃げる事が出来ないんだろう。あれが何か気になって目を離せない。


 暗闇に目が慣れ、次第にそれが光の玉では無い事に気が付く。


 雲が架かっていてまだ細部までは分からないが、どうやら動物の様だ。鹿だろうかと思ったが、シルエットがどちらかというと犬に近いような・・・。


―――――風が吹き、雲が流れる。


 奥の方からゆっくりと月明かりが照らされ、そこにいる生き物の正体が明らかになる。


 光の玉だと思っていたものは瞳で、その瞳は充血したかのように赤く、体毛は夜に溶け込むように黒い。


 鋭く光った牙がは剝き出しで、眉間には皺が寄り、こちらをすごい眼光で睨んでいた。複数の赤い光の玉だと思っていたのは複数の動物がいた事によるものだった様だ。


―――――目が合っていたのは、狼だった。



 「ワオォォォォォォォン!!」



 3匹のうちの1匹が、俺を視認して遠吠えを始める。静寂が支配していた世界がザワザワと蠢いた気がした。


 急な遠吠えに体がビクンッと跳ね上がり、最悪な事にその反動で足を滑らせてしまう。


 俺が居た所は、川の影響で自然にできた土手の上に寝ていた。そこから足を滑らせるとなると、土の地面から、下の方にある石が転がっている場所へと、急な斜面を転げ落ちて行くと言う事になる。


 (ヤバイヤバイヤバイ!!!)


 斜面を転がりながら危機感を募らせる。


 転げ終り、すぐさま狼達を確認するとすでに奴らは走り出していた。



 「マジか、マジかよ――――!」



 急な展開で焦りが出てしまう。


 すぐに、元居た場所に戻ろうと斜面を登ろうとするが、土が若干水を含んでいることで滑りやすく、そして焦ってしまっているというのも重なり、滑って転んで砂利に戻ってきてしまう。


 狼たちを確認する暇はない。


 仕方ないので砂利が広がる川沿いを走る。


 素足なので1歩1歩に激痛が走り、足を止めたくなるが止めたらどうなるのか簡単に分かるので、根性で足を前に出す。しかし、20歩ほど走った所で右足に激痛が走り、そして同時に引っ張られる感覚して砂利に思いっきり倒れる。



 「いだっ―――!」



 咄嗟の判断で顔面を庇うことが出来たが、その反動で腕に大きな擦り傷ができて血が滲み出てきた。


 その腕も痛いのだが、それよりも右足からの激痛が激しい。


 何が起こったのかと確認すると、そこには狼がガッシリと俺の足に噛みついていた。


 ―――――――速い。


 それなりの距離はあったはずだ、確かにロスはあったがここまで早く距離を詰められるとは。


 ギリギリと骨が軋む音がする。



 「あああああぁぁぁぁぁ!!!!!」



 痛覚が脳へと伝わり、そのあまりの電気信号に頭が痛くなる。右足をプレスされているのかと思うほどの感覚が伝わってくる。顎の力が尋常じゃない、このままだと骨を折られるのではないか。


 急いで剝がさなければと思い、狼の口へ手を伸ばそうとすると視界の隅から何かが飛んでくる。


 そちらに視線を向けると、もう1匹の狼がこちらに突っ込んできていた。


 不意にその狼と目が合う。


 充血したかのように真っ赤な瞳を見て、悟った。


 殺す気だ。


 爛々とした目が俺を凝視して、鋭く尖った牙はもうすでに唾液が滴れ落ちている。本能のままに血肉を欲するその姿は、飼いならされた動物を見てきた俺にとって異常な状態に見えてしまうが、これが本来の野生の姿なのだろう。



 「――――ッ!」



 やばいと思った頃にはもう遅い。


 1蹴りで俺の手が届く距離まで突っ込んでくる。


 俺の視点からは、とんでもない速さで黒い塊が接近して来た様に見えた。そして飛んできた物に対して条件反射で腕を顔の前に持ってこようとするが、それよりも速く鋭い牙は俺のもとへ到達した。


 相手の狙いは喉元だった。


 唾液でギラリと光る牙が、皮膚を容易に貫通し突き刺さる。



 「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!」



 (痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!)


 痛みで思考が回らない、恐怖で体が震える。


 野生の殺意。


 それはとても純粋で、とても恐ろしい。


 相手に言葉は通じず、交渉の余地が無い現状は、殺すか殺されるかのどちらかしかない。そして、今の俺は後者だ。真っ赤な瞳からは、『殺す』という純粋な殺意が伝わってくる。ここに来る前であれば考えられない状況だ。


―――怖い。


 初めて向けられる本気の殺意。


 血走った目でこちらを睨まれると、震えがより激しくなる。


 バタバタと体を暴れても一向に離れそうにない。この森に来てようやく希望が見えた所で、なんでまだこんな事が続くんだ。理不尽じゃないか。


 (嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。死にたくない!!)


 訳の分からないまま理不尽にこんな環境に置かれ、それでも生きたいとバッタを生で食べたり、変な雑草を食べて死にかけたりもしながらここまで来たんだ。


 それなのに、またこんな理不尽に殺されるなんて嫌だ。もう理不尽はうんざりだ、どれだけ苦しまないといけないんだよ。もういいだろ、もう十分苦しんだよ。夢なら覚めてくれ。


 しかし、夢じゃないと俺の痛覚が教えてくれる。


 脳が焼き切れるんじゃないかと思うほどの激痛、おそらく狼の牙が神経を傷つけているのだろう。激痛が濁流のように流れ、頭部に怪我は無いのに、バットで頭を殴られたような衝撃が続く。


 なんでこんな状況になったんだ。なぜ住宅街に居たのに森に移動しているんだ。そもそもなぜ体が子供になっているんだ。


 俺は神の存在を信じたことはないが、これがもし、そういった者が引き起こした事なのであれば心底腹が立つ。いつまで苦しめばいいんだ。


 そう思うと怒りが沸々と湧いてくる。


 その感情が全身に渡り、恐怖で震えるしかなった体に力が湧き、精神と体が抵抗の意思を持ち、首を噛み千切ろうとする口へと手を伸ばし掴みかかる。



 「ンガアアッ!」



 少しだが首に突き刺さっている牙を浮かせることが出来た。・・・が、


 (ここからどうすればいいんだ・・・?)


 首を噛み付かれた事で、出血が多いのが効いてしまったのだろう、なんだが力が入らない。


 足首には未だに狼が噛み付いていて、ぐんぐんと引っ張られる感覚がしている。それをやられると噛まれている傷口が広がり、より深く牙が食い込んでいくので止めて欲しい。


 両手も首に嚙み付いている顎を剥がすために使っている。その両手だって本気で引き剝がそうとしているのに全然引き剥がすことが出来ていない。


 ―――どんどんと力が抜けていくのを感じる。


 (あれ・・・これ詰んで無いか?)


 アドレナリンがドバドバ出て、少し体を動かせる様になっただけで、体はもう極度の貧血状態なのかもしれない。後は俺の体力がもう少しなくなったら、生きたまま肉を喰い千切られるのだろうか。そう思うとまたネガティブな感情が押し寄せてくる。



 「だ、誰か、誰か助けてくれーーーー!」



 深夜の森の中、俺の声は只々霧散する。


 返事は帰ってこない。


 (嫌だ! 死にたくない、死にたくない!)



 「誰でもいいから返事をくれぇぇぇぇぇぇ!!」



 お願いだから返事をくれ。そう願っていても、当然のことながらこんな深夜の森の中に人がいる訳も無く、森からは静寂しか返ってこなかった。


 そして、なかなか仕留めきれない事に業を煮やしたのか、足をズタズタにして噛み付いていた狼が素早く移動し、首に噛み付いている狼を引き剥がそうと奮闘している右手首に噛み付いてきた。



 「痛っ――――!」



 新たな痛覚が神経を通じて脳にぶち込まれる。もうアドレナリンのおかげで痛覚など感じないのではと思ったが、そんな事は無く、刃物が刺さった感覚と腕をプレスされる感覚が新たな箇所から信号を送られる。


 圧迫された右手首は握力を失い、それにより抑えられていた首への進行がより深く突き刺さる。



 「があ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!!!」



 やばい感覚が首元からする。視界にとらえる事は出来ないが、もしかしたら動脈を傷つけたのかもしれない。



 (何でだ、なんでこんな目に遭う! 俺が何をしたっていうんだ!)



 悔しくて涙が流れる。


 幸せな世界に憧れた。


 両親がいて、笑顔で食卓を囲む家庭。


 家族旅行をして、両親との思い出を写真に収める。友達が出来て、しょうもない話で盛り上がる。彼女が出来て、愛を育む。家族が出来て、子供の成長を見守る。そんな世界に憧れた。


 現実はクソみたいな家庭環境だったから、そんな世界に恋焦がれ、夢をみた。


 俺は泣きながら残った左腕で首に噛み付いている方の狼を殴っていた。「諦めたくない」その気持ちが、拳を握らせていた。しかし、そんな思いを込めたパンチも相手にダメージを与えている様子はない。


 (関係ない、何としても生き残るぞ。諦めてたまるか!!!)



 「ぐぞっ、ぐぞお゙っ!!」



 諦めずに何度も狼の腹部を殴るが、相手は動じず首に噛み付いている。俺が力尽きるまで噛み付くつもりなのだろう。


 体が重い。


 パンチを出すたびに寿命を削っているかの様に、体が自分の物じゃ無くなっていく感覚。次第にパンチの手数は減り、弱々しいパンチになる。


 (限・・・界・・・か・・・・。)


 ・・・


 ・・・・


 ・・・・・


 ・・・・・・


 ・・・・・・・


 ――――ザンッ!


 痛覚が消え、薄れゆく意識の中で何かを斬る音と、短い動物の悲鳴が聞こえた。


 視界には、血を噴き出しながら力無く崩れる狼の姿が映っている。そこで短い悲鳴が狼の物だと理解する。


 そしていつの間にか、隣には何者かが立っていた。死に欠けていて視界がぼやけてしまっているのと、月が隠れてしまっていてそこにいる人物の詳細は分からない。


 ただ、「助かった・・・」そう思った。

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