第2話 森の厳しさ

 草木が揺れる音で目を覚ます。



 「ん? あれ・・・?」



 今、目に前に広がっている光景は見慣れた住宅街ではなく、綺麗な夜空が広がる森の中だった。


(何処だ、ここ。)


 辺りを見渡すと、自分がいるのは緩やかな丘の上で、丘の下の方からは森が広がっていることが分かった。


 夢か何かなのかと思い、頬をつねるが痛みもあり、視界も変わることはない。



 「・・・って裸じゃねえか!」



 なんか体がスースーするかと思ったら、今の俺は全裸で深夜の森の中にいたらしい。どういう経緯でこんな事になっているのか、意味が分からない。


 星に照らされた自分の体を見て、ふと違和感を感じる。


 手や足を見るとなんだか小さいのだ。そしてゴツゴツもしてなく、肌も何となく艶があるように感じる。それに全体的に縮んだ様に小さいのだ。見える範囲の隅々を確認して結論に至る。



 「これ、俺の体じゃない・・・。」



 鏡や水面で顔を確認はできないが、明らかに違う。


 まず大人の体じゃない。大人になったら毛が生える所はツルツルだった。目算では小学生くらいで、中学生になるくらいの体ではないだろうか。体格的には、当時の俺の中学生くらいの時の大きさだったので、そう結論付けてはいるが、正確にはよく分からん。

 ただ、その体格にしては少し筋肉質な体をしていた。体脂肪が少ないからそう見えてしまっているだけなのかもしれないが、実際、動きが軽い感じがした。



 「いったい何がどうなっているんだ・・・?」



 軽いパニック状態だ。


 夢だと思いたいのだが、夢にしては今体感している気温、体温、視界に広がる光景、草木の匂い、手に触れる草の感触、全てがリアルに感じる。辺りの散策をしたい所だが、周囲を照らすライトなんかは持っていない状態なので、むやみに移動はしない方が良いだろう。取り敢えず日が昇るまでここで待機することにした。


―――――――――――――――


 朝日が森を照らす。

 日が昇るまで仮眠を取ろうとしたが、素っ裸の状態だと雑草がチクチクしたり虫が体を這っていく感覚の所為で目が覚めてしまい、あまり寝ることが出来なかった。



 「取り敢えずは人だ、人を探さないと。」



 急な展開で訳が分からないが、行動をしなければ始まらない。

 どっちに行けば良いかも分からないが、丘の下は森しか広がっていないので森の中に入ることにした。


―――――――――――――――


 太陽はもう空の真ん中あたりに位置している。何時間も歩いているというのに、この森は一向に景色を変える事が無い。まるで無限ループをしている感覚になってしまう。



 「はあ、はあ、はあ、どこまで歩けば良いんだ。」



 もう6時間以上歩いているだろう。それなのに終わりが見えない、そしてここまで素足で歩いていたという事もあり、流石に足に限界がきている。こうして素足で歩いていて、靴の有難みというのを身に染みて感じている。


 腹も空いてきた。


 だが、どれが食べれる植物なのか、どうやって動物を捕まえればいいのか、そもそも動物の解体や、どの部位が食べられるのかも、何だったら火の点け方だって分からない。


 喉も乾いてきた。


 今までだったら蛇口をひねれば水が出てきていたが、今のところ、喉が渇いているけれど水1滴すら飲めていない。なのに、水源を探す方法も分からない。


 何も分からない。


 どうしてこうなったのか、どこに向かえばいいのか、どうやって生活していけばいいのか。これまでも貧しい生活をしてきてはいたが、絶望感は正直、今の方が上だ。


 あの安いもやしは一体どうやって収穫していたのだろう。袋の中にあるもやしにしか出会った事が無いので、森の中での探し方でも学んでおけばよかった。というか、もやしって自然に生えているのだろうか。本当に俺は無知な人間なんだな。


 その日は絶望感と疲労感から、それ以上進むことが出来ず、日が沈む前に地面に落ちている枝などで簡易な家を作って、何も食べれずに寝た。


―――――――――――――――


 あれから3日がたった。


 あれからも森を歩き回っていたが、何の成果も得られなかったので、人を探すという目標は後回しにして、衣食住が出来る環境を作るという作戦へと変更していた。


 衣服は適当に大きな葉っぱを体に巻き付け、住む場所は長い木の枝を何本かで支柱にし、日陰を作るくらいの簡易的なものしか作れなかった。しかし、この2つは何とかなっているからまだ良い、問題は食事だ。


 まず火を点けることが出来なかった。


 ネットで見た知識を思い出し、どうにか火を点けようと試みたが、一向に火が付く気配が無い。火が使えないと、動物を捕まえたとしても生で食べることになってしまう。あまり詳しくないが、生で食べると食中毒になってしまうのではないかという考えがあり、躊躇ちゅうちょしてしまう。


 そもそも、この3日間で動物を捕まえることが出来ていない。木の枝の先端を尖らせたり、転がっている石なんかを投擲するが、リスっぽい動物や鹿っぽい動物はひらりひらりと避けてどっかに行ってしまう。ずぶの素人が動画の見様見真似で狩りが出来るほど、自然の世界は甘くなかった。



 「・・・腹減った。」



 この3日間の食事は、そこら辺にある木の実を食べている。しかし、苦労して集めたとしても腹を満たす程ではない。


 この森で生活を始めてしばらく経ち、それなりに大変なことがあるが、ここ数日で痛感したのは、とにかく水が無いのが痛いという事だ。


 果実などで水分補給をしてはいるのだが、全然足りない。人間は大半が水分でできているというのは聞いたことがある。水分が足りないと疲労感が溜り、疲労が溜まると思考が鈍り、どんどんと考えが単調になっている気がする。


 森で遭難したら、まずは何をすべきなんだろうか。きっと今までの俺の行動は間違いだらけなのだろう。しかし、わかる訳が無い。つい数日前までコンクリートで囲まれた町で過ごしていたんだ。


 ・・・自分の無力さを痛感した。


―――――――――――――――


 それから更に3日後。


 この森に迷い込んで6日がたった。この3日でやっていた事は、水源を探すことだった。どうしても水が飲みたいのだが、全然雨も降らず、歩き回っても川や湖を見つける事は出来なかった。


 体がだるい。


 木に寄り掛かってから一体どれくらいの時間が過ぎたのだろう。空腹と疲労感と絶望感で身動きが出来ない。今日を生きるために、木の実や果物を取りに行かないといけないのに、体が鉛の様に重くて立ち上がることが出来ない。


 胃の中に何かを入れなければ、そう思い、視線だけで周囲を見る。


 ピョンッと何かが視界の中で飛び跳ねている。虚ろな目でそれに焦点を当てる。


 ―――バッタだった。


 これまで食べようとしてこなかった生き物だ。


 何せ、火を未だに発火する事が出来ていないのだ。虫を生で食べるなんて論外だと思っていた。


 しかし、しかしだ。


 ―――そんな事を言っている場合では無い。


 体はもう限界に来ている。


 何か食べなければ死ぬ。


 鉛のように重くなった体を何とか動かし、手で蓋をするようにバッタを覆い、逃げる前に捕らえる事に成功をする。



 「・・・・・・・・・・・。」



 捕まえたバッタは、必死に俺の手の中で抵抗をしている。


 手の中で虫がうごめいている不快な感覚が、全身を鳥肌立たせる。しかし、逃げられてはいけないので、バッタの後ろ脚はしっかり指で押さえる。バッタは危機を分かっているのか、さっきからキーキーと鳴いている。


 さすがに生きたまま食べて、口の中でさっきの手の中の様にジタバタされたら、確実に吐き出すと思うので、そのまま地面に振り下ろしてバッタを黙らせる。さすがに殺す事は出来なかったが、脳震盪のうしんとうでも起こしているのか、ほとんど動くことがなくなった。


 食べるなら今だ。


 そう思い、口元へ運ぼうとするが・・・ふと我に返る。


 (これを焼かずに、生で食べる・・・?)



 「はっ、はっ、はっ。」



 呼吸が荒くなり、動悸が激しくなる。


 バッタを持つ手が震えだす。


 理性では嫌だと震えて主張しているが、本能ではこのバッタを食べなければ死んでしまうと言っているかの様に、俺の手はバッタを放してくれない。


 理性と本能がここまで乖離かいりしたことは初めてだ。


 水を飲む事さえ出来れば、まだここまで苦しい思いをしなくて済んだのかもしれない。しかし、そうはならなかったのだ。


 目の前のバッタはまだ静かにしている。今が口に入れるチャンスだ。持っていた手を口の前に持ってくると同時にバッタの頭を見てしまう。


 バッタと目が合う。


 随分とグロテスクな顔をしている。バッタの頭をまじまじと見たのは子供の頃以来だ。



 「ふー、ふー、ふー。」



 (わかっているだろ! 何か食べなきゃ死ぬ。それに、理不尽にこんなクソったれな状況に置かれて、訳も分からず死んでたまるか!)


 ―――絶対に生きてやる。


 覚悟は決まった。


 口の前まで運んでいたバッタを前歯でブツ切りする。


 しかし意外と弾力があり、嚙み千切る事が出来なかった。仕方ないので、2口目でバッタの全身を口の中に入れ、バッタを生で咀嚼する。


 味は最悪で、虫の生臭さが口いっぱいに広がっていく。


 草の匂いの様な、しかし生物の臭みの様なものと、バッタの内臓が変な味を加速させている。食べてみて初めて分かった事だが、羽や体の堅い所は繊維が多いからだろうか、何度噛み千切ろうとしても噛み千切れない。なのでより一層、咀嚼そしゃくしなくてはいけなくなり、その所為でますます酷い味が口全体に広がり、吐きそうになる。



 「おえっ、ぐぐうぅぅ・・・。」



 (吐くな、絶対に吐くな・・・!)


 吐きそうになる口元を抑える。吐いてしまうと、何か物理的にも、精神的にも限界を迎えてしまう気が直感としてある。だから飲み込む。


 絶対に生きると決めたのだ、もう後戻りはしない。


 硬かったり、柔らかかったりする物を飲み込む。後味は最悪で、うがいをしたい位なのだが、そのための水がそもそも無い。最悪な後味と匂いが、永遠に口と鼻の奥に広がっている。



 「うっ、うぅう・・・。」



 自然と涙が出た。


 体内にある残り少ない水分が、こんな形で体外に出てしまっているのに、それを悔いる心の余裕なんてありはしなかった。


 この涙が何の涙なのか、自分ですら分からなかった。


 バッタを生で食べたら涙が出た。


 この味を俺は一生忘れないだろう。

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