フリーター、狩人になる。

大久保 伸哉

第1章−1 『初討伐編』

第1話 フリーター、転生する。

 俺は母親に捨てられた。


 俺が中学生だった頃、母親は突然家を出て行った。

 いつも通り、夜に仕事に出掛けてから帰ってくると思っていた。

 でも帰って来る事は無く、それ以降は1人で生きて行く事になる。


 母の迷惑にならないように問題行動は起こさなかったし、学校でも大人しく生きて来た。

 だが母はいつも辛そうな顔をしていたし、酒で酔っている時は罵声を何度も浴びせられた。一部屋しかない我が家はその罵声から逃げる手段はなく、俺はただ心を無にして聞き流すしか出来なかった。


 「何でこんな事に!」とよく言っていたから、恐らく人生が自分の思った通りに行かなさ過ぎて壊れてしまったのだろう。


 その気持ちは、大人になった俺も共感できる様になった。


 人生はあまりにも上手く行かない。

 夢が出来ても、その夢を叶えられる人数は限られている。

 やりたい事があっても、やりたい事を続けられる人はそう多くない。

 家庭環境による制約、時間による制約、才能による制約。

 様々な事が俺達を縛り上げている。


 沢山夢を見て、沢山行動して、沢山挫折した。


 そうやって行く内に、俺の心は摩耗していった。


 俺の人生何だったんだろう。


————————————————


 ブオーーン、、、キィィィィィィィィ!!!


 ドリルが鉄の塊にめり込んで、切削せっさくを始める。


 穴をあける工程を見届けること無く、次の工程のプログラムを組むために図面を広げる。次の工程は面倒くさそうだ、図面を見た感じ工具の取り替えないといけないだろう。



 「・・・はあ、なんでこんな面倒くさいのを運んでくるんだ。」



 俺の名前は『五十嵐いがらし 龍也たつや』、今年で30歳のフリーターだ。


 絶賛、工場で鉄を加工中である。


 俺の周りでも鉄を加工している人たちがいるが、彼らはこの工場の正社員だ。


 はじめは俺も、非正規雇用として簡単な工程の部署に居たのだが、人員が減ってしまった部署のヘルプに呼ばれて、なんやかんやでそのまま今の部署にいる感じだ。

 俺が正社員じゃないからか、それとも中卒だからか、ただ鬱憤を晴らしたいのかは分からないが、ここの部署の人達の多くは俺に当たりがキツイ。

 きっと彼らも色々なストレスがあって、どう処理して良いのか分からないのだろう。・・・そう思った方が精神が押し潰されないので、そう思う事にする。



 「おい! これ特急な。今すぐやれよ。」



 小太りの課長が、俺の方に鉄の塊と図面を持って話しかけてくる。

 図面には赤い文字で『特急品』と書かれていて、パッと見ただけで面倒そうな図面だと分かった。



 「いや、あの・・・今やってるやつ。あと3つ同じなんすよ。」



 俺が意見すると上司は不機嫌になる。



 「特急だっつてんだろ。中卒の頭じゃ理解できねえか?。この赤文字で書いてるのはな。特急って書いてあって、今すぐやれってことなんだよ。」



 (いやー、それは分かっているんだけどさぁ・・・。)



 図面をパッと見た感じ工具を変えないといけない。

 それをすると時間も掛かるし、俺の所じゃなくて他の場所で加工をして貰った方が速く済むと思うのだが・・・。

 だが、意見したくなる気持ちをグッと抑えて「わかりました。」と言って、今の工程を中断して特急品の加工の準備を始める。俺が行動するのを見て、上司は鼻を鳴らしてその場を立ち去る。


 急遽入ってきた仕事により、案の定、残業をして夜勤の人とすれ違う形での帰宅になった・・・仕事って大変だね。


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 コンビニに寄って夕食を選んでいると、1つの商品が目に入った。


 『実家の味を再現!あったか味噌汁!』


 実家の味。その文字を見て家族の事を思い出す。


 俺にとって、それは味噌汁じゃ無くて『もやし』だ。


 父親は小学生の頃に蒸発、それから母と貧困生活していたが俺が中学の頃に母親も蒸発した。


 最後の日の母の顔は覚えている。

 夜の仕事で化粧はしているが、疲れ切っているのが分かる暗い目をしていた。

 出勤前に俺の名前を呼び、「こんな母親でごめんね」と言って出て行った。


 当時の俺は、よく母のヒステリックになる所を真横で見ていたので、また鬱モードに入ったのかと軽い感じで思っていた。

 なので、帰って来ないと分かった時は相当焦ったのを覚えている。



「うわっ・・・」



 俺が感傷に浸っていると、飲み物コーナーの方から嫌な声がした。反射的にそちらを見ると高校生カップルがこちらを見ていた。



 「汚ったな。何、あの汚れ。」



 女の方が俺の作業着を見ながら顔をしかめていた。

 もう登下校の時間は過ぎている時間帯だと思うので、この人達は多分、不良かなんかだろう。というか、目の前にいるカップルはいかにも不良ですという典型的な格好をしていた。


 (・・・切削油だよ。)


 高校生は知らないだろうけどね、鉄を削る時は切削油せっさくゆを噴射しながら削るから、どうしても服に掛かってしまう時があるんだよ。それに、汚れたくないからと言ってチンタラしていたらね、生産性を上げろとあの上司から詰められるから、作業服の事なんか二の次になるんだよ。



 「しかも、何か臭ぇし。」



 (・・・・・・機械油と汗の匂いだよ。)


 工場の窓は開ける事はできるんだけど、熱を逃がすのは微々たるもんだし、機械熱で汗が止まらないんだよね。しかも機械油はなんか臭い。鉄を削っているから、鉄が焦げた匂いと切削油の匂いと機械油の匂いとか、ごちゃ混ぜになって工場全体が臭いんだよね。


これ以上この学生達と同じ空間にいると悲しい気持ちになるので、目の前にある味噌汁と海苔弁当を買ってそそくさとコンビニを出る。



 「・・・あっ。」



 カウンターに向かう時に、デザートコーナーを通っていて、ふと思い出す。


 (そういや今日、俺の誕生日じゃん。)


 完全に忘れていた。

 別に毎年、自身の誕生日なんてものを祝う習慣は俺には無かった。

 確か今日で30歳という節目である。

 今日くらいは良い物を食べようとケーキを持ってカウンターに持って行く。


 その間も女子高生の方はコソコソと何か言っていたが、感情と聴覚をシャットアウトし、会計を済ませて店を出た。


 顔を上げて夜空を見るが、雲が掛かってしまっていて星を見る事が出来ない。

 何なら少し遠い所でゴロゴロと雷の音まで聞こえてきた。

 ・・・急いで帰らないと一降り来そうだ。


 そして案の定、しばらく歩いた所でポツポツと小雨が降り、すぐに大粒の雨になって体を濡らす。


 (つ、ついてねぇ・・。)


 今日の天気予報に雨の予想は無かったはずだ。

 それなのに今の俺はずぶ濡れの状態になっている。

 仕事での疲れと精神的な疲れが、濡れた作業着と同じように全身をずっしりと重くする。

 なんでこんな人生になったんだろうか。そんな意味の無い問いが頭の中をグルグルと巡っていると、


 ピカッ!


 視界が一瞬真っ白に変わり、そしてすぐにバチンともドカンとでもいう様な音がする。一瞬、何が起きたのかが分からなかったが、ゴロゴロという残響が曇った空から聞こえて来たので、目の前に雷が落ちたのだと理解した。



 「あっぶねぇ・・・。」



 あとちょっとで直撃だった。


 今日はついていない日だったが、不幸中の幸いとはこの事だな。・・・そんな事を考えていたのも束の間で、すぐに体に変化が起こる。


 体の毛の隅々まで逆立ち始めたのである。



 (あ、これやばい奴だ・・・。)



 直感的にそう思った。



 「お前が生まれなかったらこんな事にぃぃぃ・・・ぁぁぁああああぁぁぁ・・・・。」

 「お前、母親に捨てられたんだってwww?クソうけるwww」

 「中卒の頭じゃ分かんねぇか?」

 「汚ったな。何、あの汚れ。」



 『こんな母親でごめんね。』



 体が危機を察知したのだろう、脳内麻薬が俺をおかしくする。


 世界のすべてがスローモーションになり、そして思い出したくもない記憶を思い出させる。

 30年の短い人生。

 沢山チャレンジをして、沢山挫折した。

 誰かに迷惑を掛けた訳でもないのに馬鹿にされ、報われる事の無い努力に心が折れる。成功体験なんて1度もなくて、何の為に生きているのかも分からなくなった。


 すべて終わらせる事も考えた事はある。


 だが、やらなかった。

 なんだかそれは、負けを認めるような気がしたから。

 理不尽に生まれ、理不尽に育てられ、理不尽にいじめられ、理不尽な世界で生きてきた。

 そんな理不尽な世界での最後の抵抗が、生きる事だった。

 しかし、そんな最後の抵抗も虚しく理不尽な天災により終わりを迎える。


 顔を上げる。


 俺の人生最後の視界は、真っ黒な雨雲だ。



 「はぁ・・・。本当に、意味の無い人生だった。」



 その言葉を最後に視界は真っ黒になる。

 至近距離で雷が落ちた時は視界が真っ白になったので、直撃してもそうなのかと思ったが、どうやら違う様だ。


 薄れゆく意識の中、猛獣の唸り声のような雷鳴が最後まで聞こえていた。

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