フリーター、狩人になる。

大久保 伸哉

第1章−1 『初討伐編』

第1話 フリーター、転生する。

 綺麗な月明かりの中、森の静けさを邪魔するように疾走する2人の影が木々に映る。走っているのは黒髪の少年と金髪の少女だ。2人は10歳前半といったような見た目をしていて、少年が少女を引っ張るように手を繋いで走っていた。


 少年達の顔には余裕が無い。


 それなりの距離を走ったのだろう。息は切れ、疲れで表情を歪ませている。しかし歪ませている原因は疲れだけでは無い様だった。その瞳には恐怖があり、顔は血の気が引いている。


 緊迫した雰囲気の中走っていると、薄暗かった視界の先から月明かりがこぼれる。森の出口に着いたのだと気づき、少年達は少し安堵する。


 その安堵による気の緩みが原因なのか、ここまで走ってきた疲れが原因なのか。あと少しで森から抜けられそうだという所で、少女が踏み違えて地面に転んでしまう。少女はすぐに立ち上がろうとするが、踏み違えた右足から激痛が走り、体を起こす事が出来なかった。


 立ち上がることが出来ない少女を見て、少年はすぐに少女を背負おうとするが、間に合わなかった。


 森から追跡者が来る。


 出て来たのは、夜に溶け込むような毛をした3匹の狼だ。目は真っ赤で、牙から涎を垂らしながら注意深く少年達を見ている。


 少女は木を背にし、少年は少女を庇うように3匹の狼の前に出る。狼は少年達を逃がさないように、少年達を囲う形で陣取った。逃げ場はない。



 「バティルくん、ごめんなさい。私の所為で、こんな事に・・・」



 少女は泣いていた。ここまで来る時に何かあったのだろう、少年バティルに泣きながら謝罪をした。


 それを聞き、少年は振り向かずに答える。



 「レイナの所為じゃないし、誰の所為でも無いと思うぞ!―――」



 大きい声でそう言い、少年は狼に向かいボクサーのような構えをする。



 「―――大丈夫、お前は俺が守る。それが大人の義務ってもんだ!」



 見るからに大人ではない少年が、冗談の様なことを言っているが、少年の目は真剣だった。


 それまで警戒の目で品定めをしていた狼たちは、少年が抵抗しようとしているのを察したのか、左右の狼が唾を飛ばしながら吠える。そして真ん中の狼は、森中に響き渡るような大きい遠吠えした。



 「ワゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」



 その遠吠えが合図だったようで、左右の狼は少年に向かい疾走する。それに合わ

せて少年も咆哮しながら狼に向かって走り出す。



 「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」



————————————————


 ブオーーン、、、キィィィィィィィィ!!!


 ドリルが鉄の塊にめり込んで、切削せっさくを始める。


 穴をあける工程を見届けること無く、次の工程のプログラムを組むために図面を広げる。次の工程は面倒くさそうだ、図面を見た感じ工具の取り替えないといけないだろう。



 「・・・はあ、なんでこんな面倒くさいのを運んでくるんだ。」



 俺の名前は『五十嵐いがらし 龍也たつや』、今年で30歳のフリーターだ。


 絶賛、工場で鉄を加工中である。


 俺の周りでも鉄を加工している人たちがいるが、彼らはこの工場の正社員だ。


 はじめは俺も、非正規雇用として簡単な工程の部署に居たのだが、人員が減ってしまった部署のヘルプに呼ばれて、なんやかんやでそのまま今の部署にいる感じだ。


 俺が正社員じゃないからか、それとも中卒だからか、ただ鬱憤を晴らしたいのかは分からないが、ここの部署の人たちは俺に当たりがキツイ。


 目の前の面倒な工程の図面があるのだって、別に俺の担当している機械以外でも出来る。しかし、わざわざ俺の所まで運んできてやらせて来るのだ。



 「おい! これ特急な。今すぐやれよ。」



 小太りのおっさんが、俺の方に鉄の塊と図面を持って話しかけてくる。図面には赤い文字で特急品と書かれていて、パッと見ただけで面倒そうな図面だと分かった。



 「いや、あの・・・今やってるやつ。あと3つ同じなんすよ。」



 俺が意見すると、小太りのクソ上司は不機嫌になる。



 「特急だっつてんだろ。中卒の頭じゃ理解できねえか?。この赤文字で書いてるのはな。特急って書いてあって、今すぐやれってことなんだよ。」



 (そんなことは分かってんだよ、デブ。)



 心の中で中指を立てている自分がいるが、そこを何とかグッと抑えて「わかりました。」と言って、今の工程を中断して特急品の加工の準備を始める。俺が行動するのを見て、小太りクソブス上司は鼻を鳴らしてその場を立ち去る。


 急遽入ってきた仕事により、案の定、残業をして夜勤の人とすれ違う形での帰宅になった。


—————————————————————————————————————


 コンビニに寄って夕食を選んでいると、1つの商品が目に入った。


 『実家の味を再現!あったか味噌汁!』


 実家の味。その文字を見て家族の事を思い出す。


 俺にとって、それは味噌汁じゃ無くて『もやし』だ。


 父親は小学生の頃に蒸発、それから母と貧困生活していたが俺が中学の頃に母親も蒸発した。


 最後の日の母の顔は覚えている。夜の仕事で化粧はしているが、疲れ切っているのが分かる暗い目をしていた。出勤前に俺の名前を呼び、「こんな母親でごめんね」と言って出て行った。


 当時の俺は、よく母のヒステリックになる所を真横で見ていたので、また鬱モードに入ったのかと軽い感じで思っていた。なので、帰って来ないと分かった時は相当焦ったのを覚えている。



「うわっ・・・」



 俺が感傷に浸っていると、飲み物コーナーの方から嫌な声がした。反射的にそちらを見ると高校生カップルがこちらを見ていた。



 「汚ったな。何、あの汚れ。」



 女の方が俺の作業着を見ながら顔をしかめていた。もう登下校の時間は過ぎている時間帯だと思うので、こいつらは多分、不良かなんかだろう。というか、目の前にいるカップルはいかにも不良ですという典型的な格好をしている。


 (切削油だよ。)


 高校生は知らないだろうけどね、鉄を削る時は切削油せっさくゆを噴射しながら削るから、どうしても服に掛かってしまう時があるんだよ。それに、汚れたくないからと言ってチンタラしていたらね、生産性を上げろとあのクソブスカス上司から詰められるから、作業服の事なんか二の次になるんだよ。



 「しかも、何か臭ぇし。」



 (機械油と汗の匂いだよ。)


 工場の窓は開けることはできるんだけど、熱を逃がすのは微々たるもんだし、機械熱で汗が止まらないんだよね。しかも機械油はなんか臭い。鉄を削っているから、鉄が焦げた匂いと切削油の匂いと機械油の匂いとか、ごちゃ混ぜになって工場全体が臭いんだよね。


これ以上こいつらと同じ空間にいると嫌な気持ちになるので、目の前にある味噌汁と海苔弁当を買ってそそくさとコンビニを出る。



 「・・・あっ。」



 カウンターに向かう時に、デザートコーナーを通っていて、ふと思い出す。


 (そういや今日、俺の誕生日じゃん。)


 完全に忘れていた。別に毎年、自身の誕生日なんてものを祝う習慣は俺には無かったが、今日1日嫌な事が続いたから、少しでも良い思い出を作ろうとしたのかは自分でも分からないが、自然とケーキを買い、カウンターに向かった。


 その間も女の方はコソコソと何か言っていたが、感情と聴覚をシャットアウトして淡々とやることをやって店を出た。


 顔を上げて夜空を見るが、雲が掛かってしまっていて星を見ることが出来ない。何なら少し遠い所でゴロゴロと雷の音まで聞こえてきた。急いで帰らないと一降り来そうだ。


 そして案の定、しばらく歩いた所でポツポツと小雨が降り、すぐに大粒の雨になって体を濡らす。


 (ついてねぇ・・。)


 今日の天気予報に雨の予想は無かったはずだ。それなのに今の俺はずぶ濡れの状態になっている。仕事での疲れと精神的な疲れが、濡れた作業着と同じように全身をずっしりと重くする。

 なんでこんな人生になったんだろうか。そんな意味の無い問いが頭の中をグルグルと巡っていると、


 ピカッ!


 視界が一瞬真っ白に変わり、そしてすぐにバチンともドカンとでもいう様な音がする。一瞬、何が起きたのかが分からなかったが、ゴロゴロという残響が曇った空から聞こえて来たので、目の前に雷が落ちたのだと理解した。



 「あっぶねぇ・・・。」



 あとちょっとで直撃だった。


 今日はついていない日だったが、不幸中の幸いとはこの事だな。・・・そんな事を考えていたのも束の間で、すぐに体に変化が起こる。


 体の毛の隅々まで逆立ち始めたのである。



 (あ、これやばい奴だ・・・。)



 直感的にそう思った。



 「お前が生まれなかったらこんな事にぃぃぃ・・・ぁぁぁああああぁぁぁ・・・・。」

 「お前、母親に捨てられたんだってwww?クソうけるwww」

 「中卒の頭じゃ分かんねぇか?」

 「汚ったな。何、あの汚れ。」



 『こんな母親でごめんね。』



 体が危機を察知したのだろう、脳内麻薬が俺をおかしくする。


 世界のすべてがスローモーションになり、そして思い出したくもないクソみたいな記憶を思い出させる。どこかで聞いた『人は幸せになるために生まれてきた』という言葉。愛情を受けて育った奴、救われた奴が吐く虫唾が走る言葉もついでに思い出す。


 すべて終わらせる事も考えた事はある。


 だが、やらなかった。


 なんだかそれは、負けを認めるような気がしたから。


 理不尽に生まれ、理不尽に育てられ、理不尽にいじめられ、理不尽な世界で生きてきた。


 そんな理不尽な世界での最後の抵抗が、生きる事だった。


 しかしそんな最後の抵抗も、理不尽な天災により終わりを迎える。


 顔を上げる。


 俺の人生最後の視界は、真っ黒な雨雲だ。



 「はぁ・・・。本当に、意味の無い人生だった。」



 その言葉を最後に視界は真っ黒になる。至近距離で雷が落ちた時は視界が真っ白になったので、直撃してもそうなのかと思ったが、どうやら違う様だ。


 薄れゆく意識の中、猛獣の唸り声のような雷鳴が最後まで聞こえていた。

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