20 負けるわけにはいかなくなった。

「俺に走り方を教えてくれっ!」


 蒼空が着席し、振り返ったと同時に陽斗は勢いよく頭を下げた。


「やっと来たか」


 蒼空は陽斗が頼み込んでくることを読んでいたらしい。


「お前は、預言者か何かなのか?」

「なわけ。単純な話だよ。お前は負けず嫌いだろ? たとえ、勝って何ももらえなくても、お前は勝ちに行く。そういう奴だ」


 陽斗が負けず嫌いだってことは間違いない。たった半年の付き合いだというのに、蒼空は陽斗のことをよく理解していた。


「ちなみに、どういう風の吹き回しでやる気になったんだ?」

「樋口先輩が頑張ってるのを見て、絶対に負けられないって、思ったんだよ。結城のことは抜きにして。あと、あんなに頑張ってる人に対して、適当にやるのは失礼極まりないな。と」

「何だ。見つめあっていたからじゃないのか」

「そうだよ──って、はっ!?」


 思わず大きな声を出し、陽斗は勢いよく立ち上がった。


「って、お前、見てたのかよ」


 蒼空が言いたいのは、どう考えても昨日のあの出来事についてだろう。周りには誰もいないだろうと思っていたのが……。


「草むらに隠れて、桜愛と一緒にな」

「目撃者二人かよ」

「いや、覗き見るつもりはなかったんだけどな」


 今から思い出しても、相当に恥ずかしいことをしてしまった自覚はある。顔が思わず赤くなってしまいそうだ。

 好きでもないはずの相手と、あそこまでの至近距離で見つめることは普通はない。幼馴染だからといっても、きっとラインは超えていた。


「お前ら、付き合ってないのかよ」

「一応付き合ってるよ」

「契約だろ?」

「当たり前だろ。好きなんて感情はない。お互いに」


 自分に言い聞かせるような口調になってしまった。本当に、そんなことは思っていないはずなのに。


「まぁ、とりあえず、今日の放課後は暇か?」

「暇だけど」


 今日は文芸部もなければ、特に用事があるわけでもない。


「なら、問題ないな」

「でも、蒼空は部活あるんじゃ?」

「怪我した」

「まじ?」

「まじまじ。でも、体育祭までには治るはず」

 蒼空は膝をさすりながら、苦笑いを浮かべる。

「不幸中の幸いってやつだな。おかげでお陽斗に色々と教えてやれる」


 眩しいほどの笑顔を浮かべる蒼空。


「悪いな。ありがとう」

「いいってことよ。結城のこと、取られたくないもんな」

「どんな死因がお好みだい?」


  ♢♢♢


 トレーニングによって、熱くなった体を水道の水を頭から浴びることで、冷却する。

 熱が一瞬にして奪われ、ぎゅっと身が引き締まるようだ。

 もう十月半ばだというのに本日の気温はまだまだ高い。



『体育大会まで、あと一ヶ月もないんだ。本来だったら、いろんなトレーニングを積むわけだが、時間がない。だから、200mを走るっていうところにだけ焦点を当てる』



 蒼空の言葉を思い出す。800mリレーは一人200mを四人がリレーする競技だ。バトンをスムーズに渡すことも大切ではあるが、出場する選手の四分の二しか集まっていない(片方は怪我している)状況では練習もできない。

 だかは、今日のトレーニング内容は走る時のフォームについてだ。

 この学校には、自主練習用のグラウンドがある。普段は部活動が休みの生徒が自主的に練習に励むスペースとして活用されているが、体育祭前だいうことで、それ以外の生徒も多く見られた。


「そんなことをやったら、冷えすぎますよ」


 顔を上げると、白と青の学校指定の体操服を着た琴音がいた。彼女は長い髪を後頭部の上に方で結っている。いわゆるポニーテールというやつなのだろう。


「何だよ」

「水筒の水がなくなったので、取りに来ただけですよ」

「あぁ、そういう」


 一瞬でも自分に用があるのでは? と思ってしまったことが恥ずかしい。そんなことがあるはずがないのに。

 陽斗は、突然体をぶるぶるっと震わせた。首から滴る水滴が予想以上に冷たくて、必要以上に体温が奪わらてしまったのだ。勢いに任せて、水を浴びたことは早計だったと今更後悔する。


「ちょうどここに一枚のタオルがあります」


 琴音は、丁寧に折り畳まれた黄色の大きめタオルを陽斗に見せた。


「うん」

「要りますか?」

「欲しい」

「どうぞ」


 何かを代わりに要求されるかと思ったが、すんなりと手渡された。それに驚きつつも、タオルを受け取る。


「相変わらず、顔面偏差値だけは高いですね……」

「え、何か言ったか?」

「いえ、何でも」


 柔らかなタオルで髪をガシガシと拭き取る時の雑音で、何かを呟いたであろう琴音の声は聞こえなかった。


「髪は丁寧に拭かないと、悪くなってしまいますよ」

「そうなのか」


 あまりオシャレなどには興味もなく、自分磨きもしない陽斗にとって、それは初耳であった。

 陽斗は自分磨きに興味がないというよりも、イケメンや美少女がやるから意味があるものだと思っていた。だから、自分がやっても無駄である。という考えを持っている。


「また琴音と、陽斗がイチャイチャしてる」


 心外である。陽斗には、琴音とイチャイチャしているつもりもないし、するつもりもないからだ。

 声の方を見ると、そこにはピンク髪の少女が体操服姿で立っている。どうやら、彼女も体育祭の練習に駆り出されているらしい。


「そんな心外だ。みたいな顔しないで。そうとしか見えなかった」


 何で、こいつらカップルは男女の関係を恋愛関係としか見れないのだろうか。と、陽斗は呆れるしかなかった。

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