アフターストーリー

@maow

第1話 アフターストーリー

0.終結


 時は昔――まだ人類と魔族がいがみ合い、種族間の壁が遥か高くそびえ立っていた頃――


人間は大勢の魔族を戦場で殺し、殺し、殺しまくった。


 個々の能力で劣る人間たちは自分たちよりも個々の能力で優る魔族たちをそれ以上の数でもって、数の暴力に物を言わせて個の力の差を覆した。


 当然、魔族たちもやられっぱなしではいられない。


 魔族たちには魔族も含めた他の生物の肉を喰らうことで自身の力を強化する、人間にはない魔族特有の性質がある。


 魔族たちはこの原初より宿る性質を利用して、何者にも負けない唯一無二の力を追い求め、人間たちを殺して、殺して、喰らいまくった。


 両者に共有できる価値観や法律がない以上、両者が従う真理はただ一つ――弱肉強食。


 自分の血を敵の血で洗い、味方の血を敵の血で拭う。矛盾に矛盾を重ね、歪んだ正義を不条理でさらに捻じ曲げる。


 もしこの戦争を青い空の上、天上の世界で見ている者がいたならきっと呆れて言葉を失っていただろう。もしかすると人間と魔族のいつまでも続くこの不毛な骨肉の争いに嫌気がさして、すでに見捨てられているかもしれない。


 終わりの見えないこの争いの中、誰もがこの戦争を終わらせてほしいと願い、皆心のどこかで諦めていた。


 きっとこの戦争は自分が死んでも続いていく、自分はただこの戦争を動かすための歯車でしかない。この戦争は未来永劫、多くの人間と魔族の屍を積み上げて、多くの死を糧に肥え太っていく怪物だ。


 自分たちはただ、この怪物の腹を満たすためのエサでしかない。


 誰もが未来に光を見出そうとせず、過去から続く絶望の連鎖に全身絡めとられていた。そんな常夜の時代は、ある日、誰も予想できなかった形で唐突に終わりを迎えることとなる――


「魔王様っ」


 華美な装飾で彩られながらも城の主が座る椅子一つしかない簡素な王座の間に魔王軍幹部の一人、ダークエルフの男が配下の魔族たちを大勢引き連れ雪崩れ込んできた。


「魔王、様……」


 玉座の間中央、赤い血だまりの上、向かい合いながら倒れる魔族の男と人間の女が二人。


 配下の魔族たちは目の前の光景に驚き騒然とした。


 幹部であるダークエルフは目の前にある現実を真に受け入れることができず、言葉を失った。


 人間の女は通常、単体性能では弱小魔族一体にすら劣るとされるが玉座の間で倒れる人間の女は、たった一人で魔王軍一部隊を壊滅させたこともある人類の最高戦力、人間たちから勇者ともてはやされ崇め奉られていた女である。


 そんな魔王軍はおろか魔族全体の宿敵である女と向かい合い血だまりの上で倒れる魔族の男こそ、この城の主。かつて力のみが全てだった無法地帯の魔界に秩序と繁栄の道を制定させ、多種族入り乱れる魔界の住民たちをその知恵と機転でまとめ上げた魔界の王――魔王その人である。


 今、玉座の間中央では人類最高戦力と魔界の王という互いに最大最悪の宿敵同士が大量の血を流しながら倒れているのである。


「………………」


 ダークエルフの男は自身の主でありかつこの腐敗臭漂う世界で唯一信頼の置ける相手の息を確認するため、ふらふらとした覚束ない足取りで近づき、確信した。


 この城の主は、すでに息をしていなかった。


 それは向かい合って倒れている女も同じだった。


「私がいながら、このようなお労しいお姿に――」


 この世で唯一、身命を賭して仕える価値のある王の亡骸を前にダークエルフの男が打ちひしがれていると突然、部屋全体が不快な軋み音を上げながら、崩壊を始めた。


「っ――」


 咄嗟にダークエルフの男は配下の魔族たちに城に残る魔族たち全員をこの城から脱出させるよう指示を出した。


(魔王様、どうかあちらの世界では安らかな安寧の日々を、心よりお祈りしております)


 人類最高戦力である勇者と魔界の王である魔王は魔王城で共に相打ちとなり命を落とした。


 この日を境に人類と魔族は共に歩み寄りの道を模索するようになった。殺し合いではなく、話し合いで、迫害ではなく利害で共存する道を残された者たちは選んだのだ。


 勇者と魔王の死から三年後、人類の王と魔族の代表の間で平等で対等な和平協定が結ばれることになった。長きにわたり不毛に繰り広げられていた人類と魔族間の戦争がようやく終結した瞬間だった。






1.全てが終わった後の始まりの街


 勇者と魔王の死から三年後――


 始まりの街と呼ばれる人類最西端の街に、暗い青色の髪をした男と男とは対称的に鮮やかな赤色の髪をした女、二人の男女が足を踏み入れた。


「たのもおおおおおおおおおおおおお」


 この街が始まりの街と呼ばれる所以。


 この街だけにある冒険者認定証書発行所。


 ここで実力が認められ冒険者である認定証書が発行されれば各地にある冒険者ギルドで仕事の依頼を受けることが出来るようになる。いわゆる、冒険者になるための登竜門のような街なのだ。


 冒険者ギルドの機能も兼ねているこの街の認定証書発行所。自分の腕に自身のある荒くれ者たちの溜まり場に、場違いな程明るい元気な女の声が響き渡った。


「おい、酒場じゃないんだぞ」

「似たようなもんでしょ」


 活発そうな見た目の若い女に続いて、陰のある根暗そうな若い男がアウトローたちの吹き溜まり場へとやって来た。


「誰だ誰だ、こんなところに女なんて呼んだ奴はよ」

「ここは女が来るようなこじゃれたレストンじゃないぞ」

「目が飛び出るほど上玉じゃねえか。いったいいくら出したんだ坊主」

「おいおい、そんなこと言ったら坊主がかわいそうだろ」

「嬢ちゃん、そんな冴えない野郎なんかポイッしちゃって、こっちでおしゃくしてくれよ」


(品性の欠片もない奴らだな)


 人類と魔族の和平協定が結ばれて以降、冒険者という仕事を生業とする者たちはその数をめっきり減らしていった。


 元々、冒険者という仕事自体、冒険という未知への探求という言葉を語源としながらその実、正規の王国騎士団が見向きもしないような弱小魔族や獣の討伐、危険な場所にある薬草や鉱物の採集といった体のいい雑用をすることが大半。


 報酬も安価で、割安。


 ただでさえ薄給なのに、人類と魔族の戦争が終わって以降冒険者ギルドへ出される依頼の数は激減。結果、ある程度平和になった今の世界で未だに冒険者などという不安定且つ傍への印象も良くない仕事をやっているのはそれなりの訳アリ人間だけなのである。


「あの、ここへは一体どんなご用件で。ここは冒険者ギルド兼冒険者認定証書発行所ですが――」


 認定書発行所の扉を潜った時点で要件などほぼ大抵決まっているようなものなのだが、鎧の類を一切身に着けていない軽装の二人の冒険者らしくない姿を見て、入る建物を間違えたのではと考えた受付嬢は念のため二人にこの場所へ来た要件を確認した。


「冒険者認定証書を発行してもらいに来ました。二人分」


 受付嬢の問いに女は間髪入れずにここに来た目的を答えた。


「は――」


 女の答えを聞き、その場にいた荒くれ者たちは全員腹を抱えて大笑いした。


「ぎゃああはははははははは」

「おいおいまじかよ」

「やめとけやめとけ、嬢ちゃんのかわいい顔に傷が付いちまうよ」


 立場上口には出さないものの受付の女の人も大方、荒くれ冒険者たちと同じ意見だった。女の冒険者が全く、指の数ほどしかいないというわけではないが、それでも全体的な割合は圧倒的に低い。なにより女が冒険者をやるにはそれなりの覚悟とそれに見合うだけの実力がいる。


「失礼ですが、冒険者という仕事は肉体的にも精神的にもかなり重労働なお仕事になっております。もしお嬢さんがよろしければ他のお仕事を――」

「大丈夫です。小さいころから体力だけには自信があります」

(そういう意味じゃないと思うんだけどな)


 あまりにも裏表のない女の自信たっぷりの笑みを前に受付嬢は渋々、うら若き男女二人の冒険者認定書の発行手続きを進めるしかなかった。


「ではまず、お嬢さんとお連れの方のお名前を――」

「ユウです」

「……マオです」

「ご出身は」

「小さい村の生まれです。名前はありません。地図にももちろん、載ってません」


(なんでこいつはそんなことを偉そうに言えるんだ)


 もう女の高いテンションにまともに付き合うのに疲れた受付嬢は視線で連れの男に先を促した。


「俺も村の生まれですが、もうその村はありません。俺が生まれてしばらくして、魔族に襲われてしまって……」


 陰のある男の見た目通り、重い過去の話が出てきてしまい、受付嬢は慌てて、神妙な顔になり視線を下に落とした。


「そう、だったんですか。辛いことを思い出させてしまい申し訳ありません」

「いえ、一昔前ではそう珍しい話ではないので」


 今でこそ滅多に聞く話ではなくなったが、少し前までは自分の暮らす村や街が敵に襲われ壊滅することなど日常茶飯事だった。


「失礼ですが、お二人のご関係は」


 重苦しくなった雰囲気を変えるため、奇をてらったつもりで言った受付嬢の発言だったのだが、これがアウトローたちの溜まり場の雰囲気をガラッと変えることとなった。


「結婚したばかりのピチピチ新婚さんです」


 ユウはさっとマオの腕に自分の腕を絡めると目の前にいる受付嬢の女に向かってニッコリ、ピースをした。よく見ると二人の左手の薬指には銀色にキラキラ光るお揃いのリングが、しっかり嵌められていた。


「「「はあああああああ」」」


 ユウの発言に、今までアウトオブ眼中でいないもの扱いされていたマオに男たちの焼き尽くすような熱い視線が集まった。


(おい、つがいとかじゃなくて付き合いたてとかそういう言い回しじゃだめなのかよ)

(ええ、それだと男の人に絡まれそうでめんどくさいんだもん)


 確かに今の一言で荒くれ者たちの興味が一瞬にしてユウからマオに移行した。そういう意味でユウの目論見通りと言えるだろう。


 ただ一人、配属された土地柄、どうしても良い縁に恵まれず同じ時期に入って来た同期たちに先を越されまくっている絶賛婚活中の結婚適齢期ギリギリ受付嬢からいらぬ顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまったこと以外は……


「で、ではお二人の希望するクラス、冒険者として登録しようとしている役職をお答えください」


 一瞬崩れかけた化粧の濃い顔に受付嬢はすぐに何事もなかったように取り繕った笑みを張り付け、二人が冒険者としてやっていくだけの最低限の実力の持ち主であるかどうかを見定めるための簡単な面接を始めた。


 どうでもいいことだが、この受付嬢のすぐに気持ちを仕事モードへと移り変えれる気持ちの切り替えの速さに彼女の真っすぐで誠実な仕事に対する姿勢を感じ取り、マオは素直に感動した。


「クラス……私のクラスはもちろん――」


 クラスに役職、いろいろな呼ばれ方をされてはいるが要するにあなたの得意分野を一言で表すと何ですかということだ。


 魔法が得意なら魔法使い、近接戦闘が得意なら戦士、もっと細かく分けて剣術が得意なら剣士、槍が得意なら槍使いなど特段明確な規定はない。


 ぶっちゃけ、分かればそれでよい。


 二人の希望する役職、冒険者認定書に登録しようとしている役職はユウとマオの姿を見れば誰の目から見ても一目瞭然だった。


「ゆ――じゃなくて魔法使いです」

「俺は、戦士です」


 一瞬、何かを言いそうになったユウをマオがジトッとした視線で制したのだが、誰もそのことに気づく者はいなかった。


(やっぱり)


 二人の答えを聞き、受付嬢は得心した。


 ユウの手に持つ先に赤い魔力を宿した宝石――通称魔石――の埋められた杖は魔法使いが使う、魔法を強化する効果のある魔法の杖だ。埋められた宝石の種類により効果は異なるのだが……


(色的に炎魔法を強化する魔石かしら。だとするとユウさんが得意とする魔法は炎魔法)


 基本手には魔石の色を見ればだいたいその魔石が何の魔法を強化するのか判別することが出来る。赤なら炎魔法、青なら水魔法といった具合に。


 もちろん同じ赤色の魔石でも強化の度合いが違ったり強化以外の形で何かしら魔法に付加的な影響を与えたりする物も存在するが、魔石の埋め込まれた魔法の杖を、魔法を主として使う者以外が使うことはまずない。


 そして魔法使いの隣でぴったり離れずこうしている間も周囲に警戒の糸をピンッと張り巡らせている一見ただの根暗な細男――マオの腰にぶら下がっているボロボロな鞘に収められた片手剣。


 遠距離攻撃が得意な魔法使い最大の弱点である近接戦闘に対し、時には身を挺して敵を退ける、戦士。


 より細かく分類分けするならば、マオの戦士としての役割はディフェンダーやシールダーと呼ばれるタンク職に近い。


 遠距離戦が得意な魔法使いと接近戦が得意な戦士の組み合わせはそれほど珍しくはない、どちらかというとオーソドックスな組み合わせである。


 数ある種族の中で唯一魔力を感知する能力がごく稀にしか宿らない人の身で魔法を使える時点ですでにありふれた話ではないのだが……


(戦士ならともかく、魔法を使えるのだったら冒険者以外にも割の良いお仕事はいくらでもあるでしょうに……名前もない小さな村で育ったってことだから外の世界のことをあまり知らないのかしら)


 心の声は営業スマイルの奥底に押しとどめて、受付嬢はユウの実力を推し量るため、さらに質問を投げかけた。


「ではまず魔法使いをクラスに希望するユウさんに質問です。ユウさんの使える魔法の種類をお答えください」


 魔法使いという人の中では稀有な役職の時点ですでに文句なし、冒険者認定合格案件なのだが、どの程度の仕事までなら安心して任せることが出来るか、ユウの実力をあらかじめ把握しておく必要があるのだ。


 冒険者ギルドといっても、所詮は依頼主と冒険者の間を繋ぐ仲介所。依頼の遂行失敗はそのままギルドの信用失墜につながる。


 ギルドにとって、冒険者とは信用できない正規雇用ではない使い捨ての日雇いアルバイトのようなものなのだ。


「魔法は六大属性全部使えます。あと回復系と支援系も少々」


 ユウの答えを聞き、あんなに賑やかだった現場が凍り付いた。


「え、全部って、え、え、六大属性の魔法全て使うことができるんですか」

「うん、そうだよ」

「おおおおおおおおおおおおお」


 今までユウを魅力的なメス、もしくは股の緩そうな頭の軽い女としか見ていなかった野郎どもの瞳の色が一変。


 まるであの人類の天敵、魔王をその身と引き換えに撃ち滅ぼした伝説の英雄の面影を見るような衝撃と尊敬のまなざしをユウに送り始めた。


 魔法は大きく分けて七つの属性に分類される。炎、水、地、雷、風、光、闇。このうち、闇魔法は人では使うことができず、実質人間の魔法使いが使えるのは闇を除いた六属性のみなのだが、通常魔法使いが使えるのはこの内の一つ。後は属性魔法に分類されない回復(ヒール)といった支援魔法のみ。


 稀に複数の属性魔法を使える者がいるが過去六つすべての属性魔法を使うことが出来たのは、人類の歴史の中でたった五人だけだ。


 これには受付嬢も声を上ずらせながら慌てて、大きな紙を用意して、ユウに差し出した。


「で、ではここにユウさんの使える魔法をできるだけ書いていただいてもよろしいでしょうか」

「わかりました」


 周囲から注がれる羨望と期待のまなざし。


 それらを一身に受けているという自覚はユウに全くなく、渡された紙にさらさらと自身が使える魔法を書き記した。


「終わりました」

「え、もうですか」


 受付嬢が驚くのも無理はない。


 六大属性すべての魔法が使える大魔法使いが自身の使える魔法をたった数分ですべて紙に書き記したと言ったのだ。


(ま、まあ、使える魔法が多過ぎて普段使う魔法しか書かないという方もいらっしゃいますからね。初歩的な初期魔法とかは省いて書かれたのでしょう……)


「あ、あの、ユウ、さん」

「ん、何ですか」


 ユウの提出してきた用紙を見て、受付嬢は目を見開いたまま、硬直した。


「私はユウさんに使える魔法をこの紙にできるだけ書いてほしいのですけど」

「はい、だから書きました」

「それは、そうなんですか」


 それもそのはず、ユウが受付嬢から渡された紙に書いた魔法は全部で十二、そのうち半分は支援系魔法の回復(ヒール)、肉体強化(ブースト)、感覚強化(センス)、解呪(ディスペル)、解毒(デトックス)、翻訳(トランジット)。残り半分は――


「これ六大属性それぞれの初期魔法しか書いていないんですが」

「そうですよ」

「そうですよって……えっ」


 フレイ、ウォーター、サンド、エレキ、ウィンド、フラッシュ。


 それぞれがそれぞれの属性魔法を覚える上で一番最初に覚える基礎の基礎。初期魔法と呼ばれる初心者魔法である。


 普通はこの初期魔法を足掛かりにして、次のもっと高度な魔法を覚えていくのだが――


「私が使えるのは六大属性それぞれの初期魔法だけですから」

「…………」


 絶句する受付嬢を前にユウはコクンッと首をかしげた。


「ええええええええええええええええええええええええええ」


 部屋全体に響き渡る受付嬢の叫び。


「ぷっ――あははははははははははははははははははは」


 その数秒後、受付嬢の絶叫をかき消すほどの男たちの野太い笑い声が部屋全体を満たした。


「なんだよそれ、びっくりさせんなよ」

「そりゃ、そんなすげぇ奴が冒険者なんてしみったれた事やるわけねえぜ」

「初期魔法だけ全属性使えるなんて、ある意味レア中のレアだぜ」


 なぜ自分が笑われているのかわからず、ユウは小首を傾げたまま。隣のマオはこうなることがある程度予測できたのか、ため息を一つ吐いた後、あまりにも下品に笑う男の一人を睨みつけ黙らせた。


「いくら六大属性の魔法が使えても、初期魔法しか使えないのでは――」

「駄目、なんですか」

「だ、駄目ではないですけど」


 属性魔法の入門、お試し属性魔法と呼ばれることもある属性魔法の基礎、初期魔法。当然、大した威力は出ないし、パっとしない。


(魔法には才能も大事だが魔法を操る器用さというのも同じくらい大切だからな。不器用なユウには初期魔法以上の魔法を使うのは無理だろう)


 人間が扱えるすべての属性魔法を使えるが、初期魔法しか使えないという、なんとも評価のしにくい、扱いに困る魔法使い。それが受付嬢の下したユウの魔法使いとしての評価だった。


「で、では次にマオさん、ですが……」


 ユウの時と違い、マオにされたのは簡単な質問一つだけだった。


「今までにどこかの道場で研鑽をしていたもしくは誰か名のある方に指南を受けた、またはどこかの大会で優秀な成績を修めたご経験はありますか」

「いえ、特にそう言った経験はないです。剣も我流ですし」

「そうですか。かしこまりました」

(俺の時はえらくあっさりだな)


 魔法使いというレアな役職と違い、戦士というありふれた役職には誰もそれほど興味がないのだ。


「お二人の実力はある程度わかりました」

「嘘つけ」


マオがユウに肘で小突かれている間に、受付嬢は慣れた動作でちゃっちゃっと二人の冒険者認定証書の発行手続きを終え、二人の前に差し出した。


「お二人には十分冒険者として、ギルドが紹介する依頼を受けるに足る実力があると判断します。こちらがお二人の冒険者認定書になります。どうぞお受け取り下さい」

「ありがとうございます」

「どうも」

「じゃあ、早速なにか依頼受けちゃおうか」


 晴れて冒険者として認定を受けたユウとマオは早速冒険者として依頼を受けるため、依頼の張り出されている掲示板に向かおうとした。


「君たち――」


 そんな二人をある男が呼び止めた。


「もし今から受ける依頼を探すつもりなら、この僕の護衛任務を引き受けないかい」


「「………………」」


 さらさらの長い金髪をなびかせながら二人に声を掛けたのは、自身の生まれの良さを誇示するかのような派手な服に身を包んだ、見るからにいけ好かない男だった。






2.全てが終わった後の世界での初依頼


 無事、冒険者として認められたユウとマオの二人は早速冒険者としての稼ぎを得るため、玉石混交で有名な(主に砂利)冒険者なら誰でも受けることのできる依頼書が乱雑に貼りだされたギルドの掲示板を見に行こうとした。


 その矢先、ザ・お坊ちゃま風の出で立ちをした若い男がユウに声を掛けてきた。


「僕たちこれからこの近くの森に魔獣狩りに行くんだけど、君――」


 一瞬、男の視線がユウの程よい大きさと形をした胸部に吸い寄せられていったのをマオは見逃さなかった。


「たちも僕らと一緒に森へ魔獣狩りに行かないかい。もちろん報酬は弾むよ」


 男とはこれが初対面で名前も何も知らないのだが、会ってわずか数秒でマオはこの男のことが嫌いになった。


 男は引き寄せられた視線をすぐに戻し、ごく自然な動作でユウの手を握ろうとした。


「どうして俺たちなんだ」


 今までずっとユウの背後、一歩後ろで執事のように自分の存在を消して控えていたマオだが、女たらし気取りの家柄以外何の取り柄もなさそうないけ好かない男の手がユウに向かって伸ばされた瞬間、一歩、ユウと男の間に体を滑り込ませるように前に出て、物理的に男の手を制した。


「俺たちなんかいなくてもそっちにはすでに強くて頼りになりそうな護衛がたくさんいるようだが」

「なんだい君は」


 突然、視界にすら入れていなかった男に目当ての女との話を邪魔され、男はあからさまに眉をしかめた。


「こいつの相棒(バディ)だ」

「バディ……」


 容赦なく投げつけられる男の敵意ある視線を全く相手にせず、マオは男の後方、男がやって来た方向へと視線をそっと動かした。


(できるな、あいつ)


 ギルドの入り口付近で固まっている男女が七人。昼間から酒を浴びるほど飲んでいる飲んだくれたちとは明らかに違う、質のいい装備に身を包む屈強な男たちが五人。


 その中にマオやユウが見ても中々の手練れと分かる男が一人。


 そして、明らかに戦闘向きではないヒラヒラの極薄衣装を身に着けた外見の良い女が二人。退屈そうに男の帰りを待っていた。


 男は再びマオを視界の外に追いやり、剥がれかけた化けの皮を貼り直してユウに笑いかけた。


「確かに腕っぷしだけなら申し分ないんだけど、残念なことに僕のパーティには魔法を使えるほど学のある奴が僕しかいなくてね。僕が大怪我した時、誰も僕を治せないんだよ」


 そう言って男は手に持った小物がじゃらじゃら付いた機能美皆無な錫杖を自慢げにユウに見せびらかした。


(逆にお前は怪我した誰かを治すつもりがあるのかよ)


「一応回復薬は近くの店であるだけ買ってはいるんですけど、どうも心許ない。」

(なるほど、それでか――)


 男の発言を聞いて、マオは目の前の状況に納得がいった。


 いくら全員フレキシブルタイム制を導入している冒険者であっても昼間から酒を飲んでいる輩が多すぎる。確かに人間と魔族の戦争が終わって以降、冒険者に出される依頼が激減した。


 とはいえ、騎士団のいる王国や自前の自警団がいる他より発展した街と違い、この街のようにろくに外敵と戦う手段を持たない街のギルドには毎日何かしらの依頼が持ち込まれているものだ。


 だが、誰もその依頼を受けようとしていない。全員、今日は夜まで飲み明かすつもりでいる。出される依頼が少なくなっているならなおのこと我先にと条件の良い依頼を受け、こなすはずなのに……


 それもそのはず、どこぞのバカが冒険に必須な回復薬を買い占めてしまったのである。みんな、飲まなきゃやってられないのである。


(恐らく、こいつは街の有力者の息子で、何されても文句一つ言えないんだろうな)


 視界の外から送られるマオの絶対零度より冷めた視線が男の胸に刺さることはない。男はユウだけを瞳のレンズに入れて、話を続けた。


「君は回復系の魔法も使えるんですよね」

「はい、一応」


 結論から言うと回復薬も魔法使いが使う回復系の魔法も効果は同じ、何も変わらない。外傷を受けた者の自然治癒能力を向上させ、傷を塞ぐ。違いがあるとすれば傷を癒すのに回復薬という目に見える物を使うか魔法使いの体内に宿す魔力という目に見えない力を使うか、それだけである。


「素晴らしい、是非うちのパーティに――」


 男は大仰に目を輝かせると、性懲りもなく再び、どさくさに紛れてユウの手を握ろうとした。


 それを再度マオが身を挺して、阻止した。


「俺たちは冒険者だ。受けてほしい依頼があるなら、俺たちじゃなくまずギルドを通せ。ギルドを通してないグレーな依頼を引き受けるつもりない」


 冒険者はギルドが斡旋した依頼以外の依頼を引き受けてはならないという規則や法律は存在しない。


 ギルドを通さない、いわゆる公的ではなく個人的に打診された依頼を受けることも長く冒険者をやっていれば珍しい話ではない。


 そのような依頼は、ギルドを通していない分、本来ギルドにピンハネされるはずだった仲介料などの諸経費が報酬に反映されるため成功報酬が通常よりも高く設定されている。そのため、冒険者の中には個人の依頼しか引き受けない者もいるが、ギルドが仲介する依頼と違いそれらは裏取りのされていないあくまで非公式な契約。そのため、トラブルも多い。


 故にギルドを通さない個人的な依頼については報酬や依頼内容以上に依頼者と引き受ける冒険者同士の信頼関係が重要となってくる。少なくとも会って間もない者同士が結ぶようなものではない。


 男の依頼を拒絶したマオの判断は一般的なリスクヘッジ能力を持った冒険者としては至極真っ当なものなのだが――


「君には聞いてないよ、腰巾着君」


 ここで男はようやく自らの意思でマオを自身の視界に入れた。マオを移す瞳の奥に隠す気のないあからさまな敵意を宿して……


「僕は魔法使いという選ばれし才能の持ち主である彼女に聞いているんだ」


 貼り付けていた笑みが男の顔から完全に消失した。


「魔法とはまさに奇跡の具現化、それを使う魔法使いは言うなれば奇跡の体現者だ。魔法使いとは奇跡そのものなんだよ。そこら辺の有象無象共とは違う。君みたいな奇跡のおこぼれを甘受するだけの金魚の糞君に誰も用はないんだよ」


 怒りというより狂気に近い感情を前面に押し出す男を見てマオは――


(ああ、こいつ、そういうタイプか)


 心底呆れていた。


 魔法使いは、と言ってはいるが、要するに男は自分が特別だということを言いたいのだ。


(いるんだよな、ちょっと魔法が使えるだけで自分を特別な何かだと思い込む奴。特に人間に多いタイプだな)

「ユウさん、こんなあなたの真の価値も分からない輩と一緒にいてもあなたが不幸になるだけです。価値ある人間が不当な評価を受け、分不相応な扱いを受けるなんて僕には耐えられない。僕ならあなたの価値を正当に、真っ当に評価してあげられる」

(なんでお前に評価してもらわなくちゃいけないんだよ)


 外面こそ慈愛に満ち溢れた好青年風を装ってはいるが、男の内面、自分こそが絶対でそれ以外の価値観、考えを一切認めないという自身の根幹にある独善的な思考がマオには透けて見えていた。


「僕と一緒に来ませんか、それがあなたのためです」


 いや、そもそも男に自分の本性を隠すつもりはさらさらなかった。隠す必要がないのだ。なぜなら自分のその身勝手極まりない考えが、この世の不変の真理で絶対に正しい事だと男は心の底から信じて、疑っていないからだ。


 互いの存在を知ったのは一昔前と言っていいほど古くから互いの存在を認知していたユウとマオの二人。だが、深く交流するようになったのはここ数年のこと。


 それでもマオはユウがこの後どう答えるのか、手に取るようにわかっていた。


「ごめんなさい」


 ユウはこの特権階級意識の塊のようなマオから見ても中々のクズに対しても、礼儀正しく頭を下げ、男の誘いを断った。


(だろうな)

「な、どうして」


 信じられないという表情をする男とは対照的にマオの表情は少しも変化しなかった。


 マオは知っていたからだ。それこそがユウという人間であることを。


「私の事をその、良く、想ってくれるのはありがたいんですけど、これからの残りの人生私はこの人と一緒に世界を見て回るって決めたので。それに――」


 ユウは自身を護るように立つマオの前に出ると、申し訳なさそうに、だが、確固たる意志を持って言った。


「私の信頼する人を悪く言う人と私は一緒に行けません」


 ユウの目は真剣だった。真剣にマオを信頼できる人だと、そう信じてやまない真っすぐな眼差しだった。


「後悔しますよ」


 ユウの意志は固い。これ以上言葉を尽くしても時間の無駄になるだけと察した男は、一言嫌味を吐いて、ユウたちの前から去って行った。


「じゃあ、行こっか」

「……そうだな」


 男が去った後、二人は冒険者として初めての依頼を二人だけで受けるため、依頼の貼りだされているギルドの掲示板へと向かった。


「信頼する人、ね、この俺が」


 二人の受ける初めての依頼をどれにするか、ギルドの掲示板に乱雑に貼りだされた依頼書を、目を輝かせながら吟味するユウに、マオの無意識に零れた呟きが届くことはなかった……


「これ、これにしよう、私たちの初依頼」


 二人はユウが吟味に吟味を重ねて選んだ依頼を引き受けることにした。



★★★



 冒険者として初めて依頼を引き受けたユウとマオの二人は早速、依頼達成のため始まりの街近くにある森の中へと足を踏み入れていった。


 特に当てもなく、なんとなく森の奥を目指して歩くこと数十分。二人は腹をすかせた魔獣の群れに襲撃を受けることになった。


「ユウ、今だ」

「オッケー」


 自慢の鋭い牙を獲物の喉元に食い込ませようと涎を撒き散らせながら飛びかかって来る四足歩行の中型魔獣――ハイエナオオカミ。マオは襲い掛かって来るハイエナオオカミたちを鞘に入れたままの剣で殴り飛ばし、後ろに庇うユウにハイエナオオカミたちを近づかせないよう立ち回った。マオがハイエナオオカミたちの猛攻を捌いている間にユウは炎属性の初期魔法、フレイをハイエナオオカミたちの頭目掛けて放ち、着実に一体ずつハイエナオオカミたちを屠っていった。


 魔獣たちの襲撃を受けて三十分――


「ふう、なんとか全部やっつけたね」

「そうだな。思ったよりだいぶ苦戦したけどな」


 二人はハイエナオオカミたちの群れを無事、無傷で退けた。


「久しぶりなんだから仕方ないよ。これだけ動ければ、まあ上出来でしょ」


 二人にとって不幸だったのは森に入ってしばらくして周囲を取り囲むように魔獣の群れが現れ、突如戦闘が始まってしまったこと。


 もし、二人が本当にただの成り立て新米冒険者だったなら突然の魔獣たちの襲撃に平静を保てずパニックに陥り、最悪魔獣たちの腹の中に肉塊となって納まっていただろう。


 しかし、ユウもマオもこのような不測の事態に遭う事は慣れていた。


 あっという間に状況を把握し、深追いはせず遠距離からの攻撃で敵戦力、魔獣たちの数を減らすことが最善の選択と判断。二人は特段打ち合わせもすることなく、ユウは魔法攻撃に専念し、マオは魔法に専念するユウの護衛に尽力した。


 結果、時間こそかかったが、二人は全くと言っていいほど危なげなく魔獣たちの奇襲を退けてみせた。


「それより数はちゃんと足りてる」

「ああ、ちょうど十体。依頼達成だ」

「よしっ」


 二人にとって幸運だったのは襲撃を仕掛けてきたのがハイエナオオカミの群れだったこと。なぜなら、ギルドの掲示板に貼りだされていた数多くの依頼書(大半は薬草採取や荷物運びといった小間使い依頼)の中からユウが選び取ったのは始まりの街近くの森にいるハイエナオオカミ十体の討伐依頼。


 最近ハイエナオオカミに飼っている家畜魔獣が襲われる事件が発生、二度と同じことが起こらないよう家畜を襲われた街の人がハイエナオオカミ十体の討伐依頼を出したのだ。


「でも、どうして討伐だけじゃなくて、ハイエナオオカミ一体の毛皮も必要なの」


 ユウたちが受けた依頼はハイエナオオカミ十体の討伐、だけでなくハイエナオオカミ一体の毛皮の納品も含まれた討伐と採取のハイブリッド依頼だった。


「こいつらは魔獣の中でもかなり知能が高い部類の魔獣なんだ。仲間の毛皮を木なんかに括りつけておけば、勝手にこの辺りには自分たちの天敵がいるって誤解して、周辺に寄り付かなくなるんだよ」

「へえぇ、あったまいい。さすがマオ」


 魔獣に関しての知識は人並み以上にあるマオ。それゆえに今の目の前の状況に少し違和感を覚えた。


(ハイエナオオカミは普通天敵の少ない、森の奥深くを狩り場にしている魔獣のはず。天敵の一つである人間が大勢いる人里に近づくなんてめったにないことなんだが……)


 ユウとマオがハイエナオオカミの群れに襲われたのは森に入って数十分後、始まりの街に近いわけではないが、それほど街から離れているわけでもない。


 いわゆる、中途半端な場所ということだ。


(まるで森の奥深くにいる何かと街の人間の板挟みにあって致し方なくここをねぐらにしてるみたいな印象だな)


「毛皮はとれた」

「あ、ああ」


 依頼達成のためマオは考え事をしながらも手をスムーズに迷いなくそそくさと動かし、比較的損傷の少ないハイエナオオカミの死骸から本職も驚くほどキレイに皮を剥ぎ取ってみせた。


「じゃあこれで私たちの初依頼達成だね、早く戻ってお祝いのご飯にしよう」

「……そうだな」


 自身の良く知るハイエナオオカミの生態と若干異なる現状に少し違和感を覚えたマオだが、相手は魔獣、生き物だ。必ずしも合理的な行動、決まった行動をするわけではない。


 ユウの言う通り、このままギルドに戻り依頼達成の報告をしてさっさっと体を休めようとマオが街の方へ足先を向けた瞬間――二人目掛けて巨大な何かが空中をものすごい勢いで飛来してきた。


「「っ――」」


 咄嗟に跳躍して、謎の飛来物を躱した二人。


 謎の飛来物はついさっきまで二人が立っていた場所に勢いよく着弾、赤い飛沫を撒き散らせながら全身をぐちゃぐちゃに歪ませた。


「こいつは」

「さっきあの男の人と一緒にいた……」


 地面に激突した勢いで腕や足がありえない方向に曲がっていたが、かろうじて顔だけは判別できるほどには無事だった。


 あのお坊ちゃまのパーティにいた、金で雇われたのだろう護衛の一人。ユウとマオが唯一、そこそこできると評した男が二人の目の前で全身の骨を折られながら、顔を恐怖に歪ませ物言わぬ肉の塊となって転がっていた。


「――避けろっ」


 目の前に転がる肉塊に意識を奪われていたユウと違い、周囲に気を張り警戒していたマオは続けて二つの肉の塊が飛来していることにいち早く気づいた。


 マオの言葉にユウは半ば無意識に反応。ギリギリ飛来する肉の塊を躱すことに成功した。


 最初に飛んできた男の近くに勢いよく落下した二つの肉の塊。またしてもその肉の塊の顔に二人は見覚えがあった。


「こいつらは」

「ひどい」


 あのお坊ちゃまと一緒にいた、薄着の若い女二人。恐らくあの男の愛人であろう二人、先の男と違いどこからどう見ても冒険者でもなければそもそも戦う術すら一つも持っていないだろう二人が先の男と同じくユウたちの前で物言わぬ肉塊となって転がっていた。


「…………行くよ」


 しばらく目の前で無造作に転がる、少し前まで人間だったモノを静かに見つめ、ユウは、一歩踏み出した。肉塊が飛来して来た森の奥深くに向かって……


「わかった」


 一拍遅れてマオもまたユウの後に続く形で森の奥深くへと足を踏み出した。


 正直、さっき会った男がどうなろうが、男の護衛たちがどうなろうが、もっと言えば始まりの街にいる住人たちが森の奥深くに潜む何かに襲われ、最悪街全部が壊滅してしまおうがマオにとってはどうでもいいことだった。


 今のマオのとって一番大切なことは、この世界を愛し、この世界のために身命を賭した心優しき彼女の、想いを守ること。それ以外はマオにとってすべて――


(どうでもいい)


二人は鬱蒼とした森の奥深くへと進んでいった。



★★★



「うわああああああああああああああああああ」


 誰もいない森の奥深くで一人の男の悲鳴が何度も木霊していた


「誰か、誰か、助けてくれぇえええええええええええええ」


「ギャ、ギャァ、ギャアアス、ギャアアアアアアアアアス」


 つい数十分前、冒険者ギルドでユウを自身のパーティに勧誘していた、見るからにいけ好かないお坊ちゃま風の男は現在、木々が生い茂る森の奥深くで自身より五回り以上も体格のでかい怪物から尻尾を巻いて泣きべそをかきながら逃げ回っていた。


 全身を黒い体毛で覆われた、頭から悪魔のような捻じれた角を生やした怪物はハイエナオオカミの何倍も大きく太い牙をわなわな震わせながら、辺りに生える太い大木たちをいとも容易くなぎ倒しながら、一目散に逃げ惑う男を執拗に追いかけ回していた。


(どうして、どうしてこの僕がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ)


 護衛として大枚はたいて雇った冒険者たちは怪物にいとも容易く殴り飛ばされ全員絶命した。今、男はたった一人、男を護る者は誰もいない。


(もう、駄目だ)


 ここまで何とか追ってくる怪物の魔の手から寸でのところで逃げきっていた男だが、すでに体力は限界を迎えていた。ついに怪物の丸太と見間違うほど太い腕が男を捕えた、瞬間――


「フレイ」


 怪物の頭近くに突然小さい火の玉が飛んできて、そして爆ぜた。


「ギャァァァァス」


 不意に顔面を襲った爆発の衝撃と炎の高熱に、怪物は無意識の内に男へ伸ばした手を引っ込めていた。


「大丈夫」

「き、君は」


 道なき獣道を突っ切り、男の前にユウが颯爽と現れた。数秒遅れて、マオも男と怪物の間に飛び出てきた。


「ギャアス、ギャアス」


 ユウとマオ、突然現れた二人の乱入者に怪物は興奮した様子で腕を辺り一帯に勢いよくブンブン振り回した。


 まるで、お前たちには関係ない。早くここから失せろと言っているかの様に……


「バオバブ―ン、か」


 敵意と歯をむき出しにしながら怒り狂う怪物を前にマオは冷静に状況を分析した。


「ギャス、ギャァアス、ギャアアアアアアアアアアアス」


 マオにバオバブ―ンと呼ばれた怪物は何かを強く訴えるかのように地面になども腕を振り下ろし、叩いた。


「た、助けてくれ、森を歩いていたら急にあいつに襲われて。俺以外みんなあいつにやられちまった」


 マオはユウに縋り付く男を尻目に一歩、バオバブ―ンの前に出て、言った。


「ギャオ」

「ま、マオ」


 相棒の奇行に目を丸くするユウ。


 そんな相棒を余所目に、なおもマオは続けた。


「ギャギャギャ、ギャスギャス」


 マオはバオバブ―ンの口調をまねて、バオバブ―ンに語り掛けた。


「君はこの緊急事態に一体何をしているんだ」


 目の前で繰り広げられる異質な光景に、男は先ほどまで全身を支配していたはずの死の恐怖も忘れて呆気にとられていた。


 マオとバオバブ―ンの意味不明な語らいにわずかの間だが男の中から恐怖が消え去った。だがすぐに困惑する男を、マオが再び地獄の底へ叩き落した。


「……なるほど、そういうことか」

「何かわかったの」

「ああ」


 この中で唯一、マオのみが知っていた。


 バオバブ―ンは住処とする森の中で一番大きい木を中心に、その一帯を縄張りとして群れで生活する生き物である。


 今、マオとユウがいる場所は確かに森の奥側ではあるが、周りにこれといって森一番と言えるほど大きな大木は生えていない。


 それ以前に、バオバブ―ンは確かに力こそ魔界でも一二を争うほど強い種族だが、それと同時に森の奥で静かに暮らす温厚な生物である。めったに他種族を襲うような好戦的な生物ではない。


 マオが知る限り、怒ったバオバブ―ンがトロールの村一つを壊滅させたという事例が過去に一件だけあった。原因はその村の飢えたトロールがバオバブ―ンの子供を……


「お前、あいつの子供を殺したな」

「えっ――」


 二人の視線が一斉に男の元へと集まった。


「な、何を」


 狼狽する男にマオはバオバブ―ンから聞いた、ありのままの事実を告げた。


「お前が遊びのつもりで殺したのはあいつの子供だ」

「なっ――」


 男の顔が、すべてを語っていた。


「そんな、ひどい」


 子供を殺されたバオバブ―ンを想うユウの純粋な優しさも、男にとっては自分を非難する言葉の刃でしかなかった。


「ま、魔獣の子供を殺したからって何だって言うんだ。僕は何も悪くない。早く僕を助けろ

。僕はこの街の領主の子供だぞ」


 男はいともあっさりと自身の罪を自白した。


 それもそのはず、人間と魔族の間で和平協定が結ばれ、対等な関係となった両者だがそれはあくまでそれは人間と魔人間の話。魔獣を殺したところで、何かの罪に問われることはない。


 故に、男の行動がどんなに非人道的で悪逆非道なものであっても男が罪に問われることはない……男の言う通りバオバブ―ンが本当に魔獣に分類される魔族ならの話だが――


「何を勘違いしているのか知らないが、バオバブ―ンは魔獣じゃなくて魔人に分類される魔族だぞ」

「は――」


 マオの告げた真実に男の顔からは血の気がさっと引いた。


「魔人、てことは」


 人間と魔族間で結ばれた和平協定により、魔人と人間の扱いは同じ。互いに同等で種族間での優劣は存在しない。


 つまり、男のした行動は人間の子供を遊びで殺したことと同じ――


「お前はやったことはれっきとした殺人だ」


「な……」


 人を殺せば当然、厳罰。それは一街の領主であっても変わりない。まして相手が未来ある幼い子供、しかも殺した動機が狩猟(ハント)を愉しむためという猟奇的理由なら死刑になったとしてもおかしいことではない。


 男はバオバブ―ンに追いかけ回されていた時よりもさらに深い絶望の淵に叩き落されることになった……


 男は魔獣狩りの途中、たまたまはぐれたバオバブ―ンの子供に出会い、遊び半分でバオバブ―ンの子供を死なない程度に痛めつけ、わざと逃がした。逃げる子供を男は心底楽しそうに、嗜虐の笑みで追いかけ回し、徐々に痛めつけ、最後に殺した。


 ボロボロになった我が子の心臓目掛けて、剣を突き立てる男の姿を見たバオバブ―ンの母親は激高、子供を失った悲しみと我が子を殺された怒りに任せ、暴れまわっていたのだ。


「な――」


 男は必死に、もう変わらない運命に抗うように叫んだ。


「何を言ってるんだ。あいつのどこをどう見ても魔獣だろ」


 往生際悪く自身の正当性を主張する男の言葉をマオはあっさり切り捨てた。


「お前みたいに勘違いしてる輩がよく人間にいるが、魔人の定義は言語による意思疎通ができるかどうかじゃない。種独自の言語体系を持っているかどうか、それが正真正銘、本当に正式な魔人の定義だ」


 人間の国と違い、多種多様な種族が入り乱れる魔界では魔人と魔獣を明確に区別している。独自の文化と生態、種族特有の価値観を持つ魔族たちをまとめあげるにはまとめられる側にも一定以上の知能を有している必要があると考えた魔王が定めた、魔人の定義。


 魔王はこの魔人という存在がどういうものであるか定義づけする際、少しでも多くの魔族が魔人に分類されるよう何日も悩み、考え抜いた……


「人間や他の魔族と意思疎通ができるかどうかは魔人の定義とはされていない」

「んだよそれ、そんなの知らねえよ」


 魔界に住む者たちにとっては常識。だが、魔獣と魔人をほぼ同一視していた人間たちにとっては全く馴染みのない不可解な魔族の良識。


「意思疎通ができないのなら魔獣と何も変わらねえじゃねか」


 ついに男の化けの皮が完全に剥がれ、男の醜い独善的な本性が露になった。


「お前は、自分以外すべて獣だと。その種が今まで育んできた文化、文明を全て否定するのか」

「うるせぇ、んなの俺の知ったこっちゃねえよ」


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアス」

「ひっ――」


 今まで黙って、状況を見守っていたバオバブ―ンだが、ここでついに我慢の限界を迎えた。


「うわあああああああああああああああ僕は何も悪くなああああああああああああああああい」


 バオバブ―ンの、我が子を殺された親の果てしない怒りと憎しみを受け、男はなりふり構わずその場から逃げ出した。


「カース・ペイン」


 マオは逃げる男の背中に向かって、ゆっくり腕を伸ばした。すると、マオの手の平から赤黒い茨が男に向かって伸び、やがて男の胸を貫いた。


 男は自身の胸を茨に貫かれているにも関わらず、一度もマオたちの方を振り返ることなくそのまま一目散に走っていった。男の胸を貫いた茨はやがて、男の胸の中、男の心の臓を貫くとやがて根を張り、茨は男の心臓と完全に同化した。


「彼に何したの」

「別に」

「……」


 ジトォと疑いの目で見てくるユウの視線からマオはさっと視線を逸らした。


 カース・ペイン――魔力で生み出した呪いの茨は相手の体内に侵入するとそのまま体の奥深くに寄生、自身の蔦に受け付けられた呪いを全身に刻みつける。闇属性の魔法。


 マオが男に植え付けた呪いは、文字通り、痛みの共有。視界に移った他者の痛みを自身も間接的に受ける呪いなのだが、これは生きた人間や魔族だけなく死肉相手にも発動する。つまり――


「ただ一生、あいつを肉や魚を食えないベジタリアンの体にしてやっただけさ」


 男は、自分はもちろん、見ず知らずの誰かが肉や魚を食べている食事風景を見ただけで全身に獰猛な牙を突き立てられたような激痛に襲われる体に変えられたのだ。


 マオは男への相当の報いを済ませ、子を失った哀しき母親バオバブ―ンへと向き直った。


「ギャギャギャ、ギャアス、ギャアス」

(あの男には俺が神に代わり罰を与えた。今後、まともな人らしい生は送れないだろう。これで何とか矛を納めてはくれないか)


 マオは無駄とわかっていても、バオバブ―ンにこのままおとなしく住処である森の奥深くに引き返してくれないか交渉を始めた。


「ギャギャギャ、ギャオス」

(愛する我が子を殺され、はいそうですかと引き下がれるとお思いですか。たとえこの後にこの身が業火で焼かれることになったとしても、あの男をこの手で引き裂かさなければ私の気持ちが治まることはありません)


 案の定、交渉は決裂。マオの提案をバオバブ―ンは拒否した。


「ギャギャ」

(そうか)


 わかってはいたが、予想していた通りの回答を聞き、マオは心の底から肩を落とした。そして、マオは力なく腕を頭上に掲げた。


「ブラックカーテン」


 マオは自身を中心に半径十メートルほどの黒い魔力ドームを形成した。このドームはマオが死ぬか発動をキャンセルしない限り、誰もドームの外に出られず、誰もドームの中へ入って来ることもできない。ドームの外から中の様子を視認することもできず、このドームの中に閉じ込められた者は外界から完全に隔離された状態となる。


「ユウ……頼む」


 完全に世界から孤立した空間でマオはユウにあることを依頼した。


「いいの」

「ああ」


 ユウはそれを了承した。


 実際それはマオ自身の手でも容易に実現可能であり、本来マオがしなければならないことなのかもしれなかった。それでもマオはユウにそれをお願いした。


 それがバオバブ―ンへのせめてもの、手向けであると考えたからだ。


「これは俺の罪だ」


 マオの言葉にユウは静かに首を横に振った。


「ううん、違うよ、これは――私たちの罪だよ」


 そう言うと、ユウは手のひらに浮かび上がった紋様から一振りの剣を取り出し、バオバブ―ンに向かって構えた。


 この時、バオバブ―ンは自身の運命、そのすべてを察した。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 すべてを察してなお、バオバブ―ンがユウ目掛けて拳を振り上げた…………決着は一振りの内に決まった。



★★★



「ハイエナオオカミ十体の討伐、プラス、ハイエナオオカミ一体の毛皮の納品、確かに確認いたしました。こちらが依頼の成功報酬になります。どうぞお納めください」

「おお」


 ギルドに戻った二人は、早速依頼にあったハイエナオオカミ一体の毛皮の納品とハイエナオオカミ十体の討伐――討伐したハイエナオオカミの右側の犬歯十本を見せることで依頼達成の報告をした。


「結構な金になったな」


 ハイエナオオカミは魔獣の中でも知能が高く、群れでの集団戦法に長けた魔獣であることからギルドでも討伐難易度が高めの魔獣に設定されている。


 それに加え、討伐をした証拠として提出したハイエナオオカミの犬歯は魔除けのアクセサリーとしての需要があり、それなりの価格で取引されている。今回ユウたちが提出したハイエナオオカミたちの犬歯はギルドがそこそこの値段で買い取ってくれた。


 結果、ユウとマオは今日が冒険者としての初仕事とは思えないほどかなりの額を今回の依頼だけで稼ぐことに成功した。


「これでしばらくはまた遊んで暮らせるね」


 笑顔でとんでもないことを言う相棒に、マオは少しだけ頬を引きつらせると、ポンッとユウの頭の上に手を置いた。


「誰のせいで金欠になったと思ってるんだ」

(あれだけの大金、たった三年で使い切れないぞ、普通)


 ユウとのこれまでの旅を思い出し、ほんの少しだけマオは頬を緩めた。


「宵越しのお金も手に入ったことだし、宿に戻っておいしいものを食べに行こうか」

「……そうだな」


 何年前の人間だよ、というツッコミは心の奥に留めて置いて、マオとユウは宿泊している宿屋を目指し、ギルドを後にした。


 冒険者という職業を生業としている以上、いつ命を落としてもおかしくはないし、ついさっきまで一緒に酒飲んでいた友人が数時間後物言わぬ亡骸になっていても誰もさして驚きはしない。それが冒険者という職業である。


 それでもユウは、今回の事件で命を散らせていった者たちの墓を簡素だが作り、魔獣たちに喰われないよう近くの土にその亡骸を埋めた。


 マオもユウを手伝った。たとえそれが自己満足でしかない行動であったとしても、心優しい彼女の気持ちを大切にしたかった……


 ユウが作った今回の事件の犠牲者たちの墓の中には大小二つの石が並んで植物の蔦で結ばれた二つで一つの墓もあった。その二人一組の墓は今、森の奥深くにあるこの森で一番大きい大木の根の近くに、誰の目にも触れないようにひっそりと置かれていた。






3.海の見える街――チュランコ


 始まりの街を拠点に冒険者として数々の依頼をこなしながらも街の名物や名所をばっちり堪能しまくっていたユウとマオの二人。


「山飽きた、海行きたい」

「…………そうか」


突然の、しかしいつものユウの突飛な発言により、二人はその日始まりの街を後にした。



★★★



「うわぁあああああああああ」


 目の前の光景にユウは感嘆の声を上げながら、瞳をキラキラ輝かせた。


「おお、海が青い」


 マオもまた眼前に広がる大海原に少しだけ心を震わせた。


 二人が来たのは海の見える街、チュランコ。


 人間界で最も美しい街と称されるこの街は、海に接する山の斜面に造られたという立地上街のどこからでも美しい澄んだ海を一望できるほか、街並みはレンガ調の建物でモダン的に美しく彩られ、この街の名物である新鮮な海鮮魔獣を使った海鮮料理は味もさることながら見た目の美しさから世界三大美食の一つに数えられるほどである。


 まさに世界一美しい人間の街である。


「で、どこに行くんだ」


 表情こそいつも通りを装っているマオだが、初めて直でみるチュランコの美しい街並みと景色に内心、心躍らせていた。


「んーとね、まずはやっぱり――」


 二人がチュランコの街へ到着してまだ数分も経っていないのだが、二人は早速事件に巻き込まれてしまうことになってしまった。


「きゃああああああああああああああああああ」


 静かなチュランコの街に響き渡る一人の女の悲鳴。


「「っ――」」


 二人はすぐに悲鳴のした方へと走っていった。


「魔人はとっととこの街から出ていけ。二度と来るな」


 悲鳴の発生源へ駆けつけると、そこでは――


 魔人の女が一人の人間の少年に小石を投げつけられ、何も抵抗せずその場でうずくまっていた。


「こらこら、やめなさぁい」


 ユウはすぐさま魔人の女と人間の少年の間に割って入り、身を挺して少年の行為を止めに入った。


 ユウが止めに入るまでの間、周りには大勢の人間の大人がいたのだが、誰も少年の行為を止めようとはしなかった。


「な、何だよ、お前」


 少年の問いにユウは答えようとはせず、無言で少年の元へ近づいていくと開いた右手をそっと持ち上げ――


 パチンッ


 少年の顔を思いっきり平手打ちした。


「いってえな、何すんだよっ」

「人に向かって石を投げたんだから、これくらい当然です」


 自分を睨みつけてくる少年に対してユウは真正面から毅然とした態度で立ちふさがった。


「人……」


 得も言えぬ迫力を目の前に立つユウから感じとった少年だが、ユウの言い分を「はいそうですか」と素直に受け入れることはできなかった。


「そいつは人じゃねえ、魔族だ」


 少年に石を一方的に投げられていた魔人の女――姿形は人間の女に似ていないこともないが頭からは捻じれた角、背中から生えた人間が雨の日に差す傘と呼ばれる道具を開いたときのシルエットに似たギザギザ状の翼が女を、魔人であることを証明している。


 魔人、魔族と言われる種族の中で最もオーソドックス、かつ最も数が多く人間が最も想像する魔族、女は悪魔と呼ばれる魔人の種族だった。


「人と魔人に明確な区別はない、共に同じ者として扱う。人間と魔族の間で結ばれた和平協定でそう決まったはずだよ」


 ユウの言う通り、三年前の戦争が終結した際に結ばれた盟約により、人間と魔族間にあった種族間の壁はとっぱらわれた。


 だがそれは人と魔族の間に遭った深い溝が完全に埋まったというわけではない……


「知らねえよ、そんな協定。魔族は敵だ。人間皆の……」


 人間と魔族の戦争が終結して、すでに三年。


 未だに魔族に対する人間の悪感情は根強く残っている。もちろんそれは人間に限った話ではないが……


「君は昔魔族に何かされたことがあるの。親や友人を殺されたとか。チュランコの街は魔族との戦争の被害をあんまり受けなかった街のはずだけど」


「それは……ねえ、けど」


 長く続いた人間と魔族の戦争だが、当然この世界の全ての土地を戦場の舞台としたわけではない。ついこの間まで二人がいた始まりの街やこのチュランコの街はほとんどと言っていいほど戦争の直接的な被害は受けなかった。故にこの街は魔王も破壊することを躊躇ったほどに美しい街というのをキャッチコピーにしている。


 もちろん魔王にそのような意図は毛ほどもなく、実際は――


(確かに景色こそ絶景だが、政治的にも軍事的にもそれほど重要な拠点じゃなかったからな)


 資源も海産物以外乏しいこの街は魔族側からすればそこまで狙う必要のない、攻める優先順位の低い街だったのである。


「でもそいつらのせいでいっぱいの人間が死んだ」


「それはお互い様でしょ。戦争なんだから仕方ないよ」


 ぐうの音も出ない正論に少年は、一瞬口をつぐんだ。


「何だよお前、なんで人間のくせに魔族の肩なんて持つんだよ」


 ユウは一度だけ聖母のように微笑むとすぐに顔を凛と正して、言った。


「君がもし、魔族に家族や大切な友人を殺されたことがあるなら君の憎しみ、怒りは否定しない。でもそうじゃないなら、君が勝手にその人たちの想いを引き継いで語ることはこの私が絶対に許さない」

「な、なんで」

「それは、本当に戦場で生きた人たちだけが持つことを許されたどうしようもなく濁った感情だから」


 この場にきっと戦場という言葉の本当の意味を知っている者は一人もいないだろう。それでもユウの悲しげな表情から皆、これ以上は自分たちが軽々しく踏み込んでいい場所ではないと察した。


 少年はその場から、逃げるように駆けだした。


「うっせえ、ブス」


 最後に一言、置き土産を残して。


「なっ」

(あのガキ、後で殺そう)

「誰がブスだっ」


 その後、少年は振り返ることなく去って行った。


「あ、あの」


 少年が去った後、魔人の女はユウに向かって頭を下げた。


「助けていただき、ありがとうございました」

「いえいえ、全然」


 笑って、返すユウに代わり、マオは気になっていたあることを魔人の女に聞いた。


「どうして反撃しなかったんだ」


 相手はただの人間の子供。見た目からして生後五、六年。それに対して魔人の女はこの世に生まれ落ちてからすでに少年の三倍以上の歳月は経過していることが見て取れる。


 女といえど、所詮は大人と子供。まともにやり合えば、逆立ちしたって魔人の女が人間の子供にやられることなどない。


 だが、実際は違った。


 魔人の女が一切、自分に石を投げてくる少年に反撃しなかったからだ。


 マオは気になった。どうして不条理な暴力を我が物顔で振るう少年に反撃しなかったのかと。自分よりも弱い相手にどうして一方的にやられていたのかと。


「まだ子供ですから」


 魔人の女の言葉に、マオは、ほんの一瞬だけ笑った。


「甘いな」


(多少痛い目に遭わせても、それほどの罪にはならなかったろうに)


「私、子供が好きなので」


 かつてこの世に存在していた人類最高戦力(ゆうしゃ)と魔界最強魔族(まおう)。彼らがどれほど他を圧倒するほどの力を持っていたとしても、今目の前にあるこの平和を成立させることはできなかっただろう。


 今この戦争のない平和を成立させているのは、人類最高戦力(ゆうしゃ)でも魔界最強魔族(まおう)でもなく、今マオたちの目の前にいる魔人の女のような名もなき者たちの人知れぬ努力と歩み寄りの結晶であること忘れてはならない。


 マオは心からそう思った。そして、きっと相棒(ユウ)もまた自分と同じように考えているだろうとマオは確信していた……



★★★



「うっまぁあああああああああああ」


 ユウの元気一杯の声が店中に響き渡り、他の客たちの視線がユウとその向かいに座るマオたちに集まる。


「確かに、うまいな。絶品だ」


 それらを一切無視して、マオもユウと同じようにチュランコ名物、海の幸をふんだんに使用した海鮮料理に舌鼓を打った。


「そりゃそうさ、なんたってここらへんじゃ獲れたて新鮮な海産物が使い放題だからな。ほれ、これうちからのサービスだ。遠慮せず食ってくれ」


 店の奥から立派な白ひげをたくわえた店主が、ユウとマオの若い新婚二人にと追加でサービスの料理を持ってきてくれた。


「わあ、ありがとう」

「ありがたく、いただきます」


 街でのいざこざを終え、ユウとマオの二人は魔人の女から聞いたうまい海鮮料理を出す、海が一望できる店――後半部分はユウが勝手に付け足した、チュランコの街から少し離れた丘の上にポツンとある隠れ家的な海鮮料理店へとやってきていた。


 魔人の女が教えてくれた店はバルコニーからチュランコの美しい海とチュランコのキレイな街並みを見ながら店の絶品海鮮料理を味わうことが出来る、ユウの要望にばっちりマッチした料理店だった。


 しばらく目の前に広がる海景色とうまい海鮮料理を堪能していた二人だが、ふとマオがこの辺りに昔からいるある水生魔族のことを思い出した。


「海といえば、確かこの辺りにシーマンが暮らす村が海の底にあるはずだな」

「あ、ああ、そう、だよ。よく知ってるな、あんちゃん」

 

 マオが口にしたのは、昔、何年も前からこの辺り一帯の海を根城にしている魔人の種族名だった。その魔族の名前を聞き、店の店主の顔が一瞬、引き攣った。


「シーマン……」


 それに対し、ユウは首を傾げた。


 この世には非公式だが、人と魔人以外に第三の人類と呼ばれる者たち――亜人が存在する。


「半魚人(シーマン)は人魚(マーメイド)と同じ、人間と水生魔獣の血がちょうど半分ずつ混ざった半分人間、半分魔族のいわゆる亜人と呼ばれる種族だ」

「へえ、会ったことないな」


 純然な人間や魔人と比べ、亜人の数は圧倒的にその数が少ない。村一つにも満たないほどの規模の集落に一つの亜人種全員が身を寄せ合って生きていることも珍しくはなく、シーマンもそんな亜人の一つである。


「人魚(マーメイド)の国にだったら行ったことがあるんだけどね」

「人魚(マーメイド)は人間と同じ扱いだったからな」


 人間とも魔人とも捉えられる亜人という存在は昔から人間サイドも魔族サイドもどのように扱えばいいのか皆、判断に苦慮していた。魔人と人間の種の隔たりが形だけどいえと無くなった現代ではそう大した問題ではないのだが、昔は人間にとって魔人は敵、魔人にとって人間は敵。その亜人を人間と認めるということはその亜人種たちを自分たちの味方もしくは自分たちの敵とみなすということと同義。


 敵を増やすことはもちろん、味方を増やすことにも相応のリスクが存在する。


 民たちの理解の得やすさから、大抵はその見た目から同じ亜人でも人間に近い容姿をしている人魚(マーメイド)は人間、人間とは程遠い容姿をしている半魚人(シーマン)は魔人にそれぞれ分類するということであらかじめ取り決めていたわけではないが、亜人はそうやって区分することが互いに暗黙の了解となっていた。


「お、おれもシーマンっていう魔族がこの辺りを根城にしてるってのは聞いたことがあるけど、実際にモノホンを見たことはないな」

「そうか」


 半魚人(シーマン)も人魚(マーメイド)たちと同じ基本は海で寝食をする魔人であるが、人魚たちと違い、全く陸に上がれないというわけではない。


 陸に上がれば皮膚表面を覆う水の膜が徐々に乾いていき、完全に乾いてしまうと動けなくなってしまうという特徴、というか明確な弱点がある種族だが、それさえ気を付けていれば少しの間だけなら陸を普通の人間のように歩き回ることが出来る。


「まあ、あいつらは自分たちの暮らす海をこよなく愛する種族だからな。あんまり自分たちの住処から離れたくないんだろ」


 マオも半魚人(シーマン)たちとそれほど交流があったわけではないが、彼らの自身の暮らす海への並々ならぬ愛は一度会っただけで身に染みて分かるほど深く濃厚なものだった。


(奴らの村で食った水生魔獣の骨を海にポイ捨てしただけでこの俺に対し目くじらを立て意見するほどだからな、あいつらが自分の愛する海を離れてわざわざ陸に上がるなんてよっぽどのことがない限り、あり得ない話か)


 気づくと美しかったチュランコの街並みにいつの間にかどよんとした影が落ちていた。


「雨か」

「さっきまで雲一つなかったのにね」


 二人が視線を上げると、空が一面黒い雨雲で埋め尽くされてしまっていた。


「嵐になりそうだな」


 マオの言葉通り、この後すぐに大粒の雨がチュランコの街に降り注いだ。


 そして突然、いくつものチュランコの街の建物が音を立て、崩壊を始めたのだった。






4.半魚人(シーマン)


「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああ」

「だ、誰かっ、助けて――ぐあっ」


 街に木霊する人々の悲痛な叫びは降り注ぐどしゃぶりの雨にかき消されていく。


 雨は、倒れる人々の血を洗い流しながら同時にチュランコの街を恐怖のどん底に叩き落した襲撃者たちの硬い鱗に覆われた皮膚を潤していった。


「ぎゃはははは、逃げろ逃げろ人間ども」

「我らの怒り、恐怖と共にその身に刻むがいい」


 突如海の中から現れ、チュランコの街を我が物顔で蹂躙する襲撃者たち。


 ぱっと見顔色の悪すぎる人間にも見えなくもないが全身を覆う半透明な鱗に海を泳いで移動する水生魔獣が持つ腕と足、背中から生える人間には決してないヒレと呼ばれる部位が襲撃者たちを亜人――半魚人(シーマン)であることを表明している。


 一際大きい体格をした舟をこぐオールのような平べった顔をした白い鱗の半魚人(シーマン)を筆頭に、襲撃者(シーマン)たちはチュランコの美しかった街並みを破壊しながら進軍を始めた。


 人々は、半魚人(シーマン)と同じ魔人にカテゴライズされる魔族たちも含めて街を破壊しながら行脚する襲撃者たちにただ背を向け逃げることしかできなかった。


 ただ一人を除いては――


「ああ、なんだ、ガキ」

「ひっ」


 先ほどユウに平手打ちをされた少年が自分たちの暮らす街を荒らす襲撃者たちに向け些細な抵抗――二、三個の小さな小さな小石を集団を外れ必要以上に街を破壊する半魚人(シーマン)に向け投擲した。


 碌に狙いも定めずに投げた小さな石の礫は、不幸なことに半魚人(シーマン)の背中のヒレに命中してしまった。


「魔族はこの街から出てけ」


 少年は全身をびくびく震わせながらも石をぶつけた半魚人(シーマン)相手に勇ましく言った。


「この街から出てけ、だとぉ」


 少年に石だけでなく言葉まで投げつけられ、緑色の鱗が特徴的な半魚人(シーマン)は少年の目の前まで歩いていった。


「っ――」


 自分よりも何倍もでかい体に、手には研ぎ澄まされた槍。それでも少年は、全身を居すくまらせながらも言った。


「ここは人間の街だ。お前らは出てけ」


 そんな少年に対し緑鱗のシーマンは目を血走らせながら、言葉に怒気をふんだんに孕ませ叫んだ。


「先に人のテリトリーを踏み荒らしてったのはてめぇらの方だろうがぁあああああ」


 怒声と共に緑鱗の半魚人(シーマン)は手に持った一メートル以上ある槍を少年の胸目掛けて、突きだした。


 刺される、とわかっていても恐怖で竦んだ少年の足はその場で棒立ちしているのがやっとで、とても半魚人(シーマン)の――日々きちんと鍛錬を続けてきた兵士の槍を避けることなど不可能だった。


 だが、半魚人(シーマン)の槍が少年に届くことはなかった。


「大丈夫、坊や」

「お前……どうして」


 ついさっき少年に街を出ていけと言われた魔人――悪魔の女が身を挺して少年を庇ったからだ。


 半魚人(シーマン)の槍は悪魔の女の肩に突き刺さったまま、女の肩を貫通して少年に届くことはなかった。


「何のつもりだ、てめぇ」


 子供を庇った同族、同じ魔人に分類される悪魔の女を半魚人(シーマン)は睨みつけた。


 自分に向けられる敵意むき出しの視線に悪魔の女は毅然とした、真っすぐな視線で迎え撃った。


「やめてください。まだ相手は子供ですよ」


 女の毅然な視線に半魚人(シーマン)が怯むことはない。


「どけ、悪魔。たとえ同族が相手だろうと俺は容赦しねえぞ」


 たとえどんなに強い殺意の視線を向けられたとしても悪魔の女が少年を見捨てて、ここから離れることはない。


 互いの意志は固く、ここから先に進むためにはどちらかが砕け散るしかなかった。


「そうかてめぇの気持ちはよく分かった。なら……」


 半魚人(シーマン)はゆっくりと手に持った槍を振り上げ、そして――


「そいつと一緒に死ね」

「っ――」


 勢いよく振り下ろした――瞬間、一閃の光が半魚人(シーマン)の横を駆け抜けていった。直後、半魚人(シーマン)は腹から真っ二つに一刀両断され、息絶えた。


「一体何が……」


 二人を助け、半魚人(シーマン)を斬り捨てていった謎の閃光はあっという間にその場を後にすると、ものの数秒でチュランコの街を隅々まで駆け巡っていった……



★★★



 時間は少しさかのぼる。


 半魚人(シーマン)たちによるチュランコ襲撃事件が発生してから数分後、街の異変を感じ取ったユウとマオの二人はチュランコの街で一番高い建築物、街の中央にある時計台の上で半魚人(シーマン)たちに襲撃を受ける街の様子を観察していた。


「こりゃひどいね」

「そうだな」


 ユウは半魚人(シーマン)たちに破壊される街の様子を見て、マオはこのお粗末極まりない半魚人(シーマン)たちの奇襲襲撃作戦を見て、同じ感想を呟いた。


 襲撃者たちは逃げるチュランコの人々を追い立てるよう海岸側から街の中央を目指して、ある程度のまとまりとなって進軍していた。


「もしかして彼らが、さっき話してた半魚人(シーマン)」

「そうだ」


 顔つきはおろかそもそも体の形状(シルエット)さえも違う、多種多様な外見を持つ襲撃者たちだが、腕と足、背中に海水を切り裂く鋭いヒレがついていることと全身を半透明な鱗に覆われているという共通した特徴を持っていた。


 それは先ほどユウがマオから聞いた半魚人(シーマン)の特徴にぴったり合致していた。


「ねえ、マオ」


 ユウは半魚人(シーマン)たちに蹂躙されるチュランコの街から視線を外し、空を覆いつくす鉛のような黒い塊に向け言った。


「あれって、そういうことだよね」


 ユウの言葉にマオは何がとは言わず、無言で頷いた。


(突然の雨に、突然の襲撃。無関係と考える方が不自然だよな)


「あれは――魔力で作った雨雲だ」


 突然の気候変化。ついさっきまで雲一つなかった快晴から突然の嵐のようなゲリラ豪雨。異常気象と考えることもできるが、もう一つ、魔法によってこの街全体を覆うほどの雨雲を生成した可能性が存在していた。


 そして今回の場合、皮膚が乾くため長時間陸で行動することが出来ない半魚人(シーマン)たちを長時間陸で活動できるようにするため、今回のこのお粗末な奇襲作戦を成功させるために何者かが作った雨雲と考えることの方が自然だった。


「てことは、この街のどこかにあれを作った魔法使いがいるってわけだ」

「ああ、厳密に言うと魔術師だけどな」


 魔法を使える人間を魔法使いと呼ぶのに対し、全種族何かしらの形で魔力を運用、行使している魔族では、特に魔力の扱いに長けた者を魔術師と呼んでいる。


「おっきいのがいるね。あれが今回の首謀者かな」


 ユウの視線の先、半魚人(シーマン)の軍勢を率いながら先頭を歩くひときわ大きな体の白い鱗に覆われた顔が平べったい半魚人(シーマン)を見て、ユウは彼があの集団の中で一番の手練れであることを一目で看破した。


「いや、あいつは恐らく指揮官だろ。首謀者は恐らく、この雨雲を作った奴の方だ」


 この奇襲襲撃作戦の肝であり、心臓部、重要な要であるのは半魚人(シーマン)たちの体を潤い、人々の悲鳴と鮮血を洗い流している、この大雨。この大雨がなければ半魚人(シーマン)たちの進撃はすでに頓挫、撤退を余儀なくされているはずだった。


 そんな作戦の重要な柱を担っている人物が取るに足りない脇役なわけがない。


(これは雨雲を作る魔法ありきで立てられた作戦だ。逆に言えばその魔法を現在進行形で行使している魔術師を倒してしまえばこいつらの奇襲作戦はそこで終わる)


 ユウもまたマオと同じ結論へとたどり着いていた。


「見つけられる、あの雨雲を作ってる魔術師」

「誰に物を言ってるんだ」

「じゃあそっちは任せた。私は指揮官を抑える」

「了解」


 ユウとマオは一瞬だけ、視線を交えるとふっと笑って、互いに行動を起こした。



★★★



 半魚人(シーマン)たちの軍勢はチュランコの街を破壊しながら街の中心部目掛けて進軍を続けていた。


 何人か逃げる人間たちを深追いしたりして列を離れる者もいたが、大部分は指揮官と思われる白い鱗の一際体格の大きい半魚人に付き従い、一体となって街の中央を目指していた。


 そこへ突然、赤いローブを着た赤髪の人間の女――ユウが現れた。


「よ」

「何だ、貴様」


 自身の何倍も体格のある魔人を相手に気軽な調子で挨拶をする人間の女に、半魚人(シーマン)たちのリーダー格らしき白鱗の半魚人(シーマン)は眉間に深い皺を作った。


「君がこの子たちの指揮官(リーダー)」


 リーダー格である白鱗の半魚人(シーマン)だけではない。たった一人で半魚人(シーマン)たちの軍勢を前に平然として立っていられる謎の人間の女に他の半魚人(シーマン)たちも困惑していた。


「何だ、こいつ」

「ハンマ様、こんな人間、とっととやっちゃいましょうよ」


「…………」


 周りの部下半魚人(シーマン)たちが早く先に行こうと促す中、白鱗の半魚人(シーマン)は静かに目の前に立つ人間の女を観察した。


(この人間の女が羽織っているのは確かローブと呼ばれるある特定の人間だけが好んで着ている人間特有の民族衣装だったか。そして腰に差した杖の先に埋め込まれた魔石。魔法の威力を上げるものだな。ぱっと見人間の、魔法を専門に扱う魔法使いと呼ばれる役職を生業としている風体、だが――)


 白鱗の半魚人(シーマン)は感じていた。目の前に立つ人間の女から、歴戦の戦士と同じ風格を。何度も戦場に立ち、幾度も死線を潜り抜けた者だけが発することのできる並々ならぬ強者の威圧を。


「お前たちは先に行ってろ。こいつの相手は、俺がする」

「は、ハンマ様」


 白鱗の半魚人(シーマン)は部下たちを先に行かせ、自分はユウの相手をするため残ることを選択した。


 その際、白鱗の半魚人(シーマン)は部下の半魚人(シーマン)たちに自分が戻るまで不用意に人間たちに危害を加えるなと釘を刺した。


 それはつまり、部下たちではユウの相手にならないとユウを見て白鱗の半魚人(シーマン)が判断を下したということだ。


「君、中々やるね」


 一目見て自身をそこらへんの冒険者とは違うと判断した白鱗の半魚人(シーマン)をユウは素直に賞賛した。


「俺の質問にまだ答えてもらってなかったな」

「私の名前はユウ、ただの通りすがりの冒険者だよ」


 そう言うとユウは腰に差していた杖、ではなく見えないようローブの内側に隠しておいた剣を引き抜くと白鱗の半魚人(シーマン)に向かって構えた。


(やはり戦士か)


 敵を前に険を構えるユウの姿は白鱗の半魚人(シーマン)が今まで見てきたどんな剣士より洗練され、まるで美しい絵画のようだった。


 不覚にも白鱗の半魚人(シーマン)は一瞬だけ、ユウの姿に見惚れてしまった。


「そうか、聞いたことないな」

「この間、冒険者になったばかりだからね。一応、聞いておくけど君たちの目的は」


 白鱗の半魚人(シーマン)もまた両側の腰に差していた、人間の大人一人くらいの大きさのある大槌を手に取り、臨戦態勢をとった。


「語る気になれんな。まして相手がこれから命の取り合いをする相手ならなおのこと」

「だよね、激しく同意」


 二人を取り巻く空気が一瞬にして剣のようにひんやり鋭く変容した。


「名乗りがまだだったな。我が名は半魚人(シーマン)族部隊長――ハンマ・シャーク。いざ尋常に――」


「「勝負」」


 二人は同時に地を蹴り、己が持つ武具を振るった。



★★★



「まさか人々の悲鳴がこれほど心地よいとはな、知らなんだ」


 ユウとマオがいた店とは反対側の街はずれにある今は誰にも使われていない古びた倉庫の屋上で、半魚人(シーマン)の魔術師は一人、仲間の半魚人(シーマン)たちが美しかったチュランコの街を蹂躙していく様を、薄笑いを浮かべながら静かに眺めていた。


 余裕綽々で街を見下ろす魔術師の背後に、一人の男が音もなく静かに降り立った。


「お前が今回の事件の首謀者か」

「おぬしは……」


 突如自分の背後に現れた黒髪の男、まるで初めからそこにいたような顔であっさり自分と自分の背後を取ってみせたマオの姿に半魚人(シーマン)の魔術師は浮かべていた笑みを瞬時にかき消した。


(この有象無象どもが我先にと逃げる阿鼻驚嘆の中でわしの魔力を探知して見せたというのか。相当な手練れのようじゃな)

「お主、何者じゃ」


 相手の姿や構え、纏う雰囲気からユウをただ者ではないと白鱗の半魚人(シーマン)――ハンマが判断したのに対し、タコと呼ばれる水生魔獣に似た顔を持つ半魚人(シーマン)の魔術師――オクト・パスはこの喧騒溢れる街の中で自身の魔力を探知して見せたマオの並大抵ではない集中力と魔力を操る技量からマオをただのそこらへんの魔法使いではないと判断した。


「あいにく貴様に名乗る名を俺は持ち合わせていない。今すぐあの雑魚共を下がらせろ、じゃないと死ぬぞ」


 この時、マオは言葉通り、眼科で進軍を続ける半魚人(シーマン)たちを含めた全員が死ぬことになると言ったつもりだったのだが、オクトは今すぐ進軍を止め半魚人(シーマン)たち下がらせないとお前を殺すぞという意味であると言葉の解釈を誤った。


 マオの剣士に寄せた格好がさらにオクトに間違った判断を下させる後押しをしてしまった。


 そしてこの誤りが、自身の致命に至る過ちであるということを半魚人(シーマン)随一の知略家でもあるオクトが知るのは本当に最後の最期のことだった。


「あいにくじゃが、もう誰も奴らを止められんよ。全員それだけの覚悟を持って、地上に上がっているからの」


 オクトは自身を脅して半魚人(シーマン)たちの進軍を止めさせようとしたことから、マオの実力を、魔力を操る才能はあるが一人ではこの状況を打破することのできない、自身と同程度か頭一つ程度抜けた魔法の使い手であると誤判断した。


「一応聞いておくが、今回のこのお粗末な襲撃作戦を考えたのか貴様か」

「お粗末か、言うてくれるの」


 幸か不幸か、マオの実力を見誤ったおかげでオクトの中に少しだけ心の余裕が生まれた。


「事実だからな」


 今回の半魚人(シーマン)たちによるチュランコの街襲撃作戦はオクトが企画立案した作戦なのだが、マオがこの作戦をお粗末と評価した理由は二つ。


 一つは、魔力で作った雨雲という致命的な弱点が人目に晒されていること。雨雲は魔術師が魔力で作ったまがい物、創作物である。魔力で打ち消すこともできれば、それを作った魔術師の意識を奪いさえすれば魔力で作った雨雲が存在を維持できなくなり霧散する。


 それだけではない、何もせずともしばらくすれば魔術師の魔力が底を尽き雨雲は自然に消滅する。そして、これこそがマオがこの作戦をお粗末と言ったもう一つの理由である。


 この戦、半魚人(シーマン)は勝とうが負けようが、チュランコの街を手に入れることはできない。彼らが陸上を自由に歩き回れるのは、魔力で作った雨雲が半魚人(シーマン)たちの皮膚を乾燥しないよう潤している間のみ。


 結局彼らはこの戦がどう転ぼうが住処の海へ戻るしかないのだ。


 この戦いで彼ら――半魚人(シーマン)たちが得るものは何もない。


 彼らは今、何も得る物のない戦いのために自分の命を戦場と言う無法危険地帯に晒している。


 これを愚かと言わずして何なのだろうかとマオは心底呆れ、失望していた。


「そうじゃ、と言ったらどうする」

「特に、何も」

「理由は聞かんのじゃな」

「知ってどうする」


 人間と魔族、異なる種族が種族間同士で争い合う理由などマオにとってはこれっぽっちも興味がないことだった。


「魔族だろうが人間だろうが戦場に理由もなく立っている者など誰もいないだろ」

「…………そう、じゃな」


 マオは腕を高らかに掲げて、言った。


「覚悟は決まっているんだったな、なら――今すぐ死ね」


 瞬時に魔力が掲げたマオの手の平の上に収束、黒い漆黒の塊をこの世に顕現させた。


 魔力の扱いに長ける種族と言われる魔族といえど、マオの顕現させた深淵と呼ぶに相応しい先が全く見えないほどにどす黒い濃密な魔力の球体、どんなに鍛錬された魔術師であってもここまで濃密な魔力の球体を創り出すことは不可能だと思わせる物をマオはほんの数瞬の内に創り上げて見せた。


(この濃密な魔力、まさか……)


 過去に一度、オクトはこの濃密な魔力の塊を、それを創る魔界の王と呼ばれし男の姿を見たことがあった。


「お、御身は――」


 オクトの瞳に映る男の姿が一瞬、今は亡き魔族(彼ら)の王の姿と重なった。



★★★



 チュランコの街中ではハンマの流れるような怒涛の攻撃をユウが防戦一方ながらも華麗に躱し、受け流していた。


「うおっ」


 勢いよく振り下ろされた大槌をユウが間一髪でかわした瞬間、さらにもう一つの大槌がユウの死角から襲い掛かって来た。


「――っ」


 横なぎに振るわれた大槌に向かい、ユウは剣を滑らせるとそのまま大槌の勢いを殺さずに大槌の軌道を急転換、ハンマ渾身の一撃はここまでずっと構えるだけでろくに剣を振るわなかったユウに初めて剣を使わせることに成功したと共に大槌はあっさりと空を切らされた。


「……やるね」

「御仁もな」


 傍から見ればハンマ優勢、ユウはハンマの攻撃を凌ぐので精一杯のように映るがその実、がけっぷちまで追い込まれているのはハンマの方だった。渾身の一撃をかわされ、攻め手がないハンマに対し、ユウはついさっき初めて剣を使った技を繰り出しただけでまだ剣士としての実力をほとんど見せてはいない。


 幾度かケント大槌を交える中でハンマは薄々感じていた。


(まるで深海の奥底から水面(みなも)に映る光に向かって手を伸ばしているような感覚だ)


 自分とユウとの間には天と地以上の圧倒的な力量の差があるということを……


(いつぶりだろうな、これほどまで自分の無力感に打ちのめされられるのは)


 ユウとハンマの死闘、形だけは膠着状態を保っていた二人の戦いだが、実はこの戦いはそれほどこの争いを終わらせるのに重要な戦いではない。


 この争いを終わらせるために最も重要な戦いはユウたちのあずかり知らぬ場所で行われている。ユウがしているのはその戦いのケリが着くまでの時間稼ぎ。意味がないとわかっていてもユウはハンマの足止めを続けた――そして今、その戦いに決着が着いた。


「雨が――」

「上がったな」


チュランコの空を覆っていた雨雲が霧散した。それと共に、ユウとハンマは戦いの結末を知った。


 戦いの結末を知ったと同時にこの半魚人(シーマン)たちが起こした進軍の結末、その失敗を知り、ハンマは肩を落とした。それと同時に、ずっと硬い表情を維持し続けていたハンマはずっと長らく背負っていた重い荷を降ろしたかのような清々しい顔へと一瞬だけだが表情を和らげた。


「貴殿の、連れの仕業か」

「夫」

「そうか」


 ふと視線をユウの薬指にした指輪へ移すと、無機質なはずのそれがどこか寂し気な銀色の光を発しながらひっそりと輝いていた。


「これで我らの進軍も終いか」


 半魚人(シーマン)たちは陸上で長時間活動することができない。魔法で作った雨雲が消え、雨が降らなくなった今、住処である海中へ引き返さなければ皮膚表面を覆う水の膜が渇き、皮膚が完全に乾いてしまうと動きが鈍り、うまく体が動かせなくなる。そしてやがて干からびてしまう。


 これ以上、半魚人(シーマン)たちがチュランコで好き勝手に暴虐を尽くすことはできない。この戦いはこれで終わりである。


「おとなしく引き返してくれるとありがたいんだけど」

「そうもいかんだろ」


 後は、事の始末をつけるだけである。


「我が首を持っていけ。貴殿の実力なら容易いことだろ」

「いいの」


 決着は着いた。だが、このまま「はいそうですか」と終わりにはならない。ましてこれは戦争。命を賭けた戦いに自分たちが敗北したという残酷な真実をなんの抵抗もなく受け入れられる者など歴戦の戦士でもそうはいない。


 最悪、自棄(ヤケ)を起こし手当たり次第に街や人々を害する危険がある。


 焦らず、慎重に。戦争は起こすよりも、上手く手打ちにすることの方が難しいのである。被害を最小限に半魚人(かれ)らを住処である海に返すためには、自分たちの敗北を認めさせ、これ以上戦っても無駄であるということを骨の髄まで分からせる必要がある。


 半魚人(かれ)らの指揮官であるハンマなら、彼の言葉なら、街の中央を目指して進軍中の半魚人(シーマン)たちを説得して穏便に撤退させてくれないかとユウは密かに期待していたのだが、ハンマは静かに首を振り、正真正銘本当の意味でまごうことなき最期の力を振り絞って、大槌を持つ腕に力を入れた。


「構わんよ――全力で抗わせてもらうからな」

「そっか」


 実力の差は歴然。それでもハンマは本気で、ユウを倒すため両手に握った大槌を振り上げた。勝てないのは重々承知。ハンマ・シャークとして、半魚人(シーマン)たちの軍隊を率いる指揮官として、一人の戦士として、想いの全てを込め、ユウ目掛けて大槌を振り下ろした――


 一閃。


(何が、起こった)


 気づけばハンマの首と両腕がキレイに一刀両断、切り裂かれていた。


「見事」


 ハンマが知覚、視認できたのは目にもとまらぬ速さで引き抜かれたユウの剣が鞘に戻る際に鳴った、カチンッという鞘と剣がぶつかった音。


「ごめん」


 そして勝者の、一人の優しくも強い女剣士の慈愛に満ちた悲し気な表情だった。



★★★



 自分たちの指揮官であるハンマが討たれ、このチュランコ進軍作戦の立案者兼作戦の核でもあるオクトの死を未だ知らぬまま半魚人(シーマン)たちはチュランコの街中央を目指して歩を進めていた。


「雨がっ」


 一人の半魚人(シーマン)が今まで自分たちのうろこに覆われた体を潤していた恵みの雨雲がいつの間にか霧散していることに気づいた。


「まさか、オクト様の身に何か」


 チュランコの空を覆っていた暗雲が消え去り、街を天の光が照らす。それは人間たちにとってはこの争いの終わり、半魚人(シーマン)たちにとっては作戦の失敗を意味していた。


「俺たちはこれからどうすれば」


 皮膚を潤す雨が降らなくなった以上、これ以上陸上に留まることはできない。半魚人(シーマン)たちの進軍はここで終わり、全身の皮膚が乾ききってしまう前に一刻も早く海に戻らなくてはならないのだが――彼らはその場から一歩も動くことが出来なかった……


 この戦、そもそもの発端は人間たちの長年に続くゴミの不法投棄と水生魔獣の乱獲にあった。


 人間と魔族の間で平和協定が結ばれて以降、平和になった世界でチュランコの街の人々は自身の街の発展と豊かな暮らしのため経済活動に力を入れるようになった。といっても資源には乏しいこの街。交易も周囲は高い丘や山が連なり、海に面してはいるものの海流の関係からあまり良い立地とは言えない。そこでチュランコの街を統べる領主はチュランコの街自体に価値を付ける観光業に力を入れるようになった。


 結果チュランコの街は他の街からの人々で溢れ、魔族も足を運ぶほどの有名な観光地となることに成功した。それに伴いチュランコの街で暮らす人々の収入も増え、人々の収入が増えれば税収も増える。税収が増えれば街が発展してより住みやすく、キレイな街が作れる。


 人々、特にチュランコの街で暮らす人々にとっては良いこと尽くし、だったのだが――チュランコの街近くの海で暮らす半魚人(シーマン)たちにとっては違った。


 ゴミをポイ捨て、不法投棄する者が後を絶たず海は徐々に汚れていき、観光客たちに振舞うためにと不必要なまでに食用となる水生魔獣たちが乱獲され、ついには半魚人(シーマン)たちの間で軽い飢饉が起こってしまった。


 当初、半魚人(シーマン)たちはこの問題を話し合いで解決しようとチュランコの街の領主宛てに抗議文を送ったのだが、領主は体のいい言葉で濁し、一向に改善のために動こうとはしなかった。


 そして事件が起こった。


 ある飢えた子供の半魚人(シーマン)がたまたま見つけた水生魔獣をとってその場で食べた。その数日後、その子供は息絶えた。


 原因は水生魔獣の毒を摂取したことによる事故死。その水生魔獣は見た目がグロテスクなため人間たちはあまり好んでは食べないが、昔からこの近海に生息しており半魚人(シーマン)たちはよく食用として食べていたのだが、人間たちが軽い気持ちで捨てていたゴミ、そのゴミをエサにしていたその水生魔獣はゴミに微量に含まれる有害物質を体内に蓄積、体内で毒へと変貌させていたのだ。


 このことに半魚人(シーマン)たちは激怒。長年我慢していた堪忍袋の緒がついに切れてしまったのだ。


 これが最後通告だと領主宛てに最後の抗議文を送ったが、結局それも領主の手により握りつぶされた。


「馬鹿野郎、ここまできて引き返せるかよ」

「…………だよな」


 誰か一人の血気盛んな半魚人(シーマン)の言葉に他の半魚人(シーマン)たちも同調した。


「人間たちに俺たちの味わった苦しみを思い知らせるんだ」

「我らの愛した海を汚した罪を」


 自分たちの敗北が決してなお進軍を続けようとする半魚人(シーマン)たちの目の前に、突如何か大きな塊が空中よりものすごいスピードで舗装された大通りの道に叩きつけられた。


 それは彼らがよく知る者の、今は亡き勇敢な指揮官の、首から上の部分だった。


「ハンマ様っ」


 そして一人の人間の女が悠然と歩きながら彼らの目の前に現れた。


 それは彼らの指揮官が彼らを逃がすため、一人で相手すると言って対峙した、人間の女。彼らの指揮官はその人間の女に敗北したのだ。


 その事実が彼らの、血気盛んに勇むその足を完全に制した。


「指揮官を失くした軍に意味はないよ。とっとと撤退するんだね」


「「「…………」」」


 驚愕と沈黙、その次にやって来るのは上官を、信頼する同胞を殺された怒り。


「き、貴様ぁあああああああああああああ」


 一人の半魚人(シーマン)が激情に身を任せ振り上げた剣をユウは難なく、両断した。


「もう一回言うよ。戦に負けたは敗残兵はおとなしく海に帰れ」


 半魚人(シーマン)たちの怒り、そのすべてをねじ伏せるほどの圧倒的な威圧、力量の差。


「……撤退だ」


 自分にもしものことがあればと今は亡きハンマから副官を任されていた半魚人(シーマン)は一言そう呟いた。


「撤退する」


 彼の言葉に従い、半魚人(シーマン)たちは踵を返し、住処である海へ向かって後退していった。後ろに振り向く直前、皆ユウに向かって途方もないほど強い怨嗟を投げつけ、彼らは撤退していった。


「さてと――じゃ、あとはこれのお片付けか」


 半魚人(シーマン)たちが海に帰っていく姿を見届けた後、ユウは再び街を見渡した。そこにはまだ残った半魚人(シーマン)たちの残党、集団から離れ思い思いに人々を襲っている怒りと恨みに呑み込まれた半魚人(シーマン)たちの破壊の音がそこら中から聞こえ続けていた。


「あんまり気乗りしないな」


 ユウは腰ではなく、手のひらから浮かび上がった紋様から一振りの剣を取り出すと剣に自身の魔力を流し込んだ。


 数瞬後、ユウの姿は一瞬にして消え、チュランコの街を一筋の光が駆け巡った。謎の光が街中駆け巡った後、残されていたのは人々を襲っていた半魚人(シーマン)たちのきれいに切断された亡骸だった。


 半魚人(シーマン)たちの起こした襲撃作戦。チュランコの街中央にある領主の邸宅を目指した彼らの奇襲作戦は指揮官と今回の作戦の立案者、十余名の半魚人(シーマン)の戦士たちの死により幕引きとなった。



★★★



 半魚人(シーマン)の襲撃翌日。


「はぁあ、結局また面倒ごとに巻き込まれちゃったよ」


 ユウとマオはチュランコの街を出るため、旅路の支度をするためチュランコにあるいくつかの店を回っていた。


「マオ、一度教会でお祓いしてもらった方がいいんじゃない」

「何で俺が呪われてる前提何だよ」

「だって、ねぇ」


 当初の予定では一週間程度滞在してチュランコの街を存分に楽しむつもりだったのだが、二人は昨日の半魚人(シーマン)たちの襲撃で大立ち回りをし過ぎた。


 一応人目を気にして、誰にも思う存分暴れまわる姿は見られていないようにはしたが、どこにどんな目があるか分からない。


 結局二人は予定をかなり前倒しして、準備が整い次第チュランコの街を出ることにしたのだ。


「平和って難しいんだね」

「戦争が終われば、平和な世の中が勝手にやって来るわけじゃないからな」

「中々、上手くはいかないもんですな」


 一通り買い物を終え、そろそろ昼食にしようかと店を見て回っているとある見覚えのある少年が二人の前を走って通り過ぎていった。


「あれ、あの子」


 少年はこれまた二人が見覚えのある魔族――悪魔と呼ばれる種族の魔人の女に話しかけた。


「おい、悪魔」

「あなたは……」


 少年は昨日、悪魔の女に石を投げつけた過去がある。


 ユウとマオは再び少年がそのような暴挙をすればすぐに少年を止めようと身構えた。しかし――


「これ、やるよ」


 後ろ手に手を回していた少年が取り出したのはそこらへんに落ちている薄汚い小石ではなく美しい白い花の花束だった。


「この前は、その……悪かったな、ひどいこと言って。それと――ありがとう」


 顔をほんのり赤く染めながら少年はそれだけ言うと、そのまま悪魔の女に背を向けて走り出した。


「俺ん家、定食屋なんだ。見た目ぼろいから、あんま観光客とかは来ねぇけど味はめっちゃうめえから。今度来たら、家の店に来いよ。たっぷりサービスしてやっから」


 途中、少年は足を止め振り向かずに言った。


 少年の言葉に、悪魔の女はチュランコの街に来て一番の満面の笑みではにかんだ。


「ぜひっ」


 二人の姿を見て、ユウとマオはお互いの、相棒の顔を見てふっと笑った。


「それでも確かに前には進めているようだな」

「だね」


 少年と悪魔の女を、誰かに重ねて、笑い合った。しばらくして二人はまた歩き出した。二人仲良く肩を並べて……


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アフターストーリー @maow

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