奇妙な噂あり

 この前とは打って変わって、雲の多い日だった。もうすぐ雨になりそうだ。とはいえ、一日中雨ということはあまりなく、ざっと降ってさっと止むのが普通だ。

 雨天なら中止になるはずの講義も、まだ雨が降っていない以上は予定通りに行われる。その結果が、この状況だ。


「十年に一度の天才ならいざ知らず、そこらの戦士では立ち向かう術すらない。洗練された技の極みというものじゃ」


 既に今は紅玉の月。そして、これが戦闘訓練の講義の最終日だ。指導内容は適当な素振りばかり。試験も練習試合も何もない。はてさて、ティンセルは何をもって俺達の成績を決定するつもりなのだろうか?


「我が剣の陥穽に嵌まれば、逃れるのは困難この上ない。それを今一度見て学ぶ機会を設けることで、諸君らの今後のために役立ててもらいたいと思う」


 生徒の集団から離れたところに立っているのは、俺だけ。そう、初日のあのやり口のせいで、彼から密かに恨まれていたらしい。


「では、空模様も怪しくなってきたし、そろそろ始めるとしよう。ファルス、見本になるような試合とせい」

「済みません、少しよろしいですか」


 俺は手にした木剣を軽く振った。


「どうして僕は、こんな短い剣を使わないといけないんですか」

「お前の膂力に合わせてのこと。実戦と心得よ。使い慣れぬ大剣を振り回そうとすれば、自分で自分の足を斬りかねん」

「ではせめて、弓か石礫を使いたいのですが」

「そんなものはない。だいたい、お前は町中でそんな凶器を持ち歩くのか」


 溜息しか出ない。

 この学園の備品としての練習用武器は、ほとんどが短めの木剣ばかりで、ティンセルが使う大剣以外、他はろくに整備されていなかった。なぜかといえば、戦闘訓練の授業の本来の理由が消失し、形骸化したからだ。歴史的には、各国における技の秘密を包み隠さず共有させるという目的があってのものだったが、平和な時代が続けばそれも必要性がなくなる。一方、数百年前に世界の平和が破れたことで、今度は別の必要に迫られた。即ち、貴公子の護身だ。

 事前に申請を済ませている冒険者なら、刃渡りの長い剣などの武器を持ち歩くことができるが、一般市民は短めの剣しか所持できない。これは留学生、即ち俺達のような要人のタマゴも同じだ。だが、そうなると市内をうろつく冒険者より、貴公子の武装の方が圧倒的に不利という状況が生じ得ることになる。これでは、うっかりすると暗殺し放題ではないか。そのため、少し前までは熱心に短剣術を教えていたこともあったという。

 だが、ここ百年ほど、航路上に海賊が出没することはあっても、帝都の陸上において深刻な危機に見舞われることはなかった。再び平和が訪れて、戦闘訓練の授業もまた、形骸化した。しかし、以前の名残で、備品は短めの剣ばかりというわけだ。


「わかりました」


 要するに、ティンセルが設定した状況というのは、短剣しか持たずにいる俺が、いきなり冒険者に襲撃されたというものだ。で、彼を倒してみせろ、と。

 なるほど、そうした不運が起きないともわからないが、その場合において俺のすべきこととは、暴漢を打ち倒すことではなく、うまく逃げ切ることではないのか? とはいえ、そんな道理を主張したところで空しいだけだ。


「何をしてもいいんですね」

「できるものなら、やってみせよ」


 既にギルに敗北してしまい、講師としての権威は地に墜ちている。せめて少しでもいいところを見せて、立場と誇りを守りたい。となれば、学級最弱との呼び声高いこの俺を指名するのは、自然な選択だった。

 とはいえ、今日の彼に油断はない。また教頭が後ろにいるなどと言っても、取り合ってくれないだろう。


「では、はじめ」


 コモが試合開始を告げた。

 ぬるりとした風が流れていく。大剣を横ざまに構えたままのティンセルが、鬼気迫る表情で詠唱を始めた。


 さて……

 どうやって倒そうか。


 今の俺には無数のオプションがある。


 まず、最もわかりやすい方法、それが武器の投擲だ。剣も、うまく扱えば短い距離なら水平に投げることができる。もちろん、普通にやったのでは、あの大剣に遮られてしまう。これを仕掛けるなら、詠唱が終わったタイミングなどを見計らって、相手の出鼻をくじく形でなければ効果は薄いだろう。

 しかも、そこまでしても避けられる可能性がある。そして剣を弾き落とされてしまったら、自動的に負け判定されかねない。だから、武器を手放すなら、同時に別の手を打つべきでもある。

 なんだかんだいって、ティンセルの間合いは脅威だ。剣はあくまで携帯性に優れる武器であって、戦場におけるメインウェポンではない。昔、サハリアで俺と一騎討ちで戦ったタリアンにしても、馬上で用いる長槍を主要な武器としていたものだった。

 そうなると、もし剣の投擲から仕掛けるなら、同時に彼の間合いの内側に、俺自身が飛び込んでいかなくてはいけない。剣を喉元めがけて投げつけつつ、彼が回避する動作を見せたらすぐ、足下から滑り込んでいって、大剣の有利を潰す……


 だいたい勝てそうだが、万一がある。他に手がないならやってもいいが、そんな手段に頼らなくても、実は簡単に勝利できる。

 先日の、二人の王女の挟撃によって、俺にも自衛の意識が芽生えた。昨夜も寝る前に、いくつかの魔術について、事前詠唱を済ませておいた。つまり、その場で詠唱や触媒の消費をせずとも、前もって魔力操作スキルによって保存された魔法を放つことができる状態になっている。

 手っ取り早いのは『誘眠』だ。一発でその場に転がるから、戦うまでもなくなる。ただ、それではティンセル本人としては、何が起きたか認識できず、何の学びも反省もないままに終わってしまう。


 なら、使い慣れたあの魔法で、思い知ってもらおう……


「ふぅん!」


 動き出そうとしない俺に対して、ティンセルは一歩踏み出しながら、大きく横薙ぎにしてきた。と同時に、風の拳が繰り出される。

 こんなのは大きく飛び退けば簡単に避けられる。そしてティンセルはというと、さっきと反対側に大剣を捧げ持っていた。


「おい、やっぱ近づけねぇよ、あれ」

「そりゃそうだろ、武器が違うし」


 魔物退治や戦場で使うこと前提の大剣と、普段の護身用武器で試合とか、それで自分のメンツが守れると思っている辺りも、なんとも痛々しい。

 この世界には魔物がいるので、高い位置を叩ける大剣には、前世のそれより使い道が多い。これが槍や薙刀では、同じ役目をこなせるとは言い難い。オーガやトロールと戦うことを想定してみればいい。多少の知恵のあるこれらの魔物は、武器の打点をずらすことで致命傷を避けるだろう。

 一方、対人戦となると、実は割と役目が限られる兵種になる。具体的には、敵の長槍兵の柄をへし折るのが、こうした武器の役目となる。

 決して使い道のない武器ではないのだが、しかし、では要人の暗殺に適した武器かとなると、議論自体が馬鹿馬鹿しい。こんな嵩張る道具を手にしたところで、標的たる俺が逃走を選んだら、どうするつもりなのか。


「ハハハ!」


 俺が無為に後退するばかりなのを見て、早くもティンセルは勝利を確信し、気が緩んだらしい。勝ち誇って笑っている暇があったら、さっさと次の詠唱をしたらどうなんだ。

 冷たい風が一吹き。ますます頭上の雲が分厚く黒ずんでくる。彼も雨で試合中断は望むところではないらしく、急いでまた詠唱を始めた。


 その終わりを見計らって、俺はただ、念じた。


「プゴォッ!?」


 いきなり腰砕けになったティンセルは、その場に膝をついてしまった。『行動阻害』一発で、構えも何も崩れてしまい、大剣を杖代わりに立ち上がろうとする始末だ。隙だらけだが、ここでもう一撃。


「ギャヒィッ!?」


 予期しない両腕の激痛に、あっさり大剣を手放して、背中を丸めてその場に仰向けに転がった。まるで死にかけの虫けらみたいだ。

 あとはただ、ゆっくり歩み寄ってこの木剣を突きつければ決着……


「先生!」

「どうしました? 大丈夫ですか!」


 試合を観戦していた生徒達が、血相を変えて飛び出してきてしまった。


「アチチ、イタタ」

「急にどうしたんですか」

「い、い、痛みが、急に腰と、腕に」


 ラーダイが叫んだ。


「急病だ! 救護室に運ぼう! コモ、先にベッド空けといてくれ! 俺達が運ぶから!」

「わかった!」

「あ、ちょっと」


 こうしてティンセルは、ラーダイとゴウキに担がれて、見る間に校舎の方へと運ばれて行ってしまった。


「あっ」


 ギルが頭上を見上げた。


「今、ポツッときたぞ」

「雨か」

「授業は中止だな。おぅい、落ちてる木剣とか拾って、撤収しようぜ」


 解せない。今度はちゃんと戦って勝ったはずなのだが、誰もそのことを認識していない。

 ともあれ、グダグダのままに俺達の最後の戦闘訓練は終わってしまった。


 急で激しい雨がやってきたものの、小一時間ほどできれいに止んだ。今は前期最後のホームルームの最中だ。フシャーナが教壇に突っ伏して寝ている間に、コモが代わりに夏休み中の伝達事項を読み上げている。


「……最後に、夏季休暇中には安全に気をつけて、事故や怪我などを避けるように心がけてください。以上」


 ただ、今日のフシャーナは、気合の入り方が違った。


「あの、教授?」


 任された代読をすべて終えて振り返っても、彼女は眠ったまま。よっぽど眠いらしい。


「ほっとけよ」

「まぁ、じゃあ、これで解散で」


 俄かに教室の中が騒がしくなる。隣に座るギルも、長い溜息をついて机に突っ伏した。


「はーっ、やっと終わったー」

「お疲れ様」

「疲れるのはこれからなんだよ。今まで授業のせいで、生活費稼ぎにくかったからな。明日からは丸一日、警備の仕事をやれそうで、やっと安心できる」

「それ、なんか目的と手段が逆になってやしないか?」


 学業のためにお金が欲しくてアルバイトをしたがっているのに、役に立たない授業が資金調達の邪魔になる。それがイヤで仕方がないという。


「夏場に稼げるだけ稼いで、後期は楽するぞ!」

「……お前がそれでいいなら、いいと思うけど」


 ふと、少し気になったので、尋ねてみた。


「そういえば、例の警備の仕事先はどこなんだ? 危ないところじゃないだろうな」

「なんだよ、それ」

「トンチェン区、ほら、あの川向こうの、千年祭の会場建設で揉めてる辺りとか」

「ないない。明日は、その対岸にある養老施設に直行することになってる」


 であれば、俺の杞憂かもしれない。暴徒と化した移民相手に……なんてことにならないのなら、それでいい。


「ファルスは? どうすんの? 夏休み」


 俺は首を振った。


「こっちはこっちで、自由なんかないよ」


 視線を教室の出口にちらと向ける。ちょうど今、ケアーナを伴ってアナーニアが廊下に出たところだ。


「保養地で社交のお手伝いだ」

「いいなー」

「そんないいものじゃない。見た目は華やかだけど、要は仕事でしかないんだし」

「そんなもんかぁ」


 そう言いながら、彼は立ち上がった。


「さって、俺は今日は先に帰るぜ」

「帰ってどうする」

「寝る! 今日くらい、たくさん寝る!」

「あ、ああ。ゆっくり休んでくれ」

「おう! じゃあな!」


 ギルが足取り軽く、教室を出ていったのを見届けてから、また教壇に目をやる。フシャーナはまだ寝ている。困り果てたコモが遠慮がちに背中をさすっているが、動かない。


「お疲れ様」

「あ、うん」


 俺が教室を出ようとしたところ、ラーダイもちょうど同じタイミングだった。


「お? お前も帰るのか」

「ああ」


 特に話すこともなく、廊下を並んで歩いた。そうして教室の外に出て、雨上がりの校庭を横切って正門に向かう。

 だが、そこに見慣れない大きな影があった。


「おぉ、ファルスか!」


 野太い声が飛んできた方に振り向く。

 学園の制服ではない。白い貫頭衣の上に、真っ白な小ぶりのターバンが見える。浅黒い顔にはタワシのようにゴワゴワした髭。


「あ……先輩!」


 アスガルだ。後ろには、従者と思しき他のサハリア人男性もいる。

 しかし、これはどうしたことだ? この半年近く、彼がこちらに連絡を取ってきたのは、最初の訪問の時だけ。これといった用事がない以上、ヒジリにあれこれ探られるのを避ける意味もあってか、今まで動きがなかったのに。

 顔に出してはいけない。アスガルも、表向きは笑顔を浮かべている。かわいい後輩に挨拶する先輩というポーズを崩していない。


「お久しぶりです、ご挨拶もなく」

「いやいや、久しぶりに顔を見たいと思っていたところだった」


 駆け寄りながら、俺は頭を下げた。

 アスガルの視線はまず俺に、続いて俺の後ろにいたラーダイに向けられた。


「こちらは?」

「同級生のラーダイです。マルカーズ連合国から来ました」


 そのラーダイは、目を白黒させている。


「えっ、あっ……ファルス、あの」

「なんだ?」

「この人……っじゃない、この方は、もしかしてあの、ムールジャーン侯の」

「ああ、そう、そのアスガル先輩だけど」


 大物を前にして、ラーダイの態度が明らかに変わった。身分だけなら、同級生のアナーニアのが高いといってもいいのだが、内実が異なる。王位継承の可能性の低いお姫様と、実質的には大国の王太子に等しい次期族長。とはいえ、卑屈と言うまい。気持ちはわからないでもない。


「ファルス、前期の授業も終わりだし、なかなか会えなかったから、今日くらいうちの公館で夕食でもどうだ?」

「お招きありがとうございます」


 やっぱりそうだ。何か俺と話したいことがあるのだ。


「よぅし、あちらに馬車を待たせてある……ラーダイ君、悪いが、今日はファルスを連れて行っていいか」

「あ、は、はい! どうぞ!」

「ははは、じゃあ、失礼するよ」


 そうして彼は身を翻し、大股に歩いていく。俺も遅れないように着いていった。

 馬車に乗る頃には、彼はもう笑ってはいなかった。御者の手を借りもせず、真顔で馬車の扉を開けて乗り込んだ。俺も続いて扉を閉じると、すぐ御者に走るようにと大声で指示を下した。


「何があったのですか」


 俺が小声で尋ねると、彼はその大柄な体を縮めて、俺の耳元で呟いた。


「妙な噂が」

「どんな」

「ファルス様、念のために確認しますが……確か、エスタ=フォレスティア王国は、帝都の権力争いには極力関わらない方針だったと記憶しているのですが」

「殿下のご指示では、そうです」


 轡の響きで、俺達の会話内容は、御者にも聞こえないだろう。


「では、ファルス様は、どのような」

「僕も、興味なんかないですよ」

「とすると」


 彼は息を殺しつつ深い溜息をついた。


「ティンティナブリアの領主ファルス・リンガが、正義党に与すると意思表示した、という話を聞きまして」

「なんですって!?」

「あくまで噂ですが、トンチェン区の再開発にも投資していて、ゆくゆくは領地を帝都の属領としたいと望んでいるとか」

「そんなことは言っていません。正義党関連では、先日、クレイン教授に呼び出されはしましたが、リシュニア殿下にも説明しました」


 彼は座り直し、腕組みした。


「そうですか」

「そうです」

「わかりました。何かおかしなことが起きているようです。もし、我々の助けが必要になったら、いつでも仰ってください。とりあえず、今日はこのまま、何も伝えずワノノマの旧公館の方までお送りします」


 いったい、何がどうしてそんなことになったのか。

 いや、これは誰かが何かの目的で動いた。俺を陰謀に巻き込もうとしている?


 悪意の予感に、久しぶりの緊張をおぼえていた。

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