カノジョの前に妹とキスをした。

下等練入

ちとせのファーストキスは真保の味がした。

第1話

「駄目だって、私たち姉妹なんだよっ」

「知ってるし、それ昨日も聞いた」


 私の言葉を一蹴いっしゅうすると、妹である愛宕真保あたごまほの舌が優しく私の唇を割った。

 さっきまで何の味もしなかったのに、口の中はすぐに真保の味で満たされていく。

 力を込めて彼女を押し返していた手も、今は飾りのようにただそこにあるだけになっていた。

 キスの直後は少しだけ頭を横に振って抵抗することもできたが、今はそれすらも叶わない。


「練習だから大丈夫だよ、お姉ちゃん」


 満足そうな笑みを浮かべた真保は、何度か私の頭を撫でてくる。

 彼女がいるのに妹とこんなこと……。

 大丈夫じゃないってわかってるのに。

 本当はやめなきゃと思っているのに、いつの間にか抵抗するのを私自身が拒んでいた。


 身体に力が入らない。

 ただ「抵抗できないからやめて」なんて言えるわけない。

 口にしてしまったら、エスカレートするだろう。

 そう考えると黙る以外の選択肢しか私にはなかった。


「ねぇ無視するならもう一回してもいい?」


 彼女はさっきのキスで口の周りについた唾液をめとるかのように舌を動かす。

 ダイヤモンドのように妖艶に輝く瞳を向けてきたが、ダメに決まってる。

 なんとかまた力が入るようになった腕で慌てて彼女を押し返した。


「駄目だよ。やめよ」


 ただ私の返事なんか気にしていないのか、私が頑張って開いた距離を一瞬でキスできるまでに詰められた。


「ダメって、初めにキスの練習しようって言った時乗ってきたのはお姉ちゃんじゃん?」

「それはそうだけど――」


 確かに昨日誘われたとき「いいよ。しよ」とは言った。

 ただそれは軽いハグとか、わき腹をつつくとか、いつものふざけたスキンシップの延長線の上にあるようなものだと思っていたからOKしただけで……。

 それに中学生の頃険悪になってしまった関係も、真保が高校生になってようやく修復できたんだ。

 ここで下手に拒んでまた悪化させたくない。


「だからってあんなキスするとは思わないじゃんっ」

「私ちゃんと『恋人とのキスが不安なら練習しよっ』て言ったよね? あの時お姉ちゃんなぎさんと付き合ったはいいけどどうしたらいいか不安て言ってたから提案したんだけど、忘れちゃった?」

「そうは言ったけど。だけど……」


 人生で初めてできた彼女である凪とのデートを明日に控え、昨日は心が押しつぶされそうなくらい不安だった。

 その不安を少しでも軽くするためだったらと、真保の提案に乗ってしまったのは否定しない。

 ただ彼女が高校生になってから激しくなってきたスキンシップを考えると、たよってはいけないものだったかもしれないと今更になって思う。


「凪さんお姉ちゃんと違って友達多いんでしょ? 下手だと幻滅されてほかの人と付き合っちゃうかもよ?」

「そんなことあるわけっ!」

「けど凪さんはぼっちじゃないから選択肢いっぱいあるんだよ? 絶対にお姉ちゃんよりいい人に乗り換えられないって言える?」


 それは言えないけど……。

 けどそれを口に出してしまったら現実になってしまいそうで。

 真面目で人当たりのいい凪だからこそそんなことしないと信じたいが、付き合ってみてほかの人と一緒にいるほうが楽しいとか言われたら……。


「ねぇ姉妹だからダメって言うなら、ちとせって名前で呼ぼうか?」


 彼女は私の返事を聞く間も無く、追い打ちをかけるかのように耳元でささやく。


「ねえ、ちとせ。私とキスの練習しよう。いざする時失敗して凪さんに嫌われたくないでしょ?」

「嫌われたくは、ない。けど――」


 凪に嫌われるという言葉がズキンっと心に突き刺さるが、なんとか言葉を絞り出す。

 普段真保に名前で呼ばれないせいか、ちとせと呼ばれると妹じゃなくなったかのように思ってしまう。

 真保は妹。

 真保は妹。

 真保は妹。

 何度心の中で唱えても、さっきの囁きが脳にこびりついて離れない。


「バレるかもって思ってるなら大丈夫だよ。私とお姉ちゃんが黙ってれば誰にもバレない。一緒の家に住んでるんだし、練習するときはお互いの部屋にいけばいいでしょ?」

「だからって――」


 確かに場所を選べばバレないかもしれない。

 ただバレないからといってなんでもしていいわけじゃない。

 それにもし凪にバレたらと思うと……。

 絶対振られるだろうし、軽蔑される。

 もう二度と話してくれなくなるかな。

 そんなの嫌だ……。


「ねぇやっぱりこういうことって良くないよ」

「良くないって、今してるのは凪さんとうまくいくための練習でしょ? 私を妹だと思うからいけないんだよ。凪さんだと思えば、ね?」


 言い終わるや否や、彼女はまた唇を重ねてくる。

 今すぐ離れなきゃ。

 ここで受け入れたらどんどんひどくなる。

 何度頭の中でそう繰り返えしても、だんだんと頭が溶けたかのように何も考えられなくなる。

 相手が真保じゃなくてもいけないことをしてるはずなのに、なんで拒めないんだろう。


「ね、練習だと思えばなんともないでしょ?」


 唇を離すと彼女はいやに上機嫌な様子を見せ、続けた。


「私がうまく付き合うための練習台になってあげる。だから私のこと好きにしていいんだよ」


 彼女はぎゅっと私のことを抱きしめる。


「これも練習だよ、お姉ちゃん」

「練習って……」


 キスされる前から抱きつかれることはあったけど、今は前と同じような軽い気持ちで抱き返すことはできない。

 彼女は私の胸に寄りかかって、フフッと楽しそうに笑った。


「すごい心臓の音聞こえるけど、緊張してる?」

「緊張、はどうだろ……」


 真保に言われるまでは気が付かなったが、指摘されるとどんどんと鼓動が早くなっていくのがわかる。

 早く普通に戻ってと願っても一向に遅くなる気配を見せない。


「私とキスして抱きつかれただけでこうなっちゃうんなら、凪さんにされるとどうなるんだろうね?」

「……どうだろうね」


 自分でもこんなになるなんて思ってもいないかった。

 凪が相手だと考えると緊張も幸福も今日の比ではないだろう。


「お姉ちゃんは凪さんのこと好きなんでしょ?」

「好きだよ。じゃなきゃ付き合ってない」


 真剣なトーンで目を見ながら話しかけてくる真保に私も同じように返す。


「だよね。私はせっかくできた彼女なんだし、長く幸せに付き合えたらいいなって思ってるんだよ。ただお姉ちゃんどうしたらいいとか、わからないでしょ? だから私のこと頼ってよ、姉妹なんだし。私ならいくら失敗してもやり直せるよ」


 本当にいいのかな……。

 相手が真保じゃなければ今やってることは明らかな浮気だろう。

 ここでやめられなければ今後どうなっていくかはある程度想像できる。

 ただ真保に対し恋人にしたいとかいう意味の好きはないし。

 真保もきっと私に対しそんな感情は抱いてないだろう。

 なら失敗して凪に嫌われたり、ほかの人で練習したのがばれて振られるとかよりも何倍もいいのかな。


「わかった、頼るよ」

「よかった。私お姉ちゃんが凪さんとうまくいくように頑張るから」


 彼女は私の手を取ると満面の笑みを見せた。


「……、ありがとう」


 本当にこれでうまくいくんだろうか。

 けど付き合った時どうしたらいいかとかは私はわからない。

 確か真保には前付き合っていた人がいたはずだし、その時に感じたことや後悔したことがあるのかもしれない。

 それだったら練習相手になってもらったりするのもいいのかも?


「それよりさ、そろそろデートの時間じゃない? 平気?」


 彼女の指さした先を見ると、時計は待ち合わせの時間まであと少しであることを示していた。


「平気じゃない。遅れるっ」


 慌てて残りの支度や真保によって乱された服を整える。

 これで大丈夫だよね?

 身だしなみに変なところがないか何度か姿見の前で回って確認するが、ぱっと見問題はなさそう。

 よかった、と胸をなでおろしていると彼女が後ろからのぞき込んできて、言った。


「そのセットアップかわいいよね、似合ってる」

「ありがと……」


 あんなことの後だと真保がどんな意味で言ったのか分からなくなる。

 下手に何かを言っても墓穴を掘りそうだし、無視するのも感じが悪い。

 当たり障りのない言葉を口に出すと、逃げるかのように玄関まで駆け下りる。

 靴に片足を入れたところで、私を呼ぶ声が2階から聞こえた。


「まってお姉ちゃん、忘れ物!」


 彼女はバタバタと音を立てながら階段を下りてくると、一冊の本を手渡してくる。

 

「なにこれ?」

「なにって教科書、数3の。今日凪さんと勉強するって言ってなかった?」

「言ったけど」


 バッグの中を確認すると、代わりとでもいうかのように数Bの教科書が入っていた。


「まだ進級した実感なさそうだね」


 彼女は笑いながら教科書を取り換えると「これは適当なところに戻しておくよ」と軽く掲げて見せてきた。


「まああんまり時間経ってないからね。じゃあ行ってきます」


 普段は見送りなんかしないせいか、珍しく真保に見送られると思うとさっきのこともあって少し気恥ずかしい。


「行ってらっしゃい。凪さんとのデート楽しんできてね」

「わかった、ありがとう」


 正直こんな気持ちで楽しめるのかという不安はある。

 真保の顔を眺めるとさっきの吸い込まれそうになる瞳がよみがえり、凪に対する罪悪感も湧いてくる。

 ただ「楽しめないよ」なんて言っても、なにも解決しないのはわかっている。

 上手く笑えてない自覚がありつつも、何とか笑顔を作り簡単に返事をすると外へ出た。

 彼女は私がドアを閉めるまで微笑をたたえたまま、手を振っていた。

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