【完結】バスは秘密の恋を乗せる

桐山なつめ

プロローグ 塗りつぶしたい過去

 ぽた、ぽた、ぽた。

 絵筆を洗うためのバケツから、水がしたたり落ちる。


 ――本当は、こんなことをするつもりじゃなかったんだ。


 机の上には、水にぬれてすっかり絵の具がにじんでしまった水彩画。

 こおりつく美術室。息をのんで見つめる美術部のみんな。

 なんてことをしちゃったんだろう。

 私は、この絵を描いた子の気持ちをよく知っていたはずなのに。

 とても自分勝手な理由で、彼女の絵を台無しにしてしまった。

 ぎゅっと胸がしめつけられて、息をするのが苦しい。


「菜月、そんな顔しないで」


 立ちつくす私に、親友の亜衣が近寄ってきた。

 目の前で自分の絵をめちゃくちゃにされたのに、亜衣はやさしい。


「どうして怒らないの? 私、わざとやったのに」

「いいの。やっと菜月の気持ちがわかって、ほっとしたから」


 どうして? 私は、絶交されても仕方ないくらい、最低なことをしたのに!


「ごめん、亜衣。私、もう絵を描くのやめるから」

「えっ、なんで? やめちゃだめだよ、菜月」


 亜衣のやさしさが痛い。罪悪感でおしつぶされてしまいそう。

 私はカバンを乱暴にひっつかむと、逃げるように美術室から駆け出した。

 亜衣と話をしたのは、それが最後。

 あの日から、私は絵を描いていない。

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