第36話
診療所の名前が『マリーゴールド診療所』と決定したところで、改装中の診療所へ案内してもらうことになった。
場所はフェルナンドのタウンハウスから徒歩五分の場所にある、大通りから一本入った通り沿いの二階建てのアパートだった。
アパートは各階三部屋づつの計六部屋だ。
診療所にする一階部分は壁を一部取り払い部屋を広くして待合室にしたり、隣室と行き来できるように扉を設置するなどの改装工事中だ。
二階部分は一室は備品庫として使用し、もう一室はミリアの住居。そしてもう一室、用途のない部屋が余ってしまうが、将来的に人を雇い入れた時に貸し出す部屋としてそのまま空室にしておくことになった。
改装工事はあと二週間ほどで完了し、その後診察台やベッド、キャビネットなどを搬入する予定だ。
ミリアは自分の居室となる部屋を見せてもらう。
中は1LDKの間取りで広さも充分だ。かなり埃がたまっているが、掃除をすれば直ぐにでも住めそうだった。
フェルナンドに許可を得て、早速掃除にとりかかり入居する準備をすることにした。
ミリアは毎日アパートに通い、掃除をして、少しずつ家具を買い入れ新生活を始める準備をした。
家具の購入はジルベスターから借りた指輪を使った。
離婚後の生活の保証はしてくれると言っていたので、遠慮する必要はないと多少高くても気に入った物を取り揃えた。
五日ほどでミリアは完全に住環境を整えて、移り住むことになった。
アパートの一階では改装工事が大詰めを迎え、フェルナンドが業者と打ち合わせしているのが見えた。
共同経営者としてフェルナンドに任せっきりだったな、と反省したミリアは、自分のできることを考えた。
───よし!掃除だ!
どうせミリアも今は何もやることがないので、掃除やカーテンの取り付けなどできることをやった。
「嬢ちゃん、ここに何ができるんだ?」
通りがかりの男性が外周の掃除をするミリアへ話しかけた。
「診療所ができるんですよ。私はここの治癒士なんです。病気や怪我、その他辛い症状があったら是非ご相談下さい」
「へぇ、診療所か。俺はピンピンしてるから縁がねぇなあ」
「だったらご家族や友人との話題に上らせてくれるだけでもいいわ。
はい、これサービスです」
宣伝効果を狙って、ミリアはその場で疲労回復の治癒魔法をかけてやった。
「お?おー!こりゃいいねぇ。宣伝しとくよ!」
「よろしくね!」
それからのミリアは診療所前を通りがかる人がいれば、「ここに診療所ができます。よろしくお願いします!」と言って疲労回復をかけるサービスをしていった。
*
いよいよ『マリーゴールド診療所』が開業した。
医師一名、治癒士一名、事務一名、病床数二台だけの規模の小さなものだが、ミリアが手に入れたミリアの大切な居場所だ。
恵まれたことにフェルナンドも、その妻のユリアもいい人でうまくやっていけそうだ。
診療所は元はアパートだったのを改装したので少し変わった造りをしている。アパートの各部屋の玄関扉はそのままで、一つは一般外来患者用。一つは馬車で乗り付けたときに、姿がなるべく見られないように目隠し用の仕切り壁を付けたお貴族様のお忍び用。そしてもう一つは短期入院用の病室として使う部屋だ。
内部は三部屋が行き来出来るように繋がっていて、しかも内階段を設置して二階のミリアの部屋とも繋がっている。
それは夜間に救急患者が来たときや、入院患者がいるときの夜間の見回りをするためで、普段は階段を降りれば即職場という便利な通勤経路となっている。
開業初日の患者の入りはまずまずといったところで、ミリアが通りがかりの人にサービスで疲労回復をかけたのが功を奏した。
フェルナンドも営業活動を何もしていないわけでなく、軍医仲間に長期療養が必要な人にマリーゴールド診療所を紹介してもらっていた。
それ以外に訪問診療の貴族を同業者の兄から紹介してもらい、とりあえずは経営難に陥ることはなかった。
さすがにオープン初日からお忍びで診療所へやって来る貴族はいなかったが、日を経る毎に増え始めた。
患者同士が顔を合わせないためにも完全予約制で、馬車の乗り降りも人から見られない。それが評判を呼んで毎日貴族が受診に来るようになった。
男性貴族の患者はミリアを絶対に立ち会わせないという人が多い。
誰にも知られないようにひっそりと診察を受け、例え治癒士であろうが女性に見られたくないと言う。
そういう患者はろくでもない病が多い。
そして女性貴族の場合はミリアの出番が多い。
一時の恋に身を委ねた女性が、しばらく月のものが来ないからと不安になり来院する。
そこで治癒魔法の一つである受胎診断が必要になるからだ。
もちろんフェルナンドも妊娠の診断はできるが、医師の診断は触診となるため治癒士のほうが好まれる。
そして妊娠が確定した後は、産むにしてもそうでなくても家族や産婆との相談が必要となるため診療所の患者から一旦外れることになる。
お忍び貴族の診察はそれら性事情によるものが多く、なんて爛れた人たちなんだろうかとミリアは思うが、診察料金が高く診療所の大きな収益となっているのであまり文句は言えない。
そんな感じで『マリーゴールド診療所』は概ね順調な滑り出しだった。
開業から一月も経つとミリアも『マリーゴールド診療所』の仕事に慣れてきた。
ミリアは仕事を終えて、黒縁メガネを外し、眉墨で描いたそばかすを落とそうと洗面所の前に立った。
このちょっとした変装は、昔から貴族の対応をするときにしていたものだが、今は毎日貴族が受診に来るので常にこの姿で仕事をするようにしていた。
日はすでに沈み、街灯が灯る時刻。
窓の外から診療所の前で馬車が止まる音が聞こえた。
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