第35話
ヴェルサス辺境領へ無事到着したミリアはとりあえず宿を取った。
ミリアでも払える料金の宿で、女性が一人で利用しても安全なところを、サミュエルに紹介してもらった。
ミリアのこちらでの生活はジルベスターが手配した高級宿での暮らしだったため、ジルベスターと離婚してしまえば住むところは失くなってしまった。
フェルナンドとの診療所に併設されるミリア専用の部屋が完成するまでは宿を利用することにした。
ミリアは宿を取ると早速フェルナンドへ手紙を認める。
ヴェルサス領へ戻ってきたことと、開業資金を用意できたことを知らせるために。
返事はすぐに届いた。
フェルナンドは結婚後の住居と診療所にする建物はすでに決めていて、今は診療所の改装工事を進めている段階だった。
一度話し合いたいと書かれており、ミリアは指定された場所へ足を運んだ。
場所は平民の中でも比較的裕福な世帯が住む住宅街。この住宅街のタウンハウスにフェルナンドが幼馴染みの女性と暮らす邸宅があった。
少し緊張しながら扉をノックする。
すると「はーい」と明るい女性の声が聞こえて扉が開かれた。
出てきた女性はミリアより少し年上の、スレンダーで綺麗な人。
緩やかなカーブを描くブラウンの髪に琥珀色の瞳。
「あ、あの、私」
「貴女、ミリアさんね!」
「え、そ、そうです」
「フェルくーん!ミリアさんがお見えになったわよー!
まだちょっと片付いてなくて散らかってるけどごめんなさいね。どうぞ入って」
───ふぇ、フェルくん…。
意外に可愛い呼ばれ方しているんだな。と思いながら家の中へ入る。
「し、失礼します」
「フェルくんは止めてくれと、あれほど言って…ミリア君!」
「どうも、おじゃましてます」
やはりフェルナンドからしても少々恥ずかしい呼び方だったようで、ミリアと目が合うと顔を真っ赤に染めていた。
「まだ片付いてなくて悪い。よく来てくれたね。こっちで話そう」
まだ部屋へ設置していない調度品や生活用品の納められた木箱がそこかしこに置かれ、引っ越して来て間もないことが窺える。
玄関ロビーに置かれた応接セットのソファーに案内され、先ほどの女性がお茶を出した。
「ミリア君、紹介する。妻のユリアだ」
「妻のユリアです。ミリアさんのことはフェルくんからとても素晴らしい治癒士だって聞いてるわ。私もお仕事のお手伝いをさせていただくので、宜しくね」
「ミリアです。戦場ではフェルナンド先生には大変お世話になりました。
こちらこそ宜しくお願いします」
明るくてハキハキと話すしっかりした印象の女性だ。うまくやっていけそう。ミリアはそう思った。
「それからこれ、ご結婚おめでとうございます」
王都でフェルナンドへの土産を選ぶのに、結婚も間近な様子だったのでお祝いの品を買うことにした。
ペアのマグカップで、飽きのこないシンプルなデザインのものにした。
「まあっ! 大切に使わせてもらうわ!」
「ありがとう。気を遣わせて悪いな」
二人はつい一週間前に結婚したばかりで、フェルナンドとしては診療所が軌道に乗ってから結婚を考えていたのだが、ユリアが早く結婚をしてフェルナンドを支えたいと言って急遽、一月の準備期間を経て式を挙げたのだった。
「それから、私からの資金提供ですけど…」
ミリアは持ち運ぶのも緊張してしまうほどの貨幣が入った小袋をテーブルの上に置いた。
母がミリアのために貯めていた貯金、自分で貯めた貯金、そして、先日ジルベスターの婚約者から受け取った手切れ金。それら全て合わせるとかなりの金額になった。
手切れ金はかなりの金額が入っていて、王都から帰るときの路銀にしようかと思っていたが、結局ジルベスターが負担してくれたのでそのまま残った。
そしてそのまま診療所の開業資金に転用してしまうことにした。ミリアもこの時ばかりは貴族の傲慢さに感謝し、プライドを捨てて貰っておいて良かったと心から思った。
「それを受け取る前に開業費用の試算と報酬の取り分について話し合おう。資料を取ってくる。少し待っていてくれ」
「はい」
フェルナンドはミリアとユリアを二人きりにして行ってしまった。
───何だか、気まずい…。
ミリアとフェルナンドの間に恋愛的な何かがあったわけではないが、治癒士の能力を買われてプロポーズされたことを今さらながら後ろめたさを感じてしまった。
あの時、ミリアはフェルナンドのことを男性として見てはいなかったが、イケメンで医師としての腕もいい。内心悪くない話かも…と思っていたのも事実だ。
プロポーズされた件は一生隠し通すつもりではあるが、意識せずにいられるようになるのは少し時間がかかりそうだとミリアは思った。
「ミリアさん、もしかしてフェルくんにプロポーズされた?」
「ぶふぉっ!」
思わず口にしていた紅茶を吹き出してしまった。
「ああ、ごめんなさい。驚かすつもりはなかったの。フェルくんはね、昔から腕のいい治癒士と結婚するんだって言っていたの。私と婚約している間も、手に入れたい治癒士が現れたらこの婚約は破棄するだろうから、君の方からこの婚約は破棄してくれないかって言われていたわ。でも私がフェルくんのことが好きだったからそれはできなかったの」
「あ、あの、一緒に診療所をやっていかないかと言われたのはとても魅力的なお誘いで…でも私には結婚願望がなかったというかなんというか…」
ろくな言い訳も言えないままミリアが慌てていると、ユリアはくすりと笑った。
「ごめんなさい。責めているつもりはないの。妻の私が言うのも何だけど、フェルくんって見た目いいでしょ?
それに家柄もいいし、お医者様だし。
なのにフェルくんのプロポーズを断って共同経営者になろうだなんて、よほどフェルくんに興味がないか、若しくは他に好きな人がいるのかどちらかだと思ったわ」
───他に好きな人…
そう言われてミリアはジルベスターの姿を思い浮かべた。
───違う!違う!ダメよ!
私には不相応なお方だし、婚約者のいるお方なんだから!
一瞬脳裏に浮かんだ姿を慌てて打ち消し、ユリアのほうを見るとそんなミリアの様子を見て「ふふふ」と笑っていた。
「私ね、ミリアさんに感謝してるの。貴女が共同経営者となって、結婚はしないけどずっと治癒士として一緒にやってくれることになって、ようやく彼は私との結婚を決意してくれたの。本当にありがとう」
「そんな、私は何も…」
ジルベスターとの離婚後の行き場を失くしていたミリアにとってフェルナンドの申し出は本当に有り難かった。
ただ結婚はもうしたいと思えなかっただけで。
その時ちょうど書類を手にしたフェルナンドが戻ってきて、話し合いが再開された。
ミリアの提供した資金は必要となる費用の四分の一ほどになり、フェルナンドが予想していた額より多くの資金提供で驚いていた。
そのお金で診察台や患者用ベッド、その他備品を揃えることになり、ミリアのおかげで親からの増資を頼まなくて済んだと喜んでいた。
それから報酬の取り分の話や、工事の進捗状況、開業日の話をした。
「ミリア君、そろそろ看板の発注をしなくてはいけないんだ。診療所の名前はどんなのがいい?」
「フェルナンド先生の家名でアルツトーラ診療所はどうですか?」
「実は実家の病院がその名を使っている」
「あー、ではよくある町の名前を付けるのは?」
「周囲に町の名前を付けた店舗があふれていた」
「うーん、花の名前を付けるのはどうでしょう。『タンポポ診療所』とか」
「ねぇ、マリーゴールドなんてどうかしら? マリーゴールドの花言葉は『健康』よ」
ユリアがいいアドバイスをくれて、「マリーゴールド診療所…」とフェルナンドが呟く。どうやらまんざらでもないようだ。
「私も『マリーゴールド診療所』気に入りました」
「よさそうだな」
ということで診療所の名前が決定した。
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