第31話

 裁判も終わり、傍聴席にいた観客も疎らで陪審員らも帰って行った。


「ミリア、勝訴おめでとう。これで君も晴れて平民だ」


ジルベスターが手を差し出した。

認識阻害の魔法で何度も握ったその手。すらりと指が長く大きくて暖かい手。その手に触れられるのは最後だと思った。


「ありがとうございます」


ミリアとジルベスターは握手を交わす。


「契約より多少早まってしまったが、君との婚姻関係もこれで終了だ」


「今までお世話になりました。でも、よろしかったのですか」


「ああ、戦は終わったからな。命を狙われることは当分ないだろう。でも約束通りヴェルサス領まで送らせてもらう。私と一緒に帰ろう。もうしばらく王都で片付けなくてはならない仕事があるから、君はもう少し王都でゆっくりしていてくれ」


「え、あ、でも私はもう平民で、ご一緒だなんて…」


「遠慮する必要はない。

そうだ、宿もそのまま使い続けてくれ。護衛もしばらくはそのまま付けること。君の安全のためだよ、いいね」


「で、でもそれだと」


「そうだ、今夜二人だけの祝勝会と私たちのお別れ会でもやろう。宿のレストランで美味しいものでも…。君はおしゃれして来るといいよ。クリス、手配を頼む」


「畏まりました」


「あの、そんな私の方がお礼を…」


「ああ、悪いが私はもう行かなくてはいけない。今夜楽しみにしているよ!では、また後で!」


ジルベスターには何一つメリットがなく、ミリアには有難い申し出ばかりだ。ミリアが遠慮しようとしてもジルベスターが言葉を遮り、押し切られてしまった。


「閣下は君が離れるのが寂しいみたいだね」


クリスが笑いながら言う。


「そうなんでしょうか」


実はミリアも少し寂しいと思っていた。ほんの少しでも同じ気持ちなら嬉しい。


「そうなんだよ」


そう言って笑いながらジルベスターの後を追いかけて行くクリス。

その後ろ姿をミリアは見送った。


その様子を傍聴席から鋭い視線で見つめる若い女性がいた。彼女の名前はブリジット・レオフォール。侯爵令嬢である。

その時のブリジットの鋭い視線を、ミリアは全く気が付かなかった。後日、彼女に貴族の令嬢の気位の高さを思い知らされる羽目になることなど、この時のミリアには思いもよらないことだった。







 夕方、ミリアはクローゼットを全開にしてどの服を着ていこうか悩んでいた。


ジルベスターはおしゃれして来いと言っていた。


クローゼットの中には左側に平民の服。中央に『お嬢様』と言う感じのワンピース。そして右側にはいかにも『ご令嬢』が着そうなレースやフリルが惜しみなく使用されたドレスが並ぶ。


一度だけ領主城でジルベスターに食事に招かれた時に着たドレスを着ていくのが正解なんだろうか。

しかしまだ一度も袖を通したことのないドレスが何着かある。

これらのドレスは背中にリボンが着いていたり、レースが何重にも重ねられたりして一人で着るのは難しそうだ。

どうするべきかミリアは一人でうんうん唸っていると扉を軽く叩く音が聞こえた。


「はい、どうぞ」


「失礼しまーす」


ミリアが返事をすると続々と入ってくる女性ら。

ドレスを抱えている人、小道具の入った箱を抱えている人、メイク道具が載ったカートを押す人。それらの人達が一列に並び姿勢を正した。


「侍女派遣サービスからやって参りました、私、アンネ・タールグルトと、私のチームでございます。本日、ヴェルサス辺境伯様からの依頼によりお仕度のお手伝いをさせていただきまーす」


中でもリーダーと見られる女性が一歩前へ出て恭しく挨拶した。


「あ、はい、ミリア・ポーンズと申しま…」


とミリアが言いきる前に


「早速ですが、お仕度に取りかからせていただきますわ。

お時間がございません!超特急で参りますわよ!」


「「「はい!!」」」


あれよあれよという間に着ていたワンピースを脱がされ、アンネのきびきびとした指示により、派遣侍女の一人が手にしていた薄紫のドレスを着付けられていく。

髪結いと化粧はアンネが担当だ。

ミリアにとって他人に髪を結ってもらうのは二度目で、一度目はミリアを監禁し、酷い食事を食べさせたあのハンナだった。髪の引っ張り合いをしたのを覚えている。

彼女と違って髪を強く引っ張られることもなく、アンネに優しく扱われるミリア。あの時の自分がいかに嫌われていたのか今更ながら思い知らされるのであった。


「さーて、仕上げですわ」


姿見の前に立つミリアの後ろから、アンネはそっとネックレスを着けてやる。

ミリアの胸元にヒヤリと冷たい感触がした。


「…綺麗」


「希少なタンザナイトですわね。大変お美しゅうございます」


そう言いながらアンネはミリアの耳にお揃いのタンザナイトのラインストーンイヤリングも着けてやる。


タンザナイト…初めて聞く宝石の名前で、青紫の輝きになぜか胸が高鳴る。美しく高貴な輝きはジルベスターの瞳を思い出させた。


薄紫の少し大人っぽいドレスに、青紫の宝石。髪も綺麗に結い上げられ、いつもと違う自分が姿見に映っていた。


───こんな私の姿を見て閣下はどう思われるのかしら。褒めてくれるかしら。でもきっと閣下は綺麗な人は見慣れてるわよね。


そんなことを思っていると、派遣侍女たちが仕事を終えて一列に並んでいた。


「ミリア様、仕上がりの方はいかがでしょうか」


「あ、はい、とても素敵です」


「ありがとうございます。今宵は思い出に残る素敵な一夜をお過ごし下さいませ。では、またのご利用をお待ちしております」


アンネを先頭に派遣侍女たちが一同に頭を下げる。そして一人一人丁寧に礼をしながら部屋を出ていった。



 この宿の最上階にあるレストランは、ただお金を持っているだけでは入れない紹介制の店である。


ミリアが店の扉の前へ行くと長期滞在であることと、ジルベスターの特別な客であるおかげで、顔が割れていて問題なくドアマンに扉を開けてもらう。


一歩店内へ足を踏み入れると案内係が近寄った。


「いらっしゃいませ、ミリア様。

お連れ様がお待ちです。お席の方へご案内致します」


「はい、お願いします」


ミリアは生まれてこのかたこんな丁寧な扱いをされたことがない。緊張しながらジルベスターのいる席へと案内された。

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