120『本物のお酒の失敗』


「ふしゃー!」


「改めておはよう秋水。丁度良かったわ、大事な話があるから呼ぼうかと思ってたのよ」


「おはようだけど、待って鎬姉さん、栗形さんが威嚇してる猫みたいになってるのにスルーぶちかまさないで」


「ふしゃー! ふしゃーっ!」


「あら、今日のファッションは白羊ちゃん風味で可愛いわね店長、今日も一日頑張って経営を立て直しをしましょう、えいえいおー。それでね秋水、良い話と悪い話があるの。プラス50点の話とマイナス300点くらいの話よ。とりあえず悪い話からでいいかしら」


「よくねぇよ。ほら栗形さん、落ち着いて下さい。大丈夫です、怖くないですよ。悪魔みたいなイかれた人ですが、取って食ったりはしませんよ」


「悪魔みたいな面の子に、悪魔みたいとか貶されてお姉ちゃん泣けちゃうわ……」


 質屋 『栗形』。

 混乱のあまり猫みたいになってしまっている質屋の店長、栗形 祈織を宥めながら、こっちも泣きたいわ、と秋水は自分の叔母を睨み付けた。

 質屋の倉庫であるバックヤード、そこの通用口から出勤してきたのは長身の女性。

 切れ味すら感じる綺麗系に整った顔立ちと、抜群のプロポーションをきっちりとしたスーツで包んだその女性は、棟区 鎬という。

 秋水の父の、年の離れた妹であり、秋水から見て叔母に当たる。

 そして、登場早々に祈織を大混乱に陥れている元凶である。


「うぅ……秋水くん……」


 少し落ち着いたのか、その祈織が鎬から隠れるように、秋水の巨体にぴとりとくっついてきた。

 鎬に対して完全に腰が引けているようだ。

 まあ、酒を飲んで酔っ払って色々と性的にオープンになってしまった鎬と、同じくアルコールによって色々とブレーキがぶっ壊れた祈織が、ちょっと青少年の教育上よろしくないアレやコレやという大醜態を繰り広げてしまったのは聞いている。

 それを祈織は非常に気に病んでしまい、鎬と二人きりになるのは精神的に耐えられないと泣きついてきた結果、秋水は本日質屋 『栗形』 にお邪魔しているのである。

 まあ、そりゃ気に病むよな。

 若干顔色悪く、ビクビクと震え始めている祈織の背中を軽く撫でてから、改めて秋水は鎬の方を見る。


「あらあら、随分2人は仲が良さそうね、妬けちゃうわ。私も混ざって良いかしら?」


「よーし待とうか鎬姉さん、わりと真面目に栗形さん怯えてるからちょっと待とうか」


「秋水じゃなくて私の方が怯えられるとか珍しくて新鮮ね」


 そんなことを言いながらも鎬の表情は無に近い真顔のままで、質屋のバックヤードに1台だけ鎮座していたロッカーに着ていた深紅のマウンテンパーカーを仕舞い込み、仕事用のエプロンを取り出しているところであった。

 相も変わらず表情の変化に乏しいと言うか、顔だけ見れば何考えているのか分からない感じの叔母である。

 もっとも、口を開けば感情の十割が出力される分かり易い叔母でもある。


「それで秋水、こんな場末の質屋にようこそいらっしゃい。今日もお手伝いに来てくれているのかしら?」


「場末とか失礼だなぁ!」


「あらごめんなさい。場末という言葉が似合わなくなるくらいに店を盛り上げましょうね店長」


「うぅ……なんでこの人全然気にしてないの? ヤり慣れてるの? これがモテる人の余裕なの?」


「ねえ秋水、この白羊ちゃんが人のことを急にビッチ扱いしてくるのだけど、いくら何でも酷いと思わないかしら?」


 知らんがな。

 エプロンを身につけながらも、言葉のわりにはしれっとした態度のままこちらに視線を飛ばしてくる鎬に、秋水は何とも言えぬ微妙な表情を返さざるを得なかった。

 なんと言うか、いくら見た目が美人で知的なお姉さんだとしても、自分の身内である人の性的事情に首を突っ込みたくない。

 まして酒の失敗で一晩の過ちを犯しました、なんて話には関わり合いたくない。

 当事者同士でなんとかしてくれないかなぁ、というのが本音である。


「さて秋水、話を戻しましょう」


 しかし鎬はそんなことを気にもせず、ソファーに置いていた秋水の荷物をひょいと秋水の膝の上に置き、空いたその場にすとんと座ってきやがった。

 3人掛けのソファーである。

 当然すぐ隣だ。

 左に鎬が座り、そして右には秋水を盾のようにしている祈織が座っている。

 挟まれた。

 男であれば、美人系のお姉さんとかわいい系のお姉さんに挟まれてドキドキものだろう。

 もっとも、美人系のお姉さんは自分の叔母で、かわいい系のお姉さんは推定身長140㎝程度のお子ちゃまスタイルの童顔だ。そしてその2人はがっつりとアダルトな失敗のせいで拗れてしまっている。

 なるほど、別の意味でドキドキしてきた。


「いや真っ先に終わらせなきゃいけない話が終わってねぇんだわ」


「そ、そーだそーだ!」


 何かの話題を早く切り出したいという雰囲気を全開で醸し出している鎬に秋水がストップをかけると、なぜか祈織が鎬に向かってヤジを飛ばしてくる。小学生かこのロリ体型。

 ん、と鎬の視線が祈織に向くと、ひ、と祈織は秋水の陰に隠れてしまう。なんだコレ。


「そうね、なら店長……いえ、祈織。先週の件について私からの率直な意見を出させてもらっても良いかしら」


「う、うぅ……警察は……」


 ふむ、と鎬は一度鼻を鳴らした後、今度はしっかりと鎬の方へと顔を向ける。

 秋水に張り付いていた祈織が、ぎゅ、と秋水のシャツの裾を握ってきた。

 えー、間に俺置いたまま真面目な話が始まっちゃう感じなの、と渋い表情で目を閉じる。自分は置物、自分は空気。言い聞かせるように心の中で唱えてみた。居心地悪すぎである。




「気持ち良かったわ、グッジョブ」


「警察だけはご勘弁を……はぁ!?」




 あー、もう、あー、何も聞こえなーい。

 耳を塞ぎたい気持ちがいっぱいの秋水ではあるが、非情にも温度差が全く異なる言葉が両方から浴びせられて風邪をひきそうである。


「いや気持ち良かったって、いやいやいや、軽くないそれ!?」


「大丈夫よ、女同士なんて入れるものもなければ出す機能もないから孕むかどうかなんて重く考える必要はないわ」


「最低の下ネタねじ込んできたねこの人!?」


「下ネタもなにも、下ネタの実体験で関係拗れてるんじゃないの」


「そうだけどさぁ!?」


 凄く真面目な話でもしているかのような真顔のまま、ド直球の下ネタをぶん投げてくる鎬に対して祈織がドン引きである。ついでに秋水もドン引きである。

 まるですり寄るように秋水の膝に手を置いて、ずいっと祈織に顔を近づけてくる鎬に、祈織と秋水は2人揃って上体を仰け反らせて距離を取ろうとする。もしかして秋水の膝の上に手を置いたのは逃がさないためなのだろうか。


「秋水くん秋水くん、鎬さんってどうなってるの? 性的に乱れ過ぎちゃってる人なの? 経験人数3桁くらいなの?」


「すみません栗形さん、流石に身内の性的事情は知りたくないんです……」


「失礼ね祈織、あなた含めて経験人数は2人よ」


「知りたくねぇつってんのに明け透けに公言すんじゃねぇよオイ」


 あまりにも性的に寛容すぎる鎬にビッチ疑惑を祈織がかけるものの、祈織は表情1つ変えることなく否定を入れてきた。

 嫌な情報が遠慮なく叩きつけられてきて秋水は泣きそうである。

 経験人数が2人と言うことは、つまりなんだ、えっと、そういうことなわけで。

 考えるのは止めよう。精神衛生上よくない。


「でもでも、私が暴走しちゃって、全然ストップ掛けられなくてみっともない醜態晒しちゃったと言うか……」


「お酒のせいよ、忘れましょう」


「忘れんな教訓にしろバカ」


「それにあんな無理矢理みたいな感じになっちゃったと言うか……」


「弱音吐いてグズグズに弱ってたのからスイッチ入って急に強気になる感じはギャップがあってなかなか興奮したわ」


「急に性癖の開示やめて?」


「あと考えてみたら、鎬さんのブラジャー、絶対駄目にしちゃったよね私!? 顔に似合わずかわいい系のアレ、高そうだったのに!」


「あ、ブラに関しては本当に大丈夫よ。カップが合わなくなって捨てようかどうしようか迷ってたものだから、むしろ丁度良かったわ。ありがとう」


「聞きたくねぇ……聞きたくねぇ……」


 心を無にして何も考えたくないのだが、どうしても鎬の言葉にツッコミを入れてしまう。ゴリゴリと自分のメンタルが削れていくのがはっきりと周囲は自覚出来ていた。

 と言うか、祈織も祈織である。一応、秋水が中学生男子であるということは把握しているはずなのに、段々と話のオブラートが溶けて過激な内容がチラ見えしてしまっている。

 いや、2人が酒の勢いで物理的いちゃいちゃしたことは、そりゃふんわりとは聞いてはいたし、察してはいた。

 ただちょっと、プレイの内容を聞かされるのは、うん、キツい。

 ああ、栗形さんってベッドヤクザなんだ、という目で見てしまうようになったらどうしてくれるんだ。一緒に暮らしていた関係上、鎬の下着が意外と可愛い系なのは知ってたけど。

 あまりの会話に挟まれるという拷問みたいな状況に、秋水はゾンビみたいな表情になって天井を見上げた。

 今日は厄日過ぎやしないだろうか。

 その秋水の顔を、ちらりと鎬が見上げ、特に表情を変えることなく再び鎬の顔を覗き込む。


「もう一度言うけど、ちゃんと気持ち良かったわよ」


「それはもうなんて言うかありがとうございましたなんだけどさぁ!?」


「なら良いじゃない。私、この話に関しては謝るつもりは一切ないわよ、祈織」


 言いつつ鎬は、ぽん、と祈織の肩に手を置いた。

 秋水を挟んでである。

 ヤだよこの状況。




「私の初体験は、絶対に手を出しちゃいけない子に私から手を出して、100%豚箱にぶち込まれるくらいに最悪なものだったのよ。その件については、一生涯謝罪し続けるつもりでいるわ。私の性的事情って、むしろそういう感じだったのよ」




 一瞬、鎬が何を言いだしたのかが理解出来なかった。

 が、理解が追いついてきた次の瞬間には、ぶわっ、と秋水の顔から冷や汗が噴き出した。

 いや待て。

 オイ待て。

 なに言ってんのこの人。

 お互いに壮大なるトラウマになってる事象を急に掘り起こすとかなに考えてるのこの人。

 天井に顔を向けたまま、秋水の顔から血の気が引いた。


「でもね祈織、この前はちゃんと気持ち良かったわ。ありがとう」


 なんか鎬にしては優しい声色で、良い話っぽく祈織にお礼を言っているものの、この程度でその直前に投下した爆弾発言がどうにかなるわけはない。

 急に性的トラウマをのようなものを抱えていることを開示してきた鎬の台詞を、ぱちくりと瞬きしながら祈織は数秒かけて意味を咀嚼する。

 なるほど、鎬は性的なあれこれに関しては、ちょっと特殊な事情があった、と。

 えっと、初体験で何か嫌なことがあったと。

 それは自分から相手に手を出したとか何とか。

 ……えーっと。


「……あの、手を出しちゃ、いけない相手、って……?」


 それは誰のことか、と考えて、なんの気なしに鎬から視線を外し、急に無言になった秋水の顔を仰ぎ見た。




 真っ青な顔で、脂汗を浮かべていた。




 手を出しちゃいけない相手。

 豚箱にぶち込まれる。

 初体験。

 いやいや、まさか。

 一瞬浮かびかけた仮説を、祈織は心の中で笑い飛ばそうとしたものの、その笑いは随分と乾燥してカサカサであった。保湿が足りていないようだ。

 だって、ねえ?

 いくら鎬がブラコン丸出しのお姉ちゃんだとしても、それはいくら何でもあんまりである。

 だって、それはつまり、近親相―――


 ぐっ、と肩を掴まれる。


 祈織の肩にぽんと置いていた鎬の手が、結構な力で握り締めてきた。

 え、痛い。

 思わず考えを中断して慌てて鎬へと顔を向け直せば、相変わらず真面目な真顔のままでこちらをじっと見ている鎬。

 いや、その目は、その眼光は、いつも以上に鋭くて、なんとも言いようのない程の圧を醸し出している。




「いいわね祈織、本当のお酒の失敗というのはね、それくらいのレベルのことを言うのよ……っ!」




「え、あ、はい」


 有無を言わさぬ鎬の圧力に、祈織は思わず素で返事をしてしまった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 よし解決、たぶん! (秋水くんの胃へのダメージからは目を逸らす)


 鎬さんが久々の登場ですが、この人地味に無茶苦茶喋るから気を抜くと文字数が膨らんでしまう……(´゚ω゚`)

 次回は文字数がちょっと多いです。

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