87『殴りヒーラー』

「あ、棟区くん、明日も一緒にごはん食べよーよ」


「いやです」


「えー、なんでー?」


 本日全ての授業が終わり、さて帰るか、という時間になった途端にぱたぱたと秋水の席まで駆け寄ってきた紗綾音の頭をわしゃわしゃ撫で、反対の手で鞄を持ち上げる。

 今日の昼食は確かに有益な情報を得ることは出来たのだが、それにしたって疲れる昼食であったのだ。

 賑やかな食事というのは、やはり性に合わないな。

 そう思いつつ、秋水はゆっくりと席から立ち上がる。


「あ、ごめん、もう帰る感じですか?」


 と、今度は別の人から声が掛けられる。

 紗綾音にか。

 チワワの存在は別として、これまでクラスメイトから声を掛けられるというのは秋水にとってはかなりのレアケースであり、反対にクラスの人気マスコットである紗綾音ならばいくらでも声を掛けられるであろう。

 そう考えれば、呼ばれたのは自分ではない、というのはすぐに分かることである。

 ただ、反射的に声の方へと視線を向けてしまい、しまった、と秋水は後悔した。

 目つきの悪い秋水は、別になんの意図も混じえることなくただただ目を向けただけで、凄い目で睨まれた、と誤解をされてしまうことが多々あるのだ。紗綾音に声を掛けたのに、こんなヤクザに睨まれたとあっては向こうが可哀想である。


「うっ……ご、ごめん」


 予想通りに顔を青くして思いっきり相手は怯んでしまった。

 ただ、その怯んだ相手、と言うか紗綾音に声を掛けてきた相手は、昼にテーブルをともに囲んだ内の1人であった。


「およ? どしたの日比野くん? ちなみに棟区くんはガンつけてるとかじゃなくって、目つき激やばばってだけで、たぶん何も考えてないよ」


「何も考えてなさそうな渡巻さんに言われると悲しくなりますね」


「ホント棟区くん私への態度だけ冷たいよね!? 毎日色々考えて一生懸命生きてるよ私!?」


 秋水の目つきについて即座にフォローを入れてくる紗綾音は確かに助かるのではあるが、それでも何も考えていない扱いに対してはちくりと刺し返しておく。


「訂正だよ日比野くん、やっぱりこの都会のクマさんは悪いクマさんだよ!」


「この辺りは言うほど都会じゃないですよ」


「私への言葉だけ冷感スプレー吹きかけてない!?」


「おーよしよし、ほら渡巻さん、日比野さんがお呼びですよ」


「雑アンド犬扱い反対!」


「君達って仲悪いの? 仲良いの?」


 きゃんきゃんと噛みついてくる紗綾音を適当にあしらっていると、なんて声を掛けたものやら、と日比野が苦笑いをしながら割り込んできてくれた。助かる。さくっと紗綾音を連れて行って欲しい。


「友達だから仲良いよ!」


「では日比野さん、渡巻さんの世話をお願い致します」


「なんだか首輪にリード付けられてる感が満載なんだよ……」


「あ、いや、ごめん。用事があるのは渡巻さんじゃなくて」


 ほら連れて行ってくれ、と紗綾音を差し出してみれば、まさかの人違いである。

 はて、紗綾音に用事じゃないと。

 思わず秋水はまじりと日比野の顔を見ると、やはり睨まれていると思ってしまうのか、彼は若干顔を青くして僅かにたじろいでしまった。申し訳ない。

 しかし、ここで声を掛けた相手が紗綾音ではないとなると。


「……私ですか?」


「そ、そうですね、棟区、さん」


 まさかの秋水に用事である。

 なんだろうか。

 これが昼食のときに秋水を睨んでいた覚王山とかであれば、校舎裏にでも呼び出されるのだろうか、と思ったかもしれないが、日比野相手では特に思い当たる節はない。いや、ダイエットガチ勢2名に問い詰められているのをしれっと見捨てたので、校舎裏に呼び出される可能性はあるか。


「その、棟区さん、はもう帰るのかなって」


「はい。渡巻さんを飼い主にご返却したら帰ろうかなと」


「棟区くんが冷たくて大湿地帯だよ……」


 怖ず怖ずと聞いてくる日比野には、秋水はなるべく優しい声色を意識しながら返事をする。両指を突いてしょんぼりしている紗綾音はスルーだ。

 優しく返事をしたからだろうか、それとも邪険にされていないと分かったからだろうか、日比野は明らかにほっとした表情になる。




「なら、今日は一緒に、えーっと、一緒に帰らない、かな?」




 そして、まさかのお誘いであった。

 思わず秋水は、きょとん、とした表情をしてしまい。


「……私とですか?」


 思いっきり間抜けな質問をしてしまった。

 小学生時代からこちら、一緒に帰ろうとかいう誘いをクラスメイトから受けた経験が秋水には全くない。妹と小学校に通うのが被っていた時期には、確かに何度か妹と帰ることこそあったものの、基本的にはいつも独りで帰るのが当然であったのだ。

 唐突なるお誘いに、なんでまた急に、といった感じを醸し出してしまった秋水の反応を見て、今度は日比野が両手をぱたぱたと振って慌て出す。


「あ、ああ、えー、迷惑とかだったら全然構わないんだけど」


「いえ、そんなことは……ああ」


 遠慮をし始める日比野に、そう言えばボクササイズのことを聞きたかったなと思い出して秋水も言葉を返し、その途中で思い至る。

 ああ、そうだった。ボクササイズとかの話を聞きたかった秋水と同じく、昼食の時では会話が互いに不完全燃焼だった。

 日比野は秋水とは違うジムに通っており、そこではボクササイズは出来るものの、どうやら有酸素運動メインのジムであったらしく、そもそも日比野の求めていたニーズには適合していなかったらしいのだ。

 どうやら彼は、筋肉を増やすためのトレーニングの方を求めているらしい。

 まあ、傍から見ても秋水は明らかに筋肉質な男子である。ヤバいぐらいの。

 そういう系統の相談事だろうか。


「そうですね、昼は色々と邪魔が入りましたからね」


「ちょ!? なんでこっち見てるのかな!? なんのことかな!?」


「……そうだね、凄かったからね、うん」


「あ、分かった、ジムとかの話だ! いや待って! その話に関しては私これっぽっちも遮った記憶無いんだよ!?」


 軽く確認してみれば、やはりジムの話のようである。

 なるほど。昼食のときに秋水の通っているジムのトレーニング機材の話をしたときには、羨ましそうと言うよりもむしろ、自分が通っているジムとの違いに落ち込んでいる様子であったのから察するに、どうやら秋水の利用しているジムの方に興味があるのかもしれない。

 もしかしたらジムの乗り換えを検討しているのかもしれない。いや、流石に昼にちらっと話しただけなのだから、そこまでは考えていないだろうか。


「時間があるのでしたら、こちらのジムを1度見学してみますか? 今の時間はスタッフの方がいらっしゃるので、話をすれば見学くらいはOKして下さるはずですが」


「え、あ、いや流石にそこまでは悪いよ。確かあそこって土日に無料体験あったよね?」


「え、あれ、無視? なんか2人揃ってするするスルー? 日比野くんまで棟区くんに毒されちゃった感じなのかな?」


 どうやら乗り換えに対して微妙に前向きなようだ。もしかしたら、日比野は現在利用しているジムに対して、フリーウエイトが冷遇されている以外にも何か思うところがあったのかもしれない。

 体験コースを実施していることも把握していたことに若干驚きつつ、そう言えばこちらのジムも興味はあったとか言っていたな、と昼食のときに日比野が零していたことを思い出す。

 しかし、体験コース、体験コースか。

 それは確かに、秋水の利用しているジムにあるサービスの1つだ。

 新規会員が入会しやすいように、スタッフの在中している間の1時間だけジムの利用が無料で出来るというサービスである。乗り換えを検討している人も初心者も誰でも大歓迎の、いわゆる 『お試し』 だ。

 そんなサービスは、確かにある。駐車場にはいつもそのことが書かれた旗がたなびいているのだ。

 しかし、父に連れられ最初から本登録をした秋水は、その体験コースを経験したことがなく、いつやるのか、受付はどう行うのか、なんの制限があるのか、というのをまるで知らないのだ。

 先人として期待されているところを大変申し訳ないのだが、ここは知らないというのを明言しておいた方が良いだろう。


「そうですね。確か昼の2時から、とかなんとか、だった気がしますが。ただ、申し訳ないです、ちょっと詳しいことはあまり分からないのです」


「全然全然、大丈夫だよ。でもあの、良かったらなんだけど、そっちのジムの会費周りのこととか、システムとかアプリのこととか、そういった話が聞けたらなって、思って」


「なるほど、もちろん構いませんよ」


「あ、ありがとう、助かるよ」


「ちなみになのですが、日比野さんの家はどちらの方向ですか?」


「ああ、そっか。僕はここからあっち側にねーーー」


「…………むー!」


 わりと本格的にジムの乗り換えを検討している日比野に、これは流石に紹介した手前相談に乗るべきだろうなと秋水が覚悟を決めていると、2人の間に人が割り込んできた。

 紗綾音である。

 いや、微妙に何か言っているのは聞こえていたが、とりあえず右から左に受け流していたのである。

 ちょっと無視されていたことにご立腹なのか、ぷくー、と頬を膨らませた紗綾音が日比野と秋水との間に物理的に割って入ってきたのだ。両手を広げ、ぴょんぴょんと軽く飛び跳ねて。小学生だろうか。


「はい、ちょーっと待った2人とも! 男2人でいちゃついてるところ悪いんだけどさ!」


「竜泉寺さーん、そろそろお引き取りをー」


「ちょいちょーい、なんでノンタイムでサヨチ召喚するのかなー? さては棟区くんの職業は召喚士だったのかなー?」


「ごめんなさい、日比野と喋ってたから普通にフェードアウトしてくれるかなと思ってました、読みが浅かったです……」


「なんでサヨチも普通に召喚されてるのかな? いつの間にか召喚獣になってたのかな? 2人はツーカーの仲良しさんだったのかな?」


 自己主張が激しくなってきたのでダメ元で竜泉寺を呼んでみれば、おそらくすでに待機していたのであろう、申し訳なさそうな顔をした竜泉寺が本当にさっと登場してくれた。流石である。凄く助かる。

 はいはい帰るよ、と竜泉寺が紗綾音の首根っこをがしりと掴む。扱いが完全に犬か猫のそれである。

 しかしそれに抵抗するように、紗綾音もがしりと秋水の腕を掴んできた。

 急にしがみつかれた秋水は、え? みたいな感じで紗綾音を見下ろせば、明らかに不満げにぷくーっとした紗綾音がじと目で見上げてきている。え、駄々を捏ねる子供だろうか。


「むー! とりあえずちょっと待つんだよ日比野くん!」


「え、僕?」


 そしてまさかの矛先は日比野である。

 秋水を掴んだのだから秋水に用事があるんだろうなと口を閉じていたにも関わらず、予想外にも絡まれてしまった日比野が声を上げれば、頬を膨らませたままに紗綾音は振り向いて、じと、っとした目線を日比野へと向けた。




「棟区くんは、今日は私と放課後デートなんだよ!」




「はあ!?」


 いきなり飛び出した妄言に、誰よりも早く反応したのは秋水でも日比野でもなく、何故か遠くで別のグループと喋っていた覚王山であった。











「さ、今日は4人で放課後ダブルデートだよ!」


 紗綾音、沙夜、日比野、そして秋水の4人が学校の正門まで辿り着いた途端、元気に子犬が妄言を垂れ流す。

 相も変わらず人生楽しそうな紗綾音に、その保護者役である沙夜が深い溜息を吐いてから、2人ともゴメン、と謝罪してくれた。いつも振り回されて可哀想である。

 そんな正反対の女子2名に対し、なんでこんな面子になったんだろう、と日比野は未だに疑問の表情であり、秋水に至っては完全に無我の顔であった。

 当然ながらデートではないし、ただただ一緒に帰るというだけの話である。

 それをデートとかデカい声で言い出したせいで、あれから教室は一悶着だったのだ。

 もう疲れた。

 無表情のまま、秋水は心の中で沙夜と同じく深い溜息を1つ。

 と言うか、なんで結局、紗綾音と沙夜もくっついて来てしまったのだろうか。日比野だけでいいのに。


「ちなみに渡巻さんの家はどちらの方向ですか?」


「あっち! 途中までは棟区くんと同じはずだよ!」


「そうなのですか……」


「なんでちょっと残念そうなのかな!?」


 せめて家が反対方向であればここでサヨナラできるな、なんて思ったが、現実とは非常なものである。

 思わず表情が表に出てしまった秋水の腹筋に、えいえい、と紗綾音が鬱憤を晴らすようにパンチを叩き込んできた。へなちょこ過ぎて音も鳴らないレベルである。腹圧を入れる必要もないくらいだ。

 仕返しに紗綾音の頬を親指と人差し指でぷにりと摘まむ。ぴぃ、とかいう謎の鳴き声が上がった。

 そんな応酬を隣で見て、日比野が小さく笑った。完全に苦笑いである。


「いや、なんて言うか、本当に仲良さそうだね君たち……」


「すっかり仲良しこよしのお友達!」


「そう言えば明日は雪が降るそうですね」


「アインツヴァイン棟区くんがスーパードラァァイ!」


「正直ツッコむけど、私も紗綾音の懐き具合は気になるレベル」


 適当に紗綾音の言葉を流してみれば、何故か話に合流してきたのは沙夜であった。

 ちらりと沙夜を見ると、真面目そうと言うか、ちょっとだけ心配そうな目を紗綾音に向けている。


「はえ? 気になっちゃうの? 嫉妬かな?」


「馬鹿」


「シンプル・イズ・暴言」


「紗綾音って何だかんだ言っても、今まで律歌先輩の言いつけはちゃんと守ってきたわけじゃん? 男子への距離感的なやつ」


「もちろん守ってるよ! 下の名前は呼ばない! ボディタッチはしない! 男はオオカミなのよってね!」


 自信満々に胸を反らす紗綾音に、あー、と秋水が小さく声を上げた。

 前に生徒指導室で担任の教師と紗綾音の3人で昼食を食べたとき、そんな話を少し聞いた記憶がある。確か紗綾音の姉が、妹が不用意な恋愛関係のトラブルを作らないようにと言い含めていた内容だったか。

 色々な人と友達になるのは大した特技ではあるものの、その分紗綾音は人間関係でのトラブルも引き起こしやすそうな性格をしているというのは、秋水でも分かる。特に色恋沙汰のトラブルリスクは、担任の教師も心配していたくらいである。

 そして同じく、そういうことを心配している紗綾音の姉が、男との距離感は適切に、とずっと注意してきたらしい。

 そのことを思い出すものの、色恋沙汰というのにまるで興味のない秋水は、女子って大変なんだな、くらいしか感想は出て来ない。

 へぇ、くらいにしか思っていない秋水の隣で、日比野は再び苦笑いを浮かべていた。


「それ、僕らは聞いちゃって大丈夫な話題なのかなぁ?」


「良いでしょ、あんたらは。なんだったら、基本的に紗綾音は脈なしだって、心当たりの何人かに釘刺してくれたら私としては助かるんだけど?」


「いや、流石にそれはちょっと……心当たりはあるけどさ」


「一応の確認だけど、あの愚鈍住職以外?」


「あー……ノーコメントは出来るかな?」


「……ま、いいけど」


 降参だと言わんばかりに両手を挙げる日比野に、沙夜は小さく嘆息する。一体何の話題だろうか、と秋水は首を捻った。

 住職、とか言われているのは、たぶん覚王山のことであろう。今日の昼飯を共にした面子の1人である。元気にツッコミを入れてくれる、秋水からはわりと好印象な男子だ。向こうからは何故か時折睨まれているのだが。

 紗綾音のデート発言に真っ先に反応を示した彼ではあったが、こちらの会話には結局乱入してくることはなかった。

 と言うよりも、なんの話だと乱入してこようとしていたところを、別のクラスメイト、紗綾音からはミッチと呼ばれている女子にブロックされてしまった、といった方が正しい。

 今日は私と帰るって約束だよねー? と覚王山に投げかけたミッチの言葉は、何故が微妙に圧が強かったのを覚えている。

 昼飯のときもそうだったが、あの2人は仲が良いのだな、と秋水が鈍いことを考えていると、沙夜がぽんと紗綾音の肩を叩き、そしてじろりと再び目をやるところであった。


「てなワケで、紗綾音、分かった?」


「ほえ? 話が明後日の方向にさようならしてたから全然分かんないんだけど?」


 紗綾音がきょとんとしている。

 近くで聞いている秋水もよく分からない話の流れである。

 ここにも鈍い人が居る、と隣で日比野が呟いていたのが印象的であった。


「男子に気を持たせんなって話。律歌先輩その辺マジで気にしてんだから。いや私もだけど」


「え、そんな大それたことなんて私してないけど?」


「してるから皆そろって散々注意してんでしょうが」


「えー……そんな男子いないってー……」


 ああ、色恋沙汰のどうのこうのという話題か。

 遅れて秋水は理解出来た。

 秋水からすれば全く興味のない事柄ではあるものの、そんなことにまで気を配るとか、飼い主は大変なんだなぁ、とついつい沙夜に同情してしまった。

 しかし、その手の話題にはあまり興味がないのか、もしくはいまいち想像が及ばないのか、紗綾音の反応はいまいちなものである。


「てか、話戻すけど、なんか紗綾音、棟区に対しては距離近いよね?」


「そう? そーかなー?」


「少なくとも、他の男子には抱きついたりしないじゃん」


「あー……」


 あー、と秋水も再び小さく声を上げる。

 そう言えば、確かに昼のときも、そして先程も、紗綾音に掴まえられていた。

 いやでも、昼飯のときは明らかにミカちゃんさんから隠れる盾としてだったし、帰りの教室では駄々を捏ねた子供が電柱にしがみつくスタイルであった。これをボディタッチに含めるのか。分類的にはそうなんだろうけれども。


「あと棟区も。他意がなさそうなのは見てて何となく分かるけど、女子の髪を触ったり顔を触ったりしない」


「おっと、次は私でしたか。申し訳ありません」


 続いて流れるように叱責の矛先を向けられた秋水は、怒る女性には逆らわない、の方針ですぐに謝罪を口にする。

 いや、なんか最近、紗綾音の頭を平然と撫でてしまっているのには気がついているのだが、気持ち的には子犬とスキンシップを取っている程度の感じでしかなかった。まあ、昔から動物にも嫌われていた秋水は本物の子犬を撫でたことはないのだが、こんな感じなんだろうなぁ、と勝手に想像していたのである。

 確かに女子の髪を触るのは失礼だった。

 しかし、紗綾音相手だしなぁ。

 微妙に悪いと思えていない秋水は、とりあえず今度からちょっと気をつけよう、くらいに沙夜からの叱責を受け止めておいた。


「そーだそーだ、女の子扱いしろこらー」


「よーしよしよし」


「こいつサヨチのお説教全然聞いてないよー、やーめーろー」


「あんたら……」


 とりあえず便乗してぺちぺち腹を叩いてくる紗綾音にイラッとしたので、わしゃわしゃと頭を撫でておいた。

 沙夜からの視線が痛い。こうやって叩かれているのも紗綾音からのボディタッチとカウントするのだろうか。


「そ、そー言えば日比野くん、棟区くんに何かご用事あるんだっけ?」


「あ、逃げた」


 鋭い視線から逃れるように紗綾音が慌てて別の話題を振れば、ぼそりと日比野が痛いところを突いてくる。

 秋水としてはこの話題転換は歓迎である。元より本来であれば日比野と話す用事があり、ぶっちゃけ紗綾音に構うのも沙夜に怒られるのも本筋ではないのだ。気分としては最初から、女子2人は置いておいてジムの話しようぜ、といった感じなのだ。

 わしゃわしゃと撫でていた紗綾音の頭から手を退け、秋水はすっと日比野に向き直る。切り替えはやーい、と不満げな声が聞こえたがスルーである。


「そう言えば日比野さん、最近はボクササイズに精を出していると言われていましたが、私が行っているジムではボクササイズを行う器具はなにもありませんよ?」


 質問をするのは、秋水が少々気になっていた事柄だ。

 日比野はボクササイズに励んでいる、と言うのは紗綾音の談ではあるものの、覚王山も一緒にどうかと誘ったりしている程度には入れ込んでいるのは確かなようである。しかし、もしここで日比野が今のジムから秋水の利用しているジムに本当に移籍してしまうとしたら、問題となるのは彼が精を出しているボクササイズについてなのだ。

 秋水の利用しているジムには、サンドバッグ的な物も何もない。

 確かにフリーウエイトの器具は充実しているだろうが、ボクササイズは出来ないと思うのだ。

 日比野が何を重視しているのか分からないので、その点については先に釘を刺しておかねばならないだろうと思いそれを告げてみると、日比野は本日何度目かの苦笑を浮かべた。


「渡巻さんの言葉に被せるわけじゃないけど、本当に切り替え早いよね……まあ、ボクササイズ自体は、慣れたら別にサンドバッグとかはいらないしさ。シャドーでも普通に楽しいよ」


 しゅっ、と日比野が虚空に向かってジャブを1発。

 ジム自体は初心者に近いようではあるが、やはり、パンチそのものの動きが秋水とは全く違う。お遊びのような動きでこの違いである。


「そうなのですね。また今度、ボクササイズの動きを教えて頂きたいものですね」


「あ、興味あるなら練習動画教えようか?」


「それはありがとうございます、助かります」


 そして、思いがけずにボクササイズの練習動画をゲットである。

 昼飯のときに覚王山から送って貰ったボクシングの動画と、ミッチから送って貰ったおすすめリスト、そしてボクササイズ経験者からの練習動画だ。

 これは思わぬ収穫だ。

 トークアプリの連絡先を交換したら、すぐに日比野からの動画のURLがメッセージで飛んでくる。こんなに動画の資料を貰えるのだったら、空手の本は買わなくても良かったなと若干の後悔である。

 今日はこれを見て勉強するか。

 家に帰ってからの予定を決めつつ、秋水はもう一度日比野へお礼を口にした。


「まあ、その動画自体は基本動作のだけど、結構詳しく教えてくれるよ。ストレートの打ち方とかさ」


 再び虚空に向かってパンチを1発。

 右の、ストレート。

 捻り出すように放たれた拳は、風を切って打ち出される。

 力任せの動きとは、明らかに動作が違う。ほう、と思わず声が漏れてしまった。

 隣の女子2名も、わー、と感嘆の声が上がるくらいだ。


「やっぱり、日比野くんはボクシングファイターなんだねー」


「ボクシングじゃなくてボクササイズね。なんでそんなRPG風味なの」


 紗綾音の賞賛なのか良く分からないそれに、日比野はまた苦笑いである。なんと言えば良いのだろうか、彼からは微妙に苦労人の気配を感じる。


「RPGなら日比野くんは近距離格闘形のグラップラーだ!」


「グラップラーは組み技の人ね。ボクシングは打撃系だからね。あと、ボクササイズね」


「棟区くんはRPGならなんだろ? 防御主体のタンク系かなぁ……?」


 日比野の訂正を軽くスルーしつつ、うーん、と紗綾音は軽く考え込む。

 僕ってそんな殴り合ってる野蛮な感じに見える? と日比野は苦笑いのまま沙夜に尋ねてみれば、ごめんなさい、この子そこまで考えてないから、と沙夜がぺこぺこと頭を下げる。2人揃って苦労人の気配を感じる。

 ゲームのことについてはあまり詳しくない秋水が、タンクってなんだろう、と頭の片隅で疑問符を浮かべていると、急に思いついたように紗綾音が手を鳴らした。




「あっ、攻撃型の神官系かも! 殴りヒーラーが似合うよ!」




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 実は意外と重要なことをいくつか口走ってるチワワ。

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