43『目指せ出力調整』

 学校が始まればセーフエリアでの睡眠との兼ね合いで、生活リズムがぶっ壊れるんじゃないかと心配していたのだが、始業式より10日も経過すれば、どうにかこうにかそれに合わせた生活リズムというのが確立できていた。人間とは慣れの生き物であると言うべきか、案ずるよりも産むが易いと言うべきか。

 1月も後半戦、18日の金曜日。

 日付も変わったばかりの深夜だと言うにも関わらず、未成年者である秋水は平然と外出し、当たり前のようにジムで筋トレをしていた。











 フリーウェイトの筋トレは、バーベルとダンベルのどちらが優れているのか、という両陣営が一歩も譲らぬ不毛な言い争いに参加するつもりはないのだが、どちらが好きなのかと聞かれたら秋水はバーベルの方が好みだと答える。

 理由は特にない。

 あくまでも、何となく、という程度である。

 バーベルにはバーベルの、ダンベルにはダンベルの、それぞれにメリットもデメリットもあるというのは重々承知しているからだ。

 なので、普段はバーベルでの筋トレを好んで行っているが、ダンベルでの筋トレを全くしないと言うわけではない。

 特に肩のトレーニングに関しては、ダンベルの方が手っ取り早いと思っている。


「20……21……22……23……」


 真夜中でがらんとした貸し切り状態のジムの中、秋水は小声で数を数えながらサイドレイズを行っていた。

 両方の手には10㎏のダンベル。

 立った姿勢のまま、両手を真横に真っ直ぐ広げ、ゆっくり下ろす。

 身体がブレないように。

 反動を使わないように。

 広げて下ろす、を丁寧に40回。

 10㎏という低重量でも、回数を増やせばそれなりに効いてくる。40回も行えば、肩周りの感覚が朧気になるというものだ。


「ふぅ……」


 目標回数を終えた後、ポーションを一口飲み、使っていたダンベルを拭き上げ、それをラックの戻してから別のダンベルを持ってくる。

 重量30㎏を2本。

 本番である。

 調子を見るように、ダンベルを持ったまま真横に腕を開く。

 重い。

 だが、もう少し重量を上げても行けそうな気もする。

 次回は次の重量に移るかと頭の片隅で考えながら、ゆっくりとダンベルを下ろしていく。


「2……3……4……」


 そのままサイドレイズを続けていく。

 ウォーミングアップから休憩なしであるが、ポーションのおかげで疲労感も何もない。相変わらずのチート飲料である。


「12……13……14……」


 10回を超えると、流石にじわりと汗が噴き出してくる。

 いや、先のウォーミングアップの時点でわりと汗まみれである。汗が鬱陶しい。使ったダンベルは拭き上げたが、何故自分の汗は拭かなかったのだろうかと、秋水は単純な自分のミスに苦笑いを浮かべた。

 しかしながら、ここで中断するのも勿体ないので、サイドレイズは続行だ。


「15……ふっ」


 そして15回目。秋水にとっての限界間際。

 ここで再度、腹圧を入れるように息を強く吐く。

 その一呼吸で手に持っていたダンベルの重量が、ふ、と軽くなるのを感じる。


 身体強化である。


 何だか良く分からない不思議な力を使用した、筋力やら視力やらを一気に向上させるという、これもまた何だか良く分からない不思議な力。

 身体強化のオン・オフを何度も繰り返しているうちに身体が慣れてきたのだろうか、今では一息つく時間があれば身体強化を発動することができる。

 只今の最大強化倍率は、だいたい24%程。

 最初の3%程度のほんのりとした身体強化から比べると、かなりの成長速度である。しかも、その強化が元々フィジカルモンスターであった秋水に入るのだから、違いは一目瞭然だ。


「16……17……」


 そんな身体強化を使ったまま、サイドレイズを続ける。

 力が向上しているので、相対的にダンベルが軽く感じる。

 疑似ドロップセットだ。

 筋トレの途中から身体強化を発動させることにより、わざわざ軽いダンベルへと持ち替えることなく擬似的にドロップセットを行うことができる。

 それを発見したときはテンションが上がったが、一般に人にはそもそもドロップセットとは何ぞや、という話になってしまうので、これに興奮できるのは一部オタク層に限られてしまう。

 そして秋水は、その限られた一部のオタク層に所属していた。

 筋トレオタクである。


「22……23……24……」


 元より規定回数を淡々と行うストレートセットより、休憩なしで順次重量を落としながらも徹底的に筋肉を追い詰めるドロップセットの方を好んでいた秋水からすれば、身体強化を使うことにより手軽にドロップセットを行うことができるのは非常に助かる。

 手元にそれぞれの重量のダンベルを用意するのは普通に面倒だし、場所を取るし、それらのダンベルを独占して使うのもマナーが悪いし、持ち替えているのは純粋にタイムロスだし、というドロップセットの問題点を身体強化1つで全て解決してしまう。身体強化の新たなる活用法だ。

 これは素晴らしい。

 素晴らしい、が。

 オタクというのは、業が深いものである。

 身体強化を使えば、同じダンベルなどを使用したまま擬似的にドロップセットを行うことができる。

 だが、あくまでもそれは、擬似的、でしかない。

 ドロップセットという技法は、その重量で限界まで追い込み、軽い重量に替え、さらに限界まで追い込み、さらに軽い重量に替え、さらに限界まで追い込み、と繰り返していく技法だ。

 身体強化のオン・オフだけでは、重量の切り替えは1回しか出来ていない。

 秋水にとっての不満点はそこだった。


 身体強化は、オンか、オフか。


 未使用か、24%の強化か。


 選択肢がそれしかないのだ。

 それが不満である。

 いや、身体強化という訳の分からない不思議パワーの段階で十分だろうと言われたら、そりゃそうだ、と言わざるを得ないが。

 それでも不満だ。

 だから秋水は考えた。


「25……ふっ」


 もう一度、強く息を吐く。

 腹に力を入れ直す。

 集中する。

 そして。




 身体強化の倍率を、引き上げる。




「…………はぁ、ふ、はぁ……」


 もちろん、引き上げられない。




 荒くなった息を吐きながら、秋水はそのまま後ろにあったトレーニングベンチへとどかりと腰を掛けた。

 それからゆっくりとダンベルを床に置き、大きく深呼吸をし、ポーションを手に取る。

 失敗だ。

 普通に失敗だ。

 今回も失敗だ。

 まあ分かってた。

 そもそも15回目の後に身体強化を発動させた時点で、あ、これ最大倍率だ、というのは感覚で分かっていることだった。

 最大倍率より上に倍率を引き上げられる訳がない。引き上げられたらそれはそもそも最大倍率ではない。

 ポーションを一口飲み、秋水はタオルでだくだくだった汗を拭う。


「いやはや……」


 上手くいかねぇ。

 続く言葉は飲み込んだ。

 秋水がやろうとしていることは、非常に単純な話である。


 身体強化が0か100しかできないなら、なんとかして50をできるようになろう。


 これである。

 24%の最大強化だけではなく、意識的に12%の強化とか、5%だけの強化とか、そうやって身体強化の強化倍率を意図的に調整できないか試行錯誤しているのだ。

 要は出力調整だ。

 それが出来るようになりたい。

 身体強化の出力調整が出来るようになれば、筋トレのドロップセット法がさらに捗るじゃないか、という安直と言うか平和的と言うか、そんな浅い考えで挑戦してみているのだが、これがなかなか上手くいかない。

 身体強化を発動させると、ほとんどが一気に最大強化倍率のところまで強化されてしまう。

 車で言えば、アクセルべた踏み一辺倒だ。

 それしか出来ない。


「いや、でも、行けそうな気もするんだけどなぁ……」


 独り言ちりながら秋水は首を捻った。

 浅い考えで初めてはみたのだが、手応えというのがないわけでないのだ。


 そもそも、偶然とは言えども、1度は成功しているハズなのだ。


 身体に取り込んでいた 『妙な力』 の使い方も分からない状態で、最初に身体強化を習得しようとジムで試行錯誤していたとき、確かに1度出来ていた。

 身体強化を発動するのを感覚的に再現しようとして、ベンチプレスを繰り返している最中に出来ていた。


 中途半端に身体強化を発動させて、中途半端な強化が出来ていた。


 あの時は確か、最大強化倍率が3%くらいなのに、1%くらいの強化が出来ていた、気がする。

 つまり、出力を落とすことが出来ていた。

 偶然だが。

 失敗の産物だが。

 だが今は、その失敗の産物の結果を、意図的に起こしたい。

 起こしたいのだが。


「なかなか、できねぇ」


 ボヤきながら、秋水はタオルを置き、ダンベルを再び持ち上げてから立ち上がる。

 元より身体強化は意味不明な謎の力なのだ。

 謎な力である以上、理論的にそれを制御するのは困難だ。

 ならば、感覚的に制御するしか他に道はない。

 あの偶然はどんな感じで出来ていたかなぁ、と朧気な記憶を頼りにしながら、秋水は再びサイドレイズを始めるのだった。











 結果だけ言えば、出力制御は今日も出来なかった。











 肩のトレーニングには満足、身体強化の出力調整には不満足、で筋トレを終え、家に帰ってシャワーを浴びれば、時刻は5時前といったところだ。

 野菜ジュースにプロテインやらシナモンやらイヌリンやら青汁やら黒酢やらを混ぜ込んだ、特性のクソマズ謎ドリンクを飲んでから、秋水はダンジョンのセーフエリアへと下りていく。

 流石にこの時間からダンジョンアタックをするつもりはない。

 本心で言えば行きたいのだが、学校が控えているのだ、流石に行けない。

 しかしまだまだ時間が時間であり、制服に袖を通すには早い。実際に秋水の格好は寝間着である。

 そう、寝間着だ。


 当然ながら、寝るつもりである。


 普通に考えれば、今から寝たら確実に遅刻だろう。

 だがしかし、ここは不思議なダンジョンだ。セーフエリアのチート効果、睡眠時間短縮がある。

 ここで爆睡を決めたとしても、8時前にはほぼ確実に目を覚ますだろう。それに昨日の夕方にもセーフエリアで1度寝ているので、そこまで眠たい感じも正直ない。たぶん1時間もしないで目を覚ますような気がする。

 学校に行く前の一休み。日も昇っていないが昼寝みたいなものである。


 起きたら学校。


 学校から帰ったら寝る。


 起きたらダンジョンアタックなり筋トレなりをする。


 終わったら寝る。


 起きたら学校。


 これが、学校が始まってからの平日の生活サイクルだ。

 要は1日に2回寝ている。

 それだけ聞けば自堕落極まりない生活なのだが、セーフエリアの睡眠時間短縮効果を考慮すれば、今のところはこれが一番効率が良いし、体調面も問題ない。むしろ体調は良い。絶好調だ。

 もぞもぞと布団に潜り込みながら、秋水は枕元に放置していたアイマスクを着ける。

 ふぅ、と深呼吸のように息を長く吐く。


 この生活リズムも、慣れてきた。


 ダンジョンのある生活だ。

 学校が始まれば生活リズムの兼ね合いが悪くなるのではと思っていたが、慣れてしまえばそんなことはなかった。

 ダンジョンの攻略は、まあ、学校が始まった分だけ進みは悪くなっていると言うか、確かに進捗はあまりよろしくない。

 いいや、そもそも複数体の角ウサギを相手取るのも、まだまだ万全とは言い辛い。

 1体相手は楽勝だ。それは間違いない。身体強化の強化倍率も上がってきているので、真っ正面から殴り合っても普通に殺し返せる。

 だがしかし、3体4体相手するとなると、やはり1つ間違えれば大怪我なのである。


 なんとかなるな、と油断していると、横からズブリ。


 身体強化でゴリ押せそうだ、と調子に乗ると、後ろからグサリ。


 この10日で、少なくとも秋水の体には3カ所穴が開通した。ポーションがなければ3回とも死んでいただろう。

 身体強化の強化倍率が上がるにつれ、徐々に楽にはなっているのだが、それでも複数体相手取るとどうしても大なり小なりの怪我を負うし、何より防具が毎回壊れる。

 何かしら対策が必要だ。

 現段階では、身体強化の強化倍率向上によるゴリ押し案しかない。

 当たり前だが、秋水独りでは限界があるのだ。身体強化で身体のスペックが向上しても、腕が4本になるわけでもなければ、後ろに目が付くわけでもない。

 だが、仲間、つまり他人をダンジョンに誘う気は秋水にはない。

 と言うか、誘える程に仲の良い友人など秋水にはいない。

 父だったら、ダンジョンアタックに誘っても良かっただろうが。

 いや止められるか、絶対。

 布団の中で秋水は小さく笑った。

 まあ、身体強化の出力調整も、ダンジョンアタックの進捗も、今のところは難航しているのだが、そこについては秋水はあまり気にしていない。

 試行錯誤しているのも楽しいじゃないか。

 あれこれ試すのも楽しいじゃないか。

 これもまた、ダンジョンアタックの醍醐味みたいなものだろう。


 学校が始まってからも、ダンジョンでの生活は、そういう意味では順調である。











 一方、新学期が始まってから、学校での生活は、本当に難航していた。




「おはよー棟区くん! 今日も寒いねー!」




「…………」


「棟区くん宿題全部終わってる? なんか難しくて途中ワケわかもちゃんな問題あったよね? なかった?」


「…………あの」


「一応埋めるだけ埋めてみたけど、ぶっちゃけ自信ないないなんだよー。みんなで答え合わせしてみない?」


「あのですね、渡巻さん……」


「あ、おはよー、ミッチ、チナ、ノンノ! 棟区くんに宿題見せてもらお! あ、サヨチもおはよーって痛っ!」


「紗綾音あんた馬鹿! 距離感どーなってんの!? ごめんなさい棟区! ウチの馬鹿犬が毎日のように迷惑を!」


「あ、はい」




 何故か知らないが、毎日のようにチワワに絡まれるようになってしまったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る