29『知らないことを知っている』
バーベルベンチプレスは、ベンチに仰向けに転がり、バーベルを胸の上に下ろす動作と押し上げる動作を繰り返す筋トレである。
主に大胸筋、そして上腕三頭筋や三角筋といった上半身の筋肉を一気に鍛え上げることができる。多くの、そして大きな筋肉を鍛えられることから、エクササイズの王様であるスクワット、背筋一括総鍛錬のデットリフトと並べ、筋トレのビッグ3と言われている。
「ふん……いーっ!」
そのベンチプレスを、深夜のジムで錦地 美寧は顔を真っ赤にしながら行っていた。
重りは付けていない。
バーベルのみだ。
素の重量である20㎏のみの負荷であるが、初心者の少女が上げるにはそれでも十分だと言える。
いや、変に重量があるのを行い、その負荷から逃れるようにフォームに妙な癖を付けてしまう可能性を考えれば、バーベルのみの方がむしろ良いとも言える。
歯を食いしばって必死にベンチプレスを行う美寧の頭側に立ち、秋水はいつでも手を出せる姿勢のまま、じっと美寧の胸元を見ていた。
字面だけ見れば、おい男子中学生、といったところである。
しかし秋水は顔を赤らめることも鼻の下を伸ばすこともなく、ふむ、と至極冷静に鼻を鳴らす。
フォームの基本は成っている。
と言うか、腰の方がアーチしてたり、足がばたついていたり、肩甲骨が不動だったりと色々と惜しい感じの最初のフォームを矯正した結果として、今は既にフォームが安定している。
「んーっ! じゅ、いちっ!」
「素晴らしい、綺麗ですよ。ワンモア、ワンモア」
胸までしっかりとバーベルを下ろし、大胸筋のストレッチをしっかりかかった状態にしてから、バーベルを少し斜め上へと上げてから、上へと一気に上げる。
可動域も十分だ。良くあるバーベルをしっかりと下ろし切らないという、可動域が狭い状態ではない。
現在5セット目。
回数はとりあえず12回目標。
素のバーベルとは言えども20㎏だ。
初心者の美寧が、正しいフォームで、他の筋力や反動などのチーティングを一切使用せず、最大の可動範囲で行うとなれば、相当にキツい状況であろう。
それでも美寧は胸のところ、安全のために設定しているセーフティバーのすれすれまでバーベルをゆっくり下ろす。
重量を扱う筋トレは、素早くよりもゆっくりと。
苦しい状態でも、その基本に忠実な動作である。
「そうです、ゆっくり丁寧に。何処の筋肉が動いているかをしっかり意識して、ゆっくり上げて」
「にーっ! いーっ!」
腕がぷるぷるとしている。
無意識的に足の力で反動を付けようとしたのか、踏ん張りが強くなり一瞬だけ臀部がベンチから浮いたのを秋水は見逃さなかった。
限界だろうか。
バーベルを掴んで助け上げようかと秋水が僅かに手を伸ばしかけるが。
「んっ!!」
震えながらも、バーベルがゆっくりと上がる。
バーベルの軌道は基本フォームからは少々ズレており、本当にただ上に押し上げた、という形ではあるものの、姿勢そのものは崩れていない。
いや、十分だ。
いいや、十二分だ。
プウスウルトラしてるぜ。
限界突破でバーベルを上まで押し上げ、その状態で死にそうな程に荒い呼吸をして固まってしまった美寧に心の中で賞賛の言葉を贈りつつ、そのバーベルを掴んで静かにラックへと掛けさせる。
「ぜっ……は……かひゅ、ごほっ……ぜぇ、ぜぇ、はぁ……」
ラックにバーベルが掛かったことを確認したのか、美寧は掴んでいたバーベルから手を離し、だらりとベンチの上でくたばった。
顔は酷いし格好も酷い。乙女らしさは全くない。
だがしかし。
「お疲れ様です、頑張りましたね。格好良かったですよ」
「ちょ、ぜぇ、まっ……ぜぇ、待って、はぁ、はぁ、見なぃ……ぜぇ……」
「大丈夫ですよ。流れる汗は美しい」
女の子としてはあまり見られたくない姿なのだろうとは理解しているが、秋水の方は全く気にしていない。
それどころか、その言葉には嘘はなく、筋トレでグロッキーになっていようと、そうなるまで限界に挑んだ姿勢は綺麗だと思っている。
完全にへばっている美寧に、どうぞ、とタオルを差し出すと、美寧の方は震える手でそれを受け取り、隠すようにばさりとタオルを顔に被せた。
「頑張りました、偉いですね」
「…………」
「今日の汗と今日の努力は、必ず明日の自分を作るのです。美寧さんは頑張りましたね、素敵ですよ」
「…………」
「プルスウルトラしましたね。限界を超えたんですよ。諦めることもできたのに、逃げ出さないで立ち向かって打ち勝ったんです。素晴らしい精神力ですよ。そのもう一踏ん張り、をできるその根性という精神論が未来を変えるんです」
「…………」
「最後まで行くのは理論ですが、最後を決めるのは根性論です。今の頑張りを忘れなければ、美寧さんは今よりもっと素敵な人になれますよ」
「…………いや、ちょ」
「頑張る美寧さんは美しい。努力はダイヤモンドよりも価値があるのです。疲れ果てるのは自分に打ち勝った証拠なのです、恥ずかしがる必要はありません。はい、水ですよ」
「いや先生どういう思考回路してんのかな!? 言ってて恥ずかしくならないのかな!? ていうか聞いてる私の方が恥ずかしいんですけど!? 先生の羞恥心てあれかな、表情筋と共にノックアウトしてるのかな!? お水ありがと!」
とりあえず心の中でしていた賞賛をそのまま口にしていたら、いつの間にか呼吸も割りと落ち着いた美寧ががばりと勢い良く起き上がろうとして、目の前にバーベルがあることに気がついたので中途半端に仰向けに寝そべった姿勢のまま怒濤のクレームをつけてきた。
落ち着いてきている呼吸とは対照的に、顔は真っ赤である。
はて、美寧程の美人さんなら、学校なり何処かなりで褒められ慣れているだろうから遠慮せずに言っていたのだが。
差し出した水筒を美寧はひったくるようにして奪い取り、バーベルを避けるようにしてゆっくりと起き上がってから水筒のフタを開けようとする。
だが、美寧の腕は未だに小刻みに震えていた。
それを見てから、秋水は渡した水筒をすっと美寧の手から取り上げる。
「オールアウトしてますね、はい」
そして水筒のフタを回して軽く開け、再び美寧へと手渡し、美寧に握らせはするものの秋水も手を添えたままの姿勢で固定する。
美寧は一瞬ぽかんとした表情になったものの、自分の腕の調子に気がついて、さらに顔を赤くした。トマトか。
うー、と小さく唸ってから美寧はフタを改めて開け、水を呷ろうと水筒を持ち上げるものの、ふっと一瞬だけ腕の力が抜けてしまい水筒を落としそうになってしまう。と言うか、秋水が支えてなかったら落としていただろう。
「あ、ありがと……」
「いえいえ」
何とも言い辛そうにお礼を口にした後、美寧は水を一口飲み、喉が渇いたのだろう、さらに口の中に流し込む。
ちなみに、水筒は当然ながら美寧の持って来ているもので、同じく当然ながら普通の水である。
筋トレによる完全燃焼、オールアウトという限界状態であろうとも一発で回復するポーションをここで与えてみたら良い実験になるなぁ、とか心の中の悪魔が囁くのだが、筋トレの同志にそんな非道な真似はできるはずもない。モルモットは鎬がいるし。
水を飲んで一息ついた美寧が、そのまま震える手でフタを閉めたのを秋水は確認し、再びすっと美寧の手から水筒を取り上げる。
「やー、もうなんか、最初はめちゃくちゃ見られて恥ずかしー、とか思ってたけど、気になんなくなるもんだねー」
「おや、それは素晴らしい。筋トレは自分との戦いですから、自分の筋肉に集中できるのは素質ですよ。美寧さんは才能があるのですね」
「うへへ、先生の褒め殺し殺法にも慣れなきゃねー」
タオルで顔や首筋を拭きながらも、美寧は照れたように笑った。
はて、別に褒め殺しと言われる程に褒めているつもりはないのだが。妹はこの程度言ったところで、もっと褒めろ、とか言ってたし。
それに筋トレにおいて、周りが気にならなくなる、と言うのは一種の才能だ。正直なところ羨ましい。
そう考えていると、ふと、思いついたように美寧が顔を上げた。
「ま、先生はむしろ眼福だったかな?」
赤らんだ顔のまま、美寧は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
あ、からかわれるヤツだな、これ。
直感的にそう感じ取り、秋水は努めて平静に切り返す。
「ああ、筋トレで頑張っている姿を見るのは良いものですね。最後の一踏ん張りをしているところはスポーツ観戦をしているような気持ちになりましたよ」
「いやそうじゃないでしょ。JKの体を間近で見れるのもっと感動してよ。先生それは草が枯れすぎて砂漠だよ」
「JKって、言い方が古くありませんか? 一世代前のノリですよ」
「うえ!? おじさんってこういう言い方の方が好みなんじゃないの!?」
「酷い偏見ですねぇ」
そもそもおじさんではない。
褒め言葉並べた秋水に何故か何とかして反撃しようとしてきた美寧の話を煙に巻きながら、秋水は少し遠い目をする。
いや、思うことがない、わけではないのだ。
秋水だって男子中学生である。
悟りを開いたわけでも去勢手術を受けたわけでもない。性欲は普通にある。
かなり目立つ、という程ではないが、貧相でもなく普通に自己主張のある美寧の一部箇所を見て何も考えないわけではないのだ。
それに胸の筋肉を重点的にトレーニングするベンチプレスの動きを見る以上、どうしたって胸を見ざるを得ない。
だから、どうしても変な考えが浮かんでしまうのは否めない。
普通のブラジャーは止めておいた方が良いと思うんだけどなぁ、と。
運動には運動に適した服装というのもある。
そしてそれは、下着も同じく、とかなんとかいう話を聞いたことがある、ような気がする。特に女性の場合はそうなんだとか。秋水には良く分からない領域の話だが。
ただ、ベンチプレスのフォームをとったときに自己主張が変わらず見えるということは、ホールドされているということだろう。スポーツブラはホールド力が弱いとか聞くので、恐らく普通のなのだろう。
だが、それを秋水が指摘するのは普通にセクハラだし、逆にアドバイスを求められても知識がないので何も答えられないし、そもそもそっち系統の話は苦手だし。
やはりこのまま煙に巻いてしまうのがのが良いだろう。
秋水は独りで勝手に納得した。
中学生男子の性欲とは一体。
「えーっと、それでさ、今のベンチプレス、どうだった?」
それからふと、話が切り替わる。
本題だ。
窺うようにして見上げてくる美寧に、秋水も頭を切り換え大きく頷いて返した。
「素晴らしかったですよ」
「や、そーじゃなくて、姿勢とかの話」
「ええ、フォームの話です。素晴らしかったですよ」
「……えへ」
随分と照れやすいJKである。
ちなみに、フォームの話も嘘ではない。
と言うよりも、前回のときも思ったのだが、やはり美寧は飲み込みが早い。
確かに最初のセットはなかなかに惜しい感じのフォームではあったが、スクワットの時のような自殺行為みたいな無茶苦茶なものではなかった。それに動画を見て勉強したと言っていたが、2日で覚えたとしたら十分なくらいである。
そして修正を繰り返して5セット終えた時点では、特に文句を付ける点は見当たらない。
むしろ、可動域を広くとる、ゆっくり行う、という基礎を最後まで貫き通せている時点で十分に凄いのだ。
「でもあれだよね、素のバーベル持ち上げるだけでヒーヒー言ってたら、何の自慢にもなんないね」
しかし、美寧は重りのついていないバーベルを一度撫で、なんとも不満そうな顔をした。
自慢したいのだろうか。それとも向上心の表れだろうか。
ふむ、と秋水は鼻を鳴らす。
「高重量を上げるだけなら、反動をつけたり他の筋肉を使ったりしたら上げられるでしょうが、筋トレはあくまで筋トレですからね。自分の筋肉をしっかり追い込めているかどうかが大事です。重量や回数といった数字は大事ですが、そればかりに囚われてはいけませんよ」
「うーん、そんなに達観できるかなぁ」
「筋トレで比べるのは、過去の自分しかいませんからね」
微妙に納得のいってなさそうな美寧に、秋水は思わず小さく笑ってしまう。
筋トレでは他人と重量のマウント合戦をすることはよく聞くが、あれは実際のところ無駄でしかない。隣の他人と比較したところで、筋トレには何の意味もないからだ。
隣の他人が100㎏上げようと200㎏上げようと、それを比べた所で何になるというのか。
自分のライバルは、常に過去の自分しかいない。
先月より強くなったか。先週より強くなったか。昨日より強くなったか。これしかないのだ。
例え自分が50㎏しか持ち上げられなくて、隣の他人が100㎏持ち上げたのを見てヘコむ理由などどこにもない。その50㎏が記録更新なら、それが既に誇らしい記録なのだ。
それに、100㎏を持ち上げたいと思っても、それは50㎏を51㎏に、51㎏を52㎏にと増やすしか道はない。
つまり、昨日の自分に勝ち続けることでしか、100㎏という目標には近づけない。
それが筋トレである。
筋トレで得られる、生きる真理である。
「美寧さんはこれから伸びるんです。空のバーベルと同じで伸び代しかないのです。頑張りましょう」
応援の意味を込め、むん、と上腕二頭筋を見せつけるように力こぶを見せると、うわ、と美寧が引いたような声を上げる。
悲しい。
しかし引いたのは一瞬で、すぐに美寧はまじまじと秋水の力こぶを見つめ始める。
「いや、分かってたけど、改めて見ると先生の体って凄いよね……」
「ありがとうございます」
「先生もベンチプレスでバーベルだけってとき、あったの?」
「それはもちろん。私も初心者だったんですよ」
「その時って、誰かがトレーニング方法とか先生に教えてくれたの?」
「ええ、人から教えて貰うこともありました。それに目で見て覚えたこともありますし、勉強もしましたよ」
「勉強って……」
「良い筋トレは、良い睡眠と良い食事があって始めて成り立ちます。なので睡眠についてや栄養学については勉強しました。筋トレだって理論あってこその実践ですからね、常に学ぶ姿勢を心掛けていますよ」
「ほぇ」
それを聞いて、美寧は気の抜けた表情をした後、何故か口をへの字にひん曲げる。
急に不機嫌っぽい顔をするも、続いてぼふりとタオルに顔を一度埋めた。
どうしたのだろうか。
秋水が首を傾げていると、数秒してから美寧は改めて顔を上げ。
「あー、もう、ほんと私、全然ダメだなぁ!」
デカい声で言い放つ。
今のところまだジムの中には秋水と美寧しかいないとは言え、普通にマナー違反である。
そして癇癪を起こした子供みたいな発言だ。
「どうされましたか?」
「どうされたって言うか、なんて言うか、もう徹頭徹尾が恥ずかしいって言うか、一から十までみっともないと言うか」
「大丈夫ですよ。今日も美寧さんはちゃんと美人さんですよ」
「先生言ってて恥ずかしくないのそういうの!?」
何故かきっと睨まれる。
理不尽過ぎやしないだろうか。
「いや、ほら、筋トレの動画とか見て勉強し始めたって言ったじゃん?」
「そうですね。えらいですよ。素晴らしいです」
「あんがと……でも、勉強したら、もーなんか、ラジオ体操なんて子供の運動だしー、とか、スクワットなんて簡単だしー、とか正直舐めてたのも、全然ちんぷんかんぷんでわけ分からんだったし、もー……」
そこまで口にしてから、美寧は大きく溜息を吐き出した。
そしてクールダウンをするように、深呼吸を一度して。
「私、ビックリするくらい、何も知らなかったんだなって」
がっくりと項垂れた。
いや真面目か。
秋水はツッコミたくなるのをぐっと堪えてから、そんな落ち込むようなことだろうかと再び首を捻った。
初心者なんてものを知らなくて当然のことである。
「ほんと、先生には感謝って言うか……あ、これ最初に言っとくべきだったよね。先生、この前は本当にありがとうね」
そこで美寧は思い出したかのように居住まいを正し、軽い言葉のわりに深々と頭を下げてきた。
何と言えば良いのだろうか、育ちの良さを感じる。
特に気を張ることもなく、自然な流れで礼を言ったり頭を下げたり、外面を取り繕っている秋水とは違って美寧のそれらは極々自然に行われている。
もしかして良い所の育ちなのだろうかと思いつつ、だとしたら何でコンビニジムなんだろうという疑問も同時に湧いてしまう。
「いえいえ、どういたしまして」
「私ほんと、やっちゃいけないフォームの見本市みないなスクワットしてたんだよね」
「まあ、そうですね。体を壊してしまわれる前で本当に良かったです」
「本当にありがとね。て言うか、勉強すれば勉強するだけ分かったんだけど、私の筋トレ、全部フォーム間違ってたんだよね」
「……わーお」
急に遠い目をした美寧に、秋水の言葉が続かない。
流石にあんな自殺志願者専用スクワットフォームみたいなレベルの酷い間違いは他にないと信じたいところではあるが、怖くて聞けない。
「先生みたいな人だって色々勉強して筋トレしてるのに……私なんてトレーナーとか居なくても何とかなるっしょとか思って、頭空っぽで馬鹿面晒して変な筋トレしてるし……」
「なるほど、無知の知、ですね」
「え、むちむち……?」
なるほど知らないご様子。
自身の馬鹿っぷりに絶望するという自己嫌悪に近いそれに、ああ、ソクラテスのあれかぁ、くらいの感覚で言ってみたものの、美寧の方はそれを知らないようだった。
仮にむちむち発言をジョークだとしたら、もはやおっさんレベルである。
「無知の知、です。大丈夫ですよ、美寧さんは頑張って彼氏に見せても恥ずかしくない体に仕上げるという目標があるではありませんか」
「さては先生、フォローしていると見せかけて私がムチムチしているってのを全然否定してないな?」
「女性の体型に言及してはいけませんと母から鉄拳付きで教えられて育っております」
「先生のお母さん強過ぎん?」
正確には、母から鉄拳、妹から回し蹴り、父はDVを受ける息子を見捨てて逃亡、という教育法方だった。冬の方が脂肪は燃焼しやすいのだから、冬太りとかただの怠慢だよね、という軽口だったのに。
閑話休題。
「知らないことを知っている、と自覚して、それに向き合うことができるのは、とても素晴らしいことなんですよ」
「はえ?」
「美寧さんが恥ずかしいと思ったのは、知らない自分がいた、それが分かったからですね?」
「あ、うん。て言うか、知ってるつもりだったと言うか、自惚れてたと言うか、うん」
「ならそれは、美寧さんが一つ賢くなったという証拠ですよ」
ソクラテス曰く、だったか。
知らないことを知っている、それは知ろうとするとするための第一歩だとか何とか。
無知の知、について秋水だってそこまで詳しく知らないが、そんな意味だったような気がする。ああ、知っているつもり、を一番非難していたのはソクラテスだったか。
だが、知らないことがあることを自覚するが大事だというのは、何となく秋水にも分かる。
最近は特に、だ。
主にダンジョン関連で。
色々と知らないと分かっているからこそ、知ろうとする努力が産まれるのだ。
無知の知がそういう意味ならば、美寧が嘆いていたことは正にそれである。
「知らないことを知り、それに向き合って、勉強がちゃんと大切なのだと思えるのなら、美寧さんはきっと、とても賢い女性になるのでしょうね」
言葉を締めくくるようにして秋水はそう言ってから、慰めるようによしよしと美寧の頭を撫でる。
撫でられたことに対して美寧は微妙な表情を浮かべるものの、秋水の言葉自体には、へー、と感心したように声を上げていた。
素直である。
やはり何と言うか、育ちが滲み出ているような気がする。
「……先生って、もしかして、本当に学校の先生だったりする?」
「教員ではないですねぇ」
むしろ教師からものを教わる側である。
感心しながらも見当違いのことを尋ねてくる美寧に、秋水は苦笑いを返す他になかった。
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