アクママン
キサガキ
アクママン誕生編
第1話 アクママン誕生編(1)
月が出ていた。大きく真円を描き、夜空で輝く星は世界に色をつけていく。
ふわりふわりふわり。
月光を反射させながら、真白い粉雪が自由気ままと風に乗り神嶋市へ降ってくる。
それは雪に似ているが全く異なるものだ。環境を少しずつ汚染し、この世界に害をもたらす存在。怪異ダストと呼ばれるものであった。
「ちっ、降ってきやがったか」
舌打ちし、質屋【らびらび】の暖簾をくぐったのは、整った顔した二十代半ばの男であった。
日焼けした肌と盛り上がる逞しい胸板から、肉体労働している事が服の上からでも見てわかる。
「いらっしゃーい羅我ちゃん」
そう言って肉体労働の男、御門羅我を迎えてくれたのは薄くメイクした三十代の美しい男性。らびらびの主、兎ラビである。
「悪ぃな、時間外に来てよ」
「あらん、いいのよ。あたしと羅我ちゃんの仲じゃないの」
ウフンとウインクする兎ラビに不快な感じは無く、とても様になっていて格好いい。
「それで羅我ちゃん、それかしら」
気心知れた仲のいい友人から店主の顔になったラビは、羅我の持ち込んだスポーツバックに視線を送った。
「あぁ」
ゴドリッ。重厚の音と共に、スポーツバックをカウンターにのせる。
ファスナーを開けると汗の臭いが室内に広がり、泥で汚れた仕事着が現れた。
その下に隠していた、対になる二つのある形をした石を取り出しラビに手渡す。
「あらん、このデブリ(石)ってヨーヨー?」
「だよな。やっぱそう見えるよな。ダストもどっから持ってきたんだよ。ったく怪異の考えてる事全く理解できねぇぜ」
「……」
ラビの掌にまるで測った様に収まる石で出来たヨーヨー。それに心奪われたのか、返事がない。
「ラビさん?」
「あら、ごめんなさい。ぼっーとしちゃったわぁん」
「それでどうかな。これ売れる?」
何処で誰が聞いてるかわからない。声の音量を下げてヒソヒソと耳打ちする。
何故ならこれは違法だからだ。羅我は神嶋市に降り注いた怪異ダストを撤去する仕事に就いている。
ダストは一晩放置すると地下に巣を作る。そこにあるのが建物の土台であろうが、アスファルトで出来た道であろうが関係無い。放置すると非常に危険な存在なのだ。
その巣からデブリと呼ばれる大小様々な形した石が、ごく稀に見つかる。
その場合正規の手順では、上に報告し怪異ハンターを束ねる組織アニマに対応を委ねる。だがデブリには価値があるものもあり、非合法に高価買い取りしてくれる質屋もあった。らびらびもその一つなのだ。
羅我には金がいる。
年の離れた中学生の妹、美亜が病気で入退院を繰り返していた。両親がいない羅我にとって、美亜はたった一人の家族。
病気を治す為なら泥だって啜る。良心の呵責は勿論あるし、こんな事を妹は望んでいない。知れば反対するだろう。
それでも最先端の医療を美亜に受けさせたいと思うのは、兄のエゴなのか。
「勿論、買い取るわぁん。素敵なデブリね。気に入ったわ」
「羅我ちゃん、今から美亜ちゃんの病院?」
「あぁ、顔だけ出してくよ。直ぐ仕事だしな」
ラビから予想よりも多く現金を受け取り外に出ると、ダストの降りが先程より強くなってきた。
「やれやれだぜ。急ぐか」
真っ白に染まっていく街を羅我は走り出した。
『――こちらは怪異狩り本部アニマ結界隊です。神嶋地区一帯に怪異警報発動されました。人喰い怪異、悪異が具現化します。結界を張りますので、速やかに近くの建物や屋根のある乗り物に避難してください――』
「マジかよ」
――タッタッタッ。
車を停めている駐車場へ急ぐ羅我とすれ違い、逆方向へ走る十代のメガネをかけたポニーテールの美少女に目を奪われた。
「何処かで見た事あるような」
あの少女、怪異ハンターだ。しかも十字架の刺繍が入った白いブラウスに黒いタイトスカート姿。あれは特級怪異、最強の悪異デーモンを狩るデーモンハンター【守護天使】の制服だ。
「痛ッッ」
ズキンと頭がしめつけられ痛い。
「……誰だかわかんねぇや」
「えっち」
そう言ってクルリとポニーテールと胸を揺らしながら、こちらに振り返る少女の顔は笑みを浮かべている。
「ぬああっ」
しまった。ジロジロと見てた事に気づかれた。
「もぅ。こんな緊急事態にそんな熱い視線を送って、お兄さんったら」
クネクネと波で揺れ動くイソギンチャクの様に、少女は体をくねらせる。
「ガキに興味ねぇよ。だが不快にさせてすまなかった。なんか懐かしく感じてな」
「あはっ。お兄さんおもしろーい。初対面ですよ」
「だよな。悪いな。仕事の邪魔してよ。お嬢ちゃんハンターだろ? 気をつけてな」
「……わかりました。遠回しのプロポーズですね。イケてるお兄さん」
「へへっ。成人したら考えるぜ。じゃあな」
人懐こくて美亜を連想する。こういう状況で無ければもう少し相手してもいいが、足止めさせてはいけない。羅我は結界が張られた自家用車へ急いだ。
*
駐車場へ走っていく羅我を見届け、少女はダストで白く汚染されていく道を突き進む。
「――近くにいるよ、舞姫ちゃん」
舞姫とアニメ声で少女の名前を呼んだのは、腰に携帯してる巨大な真紅色したハサミであった。
「うん。感じるね、ぐらびー」
この巨大ハサミ、グラビティは守護天使専用の魔武具デビルウェポンの一つで、持ち主によって形状や能力が違っていた。
各ウェポンに共通してるのは、持ち主と契約した友好的な悪魔、仲魔を宿し、全ての武具に刃が備わっている事。
魂である核(コア)が弱点の怪異と違い、デーモンは首を切断しない限り滅ぼせない。魔力が続くかぎり肉体は再生する。それをさせない為の刃なのだ。
「――来るよ」
激しい地響きが鳴り大地が揺れた。
ボンッ。アスファルトにボウリングボールサイズの穴があく。
ボンッボンッボンッ。不可視の球は跳び跳ね、あけられた複数の穴から炎が一斉に吹き出した。
「――ブモォォォ!」
一つに合わさり具現化した悪異炎槐は、誕生の産声をあげる。
真っ赤に熱しられた岩石の中心を炎が覆い、身の丈五メートル程の擬人化した牛の形となる。
両手には身長よりも高く、見るからに重そうな炎で出来たハンマーを握りしめていた。
「――あれあれ? 三級以下の雑魚悪異だぞ。一級や特級のデーモンでもないし。別チームに任せて帰ろうよ。僕たちの出番じゃない」
「あはは、そんな事言わずに協力して。アイス買ってあげるからさ」
「――うふふふ勿論! やる気でてきたぞ」
仲魔となった悪魔達は戦う力を与える対価として、持ち主の本質を欲している。グラビティは【欲求】であった。
キンッ。鞘の封印が解けて、舞姫は真紅色のハサミを抜く。
ヌゥウウと一瞬空間が歪み、封じられていたグラビティの魔力が一気に解放される。
「――うふふうふふふ。終わったらアイス沢山喰っていいよね。姫ちゃん」
「勿論だよ。あははははははは! 狩る! 狩る! 狩っちゃうよぉおおお!!」
湧き上がる異常な高揚感テンションは、恐怖の裏返し。
人喰い悪異。しかも敵は特級のデーモンではないが今まで何人の仲間が喰われ、失ってきたか。
恐怖が快楽に切り替わる。
――つーんっ。
「あぁあん」
舞姫は頭上から爪先に抜ける快楽を、恍惚とした表情で味わう。
「あはははは、まだ我慢だぁぁ。我慢するのも気持ちいーいいい」
舞姫は口角を吊り上げ大声で笑い、ジャキジャキジャキと両手でハサミ開閉させた。
「イクよグラビー。狩りの時間だ。デーモンハンター、守護天使神威隊。副隊長暁舞姫、イッきまーす」
*
ふわり。雪に似た真っ白な綿は大地へ降り立つ。活動を開始するのは深夜だ。
昆虫の足に似た根っ子が、大地に根を張り自らの糧としていく。
人体に無害の為、ハンター達から狩られる事はない。だが怪異ダストが人にとって、危険な存在である事は間違いなかった。
奴らは食する。人の生活に影響を与える物を。結界が張られていない道路、建物、乗り物もだ。
その為に彼らはいる。毎日休む事無く、日が昇る前からダストを撤去するダスターと呼ばれる作業員達が。
昨晩街に降り注いだダストは、至るところに積もっている。
二台の泥と雨で薄汚れた白いバンの車が、神嶋駅前の駐車場に停車した。尾上組と社名が入ったツナギを着た屈強な男達が眠そうな顔で降りてくる。
その中に御門羅我はいた。
スキンヘッドで隻眼の小太りの中年の男、尾上が車から降りると、羅我達は尾上を中心に集まり出す。
「おめぇら、手分けしてダストを撤去な。人が集まるところ優先で頼むぜぇ」
「うすっ」
社長尾上の朝礼が終わり、羅我達は野太い声をあげ作業に取りかかる。
車から年季の入ったスコップやツルハシを次から次へと持ち出して、銘銘にダストを掘っていく。
「ったく、取っても取っても害虫のように沸き上がるぜ」
羅我は悪態をつき煙草を咥え、上半身裸でダストを掘っている。
この仕事をしてるのも妹の為。短期間で治療費を稼ぐのに、都合がいいからだ。
「危なくないっすか、御門さん」
ツナギにフルフェイスのヘルメットを被る後輩、テツヲがやってくる。
「あっ? 火ついてねぇぞ」
「それもそうですけど、よく裸で仕事出来ますね。汚染とか怖くないっすか。社長は皮膚についても無害って言ってるけど、肺やられそうで」
「暑くて着てられねぇよ。怖いならおっちゃん(社長)に言って違う現場紹介してもらえ。脳筋の俺と違って、お前ならもっと違う仕事あんだろ」
「いやぁ俺も金いるっす。ここ他の現場より金いいし」
「それなッ!」
ガチン。スコップが硬いものに触れた。
「おっ出た出た出た。お宝ちゃん」
降り注いだダストは大地に根をはり、巣を一晩でつくる。その巣をスコップで壊しダストを掘り起こすのだが、ごくたまにデブリと呼ばれる正体不明の物体が巣から出てくる。元々そこにあった物で無く、ダストが何処からか持ってきているのだ。
「デブリ初めて見たッス。社長に報告ですよね、俺行きますよ」
「待て待て待て」
「はい?」
「これは報告しなくていい。ある質屋に持ってくと、結構いい金で売れんだよ」
「えぇヤバくないっすか、それ」
「妹の治療費にしたいんだ。頼むテツヲ」
「あぁなるほど。美亜さんでしたっけ。わかりました。なら俺もデブリ見つけて売ろうっと。これで共犯ッスよ」
「すまねぇ感謝する」
いひひと笑うテツヲに羅我は頭を下げた。
巣から取り出したデブリは一枚の黒い鱗の形をしていた。大きさは三十センチほどで手に取ると、ズシリと重い。着替えが入っているスポーツバックに馴れた手つきで鱗を隠した。
「これがデブリっすか」
「形は様々だ。文字通りただのゴミの確率の方が高いしよ。買い取ってくれたら、ラッキーと思っとけ」
「うすっ。そういえば美亜さんで思い出したけど、女医さんと付き合ってるんですよね。いいなぁ。男の夢っスよ」
「そんなもんか? 普通だろ」
「言ってみたいな俺も。そんなセリフを」
「おうっ、お前ら無駄口たたいてるなら、中島に手を貸せ。また足滑らせて巣に落ちたぞ」
「あいよ。おっちゃん。行くぞテツヲ」
「うすっ!」
仕事終えた羅我は、質屋【らびらび】に足を運ぶが、休業の看板に気づいた。
「ありゃ休みなんて珍しい。出直すか」
そう言って羅我は歩き出す。
当てが外れた。売った金で買い出しして、美亜の病室に顔出す予定だったのだが。
「現金いくらあったっけ」
取り出した財布の中身を確認してると、背中に人がぶつかった。
「おっ悪いな」
道の真ん中でいきなり立ち止まる自分が悪いとぶつかった少年に謝るが、一瞥もしないで物凄い早さで走り去っていく。
「おろっ?」
左腕に抱えたスポーツバックが無かった。
「こんのクソガキがッ!」
羅我は全力で追いかける。
それに気づいた少年は狭い路地裏に飛び込んだ。それでも追うのを羅我は止めない。少年は柵をよじ登り再び広い通りに出ると、車通りが激しい中を飛び出し器用に車をかわして渡りきる。
「ちっ」
羅我は一瞬躊躇するが、同じように飛び出す。
急ブレーキと焦げたタイヤの臭い。運転手はハンドルを切って羅我を回避しガードレールに激突し、後続の車が立て続けに衝突する。
「悪いな」
罪悪感でいっぱいだが、ここで追うのを止めるわけにはいかない。再び走り出した。
「しつこいね。おっさん」
路地裏まで追い詰めると、ニキビ面した中学生ぐらいの少年はヘラヘラと悪びれずに笑っている。
「おいおい。人の物を盗むなって、小学校で習わなかったか」
ゴンッ。背後にこっそり忍び寄る少年の一人を、裏拳で殴り吹き飛ばす。
「やろぉぉ」
殺気だった少年の仲間達が、路地裏に集まってくる。
「それに何の価値もねぇぜ。さっさと返せ」
「ひひひっ」
少年が、ナイフを取り出した。
「止めとけ。冗談で済む話じゃなくなるぜ」
「ぶるってのか。おっさん。ひゃっはっは」
ナイフの刃を舌で舐めて、仲間達と共に笑い出す。
「あっ? かかって来いよガキ共」
「うぅ……痛っっ」
「強ぇよ……」
少年達のうめき声が聞こえる。
「バカ共が。相手見てから喧嘩売れ。あとはてめぇだけだ小僧。まさか仲間置いて逃げるわけないよなぁ」
にいいいっと、口角をつり上げて羅我は笑い威嚇した。
「やってやんよぉぉ」
震える両手でナイフを構え、ニキビ面は羅我の懐に飛び込んだ。
「ひっひっひっ。未成年最高!」
「だな。悪いことは今のうちにやっとけ」
「なんで生きてる。刺したのにぃぃ」
刃がぐにゃりと曲がり、羅我は無傷であった。
「肉体労働ナメんな!」
ニキビ面の腹に拳を叩きこむ。
「うげぇぇぇ」
「ったく無駄な時間くっちまったぜ」
羅我はスポーツバックを取り戻し、気絶してる少年達をそのままに路地裏から出ていこうと歩き出す。刹那、野獣の叫びと少年達の悲鳴を聞いた。
「あっ?」
振り返ると何処からか現れた異形なる姿をした化物が、少年の一人を丸のみしていた。
少年を一口で飲み込んだのは、蛙を擬人化した悪異であった。
こいつは何だ。怪異なのか。いや奴等が活動するのは、日がくれた夜からだ。怪異警報だって鳴っていない。
ならこの異形なる化物の正体は、只一つ。
「……デーモンか」
餌である人間に化けて、日常へ溶け込む正体不明の邪悪な侵略者。
そもそも特級怪異のカテゴリーにデーモンは入っているが、怪異なのかも分かっていない。
太古の昔から一部の人が持っていた異能力。それを使い怪異と戦った狩人達は、鬼と恐れられ敬われた。
時は流れ、現在その力を持っている人も珍しくない。怪異ハンター全員が異能力者なのだから。
今の時代、彼等は人類の進化の形、超人として世界で認知され受け入れられている。
そしてデーモンもまた超人と同じ様に、人類が進化した者ではないかと言う説もあった。
「ひいいっママぁ」
どちらにしろ、仲間が喰われ泣きわめく少年達を、見殺しにはできない。
「おい立てるか」
腰を抜かしたニキビ面した少年に声をかける。
「は、はい」
「俺が奴をひきつける。その間にお前はダチを連れて逃げろ。出来るな?」
「はい! あ、あにき」
涙と鼻水まみれで素直に返事をすると、ニキビ面は気絶してる仲間達に呼びかける。
『ゲロ』
一人飲み込んでもまだ満足せず、蛙は舌を伸ばし近くの少年を狙った。
「うらっっ!」
羅我はスポーツバックを蛙の頭にぶつけた。ベコリッと一部が吹き飛び緑の体液を撒き散らす。
「今だ行けガキ共! 止まるんじゃねぇぞッ!」
「はいっ!」
『なぜ邪魔する』
蛙は羅我に気づき、ペタリペタリと体をこちらに向けた。
「そうだ。それでいい」
『お前、何処かで見た顔だ』
化物は言葉を喋るが、特に珍しい事もない。怪異だって対話できるタイプがいるのだから。
「あっ? 化物の知り合いなんていねぇぞ」
『ゲロゲロ。まぁいい。お前も喰ってやろう』
蛙は不気味に鳴き、長く真っ赤な舌を羅我めがけて伸ばした。
「冗談きついぜ」
逃げるわけにはいかない。逃げればまた少年達が狙われる。
「南無三」
羅我は舌をかわし、一か八かの肉弾戦の賭けに出た。それ以外に選択肢が残されてないからだ。
「うらっっ!」
転がる錆びた鉄パイプを拾い上げ、振りかぶる。
左肩にヒットするが、硬く逆に手が痺れた。まるで岩を殴っている様だ。
「見た目に比べて、随分と硬いじゃねぇか」
『ゲロゲロ無駄だ』
「ならこれならどうよ!」
痺れる両腕で鉄パイプを脇腹に構え、勢いよく踏み込む。
ザクリッ。左目に突き刺した。
「ここならいくらなんでも……ってマジかよ」
『ゲロゲロ』
鉄パイプをぐにゃりと折り曲げた左目は、全くの無傷であった。
「化物め」
『デーモンだ。我等は、この世界ではそう呼ばれてる』
「ちっ……最悪だ」
近くで対峙して、羅我はある事に気づいた。
あれほどの強度を持つ肉体。それなのに一番最初の攻撃だけ、ダメージを与えられたのは何故だ。
頭部の一番は欠損し、緑の血で汚れている。
(スポーツバック……デブリか)
少し離れた場所で、それは転がっていた。
「シャッッ」
覚悟は決まった。気合い全開で羅我は走り出す。
『ゲロゲロ』
逃がさないと蛙は狙いを定め、赤い舌を長く伸ばした。
バックを掴んだ瞬間、舌が左足に絡まり強く引かれた。バランスを崩しズルズルで地面を削りながら、デーモンに近づいていく。
「この両生類がっっ」
艶のない黒い鱗のデブリを取り出した。
――飲み込まれるタイミングを見計らい、頭部にぶちこむ。
ぐんっ。体が大きく浮かび上がり、口を開けた蛙にどんどんと近づいていく。
――今だ!
鱗を持ち上げる指が偶然突起物に触れ、カチリと音が鳴った。
『――データ確認。ラガ・ミカドを認証。スリープモード解除します――』
鱗から無機質な少女の声が響く。
「なんじゃそりゃ。あとにしろ!」
殺意を込め鱗を振り下ろす。
斬。
『ゲロ?』
目をパチクリさせる蛙は、自分の身に何があったかまだ理解できていない。
ブシャャャャ。舌が切断され緑の血飛沫があがった。
「な、なんじゃこりゃぁぁぁ」
そして羅我もまた、一体何があったのか理解してなかった。
わかってるのは、鱗が黒い直刀に変形し舌を切断したという事だ。
『ゲロぉぉ。それはデビル・ウェポン……ならお前は俺の……駄目だ頭痛くてわからない』
「なんかよくわからんがヨシッ! 結果オーライってやつだ」
にいいっ。戦う力を手に入れた羅我は、口角をつり上げ笑った。
「――カカカカッ。やっと再会できたな我が主よ。待ちくたびれたのじゃ」
少女の可愛い声が、刀から伝わってくる。無機質だった先程と違い、その声は喜びの感情に満ちていた。
「誰だお前。まぁいいや。力を貸せ。あの蛙デーモン、人間喰いやがった。許せねぇ!」
「――ぬぅ。儂の名を思い出せぬか。それでは契約上、真の力を使えぬぞ」
「あぁっ。戦えればそれでいいぜ」
よく見てみると細かい蛇に似た鱗が重なり、刀の形になっている。
軽くもなく重くもない。ベストな重さで、しっかりと手に刀身が馴染む。まるで自分専用に造られたみたいだ。これなら長時間振っても疲れない。
そしてこの刀と少女の声を羅我は何故か知っていた。
「なぁお前、何処かで――!?」
『ゲロ』
千切れた舌を口にしまい、蛙は手のひらを大地におろし四つん這いになった。
チクチクチク。殺気が針として突き刺さり、体全身の産毛が逆立つ。
「――来るぞ主!」
『ブッッ』
腹が大きく膨らみ、口から舌ではない何かを飛ばした。
ギンッ。無意識に動かした刀の刃がそれを防ぐ。
「危ねぇぇ」
「――空気を撃ちだす異能力かや」
見えない攻撃。だが顔の正面にいなければ問題ない。
「あの腹、斬ってやるぜ」
「――無謀じゃぞ。生身でデーモンと立ち向かうのは」
「無謀承知。だが殺らなきゃ殺られんだ」
気合い入れて周囲をグルグルと走り出す。蛙もそれに合わせて、ペタリペタリと体を動かした。
――この角度ならどうよ!
斜め後方に素早くまわり込み刀を振った。
刃は腹に届かない。だが背中の肉を斬り裂いた。
「――おしいのじゃ」
「へっ。いい感じだ。次は外さねぇぞ」
再び蛙の周りを走り出すが、そうやすやすと同じ手はくわない。
『ゲロッ』
ピョン。地面を蹴り羅我の頭上を飛び越える。
「やろぉ!」
振り返ると蛙は壁を使い反転。飛び蹴りを放った。
「ぐはぁぁぁ」
空気弾ばかりに気を取られ油断した。まさか直接攻撃で来るとは。
土煙をあげて激しく転がる。直ぐに立ち上がるが、蛙の姿を見失う。
「くそ何処行っ――」
バァァァン。空気弾がこめかみにかすり、左耳の一部が吹き飛んだ。
「ギャァァァァッッ! 超痛ぇぇぇッ!」
「――主ッッ! はやく儂の名を呼べ。それが変身のキーワードじゃ」
『ゲロゲロゲロ、グワッグワッグワッ』
蛙は歌いながら近づいてくる。のたうち回る羅我の頭部を両手で掴み、深淵の深き瞳で見つめた。その目に浮かぶは殺意ではなく慈愛。
『死を与える。それこそが救い。それが我等デーモンの使命』
ピシッピシッ。口の端から目の下まで、亀裂が走り口角は人一人分余裕で入る程に裂けていく。その口内から見えるは、星空輝く闇。
「ウッオオオオオオオオオオオオ!!」
何者かに閉ざされていた記憶の扉を、生き残る為の本能が無理矢理抉じ開けた。
そこから見た世界は、夜中で周辺を確認できないが間違いなくカミシマ市だ。只、高層ビルが建ち並ぶ街並みは、神嶋市より発展している。
高速道路では休日を遠出して過ごした沢山の車が止まっていた。全ての車内には人の姿がない。慌てていたのだろう。荷物がそのまま置いたままであった。
『――悪異がカミシマインターに現れました。結界まで大至急、避難してください。繰り返します――』
怪異警報が鳴り響く中、腰に黒刀を帯刀した黒いバトルスーツ姿のミカド・ラガが、先頭車両目指して停車する車の屋根の上を走っている。
――あれは俺だ。けど知らねぇぞ、こんなの。
ラガは鋭い鷹の様な目で前方を睨み、口角をつり上げた。その先には、先頭車をひっくり返した巨大なマンモス型の悪異がいる。
ラガは一人で戦おうとしているのか。いや違う。頼もしい仲間がいた。
双頭の黒い狼を引き連れた赤髪のロングヘアーの女性と、巨大なハサミを持つ赤髪のポニーテールの少女がラガよりも先にたどり着き戦っていた。
「待たせたなッ 二人共ッ!」
「あははは、遅いぞダーリン。アタイ達だけで片付けちゃうところだったぞ」
「あはっ。待ってたよ、ラガくぅん」
残念ながら仲間が誰なのかわからない。名前も顔も、思い出そうとすると頭痛がしてノイズが走るのだ。
「カカッ。怪異ハンター見習いミカド・ラガだ。覚えて死ねッッ!」
ラガは悪異に自己紹介し【相棒】の名前を呼ぶと、鞘から黒い蛇腹の刀を引き抜いた。
こんな記憶有り得ない。怪異と戦うのは、今回が初めてだ。だがノイズが混じるもう一つの記憶の中で呼んだ相棒の名前は、真実だと理解した。
「刀、お前の名前それは――」
左のこめかみと耳の傷が治癒していく。
「リリスッッ!」
羅我は刀相棒の名前を呼びながら、腹の中へ消えた。
*
あの男、何処かであった事があるかと蛙のデーモンは思った。頭痛とノイズが記憶を侵食する。わかっているのは、人間を救う為に喰っているという事だ。
蛙のデーモンも人であった。不平も不満もなく、大好きな彼女と日々楽しい生活を送っていた。あの日が来るまでは。
あの日の早朝、彼女と飼っている犬のチャッピーを散歩させていると、チャッピーが昨晩降り注いだダストの中からデブリを見つけた。
人体に無害といわれる怪異ダストとはいえ、その中から出てきた物に眉をひそめる彼女に対して、蛙はそれに強く惹かれた。マスターと呼ばれた気がして、デブリを【舌】の形をしている魔武具デビル・ウェポンを手に取ってしまう。
気づくと、チャッピーの首を斬り飛ばし、舌で彼女を飲み込んでいた。
不思議と後悔は無かった。涙も出なかった。あるのは達成感。人を救ったという満足感であった。
『ゲロゲロゲロ、グワッグワッグワッ』
そうして、蛙型のデーモンは誕生したのだ。
「――コード・リリス認証。アームドモード起動します――」
蛙の腹から少女の声が聞こえた。
『うぐぅぅぅ』
腹部に強い痛みを感じ呻く。太鼓の様に膨らむ腹に視線を動かすと、体内から十本の刃が飛び出していた。
『魔装甲に傷。そんな事出来るのは同じデーモンだけだ』
斬。輪切りになった腹部から、緑の体液で汚れた黒い外皮骨格型魔装甲を纏う悪魔が現れた。
*
「カカカカカッ。手に入れたぞ。俺は戦う力を、手に入れたぞッ!」
フルフェイス型頭部ヘルメットのバイザーを開けると、上気した羅我の素顔が外気に触れた。
爛爛と輝く黒い瞳は真紅に染まり、瞼の下に浮かび上がる隈は墨で書かれた様に濃く鮮やかだ。
羅我は口角を耳までつり上げて高笑う。
『ラ……ガ』
輪切りにされた腹を押さえながら、無意識に蛙は羅我の名前を呼んだ。
「うるせぇ、さんをつけろ! 両棲類ッッ!」
何故デーモンが羅我の名前を知っているのか。その事に気も止めない程、興奮状態のまま十本の指先から生える刃で蛙の四肢を斬り飛ばした。
「はぁはぁはぁ、しぶてぇな」
これで何回目だろうか。リリスの刃で繰り返し切り刻んでも蛙は死なず、欠損した体は再生し続け生命活動を止めなかった。
「こんにちはー、ワイルドでイケてるお兄さん。それではデーモンは死にませーん」
いつからそこにいたのか。そう言って羅我の顔をニコニコと覗きこむ、メガネをかけたポニーテールの美少女が隣に立っていた。
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