第11話


         ※


 翌朝明朝。

 流石に今度は分かった。誰かが僕の部屋に侵入してきたことに。

 まだ日が昇るまで時間があるというのに、ご苦労なことである。

 

「何やってんだ、摩耶?」

「ぐぶっ!?」


 ぐぶっ、じゃないだろ、ぐぶっ、って。


「姉妹そろって一体何だよ! 僕を暗殺するつもりなのか? ついでに言えば、お前より美耶の方が、ずっと上手く忍び込んできたぞ!」

「あ、ははは、よくできた妹だろ?」

「否定はしないけどな……。だからって、お前がその真似をする意味がどこにあるんだ? いやそもそも、どうして僕の睡眠時にやって来るんだ? 泥棒か?」


 すると、突然摩耶の顔が青くなった。暗くて見えないはずなのだが、それでも雰囲気が伝わってきたのだ。これもまた、父さんに伝授された感覚のおかげ、なのだろうか。

 まあいいや、今更そんなことは。


「で? 目的は何だ?」

「そ、それがさ……」


 あ、そういえば美耶からも訊きそびれていたな。僕の部屋で何をしようとしていたのか。

 上半身を起こした僕は、しばし摩耶を問い詰めることにした。


「取り敢えず正座! でないと、お前が反省してるって認めてやらないからな!」

「えぇえ!? 足が痺れるじゃんか!」

「正座して僕の信頼を得るか、しないで僕に説教されるか、どっちだ?」

「あーもう!」


 摩耶はその場で地団太を踏んだが、交渉の結果、取り敢えずお姫様座りで許してやることにした。


「で? 何の用だよ?」


 摩耶は沈黙。というより、言いたいことが喉のどこかで渋滞を起こしている。


「言ってもらわなきゃ分からないだろ? 目的は何だ?」

「その……」

「うん」

「だから……」

「ふむ」

「あっ、ありがとうございましたっ!!」

「はあ!?」


 全速力で部屋の扉を引き開ける摩耶。だが、僕の方が一瞬速かった。

 ベッドから降りて回り込み、摩耶が開けようとしている扉にガツンと肘打ち。そのまま体重を預ける。


「おい卑怯だぞ、柊也!」

「何がだよ」

「何って、これじゃああたいが逃げらんねえじゃん!」

「その通り。お前を逃げられなくするために、僕はこうやって押さえているんだ。誰が見たってそうだろ?」

「むー……」


 僕が察するに、摩耶はここぞという時に黙り込んでしまうきらいがあるらしい。そのあたりの順応性は、美耶の方があるのかもしれないな。

 美耶の場合、我を通そうとした時に、あまり注意してくれる大人がいなかったのだろう。だからいろいろと、そしてハキハキとした言動を取れるのだ。

 対して摩耶は長女であり、どちらかといえば慎重に育てられたはず。弟妹に教えを諭す立場だったのだから。何故か今は、美耶に精神年齢を追い抜かれているけれど。


「今だっ!」

「ぐっ!」


 しまった、思索に耽りすぎた!

 摩耶は素早く身を翻し、僕のベッドに飛び乗ってガッツポーズを取った。

 ちなみに、ちゃんとスリッパを脱いでから飛び乗ったのは評価できるかもな。

 それはさておき。


「だーかーらー! どうしてお前も美耶も僕にまとわりつくんだよ! 誰でもいいじゃんか、他人なんて!」

「誰でも、いい……?」

「ああそうだよ、大体僕は男だぞ? その、えっと……。と、とにかく、ベッドから下りろ! 血の繋がりもないのに、抵抗感ないのか? 不潔だーとか、思うんじゃないの?」

「柊也が不潔? そうは思えないけど」


 月野摩耶……。こいつ、真顔でこんなこと言ってきやがる。

 僕が返答に苦慮していると、摩耶はばったりとベッドに横たわってしまった。


「ふう! あーあ、疲れた!」


 ばふっ、と思いっきりベッドに倒れ込む摩耶。

 なんだか酷く恥ずかしい。何が悲しくて、自分のベッドに横たわる異性を眺めていなければならないのか。


 僕はあからさまに肩を竦め、吐き出すような溜息を一つ。

 戸棚を開けてごそごそと寝具を探し始めた。


「柊也、何してんの?」

「代わりの敷布団を探してる。誰かさんに寝床を取られたからな」

「えーっ? 一緒に寝ないの?」


 音がした。

 喩えるなら、空気が膨張してひびが入るような。

 巨人の両腕で顔を潰されて聴覚がぶっ飛ぶような。

 日本刀で袈裟懸けに斬り払われるような。


 これら三つは当然ながら、僕が生きてきて経験したことのない事柄だ。

 今後の人生で味わうこともないだろう。ただの喩えなのだから。


 逆に言えば。

 そんな空想的で荒唐無稽な感覚を喚起させられるような、あまりにも大きな衝撃波が僕を襲ったのだ、とは言える。そんな確信がある。


 眩暈を覚えつつ、僕は目元を手で覆った。

 僕には瑞樹先輩という、最高最強の女神様がついているのだ。悪戯心から暴挙(?)に出たガキの相手はしていられない。もし真っ向勝負を仕掛けたら、間違いなく僕の完敗だ。

 ……鼻血が止まらなくなる。


「ああ、まったく!」


 僕は引っ張り出した敷布団に、乱暴に横たわった。ちゃんとベッドメイキングをしてから寝ろというのも父さんの口癖だったが、知ったこっちゃない。

 こんな異常事態に対抗する術を、父さんは教えてくれなかった。


「ひどく疲れたな……」


 そう呟いて、僕は仰向けに、両手を後頭部で組むようにして横たわった。


         ※

 

 うつらうつらしてきた頃、僕の聴覚が何者かに反応を示した。

 この時、僕はベッド側に背中を向けるようにして寝息を立てていたが、心だけは戦闘体勢に移行した。

 寝息を崩さず、筋肉も動かさない。ただし、素早くしなやかな挙動のイメージを浮かべること。それは念頭に置いて行動しなければ。


 人影は、ベッドと敷布団の間に下り立った。僕はごくり、と唾を飲む。

 しかし、すぐに僕は困惑状態に囚われた。この人影、敵意がないのか……?


 ますます混迷を深める事態。もしこの時、僕が冷静だったら、人影の正体などすぐに察せられただろう。

 問題は、僕が早とちりして、接近する人や物を何でもかんでも脅威として扱ってしまったことだ。

 だから、人影から発せられる、敵意のない純粋な感覚を誤認してしまった。


「ごめんね、兄ちゃん……」


 その囁きと共に、人影が僕の背中をシャツの上からそっと撫でた。

 今の声は、摩耶なのか……? 

 僕が困惑していると、ぴとっ、と温かい何かが背中に触れた。

 摩耶が背中合わせに眠ろうとしているのだろうか。


 答えはない。目覚まし時計の針が進む音、エアコンの駆動音、外を走る自動車の走行音。

 そして、すうすうと静かに響く摩耶の寝息。


 ……この世で生き残った最後の二人、みたいだな。


 もしかしたらこの時から、僕は摩耶を異性としてではなく、家族として捉え始めたのかもしれない。

 再び寝入る直前、僕は自分の寝言が聞こえた気がした。――春香、と。


         ※


 翌朝。

 何かが圧し掛かってきて、僕は目を覚ました。いつもの目覚まし時計がジリジリと鳴っている。くそっ、自力では起床できなかったか。

 時計のアラーム設定は厳しめにしてあるから、気に病む必要はないかもしれない。

 それより問題なのは、仰向けに寝ていた僕に抱き着く格好で降ってきた摩耶のことだ。


「むにゃむにゃ……兄ちゃん……」

「寝ぼけるな馬鹿! 僕はお前の兄さんじゃない!」

「……父さんも、母さんも、あたいらを置いて、どこへ行ったの……?」


 その言葉に、噴出しかけていた鼻血が一瞬で引っ込んだ。

 そうか。月野姉妹の両親は存命なのか。両親のみならず、兄と呼ばれる人物も。

 これはきちんと話を聞かなければならないな。


「まったく、そんな大切な話はちゃんと起きてからにしろよな……」


 僕は摩耶の両肩を掴み、押し上げて、ゆっくりと自分の身体を引っ張り出そうとした。

 が、しかし。


「むにゃ……」

「うおっ!?」


 摩耶が思いがけない行動に出た。僕から下りるように半回転しかけたのだ。

 この時、僕が手を離していれば何の問題もなかった。だが僕程度の人間には、この状態から神経伝達物質を脳に伝えるまで、そこそこの時間経過を必要とした。


 結論からいうと、僕の身体から転がり落ちた摩耶を救うべく手を差し伸べた結果、摩耶の僅かな、しかし確かに存在する胸の膨らみが、すっぽりと僕の両手に収まってしまったのだ。


 という文言が脳内で構成された頃には、僕はどっと、酷い汗をかいていた。

 おいおいおいおい、どうするんだ、これ。摩耶のやつ、呼吸のタイミングがズレてきている。もうじき目を覚ますはずだ。

 その時、僕はどんな方便を使って、摩耶の怒りを回避すればいいのか?


 そう悩みながらも、僕の腕は思うようには動かなかった。

 理由は分からない。分かるのは、もはや僕には手の施しようがないということだけ。


 ん? 誰かが扉をノックしている?


「坊ちゃま、午前五時を回りましたよ。起きていらっしゃいますか?」

「え……あ……」

「失礼致します」


 そう言って入ってきた弦さん。運命に対する抵抗を諦める僕。

 すると弦さんは、失礼致しました、と言って、何事もなかったかのように扉を閉めて立ち去った。

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