第4話


         ※


 どのくらいの間、暴行を受けていたのだろう。

 数分ではなかったはずだ。十数分、もしかしたら二十分前後。


 人通りは皆無と言ってよく、この都会において『切り取られた暗闇』とでも言えるような状況だった。パーカー二人の気分次第で、格好の処刑場にでも化けるような場所だ。


 その間僕が考えていたのは、高校二年生の時のこと。父さんに代わり、弦さんが指導を始めてから七年後である。

 思えば、この頃の自分が、運動や格闘技術が一番研ぎ澄まされていた気がする。それから先は、一年の浪人期間も含めて勉強に重きを置き、鍛錬は後回しになってしまっていた。


 それでも、弦さんとの軽い鍛錬は積んでいた。柔術の組手や、新しい剣術の技の習得など。

 しかし、戦闘技術が著しく低下してしまったのもまた事実。一日数時間にも及ぶ鍛錬をこなしていた時に比べると、戦闘能力は右肩下がりだ。

 パーカー二人を、僕はどこかで見くびっていたのだろう。それとも、久々に腕が振るえると思って慢心したか。


 あるいは――。守りたいと思える家族がいなくなったから、自分が傷ついてもどうなっても構わない。そう考えて自棄になったか。


「まったく……情けないな……」

「あん? てめえ、今何て言った?」

「情けないって言ったんだよ。君たちのことじゃない。僕自身が、強くあろうとしなかったからだ……」

「んだとこの野郎!」

「待て」


 長身の方が僕を引っ張り立たせる。同時に、片手を短足に向かって突き出し、止めておけとかぶりを振る。


「お前、ただの学生じゃねえな?」

「まあ、そうかも、しれないね」


 荒い息をしながら、僕は答える。右の瞼がずきずきと痛む。

 それから僕たちは、しばし沈黙した。長身の方は、そっと僕をアスファルトに下ろし、油断なく僕と目を合わせ続けた。


「一つ、思ったことがあるんだ。いいかな」

「言ってみな」


 そう言って、そばにあった配管を椅子代わりにして座り込む長身。短足もすぐにそれに倣う。


「ピアスは、止めた方がいいんじゃ、ないかな。ご両親から貰った、大切な身体に、わざわざ穴を空ける必要はない」

「……は?」

「いや、いいんだ。今回は僕が、勝手にこの路地に、入ってしまったのが、いけなかったんだろう? 謝るよ。少ないけど、僕の財布を持っていってくれ」


 僕が財布をポケットから取り出し、長身の方に受け渡す。

 パーカー二人組は、それぞれいかにも怪訝そうな顔をしていたが、やがて元々の自分たちの役割を思い出したらしい。


「そいつはあんたをもう少しいたぶってから頂くぜ」


 それから俺は、再び拳と爪先の豪雨に打たれていた。

 先ほどからしても、さらに十分ほどが経過。なんとか頭だけは死守したつもりだが、どうだろう。頭を庇った両手の甲は、麻痺して痛みも感じない。


 パーカー二人は痺れを切らし、ついに凶器を手に取った。小振りのナイフとライターだ。

 話によれば、どうやらナイフを熱して僕の頬にでも押しつけるつもりらしい。


 まさかここで一生ものの傷を負わされることになるとは。意外だったし、正直、怖かった。

 しかし、この負傷の度合いで起死回生の一打を放てるほど、僕はタフではなかった。


 段々と、高熱を帯びた物体が自分に近づいてくる。僕はぎゅっと口を結び、奥歯を噛み締め、悲鳴が響くことのないように備えた。


 父さん、母さん。僕はあなた方のくれた身体に、敗北者としての烙印を押されてしまうらしい。申し訳ない――。


 軽く目を上げた瞬間、ナイフを持っていた長身の姿が消えた。


「……え?」


 この事態は、僕にも短足の方にも予想し得ない出来事だった。


「おいてめえら! なに弱い者いじめしてやがんだ! しかも二人がかりで! そんな卑劣なことしかできねえなんて、恥ずかしいとは思わねえのか!?」


 これはこれは、凄まじい怒声だ。アスファルトが歪む幻想に囚われる。


 その後、乱入してきた四人目の人物の横で、俺はばったりと横たわった。


         ※


 目の前に暗い闇が迫ってくる。逃げた方がいいのだろうか。

 いや、よそう。あまり恐怖を感じない。死ぬなら死ぬで、まあ、こんなものなのだろう。


「父さん、母さん」


 取り敢えず、亡くなった家族を呼んでみる。父さん、母さん――。

 いや、待てよ。もう一人いなかったか? そう、あれは僕の弟、いや、妹か?

 名前は? ええっと……。


 急激な喉の渇きを覚えて、僕はすうっ、と息を吸った。すると、真っ暗だったはずの視界に、前方から光が差し込んできた。


 白い光。強くて優しい、温もりのある光。横たわった僕の身体にゆっくりと降りてくる。

 それはやがて僕の鼻先に触れ、頬を撫でながらゆっくりと後頭部をすり抜けていく。


「――さん、柊也さん!」

「ん……」


 寝転がろうとした時、軽く肩を押さえられた。誰かが僕を呼んでいる?

 僕はようやく、さっきまでの状況を思い出しきった。

 そうだ。僕は鬼羅鬼羅通りに迷い込み、それを気に食わないという理由でパーカー二人に暴行を受けた。そうしたら、横合いから何かが高速で突っ込んできて――。


 どうやらこれは、夢ではないらしい。その確信の上で、僕はゆっくりと目を開けた。

 誰かが僕の顔を覗き込んでいる。若い女性、だろうか。ポニーテールの髪をして、パステルブルーのワンピースを纏っている。


「柊也さん、大丈夫ですか?」


 答える前に、僕はゆっくりと自分の額に手を遣った。包帯が巻かれている。頬にはひんやりとしたガーゼが貼られていた。


「これ、あなたがやってくれたんですか?」


 と声を掛けようとしたが、女性、というより少女はくるりと振り返って、すたたたっ、と部屋の奥へ駆けていってしまった。


「お姉ちゃん! 意識が戻ったよ! 柊也さん、気がついたよ!」


 僕は上半身を起こしたまま、その背中を目で追った。

 少女の背中の向こう側に、もう一人誰かいるらしい。お姉ちゃんと呼ばれているが、何者だろう。


「そうはしゃぐんじゃねえよ、美耶。まだ敵か味方かも分からねえんだから」

「でも、何か褒められることがあるから、あの人を助けたんでしょう?」

「そりゃあそうだけど――。お前、いつになくはしゃいでるな」

「えっ、あ、それは……」

「いいよ、あたいが一人で会ってくる。そこのベッドで寝てるんだな?」

「うん……」


 最初の少女、美耶の肩に手が載せられた。と同時に、もう一人の少女がひょいっ、と顔を出した。

 

「よっ、学生さん。どうしたんだ? ぼけっとしやがって」

「ん? あ、いや」

「ふぅん? あんたを助けてやったあたいらに、礼の一言もナシ、ってか?」

「そうか!」


 僕ははっとした。彼女だったのか、パーカー二人組をとっちめてくれたのは。


「あ、あれは君が跳び蹴りで?」

「おうよ! 見事なもんだろ?」

「あー……」


 なるほど。さっき会った少女――美耶、と言ったな――は、飽くまでもサポート役なのだ。

 彼女が姉と慕っている気の強そうな少女が、僕を救出してくれた張本人らしい。

 美耶が『お姉ちゃん』と呼んで親身にしているところからして、危険人物ではなさそうだ。


 全体的に彫りが深く、しかしその奥では興味津々といった風情の瞳を輝かせている。

 鼻や口は控えめで、品のよさを演出している。が、こちらの年上の少女は、美耶と違って活発だった。四肢で大きくリアクションを取り、無邪気に話しかけてくる。

 確かに、顔の造りが美耶と瓜二つだ。姉妹だというのは嘘ではないらしい。

 違いがあるとすれば髪型だろうか。姉の方は短髪をショートボブにまとめている。


 じろじろ顔を見つめる僕。無礼千万だなと思ったものの、少女は全く気にすることなく歩み寄ってきた。すっと右手を差し出す。


「あたいは摩耶! 月野摩耶! さっきのちっこいのは月野美耶、あたいの妹!」


 よろしくな! と極めて友好的に迫られる。

 僕は躊躇いつつも、ゆっくりとその手を握り返す。

 不思議な温もりを感じる手だった。


 安心感を得られたからか、僕は周囲を見回す余裕を得た。

 すっとベッドから降り立って、あちこちに視線を飛ばした。恐ろしさと興味関心が相殺しあって、なんとも形容しがたい興奮が僕を衝き動かす。


「あ、あの、訊きたいんだけど」

「んあ?」

「ここは――どこなんですか?」


         ※


 姉である摩耶が率先して、僕へ説明と案内を始めた。のみならず、僕もここが安全なのか見極めるべく、五感をフル稼働させて状況を見計らう。

 どうやらここは鬼羅鬼羅通りの地下にあたるらしい。かつての鉄道開発事業の名残だとか。


「あんたが寝てたのは、いわば客間だ。予備のベッド、処分しないでおいてよかったぜ」

「そ、そうなんですか」


 一階分下りると、そこには二つ目の部屋があった。

 思い返すと、これら二つの部屋はどちらも衛生環境が健全だ。ひとまず、なんらかの感染症に罹る恐れはなさそうだ。


「あ、あの、摩耶さん」

「水臭いぜ、柊也! あたいらのことも呼び捨てにしてくれ!」

「じゃあ、摩耶。君はどうしてこんなところで暮らしているんだ? 親御さんはどうした?」


 その瞬間、摩耶の顔からするり、と感情が抜け落ちた。

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