白猫と薬種商 〜流転するこの世界で〜

沿海いさで

第1話 ある一人の薬種商

 世界には、知らないだけで数多の業種で満ち溢れている。


 例えば、一本の木を切るのだってそうだ。斧が必要となり、斧となると刃を作る技術も必要になり、頑丈な鋼を作るためにも高温を出すための炉の構築も必要になる。高温に耐える煉瓦の組み方を知っていても、材料の調達すら必要となる。


 足場を組むには大量の綱が必要となって、それを作るにも適切な植物を大量に仕入れなければいけない。何をするにしても食物が必要となり、動物を狩るにしても道具と時間と熟練が必要になる。


 複雑に構成された網目が、一人の人間を生かすことができる。

 人は、必ず他の人と関わって生きている。世の中から隔離された場所では、生活できないのだ。


 だか、その中にも薬種商と呼ばれる連中がいる。世間からは、悪魔や魔女のように迫害される者達のことだ。


 フェルミは、太陽の日差しが照りつける真昼、平民の冷淡な視線に急かされるようにして、断首台に頭を突っ込んでいた。そんな自分の姿を客観視して、なるほど薬種商が迫害されるのも、あながち間違っていないと思った。


 向けられているのは氷のように冷たい平民達の視線だが、その場の雰囲気は、それこそ祭りのように熱狂している。当たり前だ。神の理に背く異端者が、まさにここで今、処刑されようとしているのだから。


「罪状を告げる」


 広場に集まった民衆全員が見えるように設置された高台で、一人の聖職者が羊皮紙に書かれた事項を読み上げる。


「薬種商フェルミは、この地を治める領主に毒を処方して暗殺した。それだけではなく、普段から罪無き民を誑かし、多額の金銭を巻き上げた」


 その言葉に扇動された民衆の視線の先は、命の蝋燭の灯が消えそうになっているフェルミ。


「また、飲めば意識が朦朧とし、自我を保てなくなると言われる『魔の薬』を普通の薬として患者に処方した」


 フェルミは、自分の首に鋭い刃が落ちてくる理由を聞いている内に、口元がにやりと笑っていた。

 薬種商としてフェルミが殺した罪無き者の数は、優に二十を超えている。それを罰する為という口実によりフェルミは、斬首台に登らされている。


 しかし、それは嘘だ。

 本当は、フェルミが薬種商というだけで、殺される理由に足る。

 それこそが薬種商というものだった。


 彼らはぐつぐつと煮えたぎる大釜の前で、金属さえ溶かす薬液を作ろうとしたり、一国を滅ぼしたとされる瘴気を作ろうとしたり、死者を生き返らしたりする薬を作ろうとしたりすると言われている。


 ただ、フェルミの知る限り、そういう輩もいないことはないが、大部分はそんなことはしていない。

 では、何をしているのかと問われれば、日がな新たな薬を追い求めているだけだ。見知らぬ薬草を探して世界中を旅したり、多くの組み合わせから一つの薬を作るために何日も工房に籠ったりする。


 しかし、新たな薬を手に入れても、使う場面が無ければ意味がなく、そして資金が無ければ創薬できない。薬種商は、病に侵された者達に処方することを仕事とする。患者の体を蝕んでいる病を冷静に見極め、適切な処置をする。これまでフェルミは、そうやって多くの民を救ってきたのと同時に、多くの資金を得てきた。


 だが、領主の件は誰かに脅迫されたわけでもなく、この手で毒を処方した。

 その理由は、例え文字を学ぶ前の子供でもわかるほど、単純で明快だ。それは、領主の老い先が短かったから。


 フェルミが館に呼ばれた時には、既に領主の病が末期だった。その状態では、薬が専門のフェルミですら治療できない。弱り切った老人や赤子を救う薬を作れても、それには論理が根底にある。風邪や熱を緩和させる薬は存在しても、死者復活の薬や惚れ薬、そして賢者の石は存在しないのだ。


 だとすれば、結局どうするべきなのか。フェルミが持つ薬では病を治せない。八方塞がり。どうしたって領主はフェルミの眼前で天に召されることだろう。

 だから、その短い命の灯を実験に使わさせてもらったのだ。自身では試せない薬、つまり毒を処方した。助けて欲しいと駆け込んできた患者の命を弄んで、何が悪い。


 そうフェルミと同じように考える薬種商は多いから、感謝される人が多くても、薬種商を憎む者達も多い。

 しかも、薬のような病人の寿命を操作するものはなんであれ、必ず信仰の問題がつきまとう。

 流行に敏感な町娘が、それまでの常識では考えられないような髪形をするだけで異端かどうか問われるのだから、当然懸念すべきだ。


 絶対の権力を持つ教会では、地上に存在する生命の寿命は神が決めることであり、その事実に横槍を入れるのは、神への冒涜であると教えられる。それなら、病人を元気にしたり、健人を病死させたりする薬種商はどうなのか。


 しかし、教会がいかに権力を持とうとも、簡単には異端と見なして処刑できない。そこで、巡ってきた領主の暗殺を口実にして、フェルミを斬首台に登らしたのだ。


「以上の罪状を持って、薬種商フェルミを死刑に処す」

「…………」

「地獄へ行く前に、最後に言い残すことはないか?」

「……二十人の命を奪ったからな。何も後悔はない」

「そうか」


 断首台の横に控えていた老騎士が、腰から長剣を抜いた。その刃で断首台に繋がれた縄を切ると、重力でフェルミの首に刃物が落ちてくる寸法である。


 広場には、フェルミの処刑を今か今かと眺める民衆で埋め尽くされている。

 だが、そんな薬種商を保護しようとする人物だって、もちろん存在している。

 フェルミは広場に乱入してきた一団に気付き、またもや口元がにやりと笑った。


「神に祝福された儀式の場に土足で踏み込む悪行、心より非礼を申し上げる」


 一団の先頭にいた騎士が、声を張り上げる。筋肉の隆起が鎧の上からでも伺える騎士の外衣には、金糸で立派な紋章が刺繍されている。

 この世で最も大きな権力と多くの勢力を召し抱える権力機構、クラジウス騎士団である。


「これより、我の申し上げる事は、クラジウス騎士団の命令として捉えよ」


 騎士は豪華絢爛な外套を靡かせると、従者から立派に誂えられた羊皮紙を受け取った。留め具を外し、綺麗に広げていく。


 まったく、恐ろしい話だ。

 クラジウス騎士団の命令、と念頭に置く限り、それは絶対の強制力を持つ。

 騎士団の命令は、この世で最も権力のある教会の命令。この町は異教徒と教会とが共生している物珍しい町だが、それでも命令に逆らう事は決して許されない。

 たとえ、この広場に集まっている者全員が自害せよと命令されても、だ。


 思わず固唾を飲む音が聞こえると、先程までの熱狂が嘘のように掻き消えた。その命も全て、騎士の手の範疇にあるのだから。

 フェルミはしかし、騎士の持つ羊皮紙に書かれている項目が容易に想像出来てしまい、逆に面白くなかった。


「騎士団より命ず。薬種商フェルミの裁判権は騎士団の管轄下となった。そのため、この件からは早急に手を引いて貰い、彼の身柄は騎士団が保護する」


 民衆がどれだけ非難がましく睨め付けたって、騎士の眼光の前には何ほどの意味もない。

 その光景を見ながらフェルミが思ったのは、ついぞ今しがた行われた自分の命の取引など関心も示さないような事だった。


「ああ……」


 ああ、今回も死ねなかった、と。

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