第43話 決着

「バラントン殿、そろそろ観念していただこうか」

「クッ……!」


 エルフ軍本陣の最奥で、レティシアは敵軍の総大将であるヴィヴィアン=バラントンを追い詰めていた。

 ヴィヴィアンには最早、打てる手はない。

 ユーグを始め、彼女を守護する腕利きのエルフ達は既に、レティシアとノアの手に掛かってことごとくが地に伏せていた。


 先刻のヴィヴィアンは、レティシアの動揺を突いて魔法で彼女を拘束することができた。

 しかし、この近距離で向かい合った状態では、体術で劣るヴィヴィアンの方が不利であった。


(――負ける? ここまで来て、こんなところで?)


 ヴィヴィアンはこれまで積み上げてきたものが、ガラガラと足元から崩れ落ちていくような錯覚を感じた。


(嘘でしょう? まだ、たった一つの人間の町さえ滅ぼしてないというのに――)


 復讐を誓い、血筋と才能を活かして『サン・ルトゥールの里』で地位を築き、何十年も掛けて準備をしてきた。

 そんなヴィヴィアンの長年の努力が今、水泡にそうとしている。


(――そんなこと、認められるものか!)


 唯一、彼女に残された希望は、先ほど封印から解き放った〝怪物のベランベラン・ラ・モンストル〟だけだ。不完全な個体とはいえ、これを食い止めるのは容易ではない。きっと、この国の人間たちを蹂躙じゅうりんしてくれるだろう。


 その〝ベラン〟は、今はノアに対して思わぬ苦戦を強いられているようだが、たった一人で止められるような魔獣であれば、毎度出現する度に集落の腕利きのエルフが総出で対処するような事態にはなっていない。

 ベランを活かせば、戦況はきっと好転する。

 ヴィヴィアンはそう信じていた。


 その一縷いちるの期待を手放さないためにも、ヴィヴィアンはここで易々やすやすとレティシアに捕まりたくはなかった。


「――お生憎あいにく様。まだ私は――……ぐはっ!」


 しかし、ヴィヴィアンは最後までセリフを紡ぐことができなかった。

 一息で距離を詰めたレティシアが、彼女の鳩尾みぞおちに深々と肘を突き立てていたからだ。


「……悪いがこれ以上、場をき乱されても困るのでな」


 レティシアはそう言うと、気絶したヴィヴィアンをその場に横たえた。



 その日、太陽が天頂を下りつつある頃、『ガスハイム』の町の西側に新たな軍勢が現れた。

 人間の騎士ら一千騎を率いてその戦場に駆けつけたのは、『ザルツラント辺境領』の領主であるヴィンフリート=ザルツラント辺境伯だ。


「……どうなっておるのだ?」


 ヴィンフリートが到着したとき、その場では戦闘行為は行われていなかった。

 『ガスハイム』の外壁の近くでは騎士達の部隊がたむろしており、エルフと思われる人集ひとだかりは遥か遠方に見えた。むしろ、その遠方の集団は後退している様子だった。


 状況が掴めず、当惑するヴィンフリートの前に、『ガスハイム』の街壁側から二騎の騎馬が駆けて来る。

 前を走る一騎には一人の騎士が騎乗しているだけだが、後ろの一騎の馬上には二つの人影があった。


 彼らはヴィンフリートの五間ほど手前でそれぞれ下馬し、徒歩で残りの距離を縮めた。


「騎士ギードに、騎士長コンラートか」

「「ハッ!」」


 ヴィンフリートが現れた三名の内二名の名を呼び上げると、彼らは敬礼を返した。


「――して、そちらのエルフの御仁は?」


 ヴィンフリートはそう言って、コンラートの後方にたたずむ残りの一人に目を向けた。

 その人物とは、つい先程コンラートの馬に同乗してこの場に現れた、エルフの老爺ろうやだ。

 老爺は一歩前に踏み出し、会釈をして口を開く。


「お初にお目にかかる。わしは『サン・ルトゥールの里』の前里長モルガン=サルトゥールと申す」


 老爺の正体はレティシアの祖父、モルガンだった。


 エルフ側の関係者として、モルガンのみがこの場に居る点については理由がある。

 それはエルフ側の代表者として、この戦争の落とし所を作るためだ。

 これまでのところ、奇跡的に双方に死者は出ていないが、『サン・ルトゥールの里』のエルフの軍勢が人間の領地である『ザルツラント領』に武力をって侵攻を仕掛けた事実は変わらない。


 モルガンは反乱を未然に防げなかった後悔から、人間の捕虜となることも辞さない覚悟を持った上で、その役割を果たすことにした。とはいえ、コンラートから見ればモルガンはエルフ軍に属さない、レティシアと同じ人間側のエルフという認識で、縄を掛けるような真似はしなかった。

 そこに丁度、ヴィンフリートが騎士団を率いて現れたというわけだ。


 モルガンの名乗りを受けたヴィンフリートは、胸元に片手を当て、丁寧な所作で辞儀を返す。


「おお。貴方が……。私は『ヒルデブラン王国』にてここ『ザルツラント辺境領』を拝領しております、ヴィンフリート=ザルツラントと申します」


 ヴィンフリートの丁重な応対に、向き合った三者は一様に目を見開いた。

 とても侵攻を仕掛けてきた異民族に対する態度とは思えなかったからだ。


「ひとまず、お話は配下の報告を受けてからでもよろしいですかな」

「あ、あぁ……。無論、それで構わない」


 ヴィンフリートの控えめな要求に対して、モルガンは内心の驚きを押さえつつ、なんとか了承の返事をした。


 ヴィンフリートは鷹揚に頷くと、コンラートの方へ顔を向ける。


「では、報告を聞こう」

「ハッ! 先ごろエルフ軍全軍と交戦しておりましたが、現在は休戦しております。その理由は、主に二つです」


 コンラートの報告を聞き、ヴィンフリートは眉根を寄せる。

 ――援軍は、遅きに失したのではないか。

 そんな胸中の焦りが表情に現れていた。


「……続けよ」

「ハッ。理由の一つは、こちらのサルトゥール殿を含むエルフ側の協力者の手によって、敵の総大将を始め主だった将が無力化されたことです」

「ほう」


 ヴィンフリートはかすかに頭を動かし、モルガンに目線を向ける。


「…………」


 モルガンは口を挟むつもりはないようで、ただ黙ってその場に佇んでいる。


(先程は〝前〟里長と仰っていたか……。侵攻の首謀者は別におり、既に捕まっているということか)


 ヴィンフリートは事態の一端を把握し、眉根を緩めた。

 ――再び戦端が開かれることはあるまい。

 そう判じたからだ。


 コンラートの報告は続く。


「――もう一つの理由は、敵の召喚術によって身の丈十けん余りに及ぶ巨大な魔獣が出現したためです」

「なんじゃと!?」


 その報告に対して、ヴィンフリートは驚きを隠せなかった。

 彼が血相を変えたため、コンラートはつい口をつぐんでしまった。

 それに気づいたヴィンフリートは咳払いをして、話の先を促す。


「――ゴホンッ! ……それで、その魔獣はどうしたのじゃ?」

「ハッ。戦闘に秀でたエルフ側の面々が中心となって動きを抑え込んでおります。町に被害が及ぶことはないかと」

「そうか」


 ヴィンフリートは安堵あんどして息をいた。

 それからコンラートとモルガンの顔を見比べ、一つの提言をする。


「……魔獣退治とあらば、我が騎士団も助勢できようか」

「それは……」


 ヴィンフリートの提言に対して、コンラートは答えを濁した。

 代わって口を開いたのは、隣で話を聞いていたモルガンだ。


「ご提案はありがたいが、それには及ぶまい。元よりこちらが招いた不始末。これ以上、あなた方に迷惑は掛けられぬ」


 モルガンの言葉を聞き、ヴィンフリートは顎に手を当てて思案する。


「……ふむ、サルトゥール殿。こう考えてはくださらんか」

「?」


 ヴィンフリートはそこで言葉を切り、次のように続けた。


「我々と魔獣退治の栄誉を分かち合う、と」


 その言葉に、モルガンは心が動かされるものを感じた。



 ――オソロシイ……


 次々と殺傷力の高い攻撃魔法を繰り出す男エルフ――ノアに相対し、〝ベラン〟は恐怖を感じていた。


 「ベラン」の名を持つ怪物は元来、理性のような性質を備えてはいない。

 あるのはただ、目に映るもの全てを平らげてしまいたいという本能だけだ。


 そんなベランだが、生まれ落ちて間もない時にあっさりと片首を切り落とされたことで、ノアに対する恐怖がその本能に刻み込まれた。恐怖の程度としては、脇目も振らずに逃げ出すほどではないが、立ち向かうことを躊躇ちゅうちょするには十分だった。


 ベランはノアの多彩な魔法によって時に頭を吹き飛ばされ、時に胴を輪切りにされる。その度に膨大な生命力によって体を再生させながらも、何度も苦鳴を上げた。


 やがてベランは、幼子が「イヤイヤ」とするように、二本の首を振り回してノアを追い払おうとする。

 ところが、ノアは〈空歩エア・ウォーク〉の魔法を使って巧みに身を躱し、的確に反撃を行ってきた。


 戦闘はノアのペースで進んでいた。

 しかし、ベランは幼体とはいえ「怪物」と恐れられる存在だ。ただ一方的になぶられるばかりではない。

 ノアの攻撃が途切れた隙を突き、ベランの一方の首が大きく膨らむ。何事かとノアが警戒した次の瞬間、その口から紫の霧が大量に噴き出し、ノアの視界を覆い隠した。


(――これは、毒か!)


 『サン・ルトゥールの里』における過去のベランとの戦闘記録を調べていたノアは、その攻撃の正体をすぐに看破した。

 ノアは霧を吸い込まないように注意して後退し、風の結界を身にまとう。


 しかし、ベランはそのとき既にノアから大きく距離を取っていた。


(――しまった!)


 ノアは遠目に怪物の後ろ姿を見て、自身の失策を悟る。

 ベランが見下ろす先には、先の怪物の咆哮ほうこうによって意識を失ったエルフの兵士達が数名、倒れていた。


(……アイツハ、アトデ。――コイツラヲ食ベテ、力ヲツケル……!)


 ベランは度重なる肉体の再生によって失った生命力を補うため、食事を必要としていた。そこで目をつけたのが、周囲で倒れていたエルフ達だ。

 ちろりと両の口から舌を出したベランは、続けてそのあぎとを大きく開き、エルフ兵らを丸呑みにしようとする。


 ベランが何をしようとしているかに気づいたノアは、血相を変えた。


「やめろおぉぉーーっ‼」


 ノアは魔法を〈空歩〉から〈飛行フライ〉に切り替えてその場に急行しようとするが、とても間に合いそうにない。


 あわや、無防備なエルフの兵にベランの毒牙が突き立てられようというそのとき、ベランはぴたりと動きを止めた。


「……?」


 そんなベランの奇行に不審を抱くノアだが、その疑問は間もなく解消する。

 そのとき、ノアとベランの間の空中に忽然こつぜんと現れた人影があった。


「――やれやれ、なんとか間に合うたようじゃな」


 その声を発したのは、ノアにとって最大の協力者である紫髪の魔女だった。


「キュルケ!」

「うむ」


 ノアが彼女の名を呼ぶと、キュルケは小さくうなずいた。

 強大な魔獣の登場に気づいた彼女は転移魔法を使い、他者に先駆けてこの場にやってきたのだ。

 そして彼女は、間一髪のところで拘束の魔法を施し、ベランの凶行を防いだ。


 キュルケは杖をベランの方に掲げつつ、余裕のある口ぶりで言う。


「見掛け倒しではあるが、図体がでかくて厄介じゃな。――とっとと始末してしまうか?」


 彼女の言動は、まるでベランが取るに足らない雑魚ざこであるかのようだった。

 事実、彼女の力量であればこの怪物を簡単に退治できてしまうのだろう。

 今この瞬間も、キュルケに動きを封じられたベランは必死に体を動かそうとしていたが、微動だにできていなかった。


 ノアは自身と彼女の間にある隔絶した実力差に気づき、息を飲んだ。

 それから、ノアはわずかに逡巡しゅんじゅんする様子を見せながらも、次のように述べる。


「そうだな……いや、キュルケはこいつの動きを止めて、被害を防ぐことに専念してもらえるか? 今の俺の力でどこまでやれるか、やってみたい」


 そのノアの頼みは、この時点では決して最善の選択と言えるものではなかった。

 それは単に、両親の命を奪ったベランという存在に対するノアの復讐心から来た願望であり、彼のエゴと言っても間違いではなかった。


 だとしても、キュルケにとってそれは理由として十分に成立するものだった。

 ただし、ベランの討伐を狙う者は彼らだけではない。


「――構わぬが、こちらに駆け付けて来ておる者たちがおるようじゃから、一人でとは行かぬかもしれんぞ」

「……その時は、その時さ」


 キュルケの指摘に対し、ノアは肩をすくめてそう応えた。



 その後、キュルケの魔法によって狭い結界の中で動きを制限されたベランは、ノアやレティシアの他、その場に駆け付けた多くの者たちの手に掛かって討伐されることになった。

 それにはエルフだけでなく、人間の騎士達も少なからず関わっていた。


 ベランは幾度となく首を落とされ、胴体を貫かれ、最後には完全に再生力を失って息絶えた。

 怪物が断末魔の声を上げる頃、太陽もまた西の空の縁へ沈み落ちようとしていた。


 戦闘が行われた一帯の土地は大量のベランの死骸や血で汚され、凄惨な地獄絵図と化した。これは後日、キュルケやエルフ達の魔法によって、元の自然の状態まで復元されることになる。


 ――こうして、『ガスハイム』の町の西側で行われたエルフ軍と人間達の間の戦いは、開戦したその日の内に幕を閉じたのだった。

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