閑話 レティシアとシャパルの反省会①

 『ザルツラント辺境領』の南の関所を越えたレティシア達は、国境から数里ほど進んだ街道沿いの宿営地で一夜を過ごしていた。


 キュルケは魔法仕掛けのゴーレム車を片付けると、どこかから上品な装いの天幕を出現させて、宿営地の一角に設置した。

 今はその天幕の中でキュルケが休み、レティシアは野外で焚火を前に夜番をしているところだ。


 そのレティシアの胸元から顔を出したキツネコのシャパルは、そのまま外に這い出すと、彼女の膝の上にちょこんと腰を下ろした。


「……それじゃ、この五年間の反省会を始めるニャ」


 シャパルは突然、そんなことを言い出した。


「……ん? ――そうだな。見張りの交代まで時間もある。この大陸に帰って来て、ようやくノアを見つける目処も立ったところだ。ちょうど良い機会か」


 レティシアとしても、シャパルの言葉に否やはなかった。



「……――次は、『ジークリンデ号』に乗り込んで『ゾルトボルク』から出港した後の話か」


 レティシアとシャパルが反省会を始めてから四半刻ほどが経ち、話はこの大陸を離れた後の展開へと進む。


「そうニャ。船長は最初、『一ヶ月と十日ほどで着く』って言ってたんにゃけど……」


 シャパルがうなずきに続けて話を進める。


「実際には三ヶ月近く掛かったな」

「そうニャ。大嵐に遭って、航路を外れてしまったニャ」

「嵐自体もひどかった。あんな天地がひっくり返るような揺れを経験したのは初めてだったな……」


 当時の様子を思いだしたレティシアは、顔をげんなりとさせた。


「レティシアがいなかったら、きっと船は転覆してたか、そこらの岩場で座礁してたニャ」

「必死だった……。船が沈んだら終わりだと思っていたからな」


 風と水の魔法を駆使して、なんとか船体のバランスを取り、岩礁を回避したのはレティシアの手腕によるものだ。

 それを目の当たりにした船員達はレティシアを乗組員クルーの一人と認め、それからは畏敬の念をもって彼女に接するようになった。


「……で、外れた航路の先で出くわしたのが――」

「――クラーケン、だったか。それまで聞いたことはなかったが、船より大きな触手の化け物だったな」

「アレもレティシアがいなかったらお陀仏だぶつだったニャン」


 船底に取り付き、触手を伸ばして船員達を捕食しようとするクラーケンの矢面に立ったのはレティシアだ。


「切っても切っても触手が再生するので焦ったが、さすがに眼球を一つ潰したら逃げて行ったな」


 一つ下手を打てば船が破壊されるか、誰かが犠牲になっていてもおかしくない戦いだったが、レティシアの奮闘により、なんとか大きな被害を出すことなく、クラーケンを撃退することができたのであった。


「船員たちのレティシアを見る目がどんどん変わって行ったのが面白かったニャン! 大陸に着く頃には、船長含めてみんなで『姉御』って呼んでたニャ」


 船乗り達の誰もが理解していた。レティシアがいなければ自分たちの命はなかったと。

 一人の死者を出すこともなくクラーケンを退けた女エルフの偉業は、その後長らく『ジークリンデ号』の乗組員達の間で語り草になった。


「まあ、そのおかげで行きの運賃をただにしてもらえたのは幸いだったな」


 船員達の態度の変化を思い出したレティシアは、苦笑いを浮かべた。


「甲板に大量の触手が残ってたから、みんなで数日ゲソばっかり食べてたニャ」

「アレを食べるのか、と最初は驚いたが……食べてみたら意外と行けるものだったな」


 クラーケンの脚の味を思い出した一人と一匹は、揃って唾を飲み込んだ。



「それからあっちの港町に着くまでは、事件らしい事件はなかったニャ」

「――『タンジェ』だったな。あの町の名前は」


 反省会は進み、『ジークリンデ号』が最初の目的地だった『パルティナ大陸』の北西に位置する港町に辿たどり着いた下りに話が及ぶ。


「なんで船を降りたんだったかニャ?」


 と、小首を傾げるシャパル。


「……いや、そこから『ゾルトボルク』に引き返してくれるのだったら、迷わず船に残ったのだがな。さすがにそのまま大陸を一周すると言われては、ついて行きたいとは思えなかった」

「そうだったニャ。さすがにオイラ達よりは早く『ゾルトボルク』に戻れただろうけど、当時はオイラ達が帰るまでに五年も掛かるなんて思わなかったニャ」


 レティシアはその後の経緯を思い出しながら、話を進める。


「……で、どうやって帰りの船代を稼ぐかと頭を悩ませていた時に、『ジークリンデ号』に出資している商会の関係者に紹介してもらって、冒険者になった」


 冒険者というのは、人間の国々で普及している職業の一つで、魔物の討伐や要人の護衛、遺跡の調査など様々な案件を依頼されて請け負う、便利屋のような存在だ。

 その中でも一握りの飛び抜けて優秀な冒険者は、大きな富と名声を獲得し、まるで英雄のように扱われることもある。


「商会に直接雇ってもらう選択もあったニャ。なんか今思うと、そっちの方が良かった気がするニャ」

「……そうだな。冒険者として名声を得ることはできたが、後に起こったことを考えると、災の素でしかなかったか……」


 船と積荷を守ったレティシアにいたく感謝していた商会の代表者は、誠実な態度で二つの選択肢を示した。


『あなたほどの腕前であれば、冒険者としてもすぐに活躍できるでしょう。もちろん、当商会も適正な報酬をお支払いいたしますが、お金を稼ぐには冒険者の方が近道かもしれませんな』


 商会の男にそのように称賛を交えて提案されたレティシアは、つい冒険者の道を選んでしまった。


「巡り合わせもあるんにゃけど、ノアを探して明後日の大陸に飛び出してる時点で運勢値は最悪で間違いないニャ」


 シャパルがしみじみと言った。


「……船に乗る提案をしたのはシャパルだがな」

「……それはもう済んだ話ニャ」


 レティシアの切り返しに対し、シャパルは視線を伏せた。



「――冒険者になって一年が経った頃だったな。くだんの貴族から指名で護衛依頼が入ったのは」

「一見したところは、まともな貴族だったニャ」

「ああ。ナイマの助言に従って依頼の裏取りもしたが、怪しい要素は全くなかった」


 ナイマというのは、レティシアが右も左もわからない新米冒険者だった頃から、親身になって世話を焼いてくれた先輩冒険者の名前だ。


「それが、なんであんなことになったニャ?」


 シャパルの問いに対し、当時の出来事を思い出したレティシアは頭を抱える。


「聞きたいのは私の方だ。いったい、どうして婚約者がいる身でありながら私に求婚してくるのだ……」


 そう。その貴族の男は、一ヶ月ほどの護衛任務の間で何を思ったか、唐突にレティシアに婚姻を迫ってきたのだ。

 それも、妾や第二婦人という扱いではなく、正妻としてであった。


「美しいって罪なのニャ。レティシアはずっと仮面でも着けておくべきだったニャ」


 シャパルはそのように評した。

 実際、その貴族がレティシアに惚れた理由について、レティシアには見当もつかず、シャパルも容姿ぐらいしか思いつかなかった。


「……そうかもしれないな。少なくとも、まさか求婚されるようなことはなかっただろう。衆人環視の状況だったし、求婚された時点で詰んでいたな」


 動転したレティシアがきっぱりと求婚を断ると、顔を真っ赤に変えた貴族は側に控えていた騎士らに命じてレティシアを拘束し、手籠めにしようとしてきた。

 レティシアが騎士らを倒して逃げると、執事の仮面を投げ捨てた暗殺者が後を追いかけて来た。


「ひどかったニャ。あれがいつか話に聞いたメンヘラってやつニャ」

「婚約者の方も刺客を送ってきたしな……。もう、あの国で冒険者を続けることは不可能になってしまった……」


 不毛な戦いを思い返すレティシアの瞳は、輝きを失っていた。


「もう少しで船代も貯まってたんじゃにゃいか?」


 シャパルの問いにレティシアは頷く。


「護衛依頼の報酬があれば、お釣りが出るほどだった。しかし、依頼を継続できる状況でもなくなってしまったからな……。惜しいことをした」


 レティシアの言葉には悔いがにじんでいた。



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// 【後書き】


すいません。一年と三ヶ月ぐらいしか振り返れませんでした。

このままだと反省会に三話ぐらい使いそうですが、次話からは本編に戻ります。


反省会は好評であれば、四章の末尾か、または本作の完結後に続きを書きたいと思います。


【蛇足】

・ト書き形式にしようかどうか迷ったのですが、雰囲気を損なうかなと思って止めました。

・キュルケをどこかで乱入させようかとも思ったのですが、無駄に字数が増えそうなので辞めました。

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