ある男子大学生の選択

覚悟


【そろそろ種明かしをしてもらってもいいでしょうか?】


 コトリさんからメッセージを貰った俺は、『fontaine de reposフォンテーヌ・ド・ルポ』で彼女と会っていた。


 そう。いつも音無さんと打ち合わせしているカフェだ。

 ほかに女性を連れて行けるようなお洒落なカフェを知らないから、待ち合わせ場所がこのカフェになったのは必然だ。


 コトリさんが頼んだ苺のショートケーキセットと、俺が頼んだティラミスのケーキセットが届いたところで本題に入る。


「少しだけ長くなるっすよ」


 俺が言うと、コトリさんは「はい」と頷いた。


 まずは青海あおみ海底ダンジョンが崩壊した後、鹿尾かのお修悟しゅうごさんに電話を掛けたところからだ。



 🦊 🦊 🦊 🦊 🦊



 ハンター連盟本部。

 その応接室で、俺は鹿尾かのおさんと再会した。


 えんじ色のカーペットの上に据えられた、高級そうな革のソファに座っている鹿尾さんは、ダン技研で会ったときとは別人に見えた。


 ストライプの入ったグレーのスーツに、チェック柄の赤いネクタイ。

 中に着ているベストもスーツと同じ柄で、ギラギラと光って見える。


 同じスーツ姿なのに、このビルの下を歩いている人たちとは全く雰囲気が違う。

 なんというか……堅気の人に見えない威圧感がある。


潜木くぐるぎさん……、いや吉音きつねさん、の方が良いですかね?」

「……潜木でいいっす」


 すでに潜木翔真しょうまとして会っているし、この応接室から音漏れするとも思えない。録音・録画されているのなら既にアウトだ。


 それに。今日、ここに来たのも、吉音イナリとしてではなく、潜木翔真としての意味合いの方が強い。


 あの日。青海海底ダンジョンのコアルームで、俺はろくに動くことすらできなかった。モンスターと戦うことはできたが、ダンジョンを破壊しようする犯罪者に対しては何もできなかった。


 それでも俺は彼らの犯罪を止めたいと思ったし、守りたい誰かを前に何もできない自分ではダメだと思っていることを自分なりに訴えた。


 鹿尾さんは俺の話を静かに聞いてくれた。

 そして少しだけ笑みを浮かべ、「若いなあ」と小さな声でつぶやいた。


「話は概ね把握わかりました。結論から言うと、方法はあります」

「本当ですか!?」


 身を乗り出して話の続きを求める俺を、鹿尾さんは左手を前に出して制する。


「まず、人が人に直接的な危害を加える方法は大きく分けて三つあります」


 鹿尾さんの左手が閉じられ、人差し指だけがピンと上を向く。


「一つ目は『素手』です。殴ったり、蹴ったり、関節を極めたり。手段はなんでも構いません。もっとも原始的で、もっとも身近な暴力ですが、大人になってから本気で他人を殴った経験がない、という人は決して珍しくありません。なぜなら、他人を物理的に傷つけるという行為にはある種の覚悟が必要だからです」

「……それは、そうっすね」


 一般的に、人を殴るという行為は違法である。

 正当な理由なく他人に危害を加えることは犯罪であり、法によって裁かれる。


 いや、それ以前に。

 人を傷つけるという行為に良心の呵責を覚えるという人も少なくないだろうし、殴り返されることが怖いという人もいるだろう。


 いずれにせよ、覚悟が必要であることに違いはない。


 俺が納得していることを確認して、鹿尾さんは人差し指に添えて中指を立てた。


「二つ目は『モノで殴る』です。これは素手に比べて柔軟な攻撃が可能です。なぜなら使うものを選ぶことで、拳より殺傷力を高くすることはもちろん、低くすることもできるからです。ボクシンググローブは良い例ですね。あれが無ければボクシングは死人だらけのスポーツになってしまいます」

「……人を殺さないための道具」


 鹿尾さんは小さく頷き、最後の指を上にあげた。


「三つ目は『刃物で刺す』『銃で撃つ』といった明確な殺人行為です。先の二つに比べ、この行為には強い意志と覚悟が必要となります。なぜなら高い確率で人の命を奪うことが予見されるからです。猟銃で熊を撃ち殺す猟師も、その銃で人を撃てるわけではありません。そして……、潜木さんが先日動けなくなった理由も恐らくはここにあります」

「人を殺す覚悟が足りないってことすか。ははっ、そんなの……」


 あるわけがない。


 なんとなく理解わかってはいたことを改めて聞かされると、心にどんよりと雲がかかる。人を殺す覚悟なんて持てるハズもない。持ちたいとも思わない。


 もし、その覚悟を持つことが『方法』だと言うのなら、俺には……。


「そんな顔をしないでください。人を殺す覚悟、なんてものは必要ないのですから」

「…………え?」


 間の抜けた返事をする俺に、鹿尾さんは両手を組んで笑顔を浮かべる。


「潜木さんは犯罪者を殺したいわけではないでしょう?」

「それはもちろん、そうっす」

「犯罪者を止めたい、大事な人を守りたい。その目的を達するのに、相手を殺す必要なんてありません。ただ、相手を無力化すればいいのです。例えば、警察官は抵抗する犯罪者を制圧、逮捕、拘束、連行するための逮捕術を学びます」


 言われてみれば、警察官が誰かに向けて銃を向けているところを実際に見たことはない。相手がナイフを持っていたとしても、だ。

 それでも彼らは相手を取り押さえる。そのための技術を持っているからだ。


 つまり、そうした技術を身につけることが『方法』ということだろうか。


 そんな俺の頭の中を見透かしたように、鹿尾さんが言葉を続ける。


「自分の身を護るためにスタンガンや催涙スプレーを持ち歩く方もいますよね」


 あれは厳密には違法ですけど、と鹿尾さんが苦笑する。

 そして俺は、そこまで言われてようやく気がついた。


「人を殺さないための道具を持て、ってことっすね」


 モンスターを相手にするような斬れ味の鋭い剣を、人を殺してしまうかもしれない武器を持っているから動けなくなる。


 ならば、どうやっても人を殺せない武器を持てばいいだけ。

 気づいてしまえば何でもないことだ。


「ええ。それで問題の片方は解決するでしょう」

「…………片方?」

「はい。片方、です」

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