命を賭ける仕事

コトリちゃん


 真っ白で先の見えない光を放つ渦が、宙に浮いている。

 これが最初の目的地、中層への入り口だ。


 ダンジョンにおけて上層と中層といった階層の境目には、ワームホールのような転移ゲートが置かれている。俺がいる上層から中層に行くためにも、当然ながらこの転移ゲートを通らなくてはならないわけだが、


「……はぁ、はぁ、はぁ」


 その転移ゲートの前に、なぜか息を切らした女性が座り込んでいた。


 ボブカットに整えられた髪が、なにかでベットリと濡れている。

 同時に鼻をかすめた生臭い匂いが、彼女の髪を濡らしているものが血液であることを強く主張していた。それが彼女自身のものなのか、モンスターからの返り血なのかはわからないけれど。

 よく見れば、身に着けているチェストガードもボロボロになっていて、死闘のあとがありありと伝わってきた。


 もしかすると、階層ボスのサイコロプスを倒したのはこの人かもしれない。

 倒したまでは良かったけど、満身創痍で先に進むことができなくなったとか。


「あの……、大丈夫っすか?」

「はぁ、はぁ、はぁ。だ、だい、じょう、ぶ、です。はぁ、はぁ」


〇女の人?

〇うわ、怪我してるぞ

〇胸元のバッジはもしかして

〇ハンター連盟の徽章きしょうじゃん

〇フリーダンジョンでプロが大怪我するとかwwww

〇しかもココ、上層なんですけど

〇あれ? もしかして、コトリじゃね?

〇うわっ、マジだ

〇コトリちゃんザッコォ

〇おい、やめろ


 女性の全く大丈夫そうではない返事を聞きつつ、アームモニターのコメント欄に目をやると、どうやら彼女は『コトリちゃん』と呼ばれているプロハンターらしいことがわかった。


 否が応でもプロハンターであった父親のことを思い出してしまう。


 年齢は俺とそう変わらないように見えるのに、彼女はもう、いつ死ぬともわからないハンターという職業に従事しているのだ。そして現に、いま俺の目の前でボロボロになって座り込んでいる。


「なんで……」

「はぁ、はぁ……え?」


 俺は思わず『なんでプロハンターなんかになったんすか?』と聞いてしまいそうになり、ギリギリで口を閉ざした。


 会ったばかりの人にするような質問じゃない。


「あ、いや。なんで、こんなところに座り込んでんすか?」

「お恥ずかしながら、ちょっと足をやられてしまいまして」


 ケガをしたらしい足に手をやるコトリちゃん……、もといコトリを見て、俺はナップサックから薬箱を取り出す。


 幸いなことに、それほど深い傷ではなかった。

 彼女の足に水をかけて血や汚れを流し、消毒液を吹きかけてガーゼを包帯で巻く。


〇あっ! コトリちゃんに触ってやがる

〇お稲荷さま幻滅しました

〇セクハラだ、セクハラ

〇お巡りさんココでーす

〇バードウォッチャーが顔を真っ赤にしてら


 まるで中学生男子のような茶々を入れてくるコメント欄は華麗に無視する。

 ケガの応急処置をしてやったのに、警察なんか呼ばれてたまるか。


 そういえば配信前のミーティングで、音無さんから『女性配信者とは絶対に絡まないように』と言われたことを思い出す。

 多少なりファンを抱えた配信者にはユニコーンと呼ばれる厄介なファンが存在するらしく、近寄ってくる異性に敵対行動を取ってくるのだとか。


 この『コトリちゃん』なるプロハンターが配信者なのかどうかはわからないが、どうやら彼女にもユニコーンに似たファンがいるようだ。


 だからといって、ケガをしている人を助けない理由にはならないけれど。


 応急手当を終えると、コトリちゃんは立ち上がり「ありがとうございます」と頭を下げた。


「あの、あなたは……」


 コトリちゃんが、俺の顔をおずおずと見上げながら何者かと尋ねた。

 彼女から見れば、キツネのお面で顔を隠した怪しい男なのだから当然の質問だ。


「俺はく、お、き、キツネ……」


 思わず潜木くぐるぎと本名を名乗りそうになったが、こちらもギリギリで踏みとどまった。しかし、音無さんがつけたハンターネームが咄嗟に出てこない。


 コメント欄でも『お稲荷さま』と呼ばれているから、そっちばかり頭に残ってしまっている。キツネ、……そうだ。キツネイナリだった。


〇【悲報】お稲荷さまが自分のハンターネームを覚えられない

〇一瞬だけど「く」っていったよね?

〇そのあとは「お」って言ったな

〇本名は「く」から始まるのかな

〇つまり工藤だな

〇ほかにも候補はいっぱいあんだろwww

〇せやかて、工藤

〇そんなことより、早くコトリちゃんを助けてあげて


「くおきキツネ……?」


 ポカンとした表情を浮かべたコトリちゃんだったが、俺のそばに浮いているドローンに目をやって得心のいった顔になった。


「あ、配信者さんなんですね。……もしかして中層に行く予定でしたか?」

「ええ。Pじゃない、RTAの企画で」


 今度は間違えずに言えたぞ、RTA。リアルタイムアタック。

 一方のコトリちゃんは、一瞬申し訳なさそうな表情になったかと思うと、すぐに真面目な顔をして首を横に振った。


「そうでしたか。でも今日は諦めてください。下へ行ってはダメです」


 何を言っているのだろうか。

 ダメと言われても、RTA企画なんだから中層に行かないわけにも……。


「下で何かあったんですか?」

「さきほど中層にてイレギュラーと遭遇しました。アレは……なんだったんでしょう。見たことがないモンスター。きっとアレは大深層クラスの……、いやでも」


 なにが納得いかないのか、自問自答を繰り返すコトリちゃんを見ながら、俺は先ほどの憶測が誤っていたことを悟った。


 どうやら彼女が死闘を繰り広げた相手は、上層の階層ボスサイコロプスなんかではなかったようだ。


 それもそうか。プロハンターならば、難関といわれるプロテストを合格できる実力を持っているわけで。

 上層の階層ボスくらいで苦戦を強いられたりするはずがない。


 そんなプロハンターをここまで追い詰めるだけの存在が中層に出現したわけだ。



 うん。帰ろう。

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