Chapter 1-2
鬼に出会うべからず。
この国に暮らす者ならば、誰もがそう聞いて育つ。
天涯孤独の身である
しかし彼女はこうも言っていた。「すべての鬼が悪というわけでもない。それを見極めるのはお前自身にしかできないことだ」と。
だからなのか。朔羅は初めて出会った鬼を前にしても、彼がヒトに仇なす脅威だとはとても思えなかった。
教科書にはこうある。
鬼。悪鬼。強靭で粗暴な生き物。力に生き、力に死ぬ、果てなき闘争の亡者たち。
野蛮で、強大。大木のような巨躯に金棒を携え、鋭い角と牙を持つ三白眼の化け物、というのが朔羅が抱いていた鬼のイメージだった。
だがそこにいたのは痩せ型で長身、精悍な顔つきの青年だ。黒の着流しに身を包み、赤い杯を手にする姿はほとんど人間と変わりない。
ただ、彼を鬼だと決定付ける特徴が一つだけあった。それは額から生える一本の角である。猛々しく、しかし凛として美しいそれが、彼がヒトではないことを如実に示していた。
「どうした? 随分と傷だらけだが、なにかあったのかい?」
彼は杯を置いて、木の上から飛び降りる。
軽々と着地すると、朔羅の元まで歩み寄る。
目の前に立たれると、その長身具合がよくわかる。180センチはあるだろうか。もっとも、同年代と比べても非常に小柄な朔羅からしてみれば、それ以上でもそれ以下でも長身に見えるものだが。
呆然としている朔羅に、彼は屈んで目線を合わせてくる。
「こりゃひでぇな。よし、ウチに来な。手当てしてやる」
「……え、いや、でも私、急がないと……」
ようやく絞り出した声はかすれていた。
まだ理解が追い付いていないが、そんなことをしている場合ではないということだけは頭に残っていた。
だから朔羅は踵を返そうとしたが、彼はその手を掴んで引き止めてくる。
「その怪我でどこ行くってんだ。事情なら手当てしながら聞いてやる。いいから来い」
「で、でも――」
なおも言いすがろうとしたそのときだ。
彼は朔羅の腕をぐいと引っ張り、その場から飛び退いた。朔羅の身体はそのまま彼に抱きすくめられた形となる。
「グォァァァァァァァァ――!!」
そしてたった今まで朔羅たちがいた地面が抉られ、土が舞う。
禍々しい咆哮とともに現れたのは、二本足で立つ狼の姿をした化け物だった。狼男。鬼の彼よりもはるかに巨大な体躯を誇り、手足はしなやかに長い。
それは、朔羅を追っていた追手だ。
追いつかれてしまった。思わず、彼の服を握る手に力がこもる。
すると彼は、その手にそっと自分の手を重ねてくれる。
「てめぇは『あやかし』――いや、
彼奴の身体からは、黒い瘴気のようなものがにじみ出ていた。
怪しく揺らめく瘴気を背に、彼奴は大きく前傾姿勢を取った。地を蹴る。細く、しかし大きく長い両足をバネのようにして、彼奴は瞬く間に距離を詰めてきた。
これにしかし、彼はまるで動じていなかった。牙を剥いて襲い来る狼男に対し、彼は空いている左腕でそれを防いだのだ。
噛みつかれた腕から滴る血が、地面にぽたぽたと落ちる。
「――満足したか?」
彼奴の表情が恐怖ににじんだ。朔羅にはそう見えた。
彼は左腕を振り上げる。するとあろうことか、狼男の巨躯が地面を離れ持ち上げられるではないか――!
「往生しな」
そしてそのまま彼は腕を振り下ろし、狼男を頭から地面に叩きつけた。
その衝撃に彼奴は彼の腕を離し、地面に倒れる。仰向けに倒れる彼奴の身体は、ピクピクと動いていたが、やがてその動きを止めた。絶命したのだ。
瘴気が霧散し、消えていく。
「すご……」
「あんた、こいつにやられたのか。そりゃあ災難だったな――」
唖然とする朔羅に、彼は安心してほしいと言わんばかりに声をかけてくれる。しかし、その声が次第に遠くなっていく。
現実離れした光景を前に限界を迎えたのか、追手がやられたことに安心したのか。
そのまま朔羅は目を閉じ、意識を手放すのだった。
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