第7話 行く手を阻む影
ノーデは、いきなり呪文を唱え始めた。
ルーラは驚いて、この中で一番貧相な男を見る。この男が魔法を使うことを、初めて知った。
魔法の気配に気付かなかったのは、ルーラの未熟さ
ラーグのようにベテランの魔法使いなら、相手が巧妙に隠そうとしなければ、気配からしてだいたい見抜ける。
だが、ルーラの場合、こうして目の前で使われて初めてわかるのだ。
身体ばかり大きいモルは、こちらの気分が悪くなりそうな笑いを浮かべながらルーラを見ている。
身体ばっかりで魔法を使うようには見えないが、ルーラに断言ができないのはつらいところだ。
そして、自分の兄と歳がさして変わらないであろう、青年のレクト。魔法の気配はしない……気がする。
少しきつめの顔立ちを見ていると、魔法使いより剣士が似合いそうだ。
「くそっ。お前、一体どういう魔法をかけたんだ!」
ノーデがルーラを見据える。それからザーディを。
ザーディは、まだ子どもの姿のまま。つまり、ノーデの魔法は効かなかったのだ。
ノーデがどれ程の腕を持つ魔法使いであろうとも、ザーディは竜である。たとえ子どもでやり方がわからないままに使った魔法でも、竜の魔法が人間に劣るはずがないのだ。
一方、そんな事情を知らないルーラは、ザーディがトカゲの姿に戻らないのを見て、ひとまずほっとした。
「だから、あたしが魔法をかけたんじゃないってば。とにかく、これでわかったでしょ。この子は、トカゲの子じゃないの。人間の子よ。追い掛けるの、もうやめてよね」
「人間だと。こんな白目のほとんどない人間がいるか。それに……そうだ、あいつも銀の鱗と青い瞳だったな。鱗はさすがにないが、この髪はあの鱗と同じ色だ」
ノーデは危険な目付きで、頭のてっぺんから足の先までザーディをなめるように見た。
「おい、今度は誘拐するつもりか」
乗り気がしないような口調で、レクトが聞いた。その言葉に、ルーラは身構える。
「モル、この子どもを捕まえろ」
「ちょっとっ。あんたが用があるのは、あのトカゲでしょ。この子は違うじゃない。話が違うわよ。何もしないって言ったじゃない。約束破る気?」
「お前には何もしないと言ったが、この子どもには言ってない」
「……きったないっ」
盗賊の言葉を信じた自分がバカだった。
ことわざにもあるではないか。嘘つきは泥棒の始まり、と。
この男達はもう泥棒なのだから、嘘だって平気でつくのだ。
モルがザーディに向かって、手を伸ばしてきた。ザーディは恐がって身を縮める。
そんなザーディの身体を抱え、ルーラはその手から逃げた。持っていた火のついた枝を、モルに投げ付ける。
そして、まだ消さずに残っていたほうきを拾うと、それにまたがった。
「お願い、うまくいって」
素早く呪文を唱える。モルの手が投げ付けられた枝を払い、すぐそこまで来た時、ふたりのまたがるほうきがふわっと浮いた。
ザーディを捕まえようとしたモルの手が、空を掴む。
ほうきは見る間に高くなり、枝や好き放題に茂っている葉の間に隠れてゆく。
「こぉ……の、ガキがぁ」
真っ赤な顔をして、ノーデは光の矢を飛ばす。が、外れたらしく、ルーラ達は落ちて来ない。
「逃げられたみたいだな」
レクトが結果を口にする。
ノーデが短い足で近くの木を蹴飛ばし、やつあたりした。モルが申し訳さそうに謝る。ノーデが怒って魔法を乱用したら、どんなとばっちりがくるかわからないからだ。
「くそぉっ、追うぞ。逃げるってことは、本当だってばらしてるようなもんだ。あいつはやっぱり、間違いなく竜だ」
「捕まりそうになれば、誰だって逃げるよなぁ」
レクトのつぶやきは無視された。
「おい、あいつらを追い掛けろ。絶対に見逃すんじゃないぞ」
自分の魔法で出した鳥に向かって怒鳴り、鳥はルーラ達の逃げた方へと羽ばたいた。
☆☆☆
「いやぁ、このほうきもちゃんと役に立ってくれたなぁ」
三人組の盗賊から逃れ、ルーラ達は森の上空を飛んでいた。
眼下は地面がほとんど見えず、とにかく木々ばかりが目に入る。
どこまでこの森が広がっているのか、目をこらしてもわからない。半端な広さじゃなかった。まさに、果てしない、という表現がぴったりだ。
上から見ると現実味が薄れ、コケがもこもこと生えてるように見える。地図上の森はかなり適当な描写だったが、これでは正確な地図を描くのは困難かも知れない。
「ルーラー、早く降りようよ」
しっかりとルーラにしがみつき、震えながらザーディは泣きそうな声を出した。
「あれ、ザーディは高い所、恐いの?」
空は飛び慣れて(?)平気なルーラは、震えるザーディを見て不思議そうに聞いた。
「だって、いつも地面にいるもん」
「……まぁ、確かにね」
考えてみれば、誰かと一緒に空を飛ぶ、なんて今までしたことはなかった。
誰も飛びたい、なんて言わなかったし、ルーラも飛んでみる? なんて聞いたこともない。
ルーラの腕を知っていれば、飛んでみたいと言わないのは当然かも知れないが……。
ザーディは人間じゃないが、とにかく誰かと一緒に飛ぶなんて初めてだ。
「恐いって言ってるんだから、あんまり長く飛ぶ訳にもいかないか」
ちょっと残念に思いながら、ルーラは再び森の中へと降りる。
あやうく着地に失敗しそうになったが、無事にふたりして地面に立っていた。
うまくいけば、空を飛んで一気に北へ向かえたのだが……恐がるザーディに無理強いはできない。
それに、飛んで行くのは楽だが、それではルーラの魔法力が向上するのは飛行術のみになってしまう。やはり、ここは地道に歩くしかなさそうだ。
「ルーラもお空、飛べるんだね」
降りて落ち着いたのか、ザーディが感心したように言った。
「そりゃ、魔法使いだもん。……時々、失敗するけどね。さてと、ここはどこなのかなー」
降りた所は今までと違い、少し開けた場所だった。大振りの枝が伸びているのでやはり外のように明るくはないが、それでもさっきよりずっといい。
「とにかく、北へ行かなきゃね。ザーディの両親がいる所へ向かわなきゃ。地図も目印もないから……魔法を使うしかないか」
「魔法で方角がわかるの?」
「わかるわよ。大抵のことは魔法でできるの。……うまくいけば、の話だけどね」
そう言って、ルーラはペロッと舌を出した。
それから、手近にあった細い枝を拾う。
「どうするの、それ」
「力をそそぎ込んで、北に倒れるようにするの。つまり、この枝に磁石の役割をさせるのよ」
言いながら、ルーラはもう始めていた。
わずかに枝が光る。魔法がそそがれたのだ。その枝を地面に立てる。手を離しても、枝は立ったままだ。
ルーラはその枝に指を向け、呪文を唱えてから命令する。
「北を示せ」
枝はグルグルとコマが止まりかけのような回り方をし、やがて倒れた。ルーラ達から見て真正面、つまりこのまま真っ直ぐ進めばいいのだ。
「あっちね。じゃ、行きましょうか」
「うん」
ザーディの手を引いて、ルーラは歩き出そうとした。
「わしの許可無くして魔法を使いし者は……誰だ」
いきなり、地面から湧き出るような声が響いた。
キャッとザーディがルーラにしがみつく。ルーラも身構えながら、辺りを
ここは人跡未踏の森の奥なのだ、どんな魔物が現れるかわかったもんじゃない。今の声からして、あまり友好的な相手ではなさそうだ。
ちょっと……かなりピンチになるかも知れない。
「誰? どこにいるの?」
強気を装い、ルーラは見えない相手に尋ねる。
少なくとも、あの盗賊でないのは確かだ。むしろ、もっと手強い相手になる可能性が高い。
視線をあちこちに動かしていると、白い霧だか煙だかが漂ってきた。まさにこれから進もうとする方向からだ。
それも、地面を這うように流れてくる。風の向きにもよるが、煙は上へ向かうものではなかったのか。
「ルーラ、あれ、何?」
「あたしも聞きたい」
この霧そのものがまるで魔物のように感じられ、すごく不気味だ。その霧がルーラ達のすぐそばまで漂ってくる。
と、その霧の中からいきなり巨大な黒い蛇がヌッと姿を現した。白い眼が鋭く光っている。
ほとんど恐いもの知らずのルーラも、突然の登場とその姿に悲鳴を上げた。
「わしの領域に侵入する者、何をしに来た」
頭の中に響いてくるような声だ。低く、少し怒っているような声音。
蛇にもテリトリーがあるのかしら。このサイズなら……きっとかなり広いエリアよね。
ルーラは動物の好き嫌いはない方だが、目の前で自分の頭より大きな顔の蛇がこうも間近に現れ、迫ってくるのはさすがに恐かった。思わず後退りしてしまう。
それを蛇は逃げると取ったのか、さっきよりも声が大きくなる。
「わしの前からは逃がさん」
その声を聞いた途端、ルーラの足がズシリと重くなった。足全体におもりをくくりつけられたような重量感。
このままでは逃げることもできず、喰われるのは時間の問題だ。
「ルーラ、どうしたの」
ザーディが心配そうな表情で、ルーラを見る。ザーディは何ともないらしい。
「ザーディ、あなただけでも逃げなさい。早く」
「どうして? ルーラは一緒じゃないの? ぼく、ひとりじゃ行かない」
「ダメよ、何がどうなるかわかんないんだから」
ルーラとザーディが押し問答をしていると、蛇は不思議そうに言った。
「なぜ、お前は身軽に動けるのだ」
どうやら、ザーディに尋ねているらしい。ルーラと一緒に動けなくしたはずなのに、というところだろう。
だが、蛇はザーディが答える前に、自分で答えを出してしまったようだった。
「ああ、あのお方の子か。どうりでな」
驚いたのはルーラだ。ザーディ自身が何者かを話せないのに、蛇はあっさり納得している。
「え……あなた、ザーディの両親を知ってるの?」
「……お前は知らないで連れているのか?」
ルーラの質問に、蛇の方が意外そうな顔をする。
「だって、言っちゃダメだって魔法がかかってるらしくって。ザーディにも言えないから、知りようがないんだもの」
「お前……名は?」
蛇の声が、少し穏やかになった。さっきまでの怒りが、薄くなったように思える。鋭かった眼の光も、わずかにやわらかくなったみたいだ。
「メージェスの村の……ルーラ」
正直に名乗る。嘘を言ってばれた時のことを考えると、その方が恐い。
「メージェス……カセアーナの国だな。ラーグの娘か」
「ええっ。どうしてあたしの父さんまで知ってるの?」
自分と村の名前しか言っていないのに、父親の名前をあっさり言い当てられた。
喰われるかも知れない、という恐怖を忘れ、ルーラは目を丸くして聞き返す。
「この森の近隣で魔法を使う者は、全て知っている。お前は確か、上達が遅いのだったな」
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