第5話 盗賊

「あちゃー」

 魔法は失敗……のようである。

 風を起こすつもりが何も起きず、なぜか剣の先に大輪のバラの花が咲いていた。

 それは見る間に剣の柄だの、男の服だの、果てには男が生やしているヒゲにまで広がり、大小の花が咲き乱れる。

 状況と場所が違えば、きれい、と思えるのだが……。

「こ、このぉ。どうして花が咲き出すんだ」

「春だからじゃないのか?」

 吹き出しながら青年が、もっともだが今の状況にはそぐわない答えを出す。

「ま、いいや。今のうちよ」

 ルーラはザーディの手を取ると、後ろも見ずに一目散に走り出した。ザーディはルーラに引っ張られ、その勢いでほとんど身体が浮いている。

「ま、待てっ。おい、逃げたぞ。追えっ」

 チビが青年に命令した。

「もう、いいじゃないか。あんなガキ共からわずかな金を巻き上げたって、後味が悪い」

「うるさいっ。わしに逆らうのか」

「もう見えないよ。今から追っても、逆にこっちが行き倒れたりしたらいい笑いものだ」

 チビは歯噛みしながら、地面を蹴る。まだヒゲ男の身体に咲き続ける花を、呪文を唱えて枯れさせた。

 この男は、魔法の心得があるのだ。

「くっそー。あのガキ、今度会ったら、捕まえてケツひっぱたいてやる」

 ヒゲ男はいまいましげに、身体に咲いていた花をむしり取った。

「森の奥へ入った奴と、次に会うなんてことはないだろ」

「いや、追う」

 青年の言葉をひったくるようにして、チビがルーラ達の逃げた方を睨む。

 一番下っ端に見えそうなこの男が、この中のリーダーだった。

「仕返しするような相手じゃないだろ。あれくらいの年頃なら珍しくない、ちょっと小生意気なだけの女の子だぞ」

「あんな小娘に用はない。わしは、あのトカゲを手に入れたいんだ」

「あんなトカゲに、何をこだわってるんだ? まぁ、見た目はちょっと珍しい気はしたが」

 ようやく花をむしり終えたヒゲ男が尋ねる。

「ん? そういや、あの小娘の名前らしい言葉を口にしてたな。しゃべるってことは、単なるトカゲじゃないのか」

「あれはわしが見たところ、竜だ」

「あんなガリガリのトカゲが、竜だぁー?」

 ヒゲ男はその巨体を振るわせ、笑い出した。

「ノーデ、あんた、目がおかしくなったんじゃないのか」

 息も絶え絶えに言われても、ノーデと呼ばれたチビは自信があるようだった。

「わしの目に狂いはない。濃い魔法の匂いがしたからな。姿は違うが、あれは竜の子だ。あいつを手に入れれば、盗賊なんぞ馬鹿馬鹿しくてやってられんぞ」

「竜がそんなにいい金儲けになるのか?」

 青年が疑わしそうに見る。

「お前達は無知だな。竜は人間の世界など、一日とかからずに滅ぼす力を持っている。雨を降らすのも日照りにするのも、自由自在だ。戦好きの国に売り付ければ、高く買うだろうよ」

 ノーデが言っても、青年の疑わしげな視線は変わらない。

「竜に首輪をつけて、言うことを聞かせるつもりか。世界を滅ぼす奴が、人間に従うのかよ」

「まぁ、竜をあやつる力はわしにはないから、無理だがな。しかし、竜の身体は全てが金になる。無駄になるものは一つもない」

 ノーデは目を輝かしている。

「竜の血を一口飲むと十年は若返り、その肉を食うと不老不死になるという。角や爪から削り出した剣は、人間が作った物は何だって切れる。皮で作った服を着ると、矢や火など通さない、最高の戦士服だ。瞳は未来や遠くの世界を、水晶なんかよりはるかにしっかりと映し出す。魔法使いや占い師は、のどから手が出る程ほしがる代物だ。歯は至好の宝石になる。その価値は……まぁ、とんでもない値で売れるのは確かだ。竜は巨体だからな。一匹売っちまえば、一生かかったって使い切れない金が手に入る。どうだ、少しは竜のありがたみがわかったか」

「そ、そんなにいい獲物なのかっ」

「モルもようやくわかったようだな」

 モルと呼ばれたヒゲ男が目を輝かせるのを見て、ノーデは満足そうにうなずく。

「……レクトはまだ疑わしそうだな」

 モルのように喜ばない青年に気付いて、ノーデは睨むように青年を見た。

「俺にはあいつが竜のようには見えなかったし、捕まえたところで簡単に金になってくれるかねぇ。第一、あんなちっこいのを切り刻むのか? 使い切れない金を手に入れたって、あの世に持って行ける訳でなし。殺しまでしないと生活が成り立たない状態じゃない。今のままで十分だろ。俺は食う分さえ確保できれば、それでいい」

 ノーデはレクトの言葉を聞き、鼻で笑った。

「ふん、まだまだ青いねぇ、お前も。人ってのは持てば持つ程、ほしがるもんさ。目の前に金のなる木が出て来たってのに、お前はそれを見過ごすつもりか? 殺しっても、人間を殺すんじゃないんだ。後味も悪くならない。あいつは竜だ。魔法が使える人間は、魔法を持つ奴に引かれるもんだ。あいつはわしを呼んでるんだよ」

 都合のいいことを言ってる、とは思ったが、レクトは口には出さなかった。言ったところで、どうせ聞いちゃいない。

「けど、逃げてった後を、どうやって追うんだ。ずいぶんと奥へ入っちまったようだが」

 モルが尋ねた。

 さっきレクトが言ったように、下手に追っても森の奥で迷ったら自分達が危なくなってしまう。

 彼らがこの森へ来たのは、たまたまだ。知らない場所へ来て、迷いかけていたところでルーラと出会ったのである。

「心配するな。それ相応の魔法を使う。腕がなるわい」

 ノーデは何やら呪文をつぶやき、それに呼応して黒く小さな鳥が現れた。

 鳥はルーラ達の逃げた方向へ、迷うことなくノーデ達を導き始めた。

☆☆☆

「この辺まで来れば……もういっかな」

 激しく息を切らしながら、ルーラは後ろを振り返った。

 相当な距離を全力疾走してきたので、心臓が口から飛び出しそうなくらいにどきどきしている。

 同時に、追い掛けられてないか、という心配でどきどきしていた。

 逃げ足には自信があるが、相手は大人の男だし、どんな手を使ってくるかわからない。

 逃げて来た方を見ても、静かだ。人はもちろん、動物の歩く音も何もない。

 とりあえず、あの盗賊から逃げられたようだ。

 まさか相手がこれから執拗に追って来るつもりだとは、ルーラは夢にも思っていない。

 普通の人間は、それがいくら盗賊でも、こんな森の奥まで入って来ないはず。普通の人が来ないのだから、盗賊がこんな所にいても彼らの仕事はできない。

 それに加え、ここはあまりいい噂のない森。盗賊だって命が惜しいはずだし、儲けのない場所に用はないだろう。

 が、これは相手がごく普通の人間だった場合、に限る。

 ルーラはあの盗賊の中に一人、魔法使いくずれがいるとは知らないのだ。

「ザーディ、もう大丈夫よ」

 ルーラの手は、ザーディの手にしっかり握られている。

 ルーラも走る時に知らず知らずのうちに力を込めていたから、お互いの手は痛い程に強く握られていた。

「わっ!」

 手を握っているザーディを見た途端、ルーラはそんな声を出してしまい、目を丸くする。

 まだ怯えた顔のままだろうと、予測していた。

 そして実際、ザーディは泣き出しそうな顔のままでいたのだが……その顔が違う。

 さっきまでは、銀の鱗に覆われたトカゲだった。ルーラの胸より少し下の背で、後ろ脚二本で立って歩く、直立歩行のトカゲ。

 普通の生活をしていたら、まずお目にかかることはないだろうという程珍しいタイプの、その辺にいるトカゲに比べたら巨大とも言えるトカゲだったのに。

 どこを捜しても、そのトカゲの姿はなかった。

 代わりに短い銀髪で、深い青の瞳をした五、六歳くらいの男の子がいたのだ。

 その姿は、どう見ても人間。そんな子が、しっかりとルーラの手を握っている。

 ザーディと手を離した記憶はないし、入れ替わったはずもない。

「……ザーディ?」

 ルーラは、確認するように話しかけた。

 この銀と青は、しっかり見覚えある色だ。トカゲの姿だった時はそうも思わなかったが、人間の姿でほとんど白目がないと妙な感じがする。

 でも、きれいな青だ。宝石がはめ込まれているみたいに見える。

 鱗の色だった銀は、その短い髪に現れていた。

 森の外へ出て陽の光に当たれば、美しく輝くだろう。茶色の髪をしたルーラから見れば、ひたすらうらやましくなる美しさだ。

 色白で、走っていたせいか頬がほんのり赤くなっている。これで背中に羽でもついていれば、妖精と間違ってしまうかも知れないくらいにかわいい。

 しかし、この不安そうな瞳の色は、さっきのトカゲと同じ。

 これは間違いなくザーディだ、とルーラはすぐにわかったが、やはり急に姿が変われば驚くし、確かめたくもなる。

「ルーラ、何かヘン?」

 心配そうに、男の子はルーラを見上げた。

 ルーラのいぶかしげな口調で、不安になったのだろう。その細い声はさっきまでと一緒。背もさっきのトカゲより心持ち高いかな、と思う程度だ。

「変じゃないよ。ちょっとびっくりしただけ。あなたも魔法が使えるのね。でも、どうしていきなり人間の姿になったの?」

「んーと、ルーラもさっきの三人も人間だから、ぼくも人間になりたいって思ったら、いつの間にかなってたの。おかしくない?」

「まさか。全然おかしくないよ。それどころか……すっごくかわいいっ」

 不安そうなザーディを、ルーラはギュッと抱き締める。

 ザーディは少し面食らった様子だったが、それもほんの一瞬だけで、ルーラにしがみつく。

「ルーラァ、恐かったよぉ……」

 ルーラは抱き締めながら、よしよしとザーディの頭をなでてやる。

 元々が子ども好きな性格なのに、こんな風にしがみつかれたら、ルーラにザーディを突き放せるはずがない。

 誰かに守ってもらえるように。相手が守ってやりたい、と思うような姿に。

 ルーラの子ども好きを悟ったザーディが、自分でも知らないうちにルーラが守りたくなるような、人間の子どもの姿になった。

 そう考えられなくはない。それが、ザーデイの生き残ろうとする本能なのだ。

 意地悪な見方をすれば、利用されてる、とも言える。

 でも、それはそれで構わない、とルーラは思った。この子には、どういう種族なのかまだわかっていないが、守る誰かが必要なのだ。

「お腹、すいたね。ごはん食べようか」

「……どうやって?」

 きょとんとして、ザーディが聞いた。自分達の手に、食料となる物は一つもないのだ。

「あたし、見習い魔法使いなのよ。当然、魔法で出すの」

 ルーラは自信たっぷりに言う。

 ゆっくり腰を下ろせる場所を見付けると、ルーラは呪文を唱えた。まともな食料が出て来る魔法だ。

 でも、出て来たのは……なぜかぶ厚い布地のコートだった。やたらと大きく、普通の大人が着てもだぶだぶになりそうな程だ。

 まるで袖や襟のついた毛布……みたいなコート。

「あれー、おかしいな」

 笑ってごまかしながら、もう一度挑戦。

 次は、古ぼけたランプが出た。じきに夜になるから必要なものの、今は食料を出すつもりなのだ。ほしいものが違う。

 さらにもう一度挑戦すると、ほうきが出た。

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