昭和とアナログ

一乗寺 遥

昭和とアナログ

夢を見ていた。


そこでは何もかもが変わっていた。私の机はとても大きかった。立派なひじ掛けのついた大きな椅子に座っていた。椅子に深々と腰かけていた。何も悩むことはない、悩むことはなんにもない・・・そう思いながら、私はよく晴れた空を見上げていた。


そこから先に進まないのである。


なぜかどうしても進まないのである。夢は実現出来ると人は言うけど、寝ているときに見る夢はどうなのだろう。夢だと気づくのは、ゆっくりと背伸びをして、一つ大きなあくびをした時。

目を開けたら空なんかない。


この夢を見たときは必ずと言って良いほど寝過ごしているのだ。のろのろと布団から起き上がり目をこする。カーテンの隙間から差し込む陽射しが眩しく、こんな日に限って素晴らしく晴れているのが恨めしかった。


今朝もそうだった。「ちょっと寝過ごしました」などという言い訳が通用しないほどの大遅刻である。言い訳を考えながら歯を磨くうちに、昨日のことを思い出して嫌な気持ちになった。


とりあえず部長に遅れることだけはメールを送った。私は営業成績が悪いので毎日部長から説教されている。だから返事は会社に着くまで見ないことにした。


今の時代、ネットを活用した営業が主流である。パソコンの画面を通じたセールスがあたり前のやり方になった。感染症の世界的な流行が引き金になり、人と人が直接会う機会が極端に減っていったからだ。


周りのみんなはすぐに適応していったが、私はそうではなかった。実際に会って話さなければ契約は取れない。私は時代に乗り遅れたというよりは時代についていけなくなっていたのだ。


私はアナログな人間であり、周りから「あいつ、昭和か?」と揶揄されていた。説教を受けるたびに、ネットなんて無くなってしまえと心の中で思っていた。


宮使えの身でありしょうがなく家を出た。昼の日差しが目に眩しい。私は少し小走りで駅へ向かう。通勤ラッシュの時間はだいぶん前に過ぎていた。


滑り込んできた列車の車内に入ると、臨戦態勢に入ったサラリーマンたちが、難しい顔をしながら車内のテレビモニターを食い入るように見ている。そして、時々思い出したように手帳を開き、なにやら書き込んでいる。


私もとりあえず朝刊を開きながら、平行して一応昨日のアポイントや今日の予定をおさらいしてみる。約束がないのが今日は救いだ。


車内はいつもよりも人が多いような気がする。外を回る奴は出来ない奴というような風潮があり、日中の列車は混雑が緩和されていたはずだが。


電車が駅に到着した。重い足を引きずりながら会社に向かう。会社の入口前に立ち、上を見上げる。やはり憂鬱になる。守衛さんが「お疲れ様です!」と元気に声をかけてくる。そのはつらつとした様子が、今の私にはちょっときつい。


なんだかな~など意味もないことをつぶやきながら階段を上がっていく。営業室の扉の前に立つ。恐る恐る扉を開き周りを見回した。


とたんに話し声やリンリンと電話の鳴る音が耳に飛び込んできた。

エネルギー全開という感じで、みんなが仕事に集中している。私を見る人もいるが、軽く会釈をするだけで仕事に集中している。いつもと違いやけに騒がしい。今は自分のことしか考える余裕がないのだけど、すごく違和感があった。


部長がいる一番奥の机に一歩一歩歩いていく。通路を背にして同僚の机が置かれている。その背中を見ながら、また始まるであろう長い説教のことを考えると憂鬱になる。


部長の席の前に立ち、遅れた理由を説明しようとした途端、思いもかけないことを言われた。「おつかれさま。こんなに早く来てもらってもよかったのかい?なんならもっとゆっくりしてもよかったのに。頑張ってくれているからさ。今日は自由にしていて構わないからね」


とても温かな声だ。体の芯まで温まりそうだ。一瞬耳を疑ったが、嘘ではないようだ。部長はにこにこと私を見ている。


恐縮しながら俺は自分の机に歩いていく。背後から、日頃成績が良い同僚が呼びつけられるのが聞こえる。めちゃくちゃに罵倒されている。私は黙って目をつぶった。 


私は働き盛りという言葉が似合う中堅社員である。だが、器用ではない。営業も相手と直接話さないと考えを伝えることがなかなかできない。メールやネット上での営業なんてちんぷんかんぷんだ。そもそもスマートフォンも使えないので、長い間同じ携帯電話を使っているほどだ。「昭和か」とあざ笑う声も耳に入る。


今の時代は、SNS上での感情が介在しない商売が主流なのだ。パソコンの画面上で活字だけの営業をしても相手がどのような気持ちなのかを読み取ることはなかなかできない。足を使いお客のところにいって時間をかけて交渉・提案することしかできないから、契約までには他の奴より時間もかかるし、最後の最後で断られることも多い。壁に貼られているグラフでもいつも一番ビリだ。


首にならないのは同僚にトラブルが発生した時の謝り役としていつも私が指名されるからだ。トラブルを起こした本人は極力無駄な時間を使わず、次の契約をとるためにスマートホンやパソコンに向かうように命じられる。後ろ向きなことは全部私に押し付けられるのだ。


部長の温かい声と視線に胸をなでおろし、椅子に腰かける。落ち着くと、さっき覚えた違和感が一体何なのかと同僚達に目を向ける。


いつもなら、黙々とパソコンに向かい資料を作り、取引先へ発信しているはずなのだが、今日はみんな電話で直接話をしている。

どうしたのだろうか。しかもとても拙い話し方に聞こえる。皆これほどに敬語も使えなかったのか。謝り方も知らないのだろうか。聞いていて私はあきれてしまった。


机の上にはパソコンもスマホもない。あるのは黒電話と電話帳に顧客台帳だけだ。一体どうしたのだろうか。パソコンを駆使して数字をあげてきた同僚(先ほど部長に呼ばれていた)なんか、目に涙を浮かべながら受話器の先の顧客に頭を下げまくっている。


そこをなんとかお願いします…

と古典的な営業トークが聞こえてくる。皆同じように電話をしている。なんだか懐かしい光景だ。といっても経験したわけではなく、バブル期の動画をよく見ていたからそう思うだけなのだが。


部長に怒られていた同僚が私のほうにやってきた。いつも成績が悪い私に対し蔑んだような目で見て、自分が起こしたトラブル対応に私が向かうときも「適当にやっといてよ」など酷い口の利き方をするようなやつだ。彼が部長に怒られているなんて珍しい光景である。


「どうやって話をしたらいいのか。ちょっと教えてくれないかな。」とそれでも上から目線で話しかけてくる。よりによって劣等生の私に聞いてくるなんてどうした風の吹きまわしなのかだろうか。


「パソコンのAIを使っていつものようにやればいいじゃない。」と私が言うと、怪訝な顔をした。


なにを大昔のようなことを言っているんだいといいながら「今最先端の営業はAGだろう。だから君に聞いているんだぜ。営業のエースの」などと言う。 


「AGとは何?」聞くと、不思議そうな顔をして「アナログ」の略称だよ。つまらない冗談を言うなよと呆れられたが色々話してくれた。


西暦20▢▢年ごろに世界的な感染症の流行を期にリモート化が高度化し続けた結果、各スポーツまでが競技者を除いてネット視聴のみとなり、国会や公共工事までがリモート化され、アナログ派の現地デモをパソコンの画面から反対派が抗議するという無意味な事が大真面目に行われるに至っては行き過ぎだという声も出はじめた。


さらには高度化するハッカー対応に大きなパワーをかけざるを得ない状況になるに至り、結果として経済が大きく傾いてしまい、ついに政府は『アナログの改新』という世紀の大号令をかけたという。「デジタル省」が廃用となり「アナログ省」が出来たのもその頃だったらしい。


いまやパソコンやスマートフォンは懐かしい骨董品となり、一部の好事家により密かに確保された地下周波数にて高値で取引されるなど趣味として使われているに過ぎないようだ。表の世界では肩掛けの大きな移動式電話機を持つのが最もナウいと言われている。


町を歩いてみても、アナログの改新によると思われるキャッチコピーがあちらこちらに張られている。


「24時間、戦えますか!」「夜討ち朝駆け!」などと勇ましい言葉も見つかる。


ツイッターとかグーグルなどSNSに関わるものはどこにも見当たらない。


ここに至って私はようやく自分の立ち位置を理解した。世の中がアナログになり、どうやら私はこの世の中ではできる人間になっているらしい。ならばアナログも捨てたものではないなと考えたりする。


黒電話をかける同僚の横に貼られているグラフの私の成績は昨日とは何にも変わっていないのだが、同僚の成績は私以下だ。大幅に効率が悪くなったので今までのようにノルマはこなせなくなっているようだ。


だから朝晩、土日、24時間働かないといけない。皆が私のことを「昭和の人」と言っているのが聞こえるが、こちらでは羨望の対象のようだ。


まんざらでもないな。私は黒電話をとり、人差し指でダイヤルを回した。


「社長、聞こえてらっしやいますか」


呼びかける声で我に返った。青い空が広がる。ひじ掛けの付いた大きな椅子に私は深々と座り、空を眺めていたのだった。


2回目の昭和ももう昔のことになった。


約束を思い出して黒電話のダイヤルを回した。


                 おわり

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