14.予選リーグⅠ(2)

●予選リーグ『グループF』第1回戦 08:30~ 6番シート


・Gいわて(岩手)


リード    たく侑二ゆうじ(24)

セカンド   壬生みぶ皓平こうへい(19)

サード    梅垣うめがき飛呂ひろ(25)

スキップ   鶴見つるみはじめ(32)


・チーム無田(岩手)


リード(S) 無田なしだ龍臣たつおみ(高校2年)

セカンド   忍部おしべれん(高専3年)

サード    久世くぜさらい(高校2年)

フォース   間嶋まじま斗馬とうま(高校2年)


「2枚目以降が対戦表になってるから、軽く目を通しておいて。勝利なら勝ち点5で、引き分けなら3。負けは0。グループ2位でもLSDで上位2チームに入れば勝ち上れるけど、目指すは全勝1位突破」

 無田の説明に相槌をうちながら彼の後をついていった杷は、リンクと貸靴室を隔てるガラスドアが開いた瞬間、「あっ」と声を上げた。

「カーリングシート――!?」

 まさか、と見渡したスケートリンクの広々とした銀盤に描かれている青と赤のサークルは、確かにカーリング用のハウスだ。

「ここでもやるのか。シートが4つもできてる」

「そう。ちゃんとぺプルも作ってカーリング用の氷にされてる」

 間嶋が後ろから杷を追い抜き、白い息を吐き出した。

「大会のある時だけ、こうやってスケートリンクをカーリング用のリンクに作り変えるんだ。そうじゃないと24チーム分の試合なんて終わらないだろ。俺たちのグループFは6番目。いつも使ってるカーリングシートがあるのとは反対側の、一番左端のシートだ」

 リンクでは、既に他のチームが練習を始めている。

「ほら、はやく出るぞ。試合前の5分練習は俺たちの方が先だ」

「ああ、うん」

 間嶋に急かされ、様変わりしたリンクを眺めていた杷は慌てて荷物を置いた。手早く靴を履き替えてリンクに降りた瞬間、つんのめるように態勢が崩れる。

「っ――」

 とっさにすぐ前にいた間嶋の肩に掴まると、少し驚いたような顔で彼が振り返った。

「なに? 転んだのか」

「いや、あれ?」

 杷はまさか自分が氷の上で足をとられるとは思ってもみなかったので、何が起こったのかすぐには理解できなかった。

「ああ、そっか。右足は滑らないんだ」

 当たり前のことだ。

 カーリング専用の靴は利き手とは逆の靴裏のみが滑走しやすい素材になっている。慣れ親しんだスケートリンクを前にした体はそれを忘れ、フィギュアスケート用の靴を履いている要領でうっかりと滑らない方の右足を出してしまったのだ。

「大丈夫か」

「悪い、助かった」

 何をいまさらと眉をひそめる間嶋の肩をたたいて、今度こそ左足で滑り出した。背筋を伸ばして、氷上を一直線に進む。体が覚えているのよりも視線が低い。スケート靴のエッジとヒールがない分、見えている景色が約10センチほどの違いを生んでいた。

 国際規格に則った、スケートリンク60m×30m。

 杷は奇妙な身震いを感じた。体の奥底からこみ上げる郷愁のような寂寥感と、それを打ち消していく高揚の板挟みとなった体が熱を帯びる。

 先にリンクへ降りていた忍部が、杷の分のブラシを手渡した。

「さっき、膝の調子でも悪かったのかい? 転びそうになってたように見えたけど」

「ああ、いえ。そうじゃなくてつい、フィギュアのつもりで滑り出してしまいそうになったんです。ずっとここで練習をしていたので」

「後悔はない?」

 忍部の声色は杷の本心を探るような響きがあった。

「はい」

 即答してから、杷は苦笑してつけ加えた。

「すみません、せっかく応援してくれていたのに」

「おいおい、反応に困るようなことを言わないでくれよ。俺はフィギュアファンであると同時にカーラ―なんだからさ。それに、見ろよ。君がやるならフィギュアでもカーリングでも構わないってファンは他にもいるみたいだ」

 彼の言う通り、移動式の観客席には朝から場所取りをする女性たちの姿があった。

「いいのかな……あれは俺がフィギュアスケート選手だった頃のファンであって、カーリングのファンっていうわけじゃないですよね」

「構うもんか。それに、応援してくれる人は多ければ多いほど盛り上がる」

 言っているそばから歓声があがったので、杷と忍部はそちらの方を見上げた。青いタオルを首にかけた十数名ほどの応援団が立ち上がり、『奔れ、いわての星』と書かれた横断幕を掲げている。

「Gいわての応援団だ」

 忍部が小声でささやいた。

 ちょうど、リンクに濃藍色のユニフォームを纏った選手たちが姿を現したところだった。リザーブを入れて5人。スキップの鶴見を先頭に、他はいずれも若いメンバーだ。

「まだできたばかりのチームだからな。先を見据えて、ベテランの鶴見選手以外は若手を揃えたらしい。特に最年少のセカンドは去年高校を卒業したばかりの19歳で――」

「おい」

 後ろからかけられた声に、杷と忍部ははっとして振り返った。ブラシを肩に負った間嶋が立っている。襟を立てたジャケットの胸元はスナップが2つ外されて、中に着ているTシャツの黒い衿首がのぞいていた。練習を始めもせず、立ち話をしている2人をどやしつけに来たのは間違いない。

 杷と忍部は頭をかいてごまかしながらシートに戻り、チーム全体でデリバリーとスイーピングの練習を軽く済ませた。

 次にGいわてが同じようにチーム練習を行った後で、スタッフが両チームの選手を呼び寄せる。

 LSDラストストーンドロー――代表者がハウスに向かってストーンを投げ、先攻後攻を決める。先に投げたのはGいわてのサードを務める梅垣飛呂で、忍部よりもさらに上背のある体を低く屈め、非常にスマートな手つきでハウスの斜め左上――真ん中の赤い円とその外側の白い円の間へほぼ均等に乗る位置につけた。

「スキップが投げないんだな」

 相手チームに聞こえないように間嶋の耳元に囁くが、彼は声もひそめることなく言った。

「手加減してくれてるんだろ。舐めてるんだよ、こっちを」

「げっ」

 間嶋の遠慮ない声は思いのほか響き、反対側に並ぶ鶴見らの視線が一斉にこちらへと注がれた。長髪の男が口元を手で隠すようにして、鶴見に何事かを囁いた。大会の録画に目を通していた杷は、彼が宅侑二というGいわてのリードであると知っていた。

「間嶋ぁ……!」

 梅垣より円ひとつ分、中心に届かずGいわてに後攻を取られた無田が間嶋の胸倉を掴んで不用意な発言をなじった。

「お前、毒舌も時と相手をわきまえろよ。今度、俺の憧れの! 鶴見選手のチームを悪く言ったらその場でフォースを降ろすからな」

 スキップからの厳戒注意に対する間嶋の反応は、まるで無視という反省の気配すらないものだ。できるものならやってみろとでも言いたげな態度に呆れた忍部が耳元で囁いた。

「あいつの方がよっぽど相手を舐めてるよな。相手は世界選手権準優勝チームのスキップ率いる企業チーム、こっちは無名の学生チームだよ?」

「仰る通り……」

「自分だって先攻がほしいから無田に投げさせたくせにな。それとも、自分がそうだから気になるのかな?」

 ジャケットを脱いだ忍部の胸元には、シンプルな輪状のスポーツネックレスが下がっている。血行促進効果のある金属系コードを肌ざわりのよいナイロンで包んだものだ。どういうことだろうと杷は思ったが、既に時計は動き始めている。

 一試合の持ち時間はそれぞれ58分間。

 時間の都合で、規定の10エンドではなく8エンドで行われる。

 もし、試合終了までにこの時間を使いきってしまった場合はその場で失格となる。杷は速やかに他の3人と分かれ、これから石を投げる奥手側のハウスへ向かった。

「――」

 緊張感を纏うホール内のざわめき。

 自分の一挙手一投足に大勢の注目が集まる時の、びりびりと皮膚が痺れるような心地よい痛みにも似た感覚。ハウスにたどり着いた杷はフィギュアの演技をする前と同じように肩の力を抜いて息を吐き、両手で軽く頬をはたいてから後ろを振り返る。

 音楽がかかる代わりに、ハックの前にしゃがんだ無田が「オーケー」とでもいう風に右手を上げた。彼のやや手前に、ブラシを携えたスイーパーの間嶋と忍部の姿がある。

 こちらから見て左に仏頂面で腕をまくり上げる間嶋、右にブラシの柄の上に手のひらを重ねて乗せて佇む忍部を従えた無田は、バイススキップ――スキップが投げる時の指示やスコアチェックを行う役割の者で、通常はサードが務める――を任せた杷の答えを待っている。

(これ、本当に簡単かな。無田はまだハウスに石がないから難しい指示になることはないって言ってたけど。初っ端って結構緊張するじゃん?)

 顔には出さないようにぼやき、ハウスの中心、左に大きくずれた場所をブラシで指し示した。ストーンはスピードが遅いほど、つまり止める距離が短いほど曲がりやすい。その曲がり幅を考慮して、杷は大きく幅を取った。

(まずは、ガードストーンを置く)

 ホッグラインからティーラインまでの間に止まったストーンは互いのリードが投げ終わるまで場外に出してはいけないというフリーガードゾーンルールによって守られる。そうでなければ、ストーンを置いた先から弾き出していくという単調な展開になってしまうからだ。

 ハウスの後ろに佇む鶴見が、意味ありげに顎の辺りを手でさすった。杷がブラシを置いた位置でこちらの狙いを察したのだろう。

(俺は、このチームでカーリングをやりたい)

 その望みが分不相応ではないという証を求め、杷は滑り出した無田の手元からストーンが放されるのを見守った。

「――ジャスト」

 ストーンを追い出した忍部が、ストップウォッチを離して言った。だが、その間にもストーンの動きは刻一刻と変化する。

「ラインは?」

 間嶋だ。

「乗ってる――」

「少し遅れた、2.5」

「ヤップ!」

 最もストーンに近いスイーパーが速さを測り、ハウスの中にいるスキップもしくはバイススキップがラインを読む。

 投げたストーンの速さは秒数の他、停止すると推測される場所の位置で測られる。ホッグラインのすぐ下が1、ハウスの1番手前が4、円の色が変わるごとに5、6ときてちょうど中心が7だ。今はハウスの前にストーンを置きたいので、『3』で止めなければならない。

 杷の指示でストーンの前を掃き出した間嶋と忍部が、だんだんとハウスに近づいてくる。そして、2人がブラシを引くのと同時にぴたりとストーンがシートの中央に引かれた線の真上で止まった。ほぼ完璧なセンターガード。見物人の間から小さな喝采が生まれる。

 狙い通りのところに止まってくれたので、杷はほっとして忍部の差し出した手を叩き返した。大会デビューの初仕事としては上出来だろう。

「やるじゃないか。ラインの読みがどんぴしゃりだったな」

「緊張しました」

「久世くんでも?」

「そりゃあ――」

 杷の言いかけた言葉に観客の盛大なため息が被さった。

 どきりとして顔を上げるが、どうやら隣のシートで大暴投があったらしい。そうか、と杷は改めて会場を見渡した。試合をしているのは自分たちだけではないのだ。

 ハウスを退いて間もなく、Gいわてのリードである宅の投げたストーンがハウスを目指して滑ってくる。センターガードの後ろ、ハウスの中央よりやや長い位置に止まったので、以降はその前にストーンをつけあう形になった。

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