黒兎と白狼

朏猫(ミカヅキネコ)

第1話

 あるところに兎族が治めるラビッター王国と、狼族が治めるウォルファ王国という二つの国がありました。隣り合っている両国は昔から仲が悪く、互いに相手の国を奪ってやろうと考えています。

 兎族は小柄で非力ながらも、圧倒的な数と小回りが利く賢さで狼族を退けていました。狼族は大きな体と個々の力強さで兎族を圧倒するものの、数には勝てずなかなか兎族を征服できません。

 今日も兎族は長い耳をピンと立てて狼族の様子を伺い、狼族はよく利く鼻で兎族の様子を探っています。

 そんな兎族の王様には十人の子どもがいました。中でも五番目の王子は珍しい黒兎で、何が珍しいかと言うと――。


「うっせぇな! 黒色の何が悪いんだよ!」


 黒耳をピンと立てたシィグが、そばにあったクッションを閉まりかけのドアに投げつけた。出て行ったのは二番目の兄で、部屋に来たのは小言を言うためだ。


「民のために出歩くなとか、不安を煽るから姿を隠せとか、要するに俺が邪魔だってことだろ!」


 兄の言葉を思い出し、二個目のクッションを勢いよくドアに投げつける。それでも腹立たしさが収まらないシィグは「だーっ!」と叫んで黒い前髪をグシャグシャと掻き混ぜた。

 シィグは兎族の国、ラビッター王国の第五王子だ。十人いる兄弟の真ん中で今年二十一歳、王族としてはそろそろ嫁を迎えてもいい年頃になっている。「いっそ嫁に行ってやろうか」なんて思うこともあるが、どちらにしても叶うことはないだろう。こうして許嫁すらいないまま王宮に閉じ込められているのは、シィグが黒兎だからだ。


 黒は不吉な色。黒色の兎は不幸を呼ぶ。最悪の場合、国が滅ぶ。


 これはラビッター王国に昔から伝わる黒兎の言い伝えだ。いまだに言い伝えを信じている国王の命令で、シィグは小さい頃から王宮の外に出たことがない。

 ……というのは建前で、実際のところシィグは何度も脱走していた。黒耳はフードで隠し、黒い尻尾はズボンの中に仕舞えば誰にもばれない。そうやって黒兎だということを隠して城下町を歩き回り、飽きれば近くの森を歩き回っていた。


「ちょっとくらい息抜きしてもいいだろ。毎回ネチネチと文句言いやがって」


 シィグが部屋にいないことがわかると、すぐさま見張りの兵たちが捜索に出る。そうしてシィグを掴まえて連れ帰り、「さぁお部屋へ」と放り込まれるのがお決まりのパターンだ。そのとき小言を言いに現れるのがシィグの兄である第二王子か第三王子だ。


「黒色が不吉だとか不幸を呼ぶだとか、ただの迷信だっつーの」


 それなのに小さい頃から窮屈な生活を余儀なくされてきた。そりゃあ脱走はしているが、それだってすぐに捕まって連れ戻される。正直、そんな生活にはうんざりしていた。


「死ぬまでこんな生活だなんて、やってられるか」


 何とかこの状況を打開しなくては。ウンウン考えたシィグは「閉じ込めてるのがクソ親父の命令なら、俺がクソ親父より偉くなればいいんじゃないか?」ということに気がついた。


「そうだ。それなら誰も俺を閉じ込められなくなる。おお、いい考えじゃん」


 ピンと立った黒耳が興奮したようにピクピク動く。


「ってことは、俺が王様になればいいってことか。となると、手っ取り早いのは……」


 シィグの頭に浮かんだのは狼族だった。

 王宮からもよく見える大きな森を抜けると、狼族が治めるウォルファ王国がある。ラビッター王国とは昔から仲が悪く、歴代の兎族国王はウォルファ王国を懲らしめてやろうとあれこれ策を弄してきた。ところが狼族は大きな体と力強さでなかなか屈することがない。


「その狼族を俺がこてんぱんにしてやったら、誰も俺の色なんて気にしなくなるよな」


 そして一番目の兄を押しのけて王様にだってなれるはず。


「よし、決まった」


 拳を握りしめたシィグは、いそいそと旅支度を始めた。支度といっても普段脱走するときとそれほどの違いはない。これまで散々森を見回ってきたシィグにとって、森を抜けることは城下町で身を隠すことより簡単だったからだ。

 まずは城下町で手に入れた動きやすい服に着替える。それから地図と方位磁石、数日分の食料に火興しの道具とナイフ、貯めておいたコインも一緒にカバンに詰め込んだ。そうしてフード付きの外套を着ればいい。あとは見張りの兵に気づかれないように外に出るだけだ。


「たしか交代は二時間後だったっけ」


 そっとドアを開けて廊下の先を見る。今日も飽きることなく二人の兵士が見張り役として立っていた。


「廊下はすぐに見つかるから無理として……やっぱり窓か」


 バルコニーからの脱走は一度成功しているから目をつけられている。それならと浴室の窓に目をつけた。まさか王子がこんなところから逃げるとは誰も思うまい。「俺をただの王子だと思うなよ」と自画自賛しながら浴室の窓を開けて周囲を見渡した。

 ちょうど表の庭とは反対側にあるからか人影はない。兵士どころか下働きも通りそうにない雰囲気にシィグの口がにんまりとする。


「窮屈な生活はもう終わりだ」


 そうつぶやき、窓枠に右足を掛けて勢いよく飛び降りた。身軽なシィグは三階の高さからでもうまく着地することができる。二つ向こうの国からやって来た猫族に「おまえ、すげぇな」と感心されたくらいだ。


「待ってろよ、狼族」


 決意を込めてそうつぶやくと、城下町を通らず森へ抜けられる裏山へと走り出した。

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