お山の天狗の縁結び

ナサト

「おォい、あずさやぁい」

 やけに聞き覚えのある声に、座禅を組んでいた彼女は面を上げた。ばさりと翼の音がして、なにかが彼女の座する大樹の洞を覗き込んだ。その顔は逆光になって、ずっと暗がりにいた彼女の目にはよく見えない。しかしその『なにか』が発している有り余るぐらいの陽の気だけで、正体を推測するには充分だった。

伊吹いぶき……何しにきた。今はてめえとくっちゃべる気分じゃねえ」

 眉根に皺を寄せて睨み上げる彼女に動じることなく、褐色の翼をもつ男は笑った。

「はは、悪ィな。お前が邪魔されたくねえたちなのは分かってっけど、今日は大事な用でよ。卯木うつぎのじいさまが直々にお呼びだからな」

「……なんだって?」

「だから、卯木さまのお呼びだよ。お前、もう何年も寄り合いすっぽかしたまんまだろうが。さすがに堪忍袋の緒が切れたみてぇだぞ」

 卯木うつぎおきな。聞きたくない名だ。彼女は座ったままくるりと向きを変え、頬杖をついて洞を覗き込んでいる伊吹に背を向けた。

「あんなじじい、知るか。あたしは行かねえぞ」

 それだけ言って目を閉じ、無視を決め込む。伊吹が苦笑する気配がした。

「お前の気持ちは分かるけどよ。そろそろ顔出して適当に機嫌とっとけや」

「……」

「おれは真面目に忠告してんだぞ。でねえと、本当に縁組みされっちまうかもだぜ」

「――ッ!」

 思わず座禅を解いて振り仰いだ。しかし、伊吹の姿は既になかった。

「早く来いよ! 卯木岳の大銀杏おおいちょうだ、先に行ってるからな!」

 春風に混じって遠く、鬱陶しいぐらいに明るい声が響いた。


 ※


梓山媛あずさやまひめ! は、今までいずこで何をしておった!」

 季節外れの紅葉のように赤い顔、そしてその顔色にそぐわぬ純白の翼をもつ大男が、そびえ立つ銀杏の古木の大枝に座り、腕を組んでこちらを睥睨している。これが卯木岳の主、そして各地の山々を統べる者らの総領、卯木の翁である。その翁の目の前で、彼女――梓は懐手をし、黒い翼で宙に浮いたまま、むっつりと黙り込んでいた。

「答えんか!」

 割れんばかりの大声に耳がじんじんと痛む。これだからこのじじいは好かない。ちっ、と舌打ちをして梓はぼそりと返答した。

「……昼寝を」

「嘘も休み休み言え、十年も昼寝をする奴があるか!!」

 そりゃそうだ、いるわけがない。こっちも字義通りのことはさらさら意味していない。そうではなく、お前とまともに会話する気はないと暗に伝えているのだ。だが卯木の翁はそのような機微など相変わらず一切解さず、不機嫌そうに唸るばかりだった。

「全く……そのようなざまで、うぬの山の面倒を見ることができておるのか? 梓山は卑しからぬ山ぞ。うぬの手に余るのではないのか? え、どうなのだ、梓媛よ!」

「……そんなこたぁねえ」

「なんだ、その覇気のない返事は。やはり本当に手に余っておるのではないのか? いい加減諦めて、山は他の者に任せて縁を結ぼうという気は起こらんのか!?」

 ほら、やはりこう来る。こちらの事情を解するつもりは一切ないまま、自分の持っていきたい結末へ向かって話を動かそうとするのだ、このじじいは。梓はうんざりと顔をしかめた。取りなそうというのだろう、傍で聞いていた伊吹が割って入ってきた。

「い、いえいえ、ちょっとばかし誤解があるようですぜ、卯木さま! 梓はこんなこと言っちゃいますけど、そりゃあ綺麗に山を整えてます。この春もまあ見事なもんです! 本当です、こいつを迎えに行ったとき、この目で見ましたから! なっ、なっ、梓!」

 伊吹に出てきてほしくはなかったのだが、この際はっきり言わねばこの石頭の老爺は分からぬのだろう。はあ、と溜息をついて梓は翁の赤ら顔を見据えた。

「――伊吹の言うとおりだ。あたしはちゃんとやるべきことをやっている。今年も樹は芽吹いたし花は咲いた、獣もつつながく眠りから醒めた。麓者ふもとものどももいつもどおり山に入ってきている。梓山は平穏無事だ。全部あたしひとりの力だ」

 話し始めた梓を伊吹は満足そうに見ている。横目で見返してから梓は続けた。

「だのにあんたは、それをあたしに棄てさせたいわけか。残念だな、あたしの力は山を守るに足りているし、それをあたしが女ってだけで誰かに分け与えなきゃならんなんてのはまっぴら御免だ。あの山はとっくの昔からあたしのもんなのによ。ったく、なぜこんなことをいちいち説明しなきゃならん?」

「お、おい、梓!」

 求められていたであろう以上のことを言葉にしたせいか、伊吹の顔色が変わった。だがこちらの知ったことではない。

「正直言わせてもらえるんなら、これはあたしの問題じゃあねえ。こんだけ懇切丁寧に説明してやらなきゃ理解できねえ、他のやつらの頭が足りねえんだ」

 肚に溜まっていたことを言い切って卯木の翁を睨み据える。翁は言葉を失ってこちらを見つめていたが、やがてその顔が常にも増してかっかと赤くなり始めた。

「ええい――この恩知らずめが!!」

 大音声の怒声で空気がびりびりと震えた。周囲の木々から怯えた鳥が飛び立った。

「少し甘くしてやっていればこのざまか! つけあがりおって!」

 割れ鐘のような大声で卯木の翁はがなり立てる。激怒されることは梓の方も承知の上だった。――だが、このあとに続く言葉は予期していなかった。

「儂もとうとう堪忍袋の緒が切れたぞ――梓山は最早うぬの山ではないわい! 大楠山おおくすやまのが長いこと縁を欲しがっておったわ。あやつと縁を結べ! その無駄な力は大楠彦おおくすひこのために分け与えてやれ! 女というのはそういうもんじゃ!」

「な……ッ」

「ほかに好いた相手がいるというならまだしもだがな! そんな相手はおらんのだろう! 観念して、素直に縁結びをせい!」

 驚愕する梓を押しのけんとするように、ごう、とつむじ風が吹いた。思わず一瞬目を閉じた。その僅かな間に、卯木の翁の姿は大銀杏の枝からかき消えた。あとには茫然とする梓と伊吹だけが残された。


 ※


「――梓」

 梓山の大樹の洞の中、胡座をかいたまま頭を抱え突っ伏している黒い翼の女に伊吹は呼びかけた。顔を伏せたままの梓からは、ほとんど呻くような答えが返ってきた。

「……嫌だ」

 沈みきった声色に、伊吹は小さく溜息をついた。

「じいさまの機嫌を逆撫でするみてえなこと、言うからだぜ」

「あのじじいの機嫌なんざ知るか……あたしは間違ったことは言ってねえ」

 全く――この女とは幼なじみだが、直情なところは何年経っても変わらないものだ、と伊吹は思う。正論をぶつければ説き伏せることができる、そうでなければせいぜい呆れられて好きにしろと放り出されるぐらいだ、と踏んでいたのだろう。その読みは外れて、窮地に追い込まれたというわけだ。しかし同時に、彼女のこういう率直さとそれに見合う実力が、友として好ましく、尊敬に足るとも感じるのだが。

「まあ、お前の気持ちは分かるよ。不公平だと思うぜ。そもそも、梓山は他のやつらに任せちゃならねえ。お前以外じゃこの山の世話は務まらねえよ」

 これは梓の数少ない友であり、また山なるものを愛する伊吹の、心底からの思いだ。梓山は広く豊かな山である。伊吹自身、訪れるたびに惚れ惚れとするのだ。それを毎年守っていくのは並大抵の仕事ではない。梓のしていることを真っ当に評さない卯木の翁ら年寄り連中の頭の固さは、正直業腹だと思う。

「ってことでよ、実はおれにひとつ考えがあるんだが」

 そう声をかけると、梓が僅かに顔を上げた。掻き乱した長い黒髪の間から、濃い睫毛に縁取られた目が覗く。それを見返して伊吹は提案した。

「卯木の翁をごまかすために、ひとつ仮初めの縁結びをしてみるってのはどうだ」

「……は?」

 梓がぽかんと口を開けた。この反応は珍しい。少し面白くなりつつ伊吹は続けた。

「卯木のじいさま、好いた相手がいるならまだしも、とかって言ってたろ? それこそ好いた相手がいる、恥ずかしくって明かせなかったがずっと寄り合いにも出ず独り身だったのはそいつを切なく想っていたためだ、堪忍してくれって、言ってやりゃあいいんだよ」

 梓はしばらくぽかんとしていたが、やがて不機嫌そうに吐き捨てた。

「莫迦言うな、じじいがくまなく当たったらすぐに嘘だとばれるじゃねえか」

「だから言ったんだ、仮初めの縁結びをするって。実際に相手を探して縁を結ぶんだ」

「おい伊吹、ふざけるのも大概にしろ。仮初めにしたって縁を結んじまったら終わりじゃねえか。そもそもどこの山の主がそんなことに力を貸すっていうんだ」

 そう言われると思っていた。伊吹はにっと笑んで指を一本立てた。

「いいや、おれたちの中から相手を探すんじゃねえ。麓者を連れてくるんだ」

「麓者?」

 すなわち、山の下の里に群れで住んでいる者どもだ。姿形は背中の翼を除けば伊吹らとよく似ているが、霊的な力はほとんど持たない種族である。

「そうさ。あいつらならちょいと掴んで連れてくるぐらい造作もねえし、おれたちの姿を見りゃすぐにびびって言うことも聞く。嫌がられたところで、お前の力なら、少しの間従うように術をかけるぐらい簡単だろ」

 む、と梓が唸る。きりりとした眉がぐっと寄せられた。

「だが、卯木のじじいにそんな子供だましが通じるか? そもそも麓者とあたしらのたぐいが縁を結ぶなんてことが有り得るのか?」

「実際になくはねえ話だぜ。おれらが餓鬼の時分に、麓者の――巫女だったかな、女と縁を結んだ男の話を聞いたことがある」

「だが……そもそも、大楠との縁組みだけを拒めりゃいいわけじゃない。あたしは誰が相手であれ、縁を結ばされて山を奪われるのが嫌なんだ。今回のことがごまかせても、別の契りに縛られちゃ無意味だ。言ったろうが、縁を結んじまったらしまいなんだぜ」

 この反応もまた想定内である。だがここからがこの考えの本番だ。

「そこでだよ。すぐ死ぬような年寄りをつかまえてくるんだ」

「年寄り?」

「おう。麓者の寿命はただでさえ驚くほど短けえからな。ましてや年寄りとなったら、山じゃまず冬は越せねえだろう」

 梓が怪訝そうな表情を浮かべる。その顔に向かって、噛んで含めるように説いた

「お前も分かってるとおり、おれたちは一生に一度しか縁結びができねえわけだ。契りの証が身に刻まれちまうからな。そこを逆手に取るんだよ。一度縁を結んだ相手と死に別れりゃ、お前はその後ずっと晴れてひとりだ。それに相手が麓者だったら、山はお前のもの以外になりようがねえし、たいして力が奪われるわけでもねえ」

 梓はしばらくむっつりと黙り込んだ。だがやがて、難しい顔のまま、再び口を開いた。

「……だが、どうやって見分けるんだ。あたしは麓者のことなんかよう知らん……興味もねえし、よくよく見たこともねえ。どれが若くて、どれが年寄りなんだ」

「はは、そんなの簡単さ。頭が白くて、背中の曲がってるやつを選びゃいい」

 伊吹の軽い返答に、梓は再び渋い顔で腕を組んだ。伊吹は笑って梓の肩を叩いた。

「とりあえず、やってみろや。もし派手に失敗したなら、そのときまた考えようぜ」

 考え込む梓の方からは、ん、と生返事のような声が返ってきた。


 ※


 翌日。梓は麓者の里に向かって森の上を飛んでいた。伊吹の企てを、一か八か試してみようと思ったのだ。何もしなければ全てを奪われることは確定している。この企てが失敗したところで、どうせこれ以上失うものはない。

 木々の梢に沿って山の斜面を下っていくと、やがて何もない、麓者どもの切り開いた空間が広がり始める。緑の少ない光景はどこか息苦しい。空を滑って深山から離れれば離れるほど、その息苦しさは増す。他のやつらには麓者を面白がってしょっちゅうここらを訪れるのもいるらしいが、梓としてはそんなやつらの気が知れないと思う。

 やがて、眼下に麓者の集落が見えた。梓の目には無味乾燥な光景だが、どうやら比較的大きな住処もあると見える。そのひとつの周りにちょうど人だかりができていた。そしてその中に、背を丸めて小さな歩幅で歩む、白い頭の人影が見えた。

(――しめた)

 在れ、と念じれば風が起こった。身体が空と大地とその狭間とひとつに繋がる感覚がして、風の流れが勢いを増した。翼を大きく広げてそれに乗り、梓は急降下した。


 ※


 その場にいたほとんどの者には、突然つむじ風が吹いたとだけ感じられた。その風はしかしまともに立っていられないほど強烈で、人々は軒並み腕で頭をかばい、顔をそむけてしゃがみ込んだ。轟音に混じって高い悲鳴が上がったように思った者もいたけれども、確かめることもできなかった。そして、顔を背けず耳も塞がず、なんとか踏みとどまったごく少数の者の目には、巨大な黒い翼を広げ、黒髪をなびかせた修験者姿の人影が、白無垢の娘を掴んで舞い上がっていく、悪夢のような光景が映った。

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