後悔は、役に立たない

仲村 嘉高

第1話:離縁と契約




「子供が生まれたので、契約通り自由にさせて頂きますわね」


 公爵夫人であるシャーロットは、夫であるフレドリック・ジェームズ=ヘイゼルへと離縁状を突き付けた。

 それはシャーロットが勝手に作成したものではなく、きちんとヘイゼル公爵家の弁護士が作成し、司法に書類だった。


「……シャーロット?何を言っているんだ?」

 たっぷりと1分以上固まってから、フレドリックは目の前の妻……いや、この場合は元妻になるのか?……へと声を掛けた。

 呆然と自分を見つめる元夫へ、シャーロットは満面の笑みを見せる。

「ヘイゼル公爵閣下。ワタクシの事は名前で呼ばず、エッジワース伯爵令嬢とお呼びくださいませ」

 ここ何年も見る事の無かった、シャーロットの本当の笑顔にフレドリックは見蕩みとれ、そしてその言葉の内容を理解し、激昂した。


「何を勝手な事を言っているんだお前は!そもそも何だその契約とは?俺は知らんぞ!」

 執務用の椅子を倒しながら立ち上がった夫を、シャーロットは冷静に見上げる。

 そして、スッと表情を消した。


「婚姻した時に交わした契約に、ヘイゼル公爵閣下側から『子供が生まれたら自由にして良い』と確かに提案されており、私はそれに了承して記名サインいたしました」

 シャーロットのその言葉を受け、弁護士が後を続ける。

「確かに婚姻の際に私も確認いたしましたし、今回司法もそれを認め離婚届が受理されました」

 軽く頭を下げる弁護士を、フレドリックは睨みつける。


「貴様は誰の味方だ?」

 フレドリックの言葉に、弁護士は顔を上げる。

「私はヘイゼル公爵家の顧問弁護士ですが、法を遵守するものです。この場合は契約に従い書類を提出しただけであり、誰の味方でもありません」

 弁護士はフレドリックの目を見つめ、やましい事など何も無いと逸らす事は無い。


 先に目を逸らしたのはフレドリックだった。

 小さく舌打ちし、横に控える家令に手を差し出す。

 何を指示された訳では無いが、家令はその手に書類を渡した。話題が出た際に金庫から取り出したのだろう。

 婚姻時の契約書だった。


 書類の文字を目で追いながら、フレドリックは口を開く。

「そもそもシャーロット、お前は子を産んでいないだろうが」

 吐き捨てるように言われた言葉に、シャーロットは口角を上げる。

「避妊薬を飲んでいては、子を成す事など出来ませんわ」

 シャーロットの言葉に、フレドリックはギクリと肩を揺らした。




「公爵家には、後継者が必要だ。もし1年経っても男児が生まれなかった場合、第二夫人を迎える」

 婚約時代、シャーロットへとそう告げたのはフレドリックの父である公爵家当主だった。

「かしこまりました。その場合、私とは離縁していただけるのであれば」

 シャーロットの提案に、公爵が驚く。

 この場に、フレドリックは居ない。


「もしも第二夫人が後継者を産んでしまった後に私が男児を産みましたら、後継者争いが起こってしまいますもの。それは私の望むところではありませんわ」

 完璧な笑顔浮かべ、シャーロットが言う。

 それを聞いてしばらく黙り込んでいた公爵は、「では第二夫人が後継者を産んだら離縁を認めよう」と約束をする。


 そのまま婚姻契約書に書くわけにもいかず、『子供が生まれたら自由にして良い』と記載された。


 契約書の裏事情を知らされていなかったフレドリックは、『シャーロットは子を産まなければ絶対に離婚出来ない』のだと誤解していた。

 自由=離婚だとは理解していたのが、この悲劇である喜劇の始まりだった。



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