冷静になる為の時間


 遠い目をしながら目の前の修羅場の行く末を見守るジューリア。フローラリア邸に戻ればフランシス、グラース、シメオンやジョナサンが駆け寄った。フランシスとグラースが無傷なのは取り敢えず良しとし。

 戻って早々マリアージュは今日ジューリア達の護衛に就いた騎士とグラースの従者アドルフを呼びつけた。

 フランシスは心配げな面持ちでジューリアの方へ。どこも怪我をしていないと知るととても安心された。グラースの方は気まずげな表情で窺っていた。彼もまた、ジューリアが置き去りにされたのを知っている。

 ジューリアは別にグラースが置いて行けと命じたのではないと知っているので何もしなければ、何も言わない。今からマリアージュがするだろうから。

 呼ばれた護衛騎士とアドルフは怪我人の治癒へ向かったマリアージュとメイリンが無事に戻ったのを喜んだのも束の間、ジューリアと侍女の顔を見ると青褪めた。心当たりを覚えているようで安心した。



「貴方達、どういう心算? どうしてフランシスとグラースだけを避難させて、ジューリアや天使様を置いていったの? 理由を聞かせてちょうだい」



 ジューリアだけならまだ言い訳が立っただろうに、天使様までも置いて逃げたとなると確認不足では済まされない。ジューリアや侍女から事情を先に聞いているマリアージュに護衛騎士とアドルフはどう言い訳をするのかと見守ると。



「も……申し訳ありません……お嬢様と天使様の姿が見つからなかったので……」

「我々も必死に探しましたがフランシス様とグラース様の安全を——」



 案の定嘘の言い訳を並べた。予想通り過ぎて目が遠くなる一方。この場にヴィルがいなくて良かった。ヴィルがいたら絶対に噴き出して笑っていそうだ。



「ジューリアと侍女の話とは違うわね」

「全然違います!」



 鋭く指摘したマリアージュに続いたのはフランシス。あの時フランシスはジューリアと天使様が取り残されていると気付き、自分を抱える護衛騎士にジューリア達の事を叫ぶも聞き入れてもらえないまま避難させられた。顔を青褪めていくだけの護衛騎士とアドルフの視線が縋る様にジューリアへと向けられた。置いて行った人間にどうして助けを求めるのか、助けてくれると思うのか、お目出度い思考なのだと呆れた。


 責める視線を全員から刺され口を震わせる護衛騎士達。アドルフも同じだが強く足を踏み出した。



「お、おかしいですよ最近の奥様も坊ちゃんも旦那様も! 今まで散々ジューリアお嬢様を蔑ろにして放置していたのに、今になって気にするなんて……」

「……」



 結局のところ、護衛騎士やアドルフがジューリアを置いて行ったのは当主夫妻のジューリアへの扱いのせい。家庭教師ミリアムと前侍女セレーネの悪行が公となりジューリアへの態度を改めるも、抑々長年放置し冷遇してきた長女がそんな状況になっていると把握せず、更に相手の言葉を鵜呑みにしジューリアを駄目人間認定していたのは間違いなく当主夫妻。使用人達は放置され愛されてもいない無能の娘に誠心誠意仕えたところで自分に利がないと分かると誰もがジューリアを下に見だした。

 今までの行いがツケとなって回ってきた。ただ、それだけの話。


 ぐっと唇を噛み締めたマリアージュが反論する言葉がないと知ったアドルフは更に畳みかけた。



「将来のないジューリアお嬢様より、フローラリア家を継ぐグラース様とシルベスター侯爵家を継ぐフランシス様を最優先に避難させるのは当然ではありませんか!」

「一個聞きたいけど、あの場に天使様がいるの忘れてない?」

「あ、そ、それは」



 忘れていたな。ジューリアを避難させなかった正当性を訴えるあまり、天使様の存在をすっかりと忘れていたようだ。こればかりは得意げに語っていたアドルフも言葉を詰まらせ何も答えられない。護衛騎士達に関してはこの世の終わりのような顔をしている。

 シメオンをチラリと見ると、怒りを通り越して無の顔をしていた。触れるな危険だ。険しく、悪くなっていくばかりの空気。


 ジューリアは侍女の手を取って外へ歩き始めた。呼び止める声に構わず外に出た。



「あ、あのお嬢様、どこへ」

「貴女の名前知らないのだけど、名前は何て言うの?」

「ケ、ケイティです」

「ケイティ。私暫く天使様がいる大教会でお世話になるから、ケイティも来て私の世話をしてちょうだい。給金は私がお小遣いで出すから」

「そんな! 公爵様からしっかりと毎月のお給金は頂いています! お嬢様から頂けません!」

「今貴女を無理矢理連れ出しているのに?」

「お嬢様、私が嫌だと思ったら子供のお嬢様の足を止めるのは簡単なんです。私がお嬢様と行くのは、お嬢様があそこにいたくないからだと思っております」

「……うん」



 一旦歩みを止めてしゃがんで目を合わせたケイティ。子爵家から奉公に来ていると聞かされ、榛み色の瞳と真っ直ぐ向き合った。侍女をこうして見るのは初めてで、手を繋ぐのも至近距離から見るのも初めて。ミリアムと大違いだ。

 屋敷からシメオンとマリアージュが追い掛けて来た。ケイティを立たせ、大教会に居候させてもらうと発した。



「これでお分かりになられたのでは? 私がいない方が厄介事が少なくて済むと」

「そんな事はない! 元はと言えば、私達がお前を……」

「寧ろ、今は距離を開けるべきかと。このままだと益々屋敷内の空気が悪くなる上に、使用人達への影響も大きいかと。身内以外の前でも恥を晒す羽目になりますよ」

「ジューリア……」



 周囲にもジューリアへの冷遇が影響している今、ジューリアと距離を開けお互い考える時間が必要となっている。マリアージュが縋る声でシメオンに訴えた。



「……」



 シメオンは難しい顔で暫しジューリアを凝視した後、ケイティに大教会でジューリアの世話をするよう発した。



「そんな、シメオン……」

「マリアージュ、ジューリアの言う通り少し冷静になって考えよう。私も君も焦り過ぎるあまり、周りが見えていなかった。私達の今までが無かった事にならなくても、これからを大事にしていきたい」

「……分かりました」



 マリアージュも諦め、大教会行の馬車の手配をすると言って邸内に戻った。シメオンは馬車が来るまで待っているよう言い残し戻って行く。

 大きな筈のシメオンの背中がとても小さく見えた。






 ――一人、大教会の客室でミカエルの帰りを待つヴィルは窓辺に立って空を見上げていた。



「ミカエル君、帰って来ないな」



 天界に戻ってヴィルの現状報告を甥っ子にしているであろうミカエルの帰りがあまりにも遅い。時刻はもうすぐ夜となる。遅くても夕刻までには戻れるくらいの報告なのに、時間を掛けるのは何故かと考えた。

 神の仕事を嫌がって泣いて暴れる甥っ子を止めるのに時間が掛かっているとか、或いは自分も人間界に行きたいとか駄々を捏ねて困っているとか。幼いが神力に関しては、さすが神の座に就くだけありかなり強く、本気で暴れるとアンドリューでは処理しきれない。



「そうなれば熾天使セラフィムの連中が止めるか」



 嘗て、天界から逃げようとしたヴィルを痛め付けた熾天使セラフィム達なら、嫌がる甥っ子を痛めつけ無理矢理神の座に縛り付けるのは造作もない。



「嫌な事思い出した」



 ミカエルはその内戻って来る。

 先に夕食を食べようと窓辺を離れたヴィルは気付けなかった。天使だけが使用出来る天界の扉が開かれ、鍵を掛けられ、そして――空から勢いよく甥っ子が落ちてきているのを……ヴィルが知ったのは翌日であった。





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