豹変の理由は悪魔




「私と殿下の?」

「そうだよ、ジューリア」



 将来皇帝となる自分の補佐を願っている皇太子にとって、第二皇子とその婚約者の険悪を認めたくない。魔力しか取り柄のない訳アリ令嬢でもジューリオには誠実に接してほしいと願っている。指摘を受けたジューリオは皇太子の命に心当たりがあるのか、罰が悪そうな顔をするもジューリアを見るとキッと睨んでくる。尊敬する皇太子に言われようが、天使様に言われようがジューリオの中のジューリアへの印象は変わらない。

 ジューリアは呆れたと溜め息を吐いた。



「殿下にその気がないのなら、ご自分から皇太子殿下に言えばいいのでは? 僕はこんな無能の婚約者は嫌だ! って子供みたいに」

「何だと!? 僕を侮辱しているのか!」

「最初に侮辱してきたのは殿下の方です。大体、この婚約を嫌がってるのはご自分だけだと思いますか? 最初に言った通り、私も殿下みたいな人間願い下げですわ」



 最低限の役目さえ果たそうとしないジューリオと結婚するくらいなら、見ず知らずの相手とスピード結婚した方が遥かにマシ。スピード結婚? と反芻され、婚約期間が極めて短い結婚だと教えると瞬時に相貌が憤怒のそれに変わった。

 ヴィルの銀瞳がジッと静かにジューリオを観察していると気付いた。



「お前のような無能が僕を侮辱するだけじゃなく……!」

「殿下、どうか冷静に」



 見兼ねた護衛騎士が二人の間に入りジューリオを落ち着かせるも、激昂しているジューリオに護衛騎士の声は届いていない。護衛騎士を退かせ、ジューリアの側に回ると腕を振り上げた。殴られると反射的に腕で頭と顔を覆ったジューリアの肩が誰かに引き寄せられた。

 硬い物が叩かれる音が響き、側にある温もりを頼りにそっと目を開けると振り下ろした拳を光の障壁に阻まれ呆然としているジューリオがまず目に入って。次に、自分の肩を引き寄せているのがヴィルと解った。見目麗しい美少年の眉間には似合わない皺が入っていた。



「ヴィル……」

「気に食わないからって女の子に暴力をふるうなんて……皇子様はどんな教育を受けてきたの?」

「あ、こ、これ、これ……これも全部……!!」



 顔を青褪め、言い訳を紡ごうとしても、ジューリアを見るとまた変貌する。ふむ、と漏らしたヴィルはジューリアを自分に引き寄せたまま考え込む。



「殿下! お止めください!」



 光の障壁によって動きを止められたジューリオを護衛騎士達がジューリアから離す。抵抗しても彼は子供、あっという間に距離を取られた。隅に控える侍女が駆け寄って来たので大丈夫だと微笑んだ。



「……そうか」

「ヴィル?」

「力を制限された子供の姿ってかなり不便だね。元の姿だったら、一瞬で見抜けたのに」

「どういう事?」



 ジューリアから離れたヴィルは離せと暴れるジューリオを抑える護衛騎士達にすぐに大教会にいるミカエルに連絡を飛ばせと告げた。



「皇子様は悪魔に憑かれてる。ミカエル君に祓ってもらえば、後遺症もなく元通りになるよ」

「! すぐに手配致します!!」



 ジューリオの豹変の理由が悪魔によるものだと天使と説明されているヴィルに言われれば、信じない者はいない。すぐさま、一人が大教会への連絡役で走り去って行った。押さえられているジューリオに近付いたヴィルは激しく抵抗する様を眺め、軈て眇めた。



「上位……いや中位といったところか。どうやって皇子様に憑いた?」

「僕を愚弄する気か!?」

「もうバレてるんだから、人間の振りをしなくてもいいよ」

「っ」



 観念したのか、ジューリオに憑いている悪魔は悔し気に唇を噛み締め、多量の殺気が込められた眼光でヴィルを睨み上げる。涼しい相貌を崩さないヴィル。



「天使が帝国にいるなんて聞いてないぞっ」

「ああ、良かった。君、魔界に戻れない『追放者』だろう? 魔界にも人間界にも居場所を持てず彷徨って此処に行き着いた? 違うかい」

「おれの元々の目的はそこのガキだったんだ!!」



 悪魔がジューリアを見て叫ぶ。



「私?」

「そうだ! どうせ、いなくなっても誰もお前が消えたなんて気付かない、おれが食ったって良いじゃねえか!」

「ああ、うん、前の侍女だったら私がいなくなっても公爵様達には報告しなさそう」



 体調が悪いから部屋から出たくないと我儘を言っていると、多分だが放置されていた。悲観することもなく、予想を淡々と並べるジューリアを護衛騎士達は気の毒な目で見つめた。名門と名高いフローラリア家の令嬢でも、無能と判断されれば扱いは何処も同じになる。



「結界が張られていても入りやすい場所があったからな、そこから侵入して、いつお前を食おうか時期を狙ってたんだ。このガキはお前を大層嫌っているみたいだから、すんなりと入れたぜ」

「そうだと思うよ。初対面の時から嫌われてるから。無能な私は第二皇子に愛される資格はないんだって」



 悪魔の言う入りやすい場所とは、十中八九ジューリアの部屋の結界を指している。本来なら最も濃く厳重に結界を張らないとならなかったのに、当時の執事の独断で一番薄くされていた。悪意はずっとすぐそこにいたのだと分かり背筋が凍る。

 ジューリアを狙う悪魔にしたら、ジューリアを大層嫌うジューリオの登場は絶好の機会。これを逃さず、すんなりと体に入り込んだのは良いが思った以上にジューリアへの嫌いっぷりが強くコントロールが取れなくなった。感情が暴走して予定のない暴力をふるうまでとなった。



「次からは気を付けるんだね」

「次なんてありませんよ」



 冷たく、鋭い声色が飛んだ。


 声の方へ振り向いたヴィルは「ミカエル君」と手を振った。護衛騎士が大急ぎで大教会へ連絡を飛ばしたお陰でミカエルを早くに呼び寄せた。



「だ、大天使!?」



 敵を射抜くアイスブルーの瞳は冷え切っており、護衛騎士からの連絡で急いで来た割に疲れが見れない。転移魔法を使ったんだよ、とこっそりとヴィルが囁いた。転移魔法は、魔法の授業を碌にしてもらえなかったジューリアでも解せる超高難易度の魔法の一つ。大天使なら使えて当然なのかと抱くもそうではないとヴィルに否定された。



「ミカエル君は大天使の中でも特別なんだよ。先陣を切って悪魔を屠る戦闘狂なんだ」

「ヴィル様、誤解を招く言い方はよしてください」

「はは。まあ、とっとと始末しちゃって」

「その前に、皇子の中にいる魔族を追い出すのが先です」



 と言った時点で悪魔は既にジューリオの中から出て来ていた。紫色の光が次第に形を変え、人型となった。腹が出て毛深い中年の男性の姿がジューリオに取り憑いた悪魔の正体。「良いこと教えてあげるよジューリア」とヴィルは魔力量が高い悪魔、とりわけ上位魔族は見目麗しい容姿が多いのだと教える。魔力量が強い程、悪魔は美しくなる。魔族はその筆頭。魔界を統べる魔王は恐ろしくも凄絶な美貌の持ち主なのだと面食いを発動させたら「ああ、今の魔王は羊みたいな奴だよ」と期待を折られた。



「羊……悪魔だから?」

「見た目が羊っぽいんだよ。白髪だし角生えてるし」

「そうなんだ……」



 魔王なのに羊……全く想像が出来ない。外側から慌ただしい足音が響く。そっちに意識が向いた直後、悪魔が壁を突き破って外へ逃走した。すかさず悪魔を追うミカエル。いってらっしゃいと呑気に手を振るヴィルの隣にいるジューリアは、大慌てで駆け込んだマリアージュに事情を説明。悪魔に憑かれていたジューリオの治療を直ちに始める前に、大教会の神官を呼び悪魔の穢れを祓う必要がある。フローラリア家で飼育している伝書鳩を大教会へ飛ばし、眠っているジューリオを客室に運びベッドに寝かせるよう護衛騎士に頼み。迅速に対応する護衛騎士達を眺めているとマリアージュが側に来ていた。



「ジューリアは怪我は?」

「ありません。天使様が助けてくださいました」

「そうですか……。ありがとうございます」



 マリアージュがお礼を述べるとジューリアから離れたヴィルが壊された壁に近付いた。



「あの悪魔曰く、フローラリア家には侵入しやすい場所があったんだって。一度、屋敷外に展開されている結界の見直しをお勧めするよ」

「は、はい」



 瞬時に顔を青褪めたマリアージュに首を傾げるヴィルを「知ってるくせに……」と内心呆れるジューリア。悪魔の感知は神官か天使でしか出来ない、自分を責めないでほしいと労わったヴィルの側に行き耳打ちした。



「天使様みたいヴィル」

「今は天使様の振りをしてるからね」


「仕留めましたよ、ヴィル様」



 飛んで行って十分も経たない内にミカエルは戻って来た。




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