第49話 すべての本質は目に見えないエネルギー
目に見えない存在はすべてエネルギーです。
創造主、天使、ぼくのお話には出てきませんがアセンデッド・マスターと呼ばれる古の賢者たちの魂、そして霊魂や幽霊、愛や心、「引き寄せの法則」などなど。ぼくたちの周囲は目に見えない存在という名のエネルギーにあふれています。
この世に存在する肉体を持つ人々は、科学的には証明されていないこのエネルギーを、それとは気づかないまま利用して生きています。
エネルギーそのものは一種類です。
創造主も、天使も、幽霊も、人間が勝手にいろいろと名前を付けているだけです。不思議なもので、人というのは名前がないと信用できなかったり、受け入れられなかったりするので、同じエネルギーではありますが、TPOや受け取った人によっていろいろな名前がつけられています。
それは小麦粉みたいなものかもしれません。ラーメンやパスタ、うどんになることもあれば、パンやピザ、お好み焼きにたこ焼きまで、元はすべて小麦粉なのに姿かたちや味もいろいろ変化します。それと同じようなものだと考えてください。
同じエネルギーなのに、なぜこれだけ名前があるかというと、受け取る側の判断によるものだからです。
天使と言ってもそれぞれに名前と階級があり、その数は膨大で、とてもすべての名前や階級を覚えることはできません。有名なところではミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルというのが四大天使と呼ばれていますね。
そもそも「すべてはひとつである」ことを前提とすると、階級があるというのも理解に苦しみます。階級とか役割のようなことがあるって、どこか人間社会の香りが漂ってきます。
先ほどから申しあげているとおり、元は一種類しかないエネルギーですから、天使に助けを求めたとしても、助けてくれたのが天使なのかアセンデッド・マスターなのか、それを区別することは難しいんです。そもそも誰でもないわけですしね。
大きなアクシデントやトラブルに巻き込まれた場合、たとえば、交通事故にあったとき、何かの大切な試験で解答が出てこないとき、ペットの病気がひどくなったときなどがありますが、多くの場合、そのときの雰囲気やTPOによって、助けられた人が、誰が助けに来てくれたかを決めてしまいがちです。中には、目に見えない存在が名乗る場合もあるようですが・・・。
そういったことを繰り返しているうちに、目に見えない存在には、いろいろな名前や仕事のようなものが付属していったようです。
創造主も天使もエネルギーですから、姿かたちはありません。当然、エネルギー側からすれば、名前も意味のないことです。
電気で考えてみてください。各家庭に電気が送られてきます。それは照明になり、冷蔵庫になり、電子レンジになりと、いろいろなものを動かしていますが、どの家電の原動力になるかで電気の名前が変わることはありません。それと同じです。目に見えない存在というエネルギーは一種類で、それがどんな働きをするかだけです。
人は名前をつけたがりますが、名前をつけて区別することは脳の省エネ対策です。
そうは言っても、すべての物事や事柄、出来事のひとつひとつに名前をつけて記憶することは、あまりにも膨大な情報量になってしまいます。それではいざというとき記憶をよみがえらせて「これは何か」という自分の問いに、瞬発力を持って答えが出せません。内容が整理されていない百科事典の中から情報を探すようなものです。
例えば、脳の入り口付近に、大きな箱が三つ、用意されているとします。この三つの区分は人それぞれですが、ここでは「赤」、「青」、「それ以外」という箱があるとします。脳は赤っぽければ「赤」の箱、青っぽいと判断すれば「青」の箱に入れます。赤でも青でもない黄色や緑はそれ以外に入れます。また、赤紫や青紫といった中間色のものは、そのときの判断か、「それ以外」に入れてしまいます。
まず最初の記憶というのは、この状態です。大雑把に分けていて、必要なときにすぐ出せるような仕組みです。
次の段階で、頻繁に使う名前や、気にかけている名前を細かく区分していきます。
細かく区分するためには、細かく名前をつけていかないと区分しにくいので、「赤紫」とか「青紫」というふうに名前をつけます。そのとき、新たに「赤紫の箱」や「青紫の箱」という箱が用意されます。
初対面だけど大切な人の名前が覚えられないとき、特徴などからあだ名をつけて覚えようとしますが、それもこのシステムのためです。なんとか分別したいのです。
この記憶システムのせいで、目に見えない存在というエネルギーに、あれこれと名前をつけて分別していったのだと思われます。
さらに脳というのは比較して記憶する性質もあります。「白ではないから黒」という記憶の方法です。この性質のせいで、天使には階級がつくことになります。オールマイティーに何でも出来る天使に、階級など本当なら不必要です。こういうところも人間のエゴが出まくっているように思います。区別や分別、階級や仕事内容など、どう考えても人が集まったときに、誰が偉いか、誰が責任者なのかを決めているように見えてしまいます。しかし天使はオールマイティー。もうひとつ突っ込むと一種類のエネルギーです。
そうやって、天使さまと言って崇拝しているはずの相手に格付けをする。どれだけ人間のエゴが強いか、よく分かると思います。
しかしこれには問題があります。
名前がつくとそれは物質になり、物質になればいつかは滅ぶことになるということです。
不思議に思われる方がいるかも知れません。創造主や天使など、目には見えないとさんざん言ってますからね。目で見えなければ非物質じゃないのか、と。
人は先ほどお話した脳のシステムのために、すべてに名前をつけようとします。名前をつけられたモノは、その存在の有無にかかわらず、人の頭の中で実体があるものと認識されます。そこでやっと区分のシステムに収められます。
名前があれば、その物質自体がなくても存在するものと認識されます。情報や嘘、デマなどがそうです。
そして名前がついたモノは、物質であればいつかからなず物理的に滅びます。物質としてモノが存在しないモノは、人々の記憶の中で滅びます。記憶にない、覚えていないという状態ですね。
また、愛とか心というのも、物質としては存在しないのに名前がついています。やはりこれらも名前がついた以上滅びるようになります。「愛が壊れた」とか「「心が壊れた」という言葉を聞いたことがある方、きっといると思います。でも本物の愛や心がなくなるわけではありません。
言葉を使っている以上、どうしても多くの人の中で、共通の認識を共有しなければ話が進みませんから、ぼくはあえて、伝わりやすい単語や名称を使うように気をつけてはいます。
こういったお話を書かせていただく上でいつも思っていることは、どのお話にしても言葉で伝わるものではなく、体験がすべてです。だからといって「体験してください」、「体験を味わってください」とだけ書いたところで、何のことだか意味が分からないので、あえて、共通しているだろう言葉を選んで書くようにしています。
ぼく自身は、日常的に創造主や天使、愛や心という言葉を、そこまで重要視していません。というか、どうでもいいぐらいです。それよりも「今・ここ」での体験を味わって、それが楽しければそれでいいと思っています。そして感謝する。その対象が天使であれご先祖さんであれ、ぼくにとっては同じものという感じです。
ぼくの話はさておき、こうして名前がつくものは、脳の中で存在するものとして、認識されてきた結果、「目に見えない不思議な力」から、創造主や天使といった、区分された存在が生まれました。
しかしこれはすべて人間の主観であり、電気の例えでもお話ししたとおり、区分するためにつけられた名前、というだけであって、本質であるものは、ひとつの強力なエネルギーとして「今・ここ」にも存在しています。
たとえば、空気は地上のすべてを覆いつくしています。人間に限定して言うと、間違いなく誰もが空気を吸って生きています。が、その空気は個人のものとして存在しているわけではありません。大きな空気のかたまりがあって、その中で人が生きています。宇宙で言うとダークマターみたいなことなのかもしれません。
魂も含め、目に見えないエネルギーも同じことです。大きなエネルギーがあり、その中で人が利用したり受け取ったりして生きています。つまり、あなたとあなたの隣の人のあいだには、目に見えないエネルギーが満ちていて、同じエネルギーを利用して生きているということです。
そのエネルギーは最初にも書いたとおり、創造主であり、天使であり、霊であり、愛でもあるわけです。
なので、あなたが天使と考えれば天使に見えるでしょうし、ご先祖様と考えれば、亡くなったおじいちゃんの姿を見ることになるかもしれません。そのエネルギーの中にすべてがあるわけですから。使いかたによっては、スプーンを曲げる力になるかもしれませんし、霊と会話する糸電話になるかもしれません。
この世界のすべては、たった一種類のエネルギーだけで出来ていて、そのこと自体を「創造主」と名前をつけて呼んでいます。すべては創造主の手のひらの上で起こっている、と考えられます。そもそも何者でもない、「大いなる意思」として考えてもいいのかもしれません。
過去も未来も、この世もあの世も、三次元も六次元も、すべてがこのエネルギーによって存在できています。例えるなら、ゲーム機本体が目に見えないエネルギーで、プレイヤーが魂で、この世に存在する物質的なぼくたちはゲーム内のキャラクター、と考えると伝わるでしょうか。ぼくらが見ているこの世はRPG内のフィールドや町と同じです。電気が止まってゲーム機本体の電源が落ちれば、すべては消滅します。魂がリセットボタンを押せばゲームは途中で消えてしまいます。ゲームの内のキャラクターは自分の人生という冒険を続ける以外の選択肢はありません。本当であれば、自ら姿を消すなんてことは起こってはいけないことなんです。
また目に見えないエネルギー、あるいは「大いなる意思」は、ポジティブしかありません。肯定することによってのみ存在しています。すべてを受け入れて許しています。否定はありません。「大いなる意思」に否定がないからこそ、すべてが許され、人間社会の中に犯罪者が生まれたり、戦争を始めてしまう人が生まれてきます。
一般的に悪いとされる行いをする人は、目に見えないエネルギーを利用していると言っても、エゴに囚われて生きています。エゴに囚われて生きている人は、けっして幸せになることはありません。一時的な快楽や喜びは得られるでしょうが、その裏でいつも不安や恐れに囲まれています。そしてまたエゴの言いなりになっていく。その繰り返しが雪だるま式に膨らんでいくんです。
もっと目に見えないエネルギーに含まれるポジティブの力を利用して、恐れや不安を手放すことができれば、裏表のない、ただただ幸せで喜びに満ちた生きかたができるはずなんです。
「目に見えないから無い」ではなく、「目に見えるもののまだ外側があるかもしれない」、だから試しに「目に見えなくても信じてみる」というのもありではないでしょうか。そこから見えるものもたくさんあると思いますよ。
まずは信じてみることをお勧めします。行き止まりにたどり着く前に自ら止まってしまっては、それが正解の道かどうかも分かりません。否定から生まれるものは何もありません。
目に見えないエネルギーは誰も区別しませんし、完全なる平等です。あとはそれを利用する側の受け取りかた次第です。
ただのエネルギーですから使いたい放題です。減ることもありません。使えばすぐに補充されます。どう使おうが、何に使おうが自由です。もちろん無料です。
これが真実の「愛」の姿です。
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