第6話 得意満面

 朝早くから彼女は仕事を始めている。


 忙しなく調べ物をしてはメモを取り、いつになく熱心に取り組んでいるように見えた。これまで彼女が仕事に対して意欲がなかったわけではない。


 ただ立て続けに転生者から異世界への転生を拒絶された上、ポッとでの俺が相手を上手く説得するのだ。面白いわけがないのだろう。


 なぜ唐突にここまでやる気を出したのかわからないがこれを利用しない手はない。



「次の転生者について考えがあるんだ。」


 声を掛けると彼女は先程までメモをとっていたノートを閉じ、デスクの引き出しへとしまう。


「何?」


「次の転生者は若い。まずはマウントを取る。」


「……マウント……知ってるわ。」


 意外だった。

 彼女には日常的に言葉が通じないことが多々あったが、今回はすんなりと話が進みそうだ。



 現世では神様が全知全能だと勘違いしている人間が大半だ。俺もその内の一人であった。

 せっかくなので、それを利用し交渉を優位に進めるべきだろう。


「どうして前回は教えてくれなかったの。」


 表情からはわかりにくいが、声から少し怒っているように感じた。


「あの人は駄目だ。あの年齢の人に虚勢は通じない。俺達の本性なんて直ぐに見透かされる。」


「次の転生者はそうじゃない……?」


「十中八九な。」


 アイリスは納得した様子だ。


「よし。練習してみるか。」


 俺が『転生者の役』となり、彼女は俺を異世界へ転生するよう説得する。


 執務室の中央奥にある豪華な椅子に彼女が座り、真向かいの少し離れた場所に椅子を置くと練習は始まった。


「異世界へ転生して、魔王を討伐してください。」


(……まぁ、いいだろう。)


「そんなこと……急に言われても……。」


(さぁ、どうやってマウントをとる。)


 彼女は不意に立ち上がると全速力で俺に向かって駆け寄って来る。


「お、おい!!なっ……!」


 勢いを殺すことなく、そのまま俺へと飛び込む。

 躊躇なく、遠慮なく、全力で。



 俺と彼女と椅子が宙へと舞った。


 時間が仕事を放棄したのか、それともアイリスの魔法なのか、俺と彼女はしばらく宙に浮いているように感じた。その刹那、二人とも地面に叩きつけられる。


 ダン!カタカタカタ…………カタ。


 部屋には椅子の転がる音だけが響いた。


「……ッ!お前……!」


 背中の痛みと怒りを堪え、状況を確認する。

 仰向け倒れた俺に彼女は馬乗りなっていた。


「…………何のつもりだ。」


「マウントを取ったわ。」


 俺は物理的にマウントポジションを取られた。



 素直に彼女の言葉を信じた俺が悪いのか、それとも俺の言葉の選択を誤ったか。どちらにせよ今の状況は色々な意味でい。


「とりあえず、降りろ。」


「……どうして?」


 俺の言葉に彼女は素直に疑問も投げかける。

 本当に意味がわかっていないようである。


「説明するから先に降りろ。」


「……!」


 アイリスは何かに気づいた顔をした。

 感情が表に出にくい彼女の表情を最近では読み取れる様になってきた。


「駄目です。」


 彼女が何を思いついたのか理解はできないが、そんな思いつきに付き合う義理はない。俺と彼女の体格差を考えれば、この状態から抜け出すことは容易だ。


 両手を地面につけ上体を起こそうとすると、彼女は俺の両肩を押さえて起き上がることを許さない。


「無駄です。」


 俺の両腕を押さえるため、前のめりになった彼女の前髪が顔を掠め、甘い匂いが鼻をくすぐる。


「頼むから降りろ。」


「転生を約束してくれるまでは退きません。」


 理解できた。

 彼女は未だにこれも練習の一貫だと考えているのだろう。


「練習は終わりだ。頼むから早く降りてくれ。」


「こんなに短い時間だと練習にならないわ。」


 俺も男だ。美女が馬乗りになり吐息を吹きかけ続けられ何も感じないわけがない。


「マウントの意味が違うんだよ!」


「そうなの?」


「だから、降りてくれ。」


 今度こそは彼女は素直に俺から降りた。


「何が違っていたのかしら?」


 彼女にマウントの意味を説明すると素直に納得した。その後は先程と同じくデスクに向かいノートを取り出し調べ物を始めた。


「……この作戦はナシだ。」


「そう。」


 あまりにも簡単に了承した彼女に対し、いくばくのかの疑問を持ちながらも今は深く追及する余力はなかった。


 俺は椅子を立て座ると横目で彼女を見る。そこには普段は見せない顔があった。


 ……ワザとじゃない……よな?

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