錬金術師の望郷

春風落花

Act.0


 夜、街を歩いていると思うことがある。


 まるで、街全体が一つの生き物になったかのように。


 消えることのない明かりはせわしなく動く眼球みたいで。


 人の足音と話し声は何かを訴える鳴き声に聞こえる。


 他人を、他人が作ったものたちを1つにくくって感じてしまうのはきっと。僕と他者との隔たりがどうしようもなく大きいからだろう。


 思い込んでいる孤独が寂しくもあるけれど、どこか心地よくて、安心するから僕はこれでいいのだと思う。


 コートの襟をすり合わせて、当てもなく歩いていく。


 「もうすぐ、そっちに行くよ」


 足元から、声が聞こえてくる。視線を落とせば、夜景に照らされた薄い自分の影に、真っ青な裂け目が漂っていた。


 すでに見慣れてはいるけれど、やっぱり少し不気味だ。


 「了解」


 短く返して、僕は冬の夜空に向かって幾度となく繰り返した言葉を投げかける。


 雑踏に紛れて誰にも届かなかった呪いの言葉は、けれど確かに、世界からの返答が返ってきた。


 








 ◆◆◆


 








 どんよりとした夜空を、淡い緑色の閃光が駆け抜ける。


 閃光は、白い息を吐いていた。


 終電を逃してうろつく人間たちの間をすり抜け、閃光はビルの屋上まで駆け上がる。


 動物はおろか、機械にだって不可能な挙動を見せた閃光。屋上から眼下を見下ろし、息を整えているそれは獣の姿をしていた。


 例えるなら人狼。狼を無理やり二足歩行させたように歪で、それでいて荒々しい風格を伴った姿。


 「獣かあ」


 誰かの声が聞こえて、人狼は弾かれたように振り返る。


 が、そこには誰の姿も見えない。


 「獣としての習性を引き出してるのか。よく理性を失わないでいられる」


 声は聞こえる。


 人狼は鼻をヒクつかせてみる。強化された嗅覚が捉えたのは、コンクリートと排気ガスの匂いだけだ。


 「それとも、遺伝子関係かな。まあ、どちらにせよ」


 瞬間、人狼の体から線上に血液が吹き上がる。一瞬で鎖骨と太ももを切り裂かれた人狼は、うめき声をあげる余裕すらなかった。


 「魔術らしい魔術だ。あまり僕好みじゃない」


 痛みと衝撃でうずくまった人狼の目の前には、いつの間にか男が立っていた。黒いズボンに灰色の襟付きシャツ。白いフード付きのコートを羽織った、二十歳前くらいの少年だ。


 波打つような長い黒髪を、都会の冷たい空気がなぶる。


 「ぎ、ざまっ。か」


 人狼がしゃがれた声を出す。獣の五感で感じ取れなかった攻撃にあえぎながら、それでも爛々と光る目は捕食者のそれだ。


 「そうだよ。・・・ふむ、僕もうまく話せるようになってきたな」


 人狼から視線を外して、警戒心どころか興味すら無いといった様子で少年は独り言を続ける。


 歳に恐ろしく似合わない静かな話し方が、どこか浮世離れした印象をかたどっていた。


 「Gyaaaaaaa!‼」


 少年の視線が外れた瞬間、人狼は血と咆哮を迸らせながら襲いかかる。このチャンスを無駄にしないために、少年の頭ほどもある巨大な鉤爪を振りかぶり、叩きつける。


 「ーーー」


 少年が何かをつぶやいた。薄い唇で、何かを。


 人一人を惨殺し、コンクリートの床をえぐり取るはずだった爪はそれだけで霧散する。


 人狼の姿を作っていた緑色が消え、中から1人の老人が現れた。


 呆然とした表情の老人から、ズルリと何かが滑り落ちる。


 チーズフォンデュみたいに血液を滴らせて落ちたそれは、綺麗に切断された老人の両腕だった。


 老人の背後で、甲高い風切り音が響く。人の腕をいとも簡単に切断してのけた黄金色の薄いブレスレットが2枚、ブーメランのように旋回して少年のもとに帰ってくる。


 いつの間にか、少年の両腕には3枚ずつ同じようなブレスレットが涼し気な音を奏でいていた。


 否、それは装飾品などではない。ブレスレットをかたどった、戦輪チャクラムだった。


 戦輪たちは物理法則を無視した挙動を見せ、かすかな火花を散らしながら少年の腕へと戻る。


 「お、お前は、なんなんだっ」


 地面に伏し、両肩からインク壺みたいに血を垂れ流す老人が吐き出すように問を投げる。


 死の間際にあってなお、老人の頭の中には疑問符が一杯に詰まっていた。


 魔術は魔術師それぞれの特徴を、人格を反映するものだ。他人から見た自分の性格、それを世界に押し付けることで魔術は魔術として物理法則に干渉し、超常のものとなる。


 破壊衝動が強いものなら触れたものを破壊する術だったり、炎や雷を発生させる。


 他者を慈しむ者なら、傷を癒やしたり、時間を回帰させるような術を組み上げる。


 老人は生まれつき体が弱かった。だからこそ、雄々しく生きる獣たちに強い憧れを抱き、それが魔術になった。


 魔術は、己を表し、押し付けるすべ


 長く魔術に携わり、獣としての第六感を持つ人間だからこそ、老人は目の前の少年に異常を感じ取った。


 少年の魔術には、熱がない。


 自分を表してやろうとする、気概。ここに自分がいるのだと叫ぶ情熱。


 それらが一切感じられないくせに、術としての強度は恐ろしく高い。


 「・・・君たちは、」


 老人を見下ろしながら、少年はつぶやくように言う。


 「世界に自分を押し付ける。自分がどんな人間なのかを叫ぶように伝えてる」


 「けど、そんなこと世界は言われなくても知ってるのさ。だって僕たちは世界から生まれて、世界で生きているのだから」


 必死に自分を見てくれ、なんて言う必要はない。


 自分のことなんて、自分以上に世界のほうがよく知っているのだから。


 少年の静かな瞳は、どこか遠くを俯瞰するように見ていた。人ではなく、物ではなく。その奥にある、何かを。


 「ま、まさかお前は、」


 魔術師とはまるで正反対の考え方。


 酸素にあえぐ老人の脳みその中に、最後のひらめきが宿る。


 「お前は魔術師ではなく───────!」


 それを最後まで口にすることもなく。


 世界の記憶にまた1つ、”死”という出来事が刻まれた。


 








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