第6話
東京というのは不思議な街だ。
桜子は占いと書かれた四角い雪洞が置かれた机に座りながら、街を歩く人影を見つめた。
ビルの合間から差し込む光が、赤から紫に近づく夕暮れ。
人の頭の上には様々な感情が乗っている。
夕飯、何にしようかな。
この後、デートだ。
あのくそ上司。
マジでピー。
ピンクやら、青やら、虹色まで、見ているだけで目が疲れる。
その中でも気分が悪くなるのが、悪意の塊の黒だった。
桜子はため息をつきながら、頭を軽く振る。
『大崎さん、その灰色のパンツスーツを着てる女の人に声かけて』
『了解』
メッセージを送るとすぐに返事が返ってきた。
視線だけで様子を伺うと、桜子が指定した人物に一直線に向かっている。
少しだけ力を抜いて、占いの準備に入る。エリカも手伝ってくれた。
桜子が見て、夏音が連れてくる。占いの間に、エリカが悪意を払う。
そういう手はずだ。
「占い、どうですかー」
ナンパ師顔負けの自然さで夏音が、スーツの女に近寄る。
桜子は目を細めた。
黒いモヤが夏音を襲おうと、大きく広がり近づく。
クリオネの捕食シーンのような動きに、桜子は頬をひきつらせた。
「うわ」
「……醜悪ね」
エリカも眉間に皺を寄せている。
こくりと頷く。
普通の人間なら、多かれ少なかれ悪意を貰うだろう。
だがーー夏音は再検査してもらった方が良い。桜子はそう思った。
「え?」
「今ならお安くしておきますよ。お姉さん、なんだか悩んでるみたいだし」
夏音を取り囲もうとした悪意が、ぱんと透明なガラスにぶつかったようにはじき返される。
桜子は目を細めた。
最初見た時は、見間違いかと思った。
しかし、こうもたびたび起こるのであれば、間違いではない。
夏音は読めないだけでなく、一切の人の感情を近づけさせない体質なのだ。
「夏音は人たらしの性格があるわね」
「同意しますわ」
狙っていた客をきっちり連れてきてくれた夏音に、桜子とエリカは顔を見合わせ苦笑した。
「これも仕事なの?」
雪洞を倒して店じまいを始めた桜子に、さすがに疲れたのか、ビルの壁に背中をつけた夏音が尋ねてくる。
仕事以外でこんなことをする人間がいるだろうか。
ふと浮かんだ疑問を静かに沈めて、桜子は頷いた。
「そやね」
机の上の物を片付ける。
占いは、なぜか終わり際に駆け込んでくる人がいる。
今日はよく働いたため、さっさと撤収したい。
その思いが手を動かさせるが、夏音から視線が突き刺さる。一度手を止め、肩を回すエリカを指さす。
「エリカはんがうまく払ってくれるから、違和感はないやろ?」
桜子の言葉に、エリカが「なに?」と首を傾げた。
夏音の注目は予想通りエリカに移ってくれたらしい。
さらに桜子は言葉を続ける。
「風っていうのは、都会で吹いても違和感ないからなぁ」
ふふんと胸を張るエリカを横目に、手を再び動かした。
実際、エリカの払い方は綺麗だ。
桜子が占いで注意を引き付けている間に、悪意だけ綺麗に吹き飛ばしてしまう。
言葉にしたことはないが、こういう人間がいるから人の世は回っているのだろう。
「呼び込み、もっとする?」
キラキラと夏音の瞳が輝いている。
桜子ははぁとため息をつくと、顔の前で何度か手を振った。
「えー、もうええよ。10近くは見ただろうし。いつもより働いたわ」
「そうなの?」
「あんさんは人を連れてくるのが上手いなぁ」
桜子はよく見える。悪意を見逃すことはない。
だけれど、その人物を占いへ引っ張れるかとなると、半々が良いところ。
エリカはさらに極端で、男だったら全部連れてくるし、女だったら誰も来ない。
夏音の百発百中を見てしまうと、比べるのもおこがましいほどだ。
頷いているエリカも桜子と同意見らしい。
「ホント。それにして前より悪意、多くない?」
「そうかぁ?」
エリカの提案に桜子は首を傾げた。
桜子にとって、世の中は悪意に溢れている。
多くなった気もしなければ、少なくなった気もしない。
そんな桜子にエリカは両手を上げて肩を竦めた。
「見えすぎるってのも困るわね。多いわよ。アタシでさえ、見えるレベルだもの」
「あー、そういうこと」
桜子は唇を尖らせた。
見たくて見てるわけではない。
勝手に見える桜子にとって、あるレベル以上の悪意しか見えないエリカたちは羨ましくさえあった。
「どういうこと?」
「普通の異能者……桜子みたいにばっちり見える人じゃなくて、アタシみたいな物理の能力者ねーーそれでも見えるから」
夏音が首をかしげてエリカに聞いている。
疑問をすぐ聞けるところも、夏音のコミュニケーション能力の高さを示している気がした。
エリカの説明に、夏音が目を見開く。
「え、エリカちゃんは見えないの?」
「見えないのが普通なの!」
ぷくりとエリカの頬が膨らんだ。
自分の能力に自信のあるエリカは、見える方が珍しいと力説している。
見える桜子としては、見えない方がよい。
夏音は桜子とエリカの顔を交互に見た後、おずおずと口を開いた。
「じゃ、すみれさんって」
すみれ。
その名前が出ただけで、反射的に言葉が転がり落ちる。
「あれは特殊や」
「すみれさんは天才だもの」
桜子とエリカは顔を見合わせた。
夏音は苦笑している。
見れて、消せる。そんな能力は、特殊で特別なものに違いなかった。
続く言葉を失くし、沈黙が流れ始めたところに。
「あのー……占い、お願いできますか?」
声がかかる。
逃げ遅れた。
桜子は倒していた雪洞をもう一度立てる。
エリカと夏音は周囲を見るためにばらけていく。
「はーい」
こうなりたくなかったから、さっさと片付けたかったのに。
桜子はため息を飲み込みながら、仕事にとりかかった。
※
最後の客が帰ると、ビルの合間から見える空はすっかり群青色になっていた。
星空の代わりに高層ビルの明かりが眩しい。
座りっぱなしの体をほぐすように桜子は伸びをした。
「結局1日がかりになったな」
「ほんとだね」
朝からよく働いた。
最後のだけハプニングに近かったが、それ以外は全部当たり。
エリカなど悪意を払う必要がないと知ったら、一足先に帰ってしまった。
まったく薄情な人間だ。
それに比べて夏音は面倒見がよいのか、終わるまで待っていてくれたようだ。
「スゴイね、めっちゃ当たってたじゃん」
「そりゃ、見えるからな」
今度こそ勢いよくすべてを片付けだした桜子に、夏音からお褒めの言葉が降ってくる。
ついでに道具をしまうのも手伝ってくれるあたり、人付き合いのよさというか、人間関係構築の上手さを感じた。
桜子としては見えるものを言ってあげただけだ。
いなくなった姉なら、もっとうまくやるだろう。
それでも夏音は引かず、唇を尖らせた。
「違うよ、桜子ちゃんがきちんとと聞いてあげたからだよ」
「モヤモヤした感情なんて、溜めないほうがええに決まっとやん」
大したことないと、手のひらをパタパタと振る。
エリカみたいに風で吹き飛ばせるなら、まだしも、桜子にそういう力はない。
ひたすらガス抜きに徹しただけだ。
それでも、夏音は笑顔を崩さない。
「スゴイね!」
「はぁ、あんさんに言わせれば、全部スゴイになりそうやな」
わざとらしくため息をつき、頬に手を当てる。
すでに道具は鞄の中に納まっていた。
何を言うまでもなく、一番重いだろう鞄を夏音が持ってくれる。
こういうところが、ホントに、もう。
桜子は口端をほんの少しだけ釣り上げる。
「甘いものでも食べて帰らへん?」
「うん、行こ行こ!」
仕事も終わった。少しだけでも悪意は払った。
今の気分に甘いものがあわされば最高だ。
そんな能天気なことを桜子は思っていたのだ。
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