25.ソコから先は雰囲気次第!

 彼方かなたからとどく声のような光だった。


 晴天の月に重なって、ささやかに歌うような、赤い光だった。


 最初は一つ、次に月を囲んで輪の形、そして放射状に、と、次第次第に増えていく。昼に夜空の星を広げるように、やがて天之川あまのがわがいくつも交差するように、太陽光の青い大気拡散に、無数の赤い光のつぶにじんでいった。


 ほんの少し、風が乱れて、地面がゆれた。一つだけ白い月に重なっている赤い光が、歌声のオクターブを高らかに上げるように、またたきを強くした。


 愕然がくぜんと見ていた二人、志津花しづか桃花ももかが、一本指を立てたまま、もっと愕然がくぜんとしていた暁斗あきとに視線を刺す。


「いつから預言者など始めたのですか」


「ちょっと鳴上なるかみ! カッコつけて、なにしてくれてんのさっ?」


「いや、違うだろ! これは、さすがに!」


 また、地面がゆれた。大きくはないが、遠く、深くからとどろいてくる、呼び声のような地響じひびきだ。風も、ゆるやかに方向が乱れ続けていた。


 志津花しづかが、もう一度、月を見上げた。


「……みずからの存在確率を情報化、次元縦波干渉じげんたてなみかんしょう特性体とくせいたいの座標周囲に超空間並列共振ちょうくうかんへいれつきょうしん。そして太陽系……いえ、銀河系の星間物質を凝集ぎょうしゅうさせて、質量を再構成した、と」


 特性体のゆいは、月にいる。


 そして月軌道の内側を、天球儀てんきゅうぎおおうように、全宇宙から敵性群体てきせいぐんたいの星雲が集結した。本来の総質量には及ばないとしても、一天体いちてんたいの座標に存在するには、膨大ぼうだいすぎる質量だ。極小時間きょくしょうじかん極大変化きょくだいへんかで、すでに地球の自転、公転、潮汐力ちょうせきりょくに影響があらわれていた。


「ぼくたちと同じように、やって見せたってこと……?」


「どんなことも、と言っておいてなんだが……驚いた。やつら、神の力に、欠片かけらはしを触れてやがる……っ!」


 桃花ももか暁斗あきとが、表情を引きめる。増え続ける赤い光の星空は、五月の晴天を、もう薄暗くかげらせ始めていた。



********************



 月の地表から、連鎖結節れんさけっせつの尾を長く伸ばして、鉱物結晶こうぶつけっしょう大蛇おおへび宇宙そらを泳いでいた。突端とったんに八節の太い蛇腹じゃばらがあり、四節目に大きく樹冠じゅかんを広げたような翼が左右一対、一節目に巨大なあぎとが開いて、その上で帆船はんせんのフィギュアヘッドのように、鉱物質こうぶつしつ表層外殻ひょうそうがいかく白衣しらぎぬまとゆいの上半身が微笑ほほえんでいた。


「大きくても、中くらいの彗星すいせいサイズかな……みんな、ずいぶん軽くなっちゃったね。ダイエットも良し悪しなんだけど」


『ふふーん! うらやましい? うらやましい?』


「うらやましくなんかないですぅー。個体質量なら、あたしが圧倒的にスマートなんですぅー」


『成功体験の話をしてるんだよ、ゆいちゃんさま』


「はい、おしまーい! この話、おしまーい!」


 ゆいが、両腕をばたつかせた。


 言葉を発するたび、関節を動かすたびに、可動部の表層外殻ひょうそうがいかくがひび割れて、また融着ゆうちゃくする。赤い粒子りゅうしの光が、表層外殻ひょうそうがいかくを走る。ゆいから大蛇おおへびあぎとへ、大蛇おおへびあぎとからゆいへ、会話に追随ついずいして粒子光りゅうしこう走査そうさする。


 ひとしきり、粒子光りゅうしこうを無駄使いして、ゆいがことさら威儀いぎを正すように咳払せきばらいをする。


「まあ、しょうがないんだけどさ……やっぱり、ゆうくんたちがいるせいなのかな。地球に直接、重なったりはできないんだね」


『できれば、手っとり早かったんだけどねー』


 ゆい大蛇おおへびの、透明がにごひとみ虹彩こうさいが、向かう先をまっすぐに見据えた。


『でも、それじゃデートが、盛り上がらないでしょ?』


「まーね。デートは結果を急がず、過程を楽しまなくちゃ! ソコから先は雰囲気次第!」


 ゆいが、存在しない大気を深呼吸するように、背中と両腕をそらす。大蛇おおへびが、泳ぐ身体を雄大にくゆらせた。


 そう、泳いでいた。鉱物結晶こうぶつけっしょう大蛇おおへびは、長い連鎖結節れんさけっせつの尾を引いて、宇宙そらを泳いでいた。


 連鎖結節れんさけっせつは各個が分裂して、長さを増していく。だが、泳ぐ方がずっと速い。


 尾が連なる最後端さいこうたんの大質量、月を、軌道から外して移動させていた。月の裏側は全面積が赤く輝いて、太陽光さえも追い風に受け、推進していた。


 地球へ、事象じしょう特異点とくいてんへ。同じ赤い光の鉱物結晶こうぶつけっしょう、単一にして全の無機生命体、天球てんきゅうを染め尽くした八百万やおよろず同胞はらからを従えて、運命にあらがう叛逆はんぎゃく遠呂智おろち天降あまくだる。


「『ねえ、神さま』」


 ゆい遠呂智おろちの、声が一つに重なった。



********************



 今度こそ、混乱と恐怖が、全地球規模の爆発的感染拡大パンデミックとなった。極東の地方都市で発生した、真実味の薄かった特異災害とくいさいがいが、これ以上ないくらい明確な現実で全世界の空をめた。無数の赤い光が、地表の昼側でも夜側でも、見上げる宇宙にまたたいた。


 またたいている。動いている。


 すべてが、少しずつ大きくなっている。近づいている。


 人工衛星や光学観測器、軍事レーダーなどのあらゆる測定数値が、常識的ではない現象を科学的に保証した。


 井之森市いのもりし惨状さんじょうと、虚実きょじつの入り混じった情報が、インターネットを駆けめぐった。日本国自衛隊の、現在進行形の実働記録が、各国政府のホットラインで共有された。お互いを複雑に照準していた兵器という兵器が、歴史上で恐らく初めて、一斉に惑星わくせいの外を向いた。


 多くの敬虔けいけんな人々が、人種と地域で細分化された各々の宗教概念ごとに、神と定義される存在に祈った。早々に自暴自棄じぼうじきとなった犯罪も、金融相場の乱高下らんこうげも、ついでのように発生した。


 爆発的感染拡大パンデミックの、今や坩堝るつぼの中心となった井之森市いのもりしは、逆に、奇妙な静けさの中にいた。


 立入禁止指定区域の外側では、生き残った人たちが寄りいながら、日々の生活を送っていた。中心部から二駅を離れた街の、ゆうの住むマンションでも、父親と母親が少し早い夕食の後に、アップルティーをれていた。


 夕暮れ時でも、またたく赤い光の星空だ。これまでとは違う風景の中に、これまでと同じような二人の姿を見て、ゆう安堵あんどした。


 ゆうはマンションの外の路上に立って、頭上の、部屋の明かりを見ていた。多分、神として拡張かくちょうしている知覚が、部屋の中の様子までを明確に、認識に結像けつぞうしていた。

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