22.認識を整理します

 サーガンディオンが立ち尽くす。


 両脚を広く踏みしめて、繰り返し襲来する甲虫こうちゅうたちと衝撃波に、向かい立つ。自らを駆る意思が失われても、その強固な鎧装がいそうに包んだものを守るように、立ち続ける。


 サーガンディオンの外側で、市街が崩壊していく。人が死んでいく。


 翅翼しよくをうならせた甲虫こうちゅう飛翔ひしょうし、雲霞うんかのようにあふれた子蜘蛛こぐも蹂躪じゅうりんする。


「ごめん……」


 神威しんい顕現けんげんは、それらの攻撃にも傷一つわない。駆逐戦闘特化筐体くちくせんとうとっかきょうたいの力は、それらすべてを一瞬で破壊することができる。てんの上下に自身の一柱いっちゅうのみ、荒ぶる白銀大神しろがねのおおがみだ。


 それが、なんの役に立つのか。


「本当に……いい神さま、なんかじゃ……」


 今ここで、もう救えない人や街を敵性群体てきせいぐんたいごと消滅させて、地球生命は充分に残っているから良しとするのか。そんなことはできないから、敵性群体てきせいぐんたいだけになるまで手をこまねいて、仕方がなく力をふるうのか。


「カッコいい、ヒーローなんかじゃ……俺は……」


 世界の危機より自分の気持ちを、世界中のみんなより一人だけを、選びたかった。それは敵性群体てきせいぐんたい並列共有知能へいれつきょうゆうちのうで集合意識を構成していたゆいも同じだ。同じだったことが、今わかった。


 本当の言葉を交わしたあの場所で、鉱物粒子こうぶつりゅうしの輝きにまっていた、ゆいひとみ虹彩こうさいを思い出す。絶滅を押しつけられた他のみんなより自分を、有機生命体の身体を得ていた自分一人を、選ばなかった。


 ゆうを見つめていたあの時、ゆいはなにを、ゆうに求めていたのか。


「ごめん、ゆいちゃん……俺は……」


 サーガンディオンの頭郭最深槽とうかくさいしんそう、神の認識の視座しざで、ゆうの視界が涙にぼやけた。


 ぼやけた色が、全天周囲の空が、変わった。


 きざしはわずかで、次の瞬間に、突然だった。


 南の空から、太陽の光を塗りつぶすように、虹色の輝きが広がった。輝きの中で、なお輝く白銀が、空から舞い降りた。あお燐光りんこう白炎びゃくえん煌流こうりゅうが、おおとりのような左右で五対の十翼を、羽ばたかせた。


 燐光りんこう煌流こうりゅう羽衣はごろものようにまとった十翼鳥じゅうよくちょうが、閃火せんかの剣となって、サーガンディオンを囲い飛翔ひしょうする甲虫こうちゅうの一体を斬り裂いた。


 そう見えた。十翼鳥じゅうよくちょう閃火せんかが触れた甲虫こうちゅうは、一瞬にも満たない灼熱光しゃくねつこうを残して、粒子の気体に昇華した。


 直線軌道も、旋回軌道せんかいきどうも、甲虫こうちゅうたちをはるかに凌駕りょうがする速さで、十翼鳥じゅうよくちょうが空を駆ける。音速域の衝撃波さえ自己吸収する、超常ちょうじょうの加速だ。十体あまりの甲虫こうちゅうたちが、次々と灼熱光しゃくねつこうに染められていく。


「な……?」


 ゆうが、ようやく声をもらした。視界に、認識が追いついた。


 そしてまた、今度は西の空から、同質の虹色の輝きが重なった。輝きがうずを巻いて、やはりあお燐光りんこう白炎びゃくえん煌流こうりゅうはしらせた白銀の装鱗そうりんに、双角双鬚そうかくそうしゅ四肢五爪ししごそうの長大な竜がおどり出た。


 市街を睥睨へいげいした五爪竜ごそうりゅうが、無数の装鱗そうりんを、銀河の星雲のように展開散布する。咆哮ほうこうと共に、全身から閃火せんかの収束光を放射した。


 一つ一つは細く鋭い収束光が、無数の装鱗そうりんに反射して、無限自在の射角で市街に降り注ぐ。市街を蹂躪じゅうりんしていた子蜘蛛こぐもを、子蜘蛛こぐもだけを、雲霞うんかのことごとくを小さな灼熱光しゃくねつこうに消滅させていく。


「なにが……起きて……?」


 ゆうは、呆然としながら、下を向いた。志津花しづかの顔を見た。


 志津花しづかも、少しだけ呆然とした表情で外を見ていた。


「申しわけありません。わたくしも、認識を整理します」


 志津花しづかゆうが、しばらく無言になった。その、しばらくの間に、絶望的な災厄さいやくとなっていた敵性群体てきせいぐんたい殲滅せんめつが終わっていた。


 異形いぎょう白銀大神しろがねのおおがみへ寄りうように、白銀の十翼鳥じゅうよくちょうと白銀の五爪竜ごそうりゅうが、静寂の戻った市街の空を、ゆっくりと飛んでいた。


 志津花しづかが、ようやくため息をついた。


「神さま……の者たちも、神さまの御力おちから一柱いっちゅう、わたくしと同じ神威しんい顕現けんげんする分神ぶんしんです。十翼鳥じゅうよくちょうかたどっているのが高速戦闘特化筐体こうそくせんとうとっかきょうたいアルスマギウス、五爪竜ごそうりゅうかたどっているのが広域戦闘特化筐体こういきせんとうとっかきょうたいパルバトレスと申します」


「仲間……っていう、こと?」


「はい。全宇宙規模の爆発的感染拡大パンデミックを収束させるため、各個に単独で、他星系の敵性群体てきせいぐんたいを処理していたはずなのですが……浅久間あさくまゆいのことを含めて、状況が大きく動いたように思われます」


 志津花しづかの言葉に、十翼鳥じゅうよくちょうのアルスマギウス、五爪竜ごそうりゅうのパルバトレスが、それぞれに頭部をサーガンディオンへ向けてうなずいていた。



********************



 目を覚ました時、ゆうの記憶は、連続していなかった。


 自宅の分譲ぶんじょうマンションの、自分の部屋だ。ベッドから天井を見上げて、連続していない空白も、それより前の連続も、記憶の全部が夢だったらよかったのに、と思った。


 多分、サーガンディオンの中で意識をくした。ゆいと交わした言葉、その後の悲惨な戦闘、追いつくひまもない現実が、ゆうの精神をけずっていた。


 それでも起き上がりかけて、部屋の中を見ると、母親がゆうの机でノート型の端末を広げていた。


 スーツではないがスラックスとシャツの、しっかりした格好で、せめて五歳は若く見えるのがコンセプト、といつも言っている通りだ。ゆうに気がついて、安心が混ざった苦笑をする。


「丸一日、寝ていたよ。もうすぐ夕方だし、おはよう、じゃないかしらね」


「ええと……仕事は?」


「さすがに、あの大惨事だもの。ほら、自宅待機のテレワーク。まあ……次に、どこがどうなるかわからないし、みんな戦々恐々せんせんきょうきょうよ。たまにメールチェックする以外、できることなんて、あんまりないわね」


 母親が、端末のモニター画面をゆうに見せた。業務用メールソフトに重なって、自治体の広報記事が開いていた。


「父さんは買い物に行ってる。食べ物も燃料も、まだ大丈夫だけど、買い占めにならないよう気をつけながら各家庭で備蓄推奨びちくすいしょう、だってさ。お役人さんも、文章に苦労してるわ、これ」


「そっか。ごめん……大変な時に、心配かけて」


「まったくよ。ジェンダー平等なんて能書き、言ってられないわ。男ならしっかりして、女と子供を安心させなさい」


 端末のモニター画面を閉じて、母親がゆうに向き直る。ちょっとだけ、悪戯いたずらっぽい顔になった。


「で、そこら辺、どうなのよ? あんた、彼女とかいるの?」


「急に、なに? いないよ……そんな」


「じゃあ、今日のところは家族優先でオッケーね。一番、心配してた女の子を、安心させてあげなさい」


「え?」


 母親が部屋の扉を開けて、廊下の先に手招てまねきすると、母親と入れ替わりに志津花しづかが現れた。


 相変わらずの巫女服みこふくに、藍染あいぞめの割烹着かっぽうぎをつけて、なにか台所仕事をしていたようだ。長い黒髪の仔馬の尻尾ぽにーてーると、無表情っぽい美貌びぼうの視線が、少し左右にゆれた。


「神さま……」


「……志津花しづかさん」


 ゆうも、少し言葉に迷った。迷ったまま、それでもベッドを出て、立とうとした。


「よお! 身体の怪我けがは大したことなかったぞ。よかったな、兄弟!」


「もー、いきなり倒れちゃうんだもん! 健気けなげでいたいけな胸が張り裂けそうだったよ、お兄ちゃんっ!」


 初めて聞く声が二つ、初めての気がしない唐突とうとつさで、割り込んできた。


 志津花しづかの口が、への字にもギリギリの急角度で、ひん曲がった。

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