第四話 荒野の向こう側

20.わたくしの失態です

 上昇していく白い軌道が、まっすぐから東に、青空を曲がる。それはゆうの目に、場違いなほど綺麗きれいな景色に見えた。


 飛翔していったゆいたちのシルエットは、高高度こうこうどで第一宇宙速度を超えて、彼方かなたへ消える。ゆうはただ、愕然がくぜんと立ち尽くした。


 音までスローモーションのように、ゆっくりと神経を逆撫さかなでる。


 市街に出現した二十体以上の敵性群体てきせいぐんたいが、それぞれ全長で十メートルほどの、甲虫こうちゅうじみた鉱物結晶こうぶつけっしょう体躯たいくきしませた。結節けっせつ多脚たきゃく鉤爪かぎづめ触腕しょくわんで、コンクリートの建物を、アスファルトの道路を、聞こえる悲鳴ごと破壊した。


「……っ!」


 ゆうの目が、意識が、引きずり下ろされた。


 ゆうは三階建ての校舎の、横に張り出した非常階段、最上部にいる。屋根はあるが壁がなく、手すり自体がセメント製で隙間すきまのない、低い壁のようになっている。東側の海と校庭、西側の市街と山並みの遠景えんけいが見渡せる。


 逃げまどう人や、崩れる瓦礫がれき粉塵ふんじんが見えた。


 校門の近くにも、敵性群体てきせいぐんたいせまっていた。混乱する教師や生徒の中に、幹仙みきひさ葉奈子はなこも小さく見えた。


 校庭の、災害対応で敷設しきせつしていた野営テントから、自衛隊員たちが自動小銃を持って走り出ていた。人間同士の戦争なら、戦車や戦闘機が使えたかも知れないが、現行法ではそれが精一杯のようだ。カレーをすすめてくれた、あの自衛官も見えた。


 ゆうは非常階段を駆け降りた。いや、降りようとした。


 わずかに早く、校門の近くから跳躍ちょうやくした一体の敵性群体てきせいぐんたいが視界をめた。背面の表層外殻ひょうそうがいかくを、まさしく甲虫こうちゅう翅翼しよくのように広げて、校舎と非常階段に向かって飛び込んできた。


 声が出せなかった。咄嗟とっさに、きつく目を閉じた。


 刹那せつなの暗闇に、予感した衝撃ではなく、浮遊感がした。破壊音が遅れて、遠く聞こえた。


「申しわけありません、神さま。わたくしの失態です」


「え……?」


 今度は、思わず開いた目に、長い黒髪の美貌びぼうが至近で映り込んだ。


志津花しづかさん……っ!」


 志津花しづか巫女装束みこしょうぞくで、ゆうを抱いていた。二人で、校舎を半壊させて取りついた敵性群体てきせいぐんたいを、市街を破壊する敵性群体てきせいぐんたいたちを、足下そっかに風の中、飛んでいた。


「状況の急変に、対応が遅れました。いかにうとまれようと、御側おそばを離れるべきではありませんでした」


志津花しづかさん、ゆいちゃんが……!」


「はい。わたくしも彼女の本質を、感知できていませんでした……彼女は、未知の存在です」


 志津花しづかが、表情を厳しくする。そして白の小袖こそで緋袴ひばかま蒼穹そうきゅうにはためかせながら、ゆうと向かい合い、手を取った。


「参りましょう」


 志津花しづかくちびるが、ゆうの手に触れた。


 意識が瞬転しゅんてんする。 


 浮遊感が拡大し、知覚が多層化する。


 物理限界を超越した質量が発生し、凝集ぎょうしゅう縮退しゅくたいして、神という存在が現宇宙げんうちゅうあらわした威志いしを構築する。


 全天周囲の背面が空の青を、正面が市街の惨状さんじょうを映した。ゆうが上半身を出している水面の、境界は外界に融合ゆうごうして、鏡のようにいでいる。


 水面に、ゆうの身体と上下を鏡合わせに、志津花しづかの姿があった。水面でゆう志津花しづかの、両掌りょうてのひらが合わさっていた。


 神威しんい顕現けんげん駆逐戦闘特化筐体くちくせんとうとっかきょうたい頭郭最深槽とうかくさいしんそう、認識の視座しざだ。


「このまま突っ込む! 志津花しづかさん!」


御心おこころのままに」


 積層金属質せきそうきんぞくしつ鎧装がいそうまとい、猛々たけだけしく肥大化した四肢に牙爪がそうよそおい、頭部に桂冠けいかんと三本の結節衝角けっせつしょうかくそなえた異形いぎょう白銀大神しろがねのおおがみ、サーガンディオンが天地の狭間はざま咆哮ほうこうした。


 左右のひざ牙爪がそうが、太刀たちのように伸びる。あお燐光りんこうに輝いて、微細動びさいどうする。


 サーガンディオンの両脚りょうあしに、空間断層の薄膜はくまくが重なった。そして全高五〇メートルを超える巨躯きょくが、井之森第一高等学校いのもりだいいちこうとうがっこうの校舎の、すぐ横に落下した。


 轟音ごうおんが、校舎と校庭と市街をふるわせた。だが、断層をびたサーガンディオンの両脚は蜃気楼しんきろうのように存在を重合じゅうごうさせて、着地した場所のなにも破壊しなかった。


「そこから、離れろぉぉぉッ!」


 校舎に取りついている敵性群体てきせいぐんたいを、右腕の手刀でつらぬいた。甲虫こうちゅうの背面から腹部の中まで、五指の牙爪がそうが握りつぶす。


 この一体は、明らかにゆうを狙って飛び込んできた。敵性群体てきせいぐんたい並列共有知能へいれつきょうゆうちのうで集合意識を構成しているのなら、そこにゆいの意思も含まれる。


 校舎の中は、避難してきた人が大勢いて、ボランティアで活動していた教師や生徒たちもいた。ゆいの意思が、ゆうの存在が、ゆいゆうの関係が、巻き込んだ。


「……っ」


 ゆうは、自分でもよくわからない感情で、奥歯をみ締めた。


 サーガンディオンが右腕を、鉱物結晶こうぶつけっしょう甲虫こうちゅうつらぬいたまま、校舎からがして持ち上げた。多脚たきゃく鉤爪かぎづめ翅翼しよくがねじれながら反転して、次々と前腕部を刺突しとつする。


 かまわず右掌みぎてのひらから、甲虫こうちゅうの腹部の中から、波状はじょう光輪こうりんを放出する。光輪こうりん幾重いくえにも交差して形成した小球に、ひじから先ごと、甲虫こうちゅう隔絶かくぜつした。


 小球が爆縮ばくしゅくし、一瞬の無をて、マイクロブラックホールが蒸発する。サーガンディオンの鎧装がいそう白炎びゃくえん煌流こうりゅうをほとばしらせて、消失した前腕を即座に再構築した。


 「次だ!」


 校門を越えて、その先の市街へける。両脚りょうあしみしだく周囲で悲鳴が上がっても、空間断層で存在が重なっただけの人も物も無傷で、驚愕きょうがく呆然ぼうぜんが残響のように広がっていく。


 市街を破壊していた敵性群体てきせいぐんたいが、サーガンディオンに向かって二体、触腕しょくわん鉤爪かぎづめを振りかざしてんだ。白銀大神しろがねのおおかみが両腕を、両掌りょうてのひらを開いて受け止める。ほとんど同時に、甲虫こうちゅうが二体とも、砕け散った。


 ちがう。自壊して拡散した。


「な……?」


 ゆうの認識が追いつく前に、鏡のようにいだ水面のつながる全天周囲が、拡散再構成した人間大の、雲霞うんかのようなれにめられた。

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