11.俺たちも帰りましょう

 ゆいの言葉は、その通りだった。


 ゆうは戦いながら、怖かった。だから、自分も怖かったと言ったゆいの言葉が、それでも自分にかけてくれた言葉が、あたたかかった。


 心から、そう感じられた。


「ありがとう……ゆいちゃん。俺こそ、ごめん。俺が、その……俺が、もっと……」


「なんか、ヒーローみたいだね」


「え?」


「変身して怪獣をやっつける、カッコいいヒーロー。ほら、俺がもっと強ければ……みたいな」


 ゆいが、はにかんだように茶化ちゃかして、ゆうから身体を離した。離れても両手は、ゆうの肩に置いていた。


「あたしもゆうくんも、御山ミャーちゃんも凡河内ボンカワくんも、生きてるよ。そこから先は……後で、みんなで考えることだよ。きっと」


「うん……。本当に、そうだね。ゆいちゃ……」


「ねー、志津花しづかお姉さんも! そう思いますよねえ?」


 ゆうの肩の手をそのままに、ゆいが、ことさら大声で後づけした。笑っているような、笑っていないような、ニコニコ顔だった。


 ゆうは横を見なかった。見なくてもわかる。志津花しづかが無言で、口をへの字にひん曲げていた。


「ゆ、ゆい? なに? このタイミングで、まさかの宣戦布告……?」


「すごい。ゆいちゃんもお姉さんも、めんどくさい……」


 外野の声は無視した。いや、ありがたくはげまされつつ、別のフォルダに放り込んだ。あたたかいを通り越して、汗が出た。


 ゆいが、今度こそゆうの肩を叩いて、び離れた。


ゆうくん! あたし、ホワイトチョコストロベリーラテ、アイスで、ホイップクリーム増し増しね! いつもより歩くから、別腹もどーんと任せてよ!」


「まあ……ね。開いてれば、の話よね。駄目だったら、となりの駅まで行く途中の、美味おいしそうななんでもいいからさ! 加々実かがみくん!」


「この際、お金は気にするなって、ゆうが言ってる」


「あはは! 御山ミャーちゃんも凡河内ボンカワくんも、ひどーい!」


 三人が、きっと少しずつ元気を分け合いながら、歩いて行く。夕暮れまでには、まだ時間があった。


 ゆうも、追いかけて踏み出す前に、一度だけ腕で目をぬぐった。


「皆さまに……特に浅久間あさくまさまに、借りが一つと、いうところでしょうか」


「そんな言い方、なしですよ」 


御心おこころのままに」


 口をへの字にしたまま、器用なまし顔の志津花しづかに、ゆうも顔をほころばせて見せた。凝り固まっていたなにかが、やっと抜けたような気がした。


「昨日も今日も大変で、これからも大変そうですけど……とりあえず、俺たちも帰りましょう。志津花しづかさ……」


 言いかけて、表情が、また違う形に強張こわばった。


 まいの分譲ぶんじょうマンション、三LDKの間取りを思い浮かべる。少なくともゆうの部屋に、変わったところはなかったはずだ。


「あの、志津花しづかさん。昨日の夜とか、今日の朝とか、どこにいたんですか?」


「もちろん、御側おそばつかえておりました」


 志津花しづかが、小首をかしげた。


 悪い予感がした。外れなかった。


「具体的には、お父さまの趣味部屋の中身を処分しまして、改装りふぉーむさせていただきました。わたくしも至高の神さまの分神ぶんしん。その程度は、文字通りの晩飯前ばんめしまえでした」


「なっ? ちょっと、なにしてくれてんですか! あの部屋、たくさんあった釣竿つりざおとか、古い模型とか、けっこう高かったみたいですよっ?」


「最初からなかった認識になりますので、問題ありません。なぜか、お母さまもすっきりされた御様子でしたので、いことをしたと思っています」


「ああ、もう、なんかごめん、父さん……っ!」


 ゆうは、頭を抱えた。まったく完全な巻き込まれ事故の父親に、合掌がっしょうした。


 志津花しづかに加えて、既視感きしかんのある距離で、ゆい葉奈子はなこ幹仙みきひさも、同じように小首をかしげていた。



********************



 夜空に、満月に近い月が昇っていた。


 星と月の白い光に照らされて、かすかな、本当にかすかな鉱物粒子こうぶつりゅうしの輝きが、ちらほらと成層圏から地表に降っていた。


 閑静かんせいな住宅街の、しゃれた洋風一軒家の屋根の上で、ゆいがそれを見ていた。薄手の部屋着で寝転びながら、身体を大きく伸ばす。ほくそ笑んだ。


「で、どーよ? 今日の、あの感じ!」


『いーね! あんなポヤっとしててもさ、いざとなったらヒーローって、やっぱりカッコいいもんだね!』


 姿のない声が、ハイテンションに応じた。ゆいも勢い良く、両手を月に向けてサムズアップする。


「でしょー? ついつい、イジめたくなっちゃうんだよねー!」


『あたし的には、もうちょっとねばっこく引っぱっても良かったんだけど、それもなんか、空気読めないヤツ、みたいな感じだったじゃない?』


「意識高ーい! 仕事丁寧しごとていねいか! あははははっ」


 少し、笑い合う。


『でもさ……大丈夫? イジめすぎると、本気で好きになって、つらくなっちゃわない?』


 声の、微妙なトーンの変化に、ゆいまゆをひそめた。月をるように、あしを振り回す。


「わかった風なこと、言うじゃん」


『まあね。あたしだって、ゆいちゃんだもん。わかった風なことくらい、言えるよ……いーじゃん、あなただけは特別なんだから、ずっとそっち側にいたってさ。あたしたちは、あたしたちで、好き勝手にやっちゃうよ。それでうらみっこなしじゃん』


「うっさい! あたしのくせにえらそうで、なんか気持ち悪い!」


『そりゃもー、あたしたちの方は群体ぐんたいで、鉱物質組成こうぶつしつそせい広域温度帯超伝導こういきおんどたいちょうでんどうで、次元縦波干渉じげんたてなみかんしょう超空間並列共有知能ちょうくうかんへいれつきょうゆうちのうだもん! つまり、すっごいかしこい! ゆいちゃんさまって呼んでよね!』


「いーね、それ。すっごいかしこそう」


『でしょー?』


 声が、調子だけで胸を張って、鼻息を吹いたようだった。


『あたしたちは、さ。そういう存在なんだよ。宇宙のあっちこっちで、土と水にしがみつかなきゃ生きていけない有機生命体と、どっちが上か下か、残るか滅びるか……進化の正解と不正解を、くらべなきゃいけないんだよ。その血の運命さだめってやつ? 血なんてないけどさ』


 ゆいてのひらを、月光にかし見た。太陽とは光量が違う。ゆいの目に、月が隠れただけだった。


 声が、とりなすように、でなければ曖昧あいまいにごまかすように、また笑った。


『あなたは、ほら、そんなプリプリでムッチムチの、炭素結合と水素結合の高分子を蓄積ちくせきできてるじゃない。だからもー、そっち側でも全然、イケるって!』


「なにそれ。脂肪しぼう駄目肉だめにくって言ってんの?」


『おっぱいとおしりはそーじゃん』


「そーじゃないですぅー。他の物質も、いろいろ複雑にありますぅー」


 ゆいも、口をとがらせてから、笑う。立ち上がって、屋根から夜空に両腕を広げた。


「物質が違っても、さ。あたしはゆいで、あんたがゆいちゃんさま……同じだよ。一緒だよ」


 そのまま、ゆっくりと深呼吸する。脂肪しぼう駄目肉だめにくか、他にもいろいろ複雑な物質か、議論の対象になった形の良い胸が、薄手の部屋着を浮かばせた。


 まばたきをして、開いたひとみに、宇宙そら彼方かなたを射抜くような鋭さが宿る。


「さー! もっともっと、イジめるよー! ゆうくん、うらむなら神さまをうらんでよねー! 自分なんだし!」


 ゆいひとみ虹彩こうさいが、星と月の白い光を照り返して、水晶を積層せきそうしたような鉱物粒子こうぶつりゅうしの輝きを放っていた。

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