虎さんとわたし

riki

頼れるのは虎さんだけ

 ちょこっと動けば脳みそを激しくシェイクされたようで、眩暈と頭痛と吐き気がこみあげてきた。

 瞼を閉じてうーんうーんと唸り、素肌にわさっと当たる毛の感触に目を開けた。


 ……お酒の失敗、よく聞く話です。

 縁石枕に高イビキとか、初対面のイケメンと一夜の過ちとか。

 合コン帰りに酔いつぶれてお持ち帰りされたというのならわかります。

 でもね、それにしたって相手は同じ大学の理系サークル男子なはずですが。


 あれ、アレレー?

 なにこれ、人……?

 頭が虎、どころか身体中が毛皮に覆われふっさふさ。

 なんでカブリモノの人に全裸で抱きついてたりするんでしょう?




 +++++++++++++++




「……わたし、酔っ払ってるんでしょう、か?」

「○×○□? ○△△」

「……おっしゃられることが、ちっともさっぱり理解できないのですが」


 語尾を上げた調子から尋ねられていることはわかるけれど、内容は意味不明です。

 虎の頭部がグルルッと唸った。

 こわっ、怖いよう!

 カブリモノだと信じていた数分前の自分を殴りたい。ひよひよ動く髭を引っぱったら「ガウッ」と吼えられましたよっ、おおおおおっ……!

 完璧に乗り上げてベッド扱いしていた相手から転がり落ち、固い岩の床に「うひぃっ」と情けない声を上げた。

 痛い、冷たい……。

 肌を隠すものを手探りしていると、のっそりと上体を起こした相手がバサリと布を投げてよこした。

 獣臭いそれを慌てて巻きつけ、三角座りの爪先までも大きな布の中に引き込む。

 ズキリ、と下腹部に鈍痛が走った。


 ――ももももっ、もしかして!?


 部活に燃えた高校時代を封印し、「大学ではイケメン彼氏を作るぞー!」ときゃぴ☆きゃぴ女子大生♪をめざしてメイクにヘアスタイル、ファッションセンスを磨いてきた。

 努力の甲斐あって合コンに誘われ、これで念願の彼氏ゲット!思っていたら、見も知らぬ遊園地スタッフの方と……?


 まってまって、合コンは普通の居酒屋でしたよ? 二次会はカラオケで、というか近所に遊園地はないし……ここはどこでしょう?

 薄暗いけど、洞窟?


「あのー、ドッキリならそろそろネタばらしお願いします」


 返答はやっぱり聞きとれなかった。

 まるで本物の虎みたいな着ぐるみ。唾液に光る牙も再現とは高クオリティ。

 唸り声も迫力満点、ボイスチェンジャーも進化したものです。でも蝶ネクタイが見当たらないのですが博士。


 しばらく待ってみてもプラカードを持った人は現れなかった。


 あっはっは。

 虎の頭部をもつ人なんてプロレス漫画じゃあるまいし、リアリティなさすぎで夢ありすぎです。早く目覚めなくちゃ。

 ……つねった頬の痛みに涙ぐんでいると、虎さんは服を着出した。

 下は最初から着用していたことを感謝するべきでしょうか。それともわたしがすっぽんぽんなのを憤慨するところでしょうか。


 立ち上がると二メートルを超える長身の威圧感に、じりじりと後退る。お尻歩きのバックも練習しておけばよかった。


 あわあわと見回した視界に、赤い色のついた服が飛び込んできた。

 見覚えのある合コン勝負服は引き裂かれたように再起不能のズタボロで、若葉マーク相手にハードプレイが過ぎるんじゃないでしょうか。

 初体験の記憶がないのは幸いな気がしてきましたよ……。


 虎さんはラフに着崩した軍服っぽい胸元をトンと叩いた。

 紋章があるのは見える。だけどそれが何を意味するかわからない。


「……身分証明ですかね? あいにく免許証は家に置いてきました。割り勘負けしないように飲むぞーって意気込んで参加したもんで。飲酒運転はダメゼッタイ」

「……○○□××△」

「代行もお金かかるじゃないですか。終電逃したらカラオケで始発を待とうかなって思ってたんです。一人カラオケもけっこう楽しいですよ」

「○△」

「こんな山奥で何言ってんだって感じですよね、あはは。……ところで、最寄の駅はどちらでしょうか? 見たところ木しか見えないんですが」

「○○?」

「諭吉を貸してほしいなんて初対面で言われても困りますよね。交番で泣きつきます。お手数をおかけしますが、どこでもいいんで人の住んでる場所まで案内してもらえませんか?」


 虎さんが溜息を吐いた。

 細めた金褐色の瞳と鼻面に寄るシワで、呆れている雰囲気が伝わってくる。

 獣面の器用さに感心していると、顎をしゃくった虎さんが歩きだした。

 長い尻尾が揺れている。


 ついてこいってことかなぁ?

 ついていってもいいのかなぁ……。


 そもそも証拠もないのに乱暴を疑うのは失礼な話で、鈍痛を除けば身体に傷はない。

 わたしの服についた血は尋常な量じゃなく、あれほどの血を流したら今頃大怪我で動けなくなっている。

 ざっと見た虎さんにも外傷はないから誰の血か不思議だけれど。


 ――ひょっとして、助けてもらったのかもしれない。


 うっすらと蘇る記憶の中で、ぬくぬくほわほわ安眠ベッド扱いしていた虎さんは、わたしを振り払ったりしなかった。

 腰に回された毛皮の腕の感触を思い出してひとりで赤くなる。

 すり寄ったり撫で回したりしたのは寝ぼけて抱き枕と間違えたからなので、どうか誤解なく……!


 洞窟の出口で立ち止まり、「来ないのか?」と雄弁に語る視線に躊躇いは吹っ切れた。

 目は心の窓。昔の人はいいことを言う。

 置いていってもいいのに、わたしを待ってくれる虎さんの瞳には誠実さが窺えた。頼れるのは虎さん以外にいないのが現状でもある。


「……ありがとうございます! お世話になります! お礼は家に帰ったら改めてさせて頂きますねっ。独り暮らしの貧乏学生なもんで大した物は用意できませんが、このご恩はかならずおかえししみゃっ、ぶっ……!」


 ……千鳥足ではまともに歩けまひぇん。

 目から星が、口から魂が出るかと思いました。

 虎さんが振り返り、まだ立ち直れずに地面と仲良くなっていたわたしの傍へ来た。毛むくじゃらの手がぐゎしっと捕らえたのはわたしのウエストで。

 四十うふふキロの荷物をぶらりと小脇に抱えて物ともせず歩く虎さんに言いたいことはひとつ。


「駄目ですっ駄目、揺らさないで揺らさないでゆらさないでゆらっ……おえ」


 言葉が通じないって悲しいことです。

 ……今後お酒は控えることにします、この冷やかな金褐色の双眸に誓って。

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