IF

百済

第1話 イントロダクション・トゥ・デストラクション

 

 教師の声と、チョークが黒板を叩く音。21世紀を20年過ぎても、教室の風景というのは変わらないらしい。

 4限目なので俺の集中力はとうに尽き、板書は適当になっていた。教室内にも弛緩した空気が漂っていた。

 教師の言葉が耳を素通りしていく。が、「想像力」というワードが俺を捕らえる。何故かと考えるまでもない。まさに「想像力」を試されるような状況にあるからだ。

「どうかしたか?」

 すぐ側から野太い男の声がした。隣の生徒の声ではなく、教師の声でもない。

 俺はノートの端に『なんでもない』と書き付けた。他にも、ノートには『黙ってろ』とか『我慢しろ』とか、同じような言葉が書いてあった。

 俺は少し考えてから、『なんでもない』の下に新しく文章を書いた。

『お前は、俺の想像力の産物なのか?』

 一瞬の静寂ののち、失笑が聞こえた。俺は音のする方を見た。

 俺の席は窓側だった。だから、そこには本来窓があるだけだ。だが、実際には妙な物体がいた。1メートルぐらいの大きさの、鳥にも魚にも見える謎の生き物だった。鳥魚は口を動かしていないのに、野太い声を出した。

『ある意味そうとも言えるだろう』

 鳥魚が笑ったのは、俺を馬鹿にしたワケじゃない。同じようなやりとりを、何度も重ねているからだ。奴からしたら「またか」という気分なのだろう。

 俺はさらに適当に文章を書き足して、そいつと『筆談』をした。その内に授業が終わった。

 チャイムが鳴って、教室に開放的な空気が溢れる。教師の言葉を聞き流しながら、皆んな教科書やノートを仕舞い込むと、昼食の支度を始める。

 弁当を取り出す者、購買へ向かう者、学食へ向かう者、と様々いる。

 俺は弁当箱を入れた鞄を背負って、教室を出た。廊下に出ても、生徒達のにぎやかな声は絶えない。

 正直に言って、皆んなが自然に感じているだろう、このキラキラした空気感が苦手だった。

 一階まで降り、下駄箱で靴を履き替えると、一旦校舎を出る。昼間の太陽は眩しかった。2学期が始まって1ヶ月経つが、まだ夏の気配は消えておらず、暑い。

「今日も便所飯なのか?」

 鳥魚が当たり前のようについてくる。俺は周りを一瞬見回してから、

「した事ないって」

「ぼっち飯」と「便所飯」を混同しているのだ。何度も指摘しているが直らない。多分、「便所飯」という言葉の響きが好きなのだろう。「1人で食事」という意味ではどっちも同じだが。

「正確にはぼっちじゃないしな」

 それはこの鳥魚のせいだ。こいつのおかげで日常は突然変異してしまった。俺がわざわざ校舎を出て、昼食を摂るようになったのも元はと言えばこいつのせいだ。

 まさかこいつと会話しながらメシを食べる訳にはいかないし、授業中でもないのに俺だけ筆談するのは不自然だ。ぼっちならまだしも、頭のおかしい奴だと思われてしまう。

 俺はいつも通り校舎を周り込んで、人気のないところまで行く。そこには、廃棄されたとおぼしいボロい机と椅子があるのだった。

 詳しくは知らないが、ウチの高校はズボラなのか古い備品があちこちに放置されたりしている。それなりに汚れていたりするので、おいそれとは近付けないが、腰を落ち着けられるという安心感は何物にも変えがたい。

 そこへ腰を下ろすと、鞄から弁当を取り出して食べ始めた。

 鳥魚は横にいて、じっと覗き込んでくる。

「お前は食べなくて、本当に大丈夫なのか?」

 これも何度も聞いている質問だ。分かっていても、自分だけ飲食している状況というのバツが悪く、つい聞いてしまう。

「大丈夫。というより、今の私が何かを摂取するのは不可能だ」

 これも何度も聞いた答えだ。罰ゲームか何かなのかと思う。

「でも、なんの補給もなしで、存在し続けるのは厳しいんじゃないの?」

「大丈夫だ。私は今、現実には存在していない。お前に見えているだけだからだ」

 そうだった。未だに受け入れ難いことだが、鳥魚の姿は俺にしか見えていないし、その声も俺にしか聞こえない。

 こいつは、俺だけが存在を感じ取れる、奇妙な奴なのだった。


 出会いは突然だった。学校からの帰宅の際、駅のホームで電車を待っていると、いきなり奴が真横に現れたのだった。

 はじめはマスコットか何かだと思った。ホームには他に誰もいなかったので、俺は大胆にもそいつに向かって手を伸ばしてみた。

「セクハラ」

「うぉっ」

 手が触れる寸前に男のものとおぼしき言葉が返ってきて、俺は慌てて飛び退いた。

「話せるのか? お前は一体……何なんだ?」

「何なんだ?は失礼じゃないか?」

 言われてみればそうだ。

「お前は、誰なんだ?」

「レディに向かって、お前は失礼なんじゃないか?」

「女……なのか?」

「いや、私に性別はない」

 何なんだ、ややこしい。困惑している俺をよそにそいつは息を吐いた。ため息らしい。

「この世界で、私の姿を知らないとは珍しい奴だ」

「はあ?」

 妙な物言いにたじろいでいると、「それもそうか……」と鳥魚は何かひとりで納得したように言う。俺は改めて聞いた。

「それでお前は一体何なんだ?」

 鳥魚はじっと俺を見た後に言った。

「君に見えているものだ」

 俺は天を仰いだ。捉えどころのないことばかり言う。

「名前はないのか?」

「あるにはある。だが、後々ややこしくなるのでここでは名乗らない」

 何かと勿体ぶる奴だった。

 そこで電車が来たので、奴とのやりとりは終わりになった。疑問符はあるものの、深入りをするつもりはなく、奴を置いて俺は電車に乗り込んだ。

 ところが奴は何故かついてきた。妙な格好をした身長1メートルほどの物体が電車内に入ってきたのだ。俺は息を呑んだ。が、車内が騒然とするような事にはならず、奴は座席に座った俺の前に立った。

 俺は車内の客と奴を交互に見たが、腑に落ちなかった。誰も奴に反応しない。まるで奴が見えていないような……。

「君の考えている通りだよ」

「何だと?」

 冷静な声に苛立った。

 俺にしか見えていない存在。そんなモノが現れたとなると、いよいよ頭でもおかしくなったのか。夢かとも思うが、意識は鮮明だ。

 車内では静かにしていた奴だが、電車が進む度に俺は嫌な予感に囚われた。そしてそれは的中する。

「何でついてくるんだ?!」

 駅から家への帰途で、辺りに人気がないことを確認してから俺は奴に怒鳴った。

「付いていっているわけじゃない。君の進む方向へ私が引っ張られているだけだ」

 また妙な理屈が飛び出した。

「まるで俺の持ち物みたいだな」

 皮肉のつもりで言ったのだが、奴は意外そうな声で「理解が早いじゃないか」と言った。

「君にしか見えず、君にしか声も届かず、君にしか存在を感じ取れない。私はいかにも君の所有物だ」

 俺は頭を抱えた。

 参った。非常に困った。なぜ他人には不可視のストーカー野郎が出現したりするのだ。前世でよっぽど罰当たりなことでもしたのだろうか?

「いったい何をしようってんだ?」

「何もしないさ」

「本当に?」

「私にとって、君は主のようなものだ。主人にわざわざ危害を加えるかね?」

 もっともらしいことを言うが、会ったばかりの他人など信用できない。いや、こいつは人間ですらなかった。

 困ったことに、簡単に消えてくれそうにない。俺は奴に触ろうとして、触れないことに気付く。何度も同じ動きをしてみたが、結果は変わらない。

「分かったか? 私の方から君に危害を加える事は不可能なんだ。逆も同じだがね」

「何で急に現れた? 俺は頭がおかしくなったのか?」

「さあね。だが、悪いようにしはしない。これからは仲良くやっていこう」

 俺は言葉を返せなかった。そのまま家の周囲をぐるぐる巡り歩いて、異端者が消えるのを待った。だが、俺が期待したようなことは起きなかった。

 家の周りを三周したところで、俺は溜め息をついて、振り返った。

「……分かった。妙なことはするなよ」

 俺はしぶしぶ言ったが、人差し指を立てた。

「だけど、名前がないと不便だ。俺は新田大和。お前の名前を教えてくれ」

「私は呼ばれる名に拘りなどないよ。好きに呼ぶがいいさ」

 そう言われて考える。だが、身体的特徴から名付けるのも難しそうだった。ヒントを出してもらう。

「そうだな。私は強いて言うなら救世主。そのまま救世主、というのはどうだ?」

 何を言っているのか分からないが、長すぎる。メシアと呼ぶのも癪だ。だから俺は「メ」と呼ぶことにした。

 奴は珍しく憮然とした声で反論してきたが、好きに呼べと言った後なので、もう遅い。そうして、俺とメとの日々が始まった。


 メは不可視の存在なので、確かに無害だった。だが、何もしないというのは大嘘だった。俺の所有物らしいので四六時中ついてくるのは仕方ないが、他にも厄介な性質を持っていた。俺以外には見えない癖に目立ちたがり屋なのだ。

 学校にも勿論ついてきたが、俺が授業中退屈していると、教壇の前まで行ってカラオケ大会を始めたり、教師の言葉にいちいちツッコミを被せたりする。俺以外には見えないとはいえ、気が気じゃなかった。

 頼むから大人しくしていてくれ、と頼んで落ち着いたが、時たま奇行が炸裂し、その度に生きた心地がしなくなる。

 家でも似たような感じだったが、学校に比べると大人しかった。だが、起床時にじっと顔を覗き込んでくるのだけはやめてほしかった。心臓が止まりかける。

 奴は「やめてくれ」と言えば、大抵の事はやめるか、やめないにしても頻度を少なくするぐらいの節度を持っていた。が、これだけはやめてくれなかった。

 俺の「寝起きが悪いから」だそうだ。確かに朝は弱い。アラームは5分刻みに設定しているが、起床を保証してくれるわけではない。皮肉な事に奴が「朝のお出迎え」をしてくれるようになってから、朝はしっかり起きられるようになった。

 退屈な生活にも、なんだかメリハリがついてきたように感じていた。

 高校には元々友人が居らず、授業の時間よりも休み時間の方が苦痛、というぼっち特有の奇妙な心理状態が続いていたが、メの出現によって、それは多少緩和されたように思う。

 だが、疑問符はまだ消えない。それは奴の目的が分からないからだ。

「想像力の話をすればさ」

 弁当の中身を空にして、俺はメに話しかける。

「前に言ったろ、イマジナリーフレンドのこと」

「ああ」

「メの正体は何か」という、限りなくメタな談義を何度も重ねてきたが、1番有力なのがイマジナリーフレンドだった。それは幼少期に現れる、想像上の友達のことだ。

 俺の歳を考えると微妙なのだが、稀に成人してから現れるパターンもあるのだという。

「でもイマジナリーフレンドって、本人は自分の想像上の存在だってはっきり分かってるらしい」

「そうか」

「俺にはお前が何なのか、はっきりとは分からない」

「それはそうだろう。他人を理解するのは難しいからな」

「つまり、お前はイマジナリーフレンドじゃないって事だよ」

「私が何者なのかそんなに気になるか?」

「そりゃそうさ。なぜこんな鳥魚くんが俺の前に現れたのか。明らかにしないと、しっくりこない」

 鳥魚はため息を吐く。目立ちたがり屋のくせに、自分の正体について探られるのは嫌らしい。

「あえて聞くが、目的がなければ存在してはいけないのか?」

 正体について突いたせいか、反撃がきた。

「その考え方でいけば人間だってそうだ。皆んな目的があって生きているようには見えない。君だってそうだろう?」

 なんだか痛いところを突かれた気がした。というか、その要件を満たせなければ存在してはいけないなら、人類の殆どは消えてしまう。

「そんなことは言ってない。お前について、翻ってお前が見えている俺のことを知りたいだけさ」

「だったら他の話をしよう」

 こうやって、いつも奴の正体については、はぐらされる。

 ただ、俺はメが現れたのには理由があると確信していた。今はそれを話す段階ではないのだろう。俺はそれを知りたいようで、知りたくないような、妙な気持ちでいた。

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