悪役令嬢ルヴィア・カララシィは華麗に歴史にデビューする

重田いの

悪役令嬢ルヴィア・カララシィは華麗に歴史にデビューする



「え!? 婚約解消ではなく婚約破棄ですの!?」


と、公女にあるまじきすっとんきょうな声がルヴィアの口から転がり出た。それほど驚いてならなかったのである。


ルヴィア――ルヴィア・ド・ルシヨン・デル・サランジェ・カララシィはアントワーヌ公国大公ジャン=マルク・ド・ギマール・カララシィの第一公女である。カララシィ家は三百年にわたりアントワーヌ公国を治めた名門、血筋を遡れば大陸統一の覇王クロード・ロアに行き着く。


ルヴィアと目の前のエリック・ル・コレー王子の婚約は、生まれる前から定められていたことだった。


エリック王子はロームント王国の第一王子。ロームント王国とアントワーヌ公国は同盟国だが、祖父の代までは鉱山を有する領地を巡って幾度か小競り合いがあった。時代が変わったのを機に、ここで改めて関係を強固にしようという意図がこの婚約にはあった。


互いに十八歳。貴族らしい金の巻き毛と紫の目のルヴィアと、金髪碧眼のエリック王子はお似合いだと噂されていた。もっとも、今のエリック王子はルヴィアの紫のドレスとは合うに会わない赤い礼装を身に着け、腕に同じ真っ赤なドレスを着た男爵令嬢を連れているのだが。


ロームント王国王立学院の卒業舞踏会である。周りにはアントワーヌ公国、ロームント王国はじめ諸国の貴族の子弟から有力商人の子女、はては聖職者の隠し子までが遠巻きに人垣を作り、静かなざわめきで情報が伝達されていく。


この異様な雰囲気に気づかないのか、エリック王子は青い目をきらきらと輝かせ高らかに言い放つ。


「そうだとも! 婚約破棄だ! こ・ん・や・く・は・き! わからないのか、ルヴィア・カララシィ! わかるまで何度でも言ってやる!!」


彼の腕にぶら下がるような小柄な男爵令嬢も、きゃぱーっと奇声を発して笑い転げる。


「ごめんなさあい! 悔しいですよね? 悲しいですよねぇ? きゃははははっ!!」


――ううーん。


どうやらこの場は伝統と格式ある学術王国ロームントの栄えある王立学院の卒業舞踏会ではなく、この場にいるだけでこちらの品格が下がる場となり果てたようである。その影響力はさすが王子というべきだが、しかしながらルヴィアは家と国を背負っている身。ルヴィアの名誉によって背後にいる人々まで害を被るようなことがあってはならない。


「そもそも公国なんて僕たちロームントのお情けで技術を教えてもらう側のくせに、まるで対等のように嫁ヅラをして! まあ、お前がきちんと謝るなら愛妾の一人くらいにはしてやってもいいぞ!」


エリック王子はにた、と王族とは思えない笑みを浮かべた。はて、とルヴィアは内心首を傾げる。ここまで愚かな人だったかしら。


「だがそれはお前が心から謝罪してからだっ! さあ、ルヴィア! アレクサンドラにこれまでの悪行を謝れ! きちんと頭を下げて額づくのだぞ!!」


「っきゃー! やめてぇー! いやーん、王子様! あたしっ、あたしっ! そこまでしてほしいなんて言ってないのーぉう!! ほらぁ、ルヴィア様泣きそうだよーうっ!」


ルヴィアはにっこりするとスカートの裾を持ち上げ、彼らに向かって完璧な一礼をした。


「此度のお申し出はアントワーヌ公国公女としてまことに遺憾なれど――殿下直々のご提案とあっては無碍にするわけにも参りません。いったん下がって父に相談の上、改めてご回答申し上げます」


くるっと金の髪をなびかせてルヴィアが退出を決め込むと、その背後で王子と男爵令嬢はまたぎゃあぎゃあと大声を上げ始める。


「オイッ、まだ話は終わってないんだぞ! 衛兵、何してる! アイツを捕らえろ、第一王子への反逆罪だぁ!」


が、残念ながら王立学院は政治的に中立の立場、衛兵含む使用人たちはロームントの国民だが彼らが従うのは王立学院の規律のみである。この場合ルヴィアはいかなる規律違反も(殴り合いの喧嘩をするだとか、夜に寮の外をうろつくだとか、金銭の貸し借りや賭博行為にふけるなどといったことはなにも)していないのだから、衛兵は動かない。


さやさやと衣擦れの音をたてて、アントワーヌ公国貴族の子女および留学生たちがルヴィアの後ろにつき従った。まずは女子が侍女のようにお供をし、列になったところへ男子生徒が等間隔に後ろと左右へ守るように付く。


皆、今日のために選んだのだろうとびきりの装いだったから、ルヴィアは内心すまなく思った。意中の相手と軽やかに踊ることを夢見た者もいただろうに。


まだ状況がつかめないのか、エリック王子の吠えるような怒鳴り声は続く。迎合する男爵令嬢の姦しい声もキンキンと響く。


渦中の二人は気づかないのかもしれないが、とくにロームントに近しい、逃げるわけにいかない事情のある者を除いてぞろぞろと音もなく人が会場である大広間を退出し始めていた。今夜のために用意されたごちそうも、校長先生の演説も無駄になったことだろう。


廊下を渡り、女子寮と男子寮へ続く開けた道に出た。よく手入れされた薔薇の垣根、大理石の噴水、満月の夜なので視界も明るく学院の素晴らしい景色が余すところなく鑑賞できる。


ルヴィアは自分についてきた学生たちを振り返る。若きアントワーヌ人たちは皆、一様に言葉もなく君主の第一公女を見つめた。


「今夜の楽しみを壊してしまってごめんなさい。わたくしの裁量で必ず埋め合わせをするわ。みんなは寮に戻って待機していてちょうだい。わたくしは国に戻ります」


「――戦争になるでしょうか?」


と震えた、カン高い、しかしあの男爵令嬢のとは違って耳障りではない女子の声がした。誰かは分からない。


ルヴィアは頷いた。


「おそらくは。退避したい者は明朝より先にしてもよい。とくに戦えない者、実家が頼りにならない者は。手段が思い浮かばない者はロームント王都のカララシィ公家の屋敷を訪ねなさい」


アントワーヌ人たちは次々と了解の意を口にした。皆、これから起きることを理解し身の振り方を決めていた。中には奨学金を得て留学してきた平民も、金を積んで入学した大商人の息子もいたが、現状の把握能力は貴族子女と同等だった。


アントワーヌ公国は隣国キルティア帝国と南方連邦の最前線を守る武門の国。確かにロームントから技術を提供され農地改革に励まなくてはならない立場だが、その技術発展はアントワーヌ人が血をもってキルティアを食い止めたことで完成した。


アントワーヌ人には武力によって南方の平和を守ってきた自負があり、いざというときは自分と家族を守るため戦う意志を代々受け継いできた人々だった。


「いいこと? 大切なのは明朝に配られる卒業証書。あれを手に入れなくては、八年も勉強した意味がなくてよ。証書を受け取るということがすなわち、アントワーヌ人は国が正規の手続きを終えるまでつつがなく理性と規律に基づいて行動したということを証明するわ。皆の行動に期待します。――それでは、皆さま」


ルヴィアは再び、スカートの裾を広げ盛った。先ほど披露したよりもより優美な一礼で同胞たちに挨拶をする。


「いつかまた、国で」


上空より二頭のドラゴンが滑空し、噴水の左右にトッ……と降り立った。その巨体は人間なら三人を背中に乗せられるし、めいっぱい広げた翼は大の男が五人手を広げたより大きい。それにしては驚くほどに軽い、小さい音だったので、こちらに向かってこなかった人々はドラゴンがやってきたことにさえ気づかなかったかもしれない。


「姫様、お早く、お早くゥ!」


と、右側のドラゴンから手を振る人影がある。声からして、彼はアントワーヌ公国でも最高に腕が立つドラゴン乗りだ。


ルヴィアは夜会のためのドレスのまま、左側のドラゴンにひらりと飛び乗った。サラマンダーの皮を加工した鞍に、ペチコートどころかドロワースの裾まで見えるほどスカートを翻して跨る。


夜会服はウエストのところがキュッと締まった最新の流行で、彼女の瞳と同じ紫色の生地には何百もの小さなダイヤモンドが縫い付けられていた。慣れた仕草で手綱をさばき、ドラゴンがばさりと翼をはためかせる。月の光の下でルヴィアの金の髪が、ドレスが、幻想のように翻る。まるで妖精のような美しさだった、とのちに生徒の一人は語った。


ドラゴンが優美な首を巡らせる。二頭のドラゴンは嵐のように飛び立ち、瞬く間に上昇する。


上空の冷たい空気から身を守るため、ルヴィアは防壁魔法を唱えた。久しぶりのドラゴン騎乗に心が躍り、さまざまな鬱憤がスカッと晴れていく。


「姫様、嬉しそうですねえ」


と隣のドラゴンからヒュウ、と口笛入りの通話魔法が届いた。ルヴィアは首の骨のくぼみにいつもぶら下がる小ぶりなネックレスに手をあて、通話を開始する。


「笑っていないとやってられないのよ、ウィル! だってわたくし、つい先ほど婚約者にフラレたんだもの!」


「そのわりにはお声が弾んでますよ、ハハハ」


通話相手のウィル・クランドはアントワーヌ公国きってのドラゴン乗りで、ドラゴン空軍のエース。そして酒を飲むと暴れまわり男と見れば誰彼構わず喧嘩をふっかけそのすべてに勝つ、という悪癖のせいで栄誉ある武装侍従や宮廷護衛騎士団には入隊できないまま、一生ただの空軍士官でいることが決定づけられた男だった。


灰色の髪に春の空のような青い瞳、男ざかりの三十歳だが生傷絶えないのが少年じみて年齢にそぐわない。ルヴィアは笑い混じりの声をあげた。


「お耳が切れていてよ、また喧嘩したの」


「いやはや、面目ない」


「そんなだからこうして有事の際に都合よく使われるのよ。父上も諦めていらしてよ。――それで、勝ったのでしょうね?」


「ええ、そりゃぁもう! 相手の鼻の骨をヘシ折ってやりましたとも」


ざりざり、と無精髭をかく音が通話に混じった。ルヴィアはくすくす笑った。


ドラゴンは満月の下を悠々と飛ぶ。防壁魔法がなければ凍死するほどの寒さなのに、薄手の夜会服をひらめかせ雲の上を飛ぶのは不思議な気持ちだった。幼い頃に見た幸せな夢を、朝起きたらバターつきシュトーレンが用意されていた聖ドラゴニウス祭の日を、難しいことなど何も考えなくてよかった日々を思い出させるような。


「――間諜どもはことの顛末を父上にお伝え申し上げたかしら?」


「俺が酒場から引きずり出されて宮殿を飛び立つ前には、公王様は豪快にお笑いになり軍大臣を呼び立ててましたね」


「じゃあもうご存知なのだわね。ンフ。この目で見たかったものだわ」


ドラゴンがブホッと鼻孔から湯気を吹き出し、背中の上の女騎手の機嫌に迎合して笑った。彼らはとても賢い種族だから、人間の言葉は理解している。


「なあに、おまえ? おまえも一緒に父上に拝謁する?」


国境となるフォーネウ川を二頭のドラゴンは超えた。


――ロームント王国は老いた。人ではなく、国が。あんな王子が出るようではもうだめだ。王妃が死産で亡くなり、国王は愛妾の子を第一王子に据える他なく、それ以来王家に子は産まれなかった。


エリック王子は立太子されておらず、儀式もすんでいなかった。それは学院卒業後、ルヴィアとの結婚と同時になされる予定だった。


ロームント国王もまた、悩んでいたのだろう。明らかに器量の足りない第一王子、身分の低い愛妾が生んだ不完全な血筋の我が子。ルヴィアの覇王クロード・ロアに連なる血を持って、エリック王子は一人前になるはずだったのだ。


潮時、だった。アントワーヌ公国の軍事力はロームント王国を超える。調教されたドラゴンも兵の数も、そして練度においても。


「わたくしの婚約破棄が開戦の口実に使われるのは、ちょっぴり寂しいわねェ……」


ルヴィアが角の間をコリコリかくと、ドラゴンは気持ちよさそうに目を細める。


「そんな些細なこと、お姫様の経歴に傷ひとつ付けやしませんよ。あなたの前に広がるのはもっと大きくて複雑な世界だ。あの学院は素敵なところだが、いささか小さすぎましたね」


ウィルの真剣な声にルヴィアもまた目を細める。ウィルは零落した伯爵家の長男だった。詳しい過去をルヴィアは知らない。彼は見たことがあるのだろうか。もっと広い世界を……ここよりも、どこよりも広い世界を?


アントワーヌ公国宮殿の広大な裏庭には、ドラゴン離着陸場がある。光魔法で着陸場所を誘導され、ドラゴンたちは手綱に言われなくてもゆるゆると降下をはじめた。


宮殿と城下町、そしてそのさらに北に広がる軍の宿営地。来るべきキルティア帝国との戦争に備えて、南方の血を守るべく冬がくる方角を睨み据えている。


ルヴィアは確信をもって唇を緩ませた。やっぱりそうだった。ロームント王国の王妃になって祖国を支える生き方も、悪くはないかと思い込もうとしていたときもあったけれど……。


「ああ――ここがわたくしの生きる場所だわ!」


彼女は複雑に結い上げた金の髪からショールを毟り取ると、手早く真珠のついたピンをはずしていく。やがて髪はすぐに自由を取り戻し、ドラゴンが音もなく着陸する頃には公女は頭の上でたっぷりとした髪をひとつに結い上げた、戦乙女のような髪型になっていた。豪奢な夜会服とあいまって、そこには不思議な凛々しさがあった。


駆け寄ってきた兵士たちにドラゴンを渡し、ルヴィアはウィルの前に立つ。


「わたくしの送迎をありがとう。大儀であった」


「光栄です、公女殿下」


二人は紫の目と空色の目を見かわし、にやっと笑った。




***




――アントワーヌ公国の国民が観光に訪れなくなり、王立学院に来るはずだった留学生も新学期にこなかった。その頃からまずい気はしていたのだと、あるロームントの民はのちに語った。


正式な契約を持って双方合意したはずの公女殿下の嫁入りを不当に反故にされたアントワーヌ公国は、国家への侮辱を理由にロームント王国へ宣戦布告。両国は戦争状態へ突入したが、戦力差は明らかだった。


直接的な戦闘に陥る前にアントワーヌのドラゴン部隊が強襲を仕掛け、空から降ってくる火炎魔法や風魔法に投石、果てはアントワーヌ誇る天才魔術師ロシュ・スカーレットの起こした嵐と雷によってロームントの兵団は大打撃をこうむった。ロームント側の用兵がすべて筒抜けになっているのではないかと思われるほど、アントワーヌの攻撃は的確だった。


その背後には少なくとも十年以上前から百人以上で行われた情報戦略、すなわち大量の間諜が絶え間なく祖国に情報を送り続けたことがあった。


また、婚約破棄された公女ルヴィア・カララシィが王妃教育の一環として学んだロームント王国の情報も相当な意味があったと考えられる。重要人物の性格や行動、魔術兵器の種類、国民全体の気質など、彼女は十歳から十八歳までの在学中に教わった以上のことを吸収していたのだった。


――戦争は街や王宮に被害を出すことなく、軍同士による平原での戦で幕を閉じた。


終戦後、ロームント王国を併合したアントワーヌ公国であったが、その統治は意外にも穏やかなもので、むしろロームントの技術を手に入れるため文化を尊重する面すらあったという。


国と国の問題の終わり方として当然のことだが王族は皆、捕らえられ処刑された。第一王子は最後まで惨めったらしく命乞いし、ルヴィア・カララシィの名を出して、僕を愛しているなら止めに来いとまで叫んだのだとか。


第一王子の愛人だった男爵令嬢は王宮を逃げ出そうとしたが捕縛され、当たり前に他の王族と同じく首を斬られた。最後まであたしは関係ない、あたしヒロインなのでなんでこんなことになるの? と泣いていたという。


若者たちに比べれば、自分が国を滅ぼした自覚のある国王の最後は潔かった。彼は最後に民に被害がなかったことをアントワーヌ大公に感謝して死んだ。


アントワーヌ公国に併合されたロームントは名前をロザウムントと改めたが、それは大公ジャン=マルク・ド・ギマール・カララシィの祖父の時代、ロームントに掠め取られた領地の名前だった。彼は自分が祖父の屈辱の仇を討ったことに満足し、肩を揺らして哄笑した。


ルヴィア・ド・ルシヨン・デル・サランジェ・カララシィが大人として表舞台に名乗り出るのは、このロザウムント地方の一領主としてである。女にも継承権があるアントワーヌ公国において、女であること、若干十八歳であることは問題とみなされない代わりに、仮に民の一人でも飢えさせればただちに審議の対象になる。


大の男でさえ身がすくむほどの重圧に、若干十八の少女は見事に応え、ロザウムントの繁栄に尽くした。


北には壮大なる軍事国家キルティア帝国。南には鼻持ちならない南方連合の諸国。


ルヴィア・カララシィの進む先には波乱と破滅と冒険が待っている。広い世界が待っている。


それは彼女をさらに強く、大きく、美しくさせるばかりだろう。

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