第16話 両者、尋常に

「いいだろう……やってみろ」


 いかなる心境の変化なのか、渋々ながら承諾するメルダルツ。

 いや、自覚できる形で発露するまで、まだいささかの時間がかかるだろうが、漏れ出るその感情の片鱗を、デュロンの嗅覚はなは知っていた。


 ギャディーヤの身代わりとし、ラムダ村を犠牲とすることを俎上に載せたのは、他ならぬメルダルツではある。

 そのさらに身代わりとして、スティングが自分を差し出すと言っているのだ。


 仮に甥が目の前で死んだら、ギャディーヤがどれほど失意のドン底に叩き落とされるかは想像に難くない。

 そういう意味では、これはメルダルツにとって、さほどデメリットの大きい提案ではないと言える。


「ありがとうございます、メルダルツさん」


 それにしても昨日はデュロンよりよほど狼狽していたくせに、スティングのこの別人かのような落ち着きぶりはなんだ。

 ……いや、この己を性格ごと押さえつけ捻じ曲げるような豹変ぶりに、その実デュロンは心当たりがあった。


 最近ミレインで犯行を見かけないと思ったら、いつの間にか河岸を変えていたらしい。

 生まれつきの能力や発現した魔術ではなく、純粋な演技による詐術を旨とする、神出鬼没の犯罪集団、最新の公称は〈刹那の棺箱〉。


 言い方は悪いがこんなド田舎にまで、〈劇団〉の感染が及んでいたことに、デュロンは驚きを禁じ得ない。

 もっともスティングは方々の街々へ出掛けていたようだから、その折に連中の団員か、ことによると団長に会って手解きを受けたのかもしれない。それはこの際もうなんでもいい。


 逆に昨日の悟りもどきはどこへやら、必死で口角泡を飛ばすのがギャディーヤである。


「スティィィング! いい加減にしやがれ! さすがに悪ふざけの度を超えてんぞ!」

「ふざけちゃいないさ。いつまでも無力な子供だと思ってもらってちゃ困る」

『……前提条件を確認しておこうか』


 サレウスの弱々しい震え声は、されど浸透し支配する音圧となりうる。


『この場を私が掌握している意味を、理解していない者などおるまいな?』


 昨夕メルダルツとギャディーヤが遭遇したことは、互いにとってアクシデントだった。

 それゆえ性急にことを運ぼうとし、相討ちも覚悟で破れかぶれになっていたメルダルツだったが、今や冷静さを取り戻した彼は、おそらくは彼本来の、じっくりと腰を据えた確実な復讐の遂行に取り組み直そうとしている。

 巨霊精スプリガンは恭しく一礼し、皮肉でなく心からの敬意を口にする。


「偉大なる教皇聖下の下されるご裁決に、従う所存でございます」


 なのでメルダルツがサレウスの意向を聞き入れるのは、なにもその威光に屈したからではない。

 この場に本体がおらず、なおかつ遠地から高い精度で何十体もの使い魔を操ることができ、それすら実力の一部に過ぎず、ラムダ村を滅ぼすという脅しもその実行もまるでどこ吹く風、昨日の交戦でメルダルツの能力を完全に理解したサレウスに対し、今ここで敢えて逆らうメリットが少ない、ただそれだけの話だ。


『それで良い……それが私を前にした正しい態度だ……そして法と契約、秩序を重んじる妖精族の守護者に相応しい姿勢と呼べよう……また重ね重ね、お前が我らの神を信じる理由も、もはやなおのこと毛頭なかろうが、その審判の公平性には期待して構わぬ……「復讐するは我にあり」……昨日お前はなかなか含蓄のある言い草をしたことになるな……どうやら神は、二柱いるらしい……つぶてを落とすのはお前だが、その行く先を決める存在は、やはり天にこそ座している……』


 もはやどこか楽しそうとすら思える口調で、ようやく教皇は具体的な措置を示す。


『こうしようではないか……今からギャディーヤとスティングが決闘する……その、メルダルツは好きに殺して良し。その結果にはもはや私も口や手を一切出さぬ』

「なっ!? いったいなにを……」

『ギャディーヤ、貴様が一度口に出したことだ。私の記憶が正しければ、こうだったな……「腕っ節で俺に勝てるようになってから意見しやがれ」……要するにお前たち二人のうち、主導権のある方の言い分が正しいことになる』

「そんな理屈があるか!?」

『そんな理屈を、他ならぬメルダルツが呑み込むのだ。お前に拒否権があると思うか?』

「……」


 制圧力で無理矢理捩じ伏せたどの口が言うのか、とすらギャディーヤは抗弁できない。

 昨日なされた一連の話はすべて、「ギャディーヤがスティングより強い」という事実を自然と下敷きにしたものだった。

 極論仮にあれらが、ギャディーヤがスティングを庇うため、それらしく組み立てたデタラメだったとしても、スティングは訂正することができない……という理屈なのだろうが、暴かれた建前にもはや誰も興味はなかろう。


 議論が行き詰まったから、暴力で白黒つけようというだけの話だ。

 趨勢は決まった。教皇は慣れた様子で、残りの役付けを采配する。


『これは罪を免れるという変則的な決闘裁判のようでいて、つまるところ勝者が我を通せるという、ベナンダンテの力学が適用される……立ち会いは一任して良かろうな、デュロン・ハザーク』


 本来この条件なら、わざと負けて助かろうとするのを防ぐべく、〈ロウル・ロウン〉の〈天罰〉でも持ってきたいところなのだが……実際はスティングとギャディーヤが互いを庇い合い、どちらも全力で勝ちに来ることは、もはや暗黙の了解として確立している。


 それを差し引いても、ずいぶんな大役を仰せつかったもの。

 しかし拒否権がないというなら、誰よりもデュロンがそう。

 彼はただ朝空に手を掲げ、努めて冷静に通告するばかりだ。


「両者、尋常に」

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